Cape Fear、in JAPAN

ひとの襟首つかんで「読め!」という、映画偏愛家のサイト。

『Cape Fear』…恐怖の岬、の意。

コスる。

2013-04-20 04:02:50 | コラム
まぁAV関連なのだが、いわゆるコスプレの取材をしてきた。

コスチューム・プレイは和製英語、しかし世界でも「そこそこ」通用する単語らしい。
AV特殊用語の「ぶっかけ」も「bukkake」で通じるし、すげぇなジャパニーズなサブカルって! と思う。


これほど異色で、これほどハッピーな現場は見たことがなかった―そんな感想を抱くほど、コスプレAVの撮影現場は「楽しげ」だった。
ほんとうは「そのノリ」についていかねばならぬのだが、ちょっと遅れを取る自分。
やばいよやばいよ、なに恥ずかしがってんだと。引いているんだと。

演っているほうは、そりゃ楽しかろう。
モノマネとはちがう、そのキャラクターに同化するという感覚。

凝りに凝ったものもあれば、素材の安っぽさを際立たせ、敢えてパロディに仕立てるものもある。

で、主演の女の子にインタビュー。

「これ監督の指示じゃなくて、あなたの企画なんだって?」
「男のひとの指示だと、どうせラムちゃんとか、『けいおん!』の子たちの格好とかさせられるでしょ? 女の子がやってみたいコスプレってそういうんじゃなく、きょうのあたしみたいなやつだと思う」
「なるほど。ふだんからコスプレを?」
「したいけど、お金かかるし」
「うんうん」
「撮影で着れば、費用は出してくれるし、なおかつ、お金ももらえるんだから」

「どう? ほかのキャラクターに成りきるって、気持ちがいい?」
「コスプレ、やったことないですか?」
「(笑う)その趣味は、ないかなぁ」
「映画、好きなんですよね」
「あれ、自分のこと覚えていてくれたんだ」
「忘れないですよ、目立つもん(笑う)」
「(笑う)そうなん?」
「好きな映画のキャラを、そっくりとまではいかなくても、なんとなく髪型とか、ファッションとか真似してみたこと、ないですか」
「・・・・・」

そういえば、あったじゃないかと。

トラビスである。

モヒカンにした。
МA―1を着た。
その格好で新宿をひとりで歩いた。

「・・・あぁ、やってるやってる」
「でしょう? みんな、そういうもんですよ」
「そうだね」
「それを徹底してやれば、もう立派なコスプレイヤーです」


というわけで。

トラビス以外でやってみたいキャラクターのコスプレを3つ挙げてみよう。

(1)久蔵…『七人の侍』(54)

宮口精二ね。
だって、かっけー! じゃん。

(2)ランバ・ラル…『機動戦士ガンダム』(79~80)

グフの乗り手。
このアニメで、最も好きなキャラクター。

(3)浮浪者チャーリー

しかし。
あの格好は出来ても、あの歩きかたは出来ないと思う。


では次に、女子にやってもらいたいコスプレを。
こっちはひじょーに、分かり易いと思う。

(1)キキ…『魔女の宅急便』(89…トップ画像)

白い肌に黒のワンピース、これ最強。
リボンはあってもなくても、いいかな。

(2)リー・ルー…『フィフス・エレメント』(97)

ゴルチエがデザインした、あの卑猥な衣装。
あんな格好、ミラ・ジョヴォヴィッチ以外に誰が似合うというんだい?

(3)バーバレラ…『バーバレラ』(68)

あの格好をしてくれるのであれば、大抵のことには逆らわない。


※コスプレがキーワードになった日本映画の佳作、『ふがいない僕は空を見た』




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入魂のそっくり

2013-04-19 00:15:00 | コラム
本日よりスピルバーグの『リンカーン』が公開されるが、
少し前にはアンソニー・ホプキンスが鬼才を演じた『ヒッチコック』が公開され、
先日のサッチャー死去の際、また観てみようと思ったのはメリル・ストリープがサッチャーを演じた伝記映画である。

映画史を俯瞰で眺めれば「いつだって創られている」気もしてくるが、ここ数年、伝記映画が多いように思う。

俳優にとって実在した人物というのは演じ甲斐があるのだろう、
オスカー・シンドラーもジム・ギャリソンもリンカーンだって「ほんとうは、そうじゃなかった」「間違いだらけ」なんていわれることもあるが、ノンフィクションではないのだから多少の創作には目をつむりたい、
映画で興味を持ち、そこから本格的に調べていく・・・というひとが増えるのであれば、いいことじゃないか。

もし自分がプロデューサーだったら?

焼死したAV女優、桜井望とか。
不謹慎を承知でいえば、それこそ岡田有希子とか松本智津夫とか面白いと思う。
というか、このあたりはどんな批判を受けようが米国だとしたら「とっくの昔に」映像化されているはずで、ここらへんに手を出さないところが、日本人のおくゆかしさ? なのかもしれない。


で、肝心の『リンカーン』だが、派手なトピックスを省いて一本の映画にしたところに、スピルバーグの覚悟のようなものを感じてさすがだなぁと思った。

ダニエル・デイ=ルイス様の演技は相変わらず素晴らしいのだが、似ているのかどうかは写真資料と見比べるほかはなく、声まで似せたとはいうが、ほんとうのところは分からない。
ホプキンス爺のヒッチコックは、映像資料が沢山残っているから「そっくり!」といい易いのだけれど。


今宵は、そんな俳優たちの名演技が光る伝記映画の10傑を。

けっこう前に特集したような気もするが、あらためて・・・というか、今回は伝記を拡大解釈し、実在した人物を取り上げたすべての映画を対象にしてみたい。


(1)『サバイビング・ピカソ』(96…文末動画参照)

あらゆるキャラクターになりきるホプキンス爺だが、そのなかでひとつを選べば、これになる。

もう完全に、ピカソに成りきっている。

(2)『ドアーズ』(91)

オリバー・ストーンの映画としては失敗作かもしれないが、ジム・モリソンを演じたヴァル・キルマーが「そっくり」に過ぎ、ちょっと気味が悪いほど、、、なのだった。

(3)『ガンジー』(82)

「顔だけで選んだでしょ?」と突っ込みたくなる、ベン・キングスレーのガンジー。

しかしキングスレーが素晴らしいのは、その後、このキャラクターの呪縛から見事に解放されたこと。

(4)『アンタッチャブル』(87)

史実をオールスターキャストで。
いかにも映画的で、こういうのは沢山創られるべき。

(5)『愛のコリーダ』(76)

吉蔵と定の愛憎を、ポルノとして描く傑作。

何度も観返したい気持ちもあるのだが、ちょっと嫉妬するので、なかなか観ることが出来ない―という自分ってヘンですか?

(6)『ほんとうのジャクリーヌ・デュ・プレ』(98)

天才チェリストの気の触れた日常を、エミリー・ワトソンが熱演。

脇汗ばっかり気にする描写が、なんとなくキュート。

(7)『JFK』(91)

暴力的なまでの編集術を用い、ケネディ暗殺の真相に迫る。

オリバー・ストーン、いまのところの最高傑作。

(8)『エレファントマン』(80)

「象男」と呼ばれたジョセフ・メリックの半生を、デヴィッド・リンチが映像化。

モノクロームが効いている。

(9)『アビエイター』(2004)

スコセッシ×レオくんが描く、実業家にして映画監督ハワード・ヒューズの物語。

ただレオくんよりも、キャサリン・ヘプバーンを演じたケイト・ブランシェットのほうがよかった。

(10)『ソーシャル・ネットワーク』(2010)

Facebook創設者のザッカーバーグを描く、デヴィッド・フィンチャーによる佳作。
最初は頭に「THE」が冠せられていたのに、友人から「ダサい、外せ」といわれたエピソードとか面白かった。
10年以上前であれば「THE」はクールだったはずなのに、もうそうではないのだよね。





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『コスる。』

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シネマしりとり「薀蓄篇」(38)

2013-04-18 00:20:00 | コラム
くるいざきさんだーろー「ど」→「ど」ついたるねん

競技人口もファンも野球やサッカーのほうが「明らかに」多いのに、
映画の主題となった場合、この二大競技よりも沢山創られているという不思議―それは、ボクシング。

スライ=ロッキー・バルボアだけでなく、
あの華奢なチャップリンもリング上で戦ったわけだし、
寺山修司もボクシングの映画を創り、北野武はもちろん、経験者であるガッツ石松も小規模ながらこの世界について描いている。

なぜか。

答えは、意外と簡単。

リングのサイズが、ちょうどいいからである。
人物を表情が分かる距離感でカメラのフレームに捉える場合、野球やサッカーのグラウンドは広過ぎる・大き過ぎるのである。

野球やサッカーの試合展開を描写しようとするとき、ショットを割るか、カメラを大きく動かさなければならない。
ボクシングはそれをワンショットで表現することが可能。

そんな理由? と思うかもしれないが、これ重要で。

1対1のドラマを紡ぎ易いというのもあるけれど、それは2番目の理由、、、なんだと思う。


まずは、ボクシング映画の5傑を。(ドキュメンタリーは除く)

(1)『レイジング・ブル』(80)
(2)『TOKYO FIST』(95)
(3)『どついたるねん』(89)
(4)『ロッキー2』(79)
(5)『アリ』(2001)

きょうの主役は、元プロボクサー・赤井英和の本格的な映画俳優デビュー作でもある『どついたるねん』。

物語は単純明快、再起不能といわれたボクサーの主人公・安達が名コーチと出会って再起に賭ける・・・というもの。

掃いて捨てるほどある物語のはずなのに、なぜか「新鮮なものを観た」という感想を抱く。
その理由はタイトルからも分かるとおり、これが関西発であることからきている。

最近はそういうイメージが消えたものの、一時期の日本映画は「湿っぽい」とされてきた。
再起を賭ける「日本の」ボクサーの物語・・・と聞いただけで、なんとなく演歌調を想像するというか、いろんなひとが泣いたり、耐え忍んだりするのではないか、、、と。
それが悪いといっているわけじゃないけれど、この映画は湿った要素がゼロで、とことんドライなのである。
それが受けた。

赤井英和が熱演、それ以降も沢山のドラマや映画で好演しているけれど、このひとの代表作といったら、やっぱりこれになるのだと思う。

ヒロイン役の相楽晴子も、すごくいい。
たぶん、彼女が初めて女優に見えた映画なのではないか。(敢えていえば、最初で最後かも)

監督を担当したのは、現代日本映画を代表する中堅のひとり、阪本順治。
じつはアタリハズレの多いひとで、調子いいときに撮られた作品は「その年を代表する傑作」として様々な賞に輝く(=94年の『トカレフ』、2000年の『顔』、2002年の『KT』、2011年の『大鹿村騒動記』など)が、
コンディション最悪なときに撮られた作品は「なかったこと」にされる(=2003年の『ぼくんち』、2010年の『座頭市』など)ほど、ひどかったりする。

それでも映画小僧のあいだで支持が「極めて」高いのは、この『どついたるねん』が監督デビュー作だったから、、、なのだと思う。


ちなみに赤井さんの娘さん、モデルとかラウンドガールとかやっているけれど、えれーかわいいんだよね。

よかったね、パパ似じゃなくて、ねぇ赤井さん笑


※赤井さんのすごさが分かる試合動画





次回のしりとりは・・・
どついたる「ねん」→「ねん」どあにめーしょん。

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シネマしりとり「薀蓄篇」(37)

2013-04-17 03:00:00 | コラム
こー「く」→「く」るいざきさんだーろーど(狂い咲きサンダーロード)

この世で最も嫌悪するもの。

それは、いきがっているアンちゃん。

現在では関西発の「イキっている」という表現のほうが浸透しているのかな、とにかく大嫌い。

「自分、最強。」みたいな感じで街を歩くアンちゃんを見ると、背後から蹴り飛ばしたくなってくる。

チンピラのことではなく、その予備軍というか。
自称「○○連合」みたいな、まぁほとんど名指しだが、それがどうしたのかって思う。

タトゥーを否定するものではないが、左腕に十字架のタトゥーが入っていたり、それを強調する感じで腕まくりしていたり。
大抵は浅黒く、ガムをクチャクチャと噛む。

たぶん、いじめられた過去も関係しているのだろう、
だからボクシングが大好きでも、昭和のいじめっこの印象が未だ残る亀田長男を好きになれなかったりする。

メンチ切ってそれに勝って、なにが生まれるっていうんだい? みたいな。

・・・という考えの持ち主だから、キャラクターの面白さは理解出来ても、世代的に「バッチリ」はまるはずの『ビー・バップ・ハイスクール』は、漫画版も映画版も「それほど」乗れなかった。

映画版とか、いま観ると、そーとー笑えるんだけれどね。
仲村トオルの歌の下手さ加減とか、ミポリンの安っぽい感じとか。

じゃあ不良、ヤンキー映画と呼ばれるもの全般がダメかというと、そんなことはない。

とくに『狂い咲きサンダーロード』(80)は、気が触れているほどに純度の高い反体制的なヤンキー映画で、その点において貴重であるし、どんな物語でも突き詰めることをしていれば、観るもののこころに刺さるのだ―ということを証明した傑作だと思う。

監督は、当時の名前で石井聰亙。(現在は石井岳龍)
岳龍(がくりゅう)と改名しようが、映画小僧のあいだでは聰亙(そうご)さんのままだろう、そのくらい、このひとの80年代は熱かった。

おそらく本人は気にしているであろう、身長の低さがいい。
いや馬鹿にしているんじゃなくって、そういうひとが、これほどのパワフルな映画を創ってしまうのだよと。

台詞はあってないようなもの。
だから言語は無関係、日本語が分からなくてもこのアナーキーさは通じる・・・ってことで、本作は軽やかに日本を飛び出し、世界中の映画小僧たちを歓喜させたのだった。

そりゃそうだ、コノヤロー! だのバカヤロウ! だのいって殴り殴られ、バイクを暴走させ、銃を撃ちまくる「だけ」の映画なのだもの。

「だけ」っていうのは貶すときに多用されることばだが、なにかに純化・特化したものに対する褒めことばとしても有効で、この映画がまさにそうである。

石井聰亙は、日大芸術学部に在学していたころから頭ひとつ抜きん出ていた。
76年のデビュー作『高校大パニック』から84年の『逆噴射家族』(漫画家の小林よしのりが脚本を担当)まで物語も作風も一貫しており、いい意味で成熟しないというか、その尖った、尖りまくった感性が当時の映画小僧たちを熱狂させたのである。

ちなみに一世風靡セピアの代表曲『前略、道の上より』のPVも担当していて、それを知ったうえでこのPVを観ると、「あぁ、なるほどな」と思えるのではないだろうか。

90年代以降―その作風だけで捉えれば静謐な感じにはなっているけれど、
ときどき「俺は変わってないよ」といいたげな描写があって、かつてのファンはそれに気づき、ニヤリとするのだよね。






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黒帯幻想は、死んだのか

2013-04-16 03:45:00 | コラム
きょうも、誰も居ない。

きのうも、そうだった。

おとといも・・・って、マジか!? と思った。

「誰か居た」のは、先週まで遡る。


あれ、去年、夏季五輪が開催されたのは幻だったのかな・・・と考える。

いや、そんなはずはない。
松本薫が金を取ったじゃないか、その効果でひとは増えるはずだと予想したのだが。


自分が所属している道場だけの話ではない、
いままでの経験上、夏季五輪が開催された翌年の春は、入門者が例年より1.5倍、多いときには2倍の数になる。

だが今年はなぜか、入門者は例年の半分以下ときたもんだ。

五輪の結果が惨敗というなら分かる、
まぁ確かにとくに男子柔道は「いい結果」だったとはいえないが、それにしても少な過ぎやしないか?


マジか!?

なぜだ、なぜなんだ!?

というのはポーズだけで、じつはその理由は知っているし、
前言撤回っぽくなるが、こうなることは春がやってくる前に「なんとなく」予想出来ていた。


K-1やMMAの人気低下が要因?

いや、それはちがう。

授業で武道が必修化されたから?

それもちがう。

そう結論づけるひとも居るが、それは日本柔道が抱えている問題から目を背けたいひとの強引な解釈に過ぎない。

某内柴くんによる強姦スキャンダル。
それが沈静化される前に発覚した、女子柔道における体罰問題。

このふたつが効いている。
というか、それがすべて、、、という気もするのだが。

レスリングの「五輪競技外し」も気にはなるが、吉田さおりんの超人的な活躍などで競技人口が劇的に減っているわけではない、
知り合いのパパさんから聞いた話だが、スポーツが「そこそこ」強い高校に進学した息子さんによると、野球部はダルビッシュとWBC効果で入部希望が数十人も居るのに対し、柔道部は、たった3人らしい。

ガッデム!!

強くなりたいと思った少年が始めるスポーツって、ボクシングか柔道だったはず。
それがいまでは、通用しないというのである。

草食化の流れ?

いやいや、そんな現象はないと思う。
単にイメージが悪くなっただけなのだ。

松本薫のようになりたい! と少女が思っても、親が「やめておきなさい。体罰喰らうかもしれないし、ブタとか馬鹿とかいわれるかもしれない」と諭して思い留まらせる。

親の所為にするつもりはないが、道場へ入門する場合、「親の強い勧め」があって、子どもを「なかば強引に」道場へ連れていくという光景がよく見られたのである。
今年にかぎっていえば、そういう親がひとりも居ないのだった。

これ、かなり重症だと思う。

どうしたらいいんだべか。

まぁ地道にコツコツと少年少女たちに柔の道を教えていくほかはないのだが。
つまり、ときが経過するのを待つしかない。

そりゃ自分だって、なめた態度を取ったガキに対して「強めに」指導したことはあった。
態度が改まるまで、ひたすら投げるとか。

正座さえきちんと出来ない子も多いから、受け身を教えず、延々と正座させておいたり。

けれども「そういうのも、体罰のひとつになる可能性がある」と師範に注意されて以降、過剰なほどに優しく教えるようになったわけで。

クビになった園田さんに全責任があるわけじゃ、もちろんない。
かといって、イマサラ某内柴くんのことをアレコレいっても始まらない。おそらく懲役を喰らう(=控訴中)だろうし。


暗~~~い気持ちになったので、自分を慰めるかのように、
柔道幻想が強かった数年前の煽り動画を繰り返し視聴するのであった。





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