Cape Fear、in JAPAN

ひとの襟首つかんで「読め!」という、映画偏愛家のサイト。

『Cape Fear』…恐怖の岬、の意。

にっぽん男優列伝(191)佐野史郎

2013-04-25 02:30:00 | コラム
55年3月4日生まれ・現在58歳。
山梨出身。

公式サイト

「晴れ、ときどき殺人」のように表現するけれど、
基本は助演、ときどき主演―という俳優さんって、意外と少ないと思うんです。

佐野史郎(さの・しろう)さんは、それが出来るひと。

「演技の巧い」いとうせいこうというか、見た目がすでに異能っぽい。

ぬめっ。
じめっ。

としたキャラクターが似合うし、その印象が強いけれども、じつはいちばん主人公のことを思っていたりして、こういう存在が映画を豊かにするものです。

いちどだけ取材したことあるんですが、想像していた以上に喋るし、サービス精神も旺盛。
映画デビュー作が好きですよと伝えると、すっごくうれしそうな表情をしていました。

※こんな一面も




<経歴>

地元では有名な医師の家系に生まれる。

少年期を島根で過ごし、上京して美術を学ぶ。
興味は次第に演技に移り、「状況劇場」(主宰・唐十郎)で基礎を積む。

映画俳優デビュー作は、86年の『夢みるように眠りたい』。
大規模な予算を組まないほうが「いい映画を創っちゃう」林海象の監督作品で、映画好きでこの物語を嫌うひとは居ないだろう、、、という愛すべき小品でした。

『帝都物語』(88)、『TOMORROW 明日』(88)、『ぼくらの七日間戦争』(88)、その続編の『ぼくらの七日間戦争2』(91)。
『226』(89)、嫌な上司を好演した『その男、凶暴につき』(89)、『われに撃つ用意あり』(90)、『四万十川』(91)。

92年―。
TBSで放送された『ずっとあなたが好きだった』でマザコンを演じ、一躍「ときのひと」に。
ドラマを観ていないひとにも「冬彦さん」は通じますものね、全国の「冬彦さん」は「そういう目で見られる」ようになって、大変だったのではないでしょうか。

93年には『誰にも言えない』(TBS)で「麻里夫」というキャラクターを演じていますが、さすがに「冬彦さん」現象には及ばず。
しかしそれ以降、数多くの演出家の信用を得て、現在まで安定したキャリアを築いています。

『あふれる熱い涙』(92)、『はるか、ノスタルジィ』(92)、『青春デンデケデケデケ』(92)、『ゲンセンカン主人』(93)、
林海象の三部作『我が人生最悪の時』(94)、『遥かな時代の階段を』(95)、『罠 THE TRAP』(96)。

『毎日が夏休み』(94)ではダメダメな旦那を演じて本領発揮、個人的にはこうしたライト・コメディがいちばん似合うような気がします。

『無頼平野』(95)、『南の島に雪が降る』(95)。

99年、『カラオケ』で映画監督デビューを飾る。
あまり話題にならなかったですが、悪くなかったと思います。

『ピカレスク 人間失格』(2002)、『AIKI』(2002)、『タカダワタル的』(2003)、『完全なる飼育 赤い殺意』(2004)、『あゝ!一軒家プロレス』(2004)、『いぬのえいが』(2005)、『太陽』(2005)、『妖怪大戦争』(2005)、
『暗いところで待ち合わせ』(2006)、『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』(2007)、『誰も守ってくれない』(2008)。

蛇骨婆を楽しそうに演じた『ゲゲゲの鬼太郎 千年呪い歌』(2008)、『守護天使』(2009)、『真幸くあらば』(2010)、『RAILWAYS 49歳で電車の運転士になった男の物語』(2010)、『はやぶさ/HAYABUSA』(2011)、
本年も『遺体~明日への十日間~』(2013)、『千年の愉楽』(2013)と好調です。

メジャーもインディーズもいける。
繰り返しになりますが、
基本は助演、ときどき主演―う~~ん、文句のつけようがないですね。


次回のにっぽん男優列伝は、沢田研二さんから。

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明日のコラムは・・・

『GW特別企画(1)映画と楽器』

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にっぽん男優列伝(190)佐野周二

2013-04-24 00:15:00 | コラム
12年11月21日生まれ・78年12月21日死去、享年66歳。
東京出身。

『クイズ100人に聞きました』や『サンデーモーニング』を観て育った自分の世代にとって、関口宏というひとは「TBSの顔」であって、キャスターが本職だと思っていたりします。
母親に「俳優さんなんだよ」といわれても、演技をしている映像に触れたことがないので信じ難い。

あ、そういえば『刑事物語』のシリーズに出ていた気もするけれど、それはあくまでもゲスト的な出演であって、だからこそ「出ていた気がする」という程度の印象で。

自分が映画小僧と自称するようになる、ほんのちょっと前・・・
NHKの衛星劇場で小津の『麦秋』(51)が放送され、母親と鑑賞しました。
紀子(原節子)に縁談を持ち込む佐竹という中年男性が画面に登場したとき、母親が「このひとが、関口さんのお父さん」だと教えてくれました。

このとき、初めて佐野周二(さの・しゅうじ)さんという俳優を知りました。

へー!

男前だなぁ! と。

そういえばひとりで観た『カルメン故郷に帰る』(51)にも出ていたな、
この時代を代表する映画に沢山出ていたということは、そーとー人気があったということだよなぁ、、、と。

「かーちゃんも、好きだった?」
「ううん、お母さんは佐田啓二が好き」

なるほど笑


※逆に、いま観たほうが面白かったりする




<経歴>

大学卒業後の35年―1000分の1という「超」難関を突破して松竹に入社、専属俳優として『Zメン青春突撃隊』で映画俳優デビューを飾る。

自分が「そこそこ」観ているのは「戦後の映画」であるからして、あまりエラソーに「知ったか」記述は出来ないのですが、
37年には10本を超える映画に出演、とくに『金色夜叉』や『婚約三羽烏』の大衆受けは頗る高く、瞬く間に松竹の看板俳優に。

40年代前半―。
召集を受けながらも俳優としての活動はつづけ、戦意高揚的な映画―44年の『野戦軍楽隊』や『陸軍』など―のほかに、小津の『父ありき』(42)、田中絹代と共演した『或る女』(42)に出演する。
30代の笠智衆が70代の父親を演じる『父ありき』ですが、佐野さんもすごくよかったです。

戦後となった40年代後半―。
小津や木下恵介、川島雄三などの話題作に多数出演し、人気が衰えていないことを証明する。

『旅装』(48)、『お嬢さん乾杯!』(49)、『春雪』(50)、
ほのぼのしていて、なおかつ「なんとなく」アナーキーな『カルメン故郷に帰る』(51)、
前述した『麦秋』、川島雄三の鮮やかな演出が冴え渡る『とんかつ大将』(52)、
『関白マダム』(53)、『鶏はふたゝび鳴く』(54)、『花ひらく』(55)、『嫁ぐ日』(56)、『或る夜ふたたび』(56)、『多情仏心』(57)、『ぶっつけ本番』(58)、『蟻の街のマリア』(58)、『夫婦合唱』(59)、『私は忘れない』(60)。

60年代―。
息子の関口宏も芸能界にデビューし、その影響もあったのでしょう、テレビドラマへの出演も増えました。
が、ここでは映画のキャリアのみを。

『恋の画集』(61)、『反逆児』(61)、『若者たちの夜と昼』(62)、『太陽を抱く女』(64)、『若い野ばら』(65)。
名作『黒部の太陽』(68)にも顔を出していますが、このころはさすがに二枚目というより、重鎮的存在になっています。

『ニュージーランドの若大将』(69)、『炎の肖像』(74)。

78年12月21日―急性心不全により死去、享年66歳でした。
映画の遺作は、77年の鈴木清順監督作『悲愁物語』。

キャリアを眺めてみて痛感します、映画小僧を自称するクセして、観ていない映画がけっこうあるなぁと。

いかんいかん。

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明日のコラムは・・・

男優列伝、3連続でいきます。
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にっぽん男優列伝(189)真田広之

2013-04-23 05:00:00 | コラム
60年10月12日生まれ・現在52歳。
東京出身。

アクション専門から演技派へ―というと、すぐに想起するのが海外ではマギー・チャンです。

成龍ジャッキーの映画であれだけ身体を張っていたのに・・・というか「張らされて」いたのに、いつの間にか孤独な中年女性を演じられるようになっていました。
『花様年華』(2000)も素晴らしかったけれど、精神に異常をきたす『クリーン』(2004)もよかったなぁ。

日本では誰か。

真田広之(さなだ・ひろゆき)さんと即答しますね。

千葉真一率いる「JAC」の一員として、ノースタントのアクション演技を披露。
自分が少年期のころ、成龍の映画と同時上映で公開された『伊賀野カバ丸』(83)でのアクションは、完全に主演の黒崎輝を喰っていたと思います。

本人の意欲と作品の完成度が比例しないケースも多いような気がしますが、とくに90年代前半と最近の映画は当たっていて、先日取り上げた佐藤浩市と同様、えれー格好いい50代の俳優さんだよなぁと。

離婚しちゃいましたが、元夫人の手塚理美も好きでして。
別れた原因とされた葉月里緒菜が嫌いだったこともあり、当時は「この小娘が!」なんて思っていましたね。


※現時点での最高作を選ぶとするならば、これかもしれない




<経歴>

そうは見えませんが、じつは日大芸術学部卒。(映画学科)

幼少期―すでにイケメンっぽい容貌だったことから芸能関係者の目を引き、幼児向け雑誌のモデルなどを務める。

「劇団ひまわり」に入り、千葉真一の映画などに子役として出演、
それが縁で中学生のころに「JAC」(=ジャパンアクションクラブ)に入団する。

学業を優先するため度々「芸能活動」を休止しており、
実質的な映画俳優デビュー作といっていいのは、78年の『柳生一族の陰謀』あたりでしょうか。

映画キャリアの初期は『戦国自衛隊』(79)や『忍者武芸帖 百地三太夫』(80)、『魔界転生』(81)、前述した『伊賀野カバ丸』(83)、熱演した『里見八犬伝』(83)など、その身体能力を活かしたキャラクターを演じることが多かったのですが、
84年の『麻雀放浪記』で新境地を開拓、身体だけではないことを証明したのでした。

『火宅の人』(86)、タイトルの格好よさに魅かれて劇場に行った『犬死にせしもの』(86)、
初めてコミカル演技に挑戦した『快盗ルビイ』(88)、『どっちにするの。』(89)。

音楽監督も兼任・・・したものの、正直いって音楽は印象に残らない『リメインズ 美しき勇者たち』(90)、
『病院へ行こう』(90)、その続編の『病は気から 病院へ行こう2』(92)、
牧瀬里穂のフレッシュさで魅せる『つぐみ』(90)、
そして『僕らはみんな生きている』(93)、
このころは滝田洋二郎の映画に連続出演していて、つづく『眠らない街~新宿鮫~』(93)も好評でした。
いい映画なのですけれど、ヒロインの田中美奈子が魅力薄だったこと、じつに惜しいです。

本人も忘れたいであろう『ヒーローインタビュー』(94)、
『忠臣蔵外伝 四谷怪談』(94)、竹中直人の映画で個人的にいちばん好きな『119』(94)、『写楽』(95)、『EAST MEETS WEST』(95)。

大森一樹が原点に立ち返ったかのようなインディーズ『緊急呼出し エマージェンシー・コール』(95)、
スマッシュヒットを記録した『リング』(98)、『らせん』(98)、『リング2』(99)のシリーズ。
市川準が暴走した『たどんとちくわ』(98)、『はつ恋』(2000)、『真夜中まで』(2001)。

21世紀に入り、飛躍のときが訪れました。
『陰陽師』(2001)や『助太刀屋助六』(2002)で好演し、一般的な代表作とされる『たそがれ清兵衛』(2002)を経た2003年、ハリウッドによるビッグバジェット『ラストサムライ』に出演、渡辺謙とタッグを組み、ふたりでトムちゃんのオーラを消し去ったのでした。

『亡国のイージス』(2005)、中国映画の『PROMISE 無極』(2006)、ハリウッド産の『スピード・レーサー』(2008)と国境を越えた活躍がつづき、
最新作として、キアヌ・リーブスと共演する『47RONIN』が控えています。

ローマ字のとおりの物語で、真田さんが演じるのは大石内蔵助なんだそうです。

不安は拭えませんが、ちょっと面白そうですよね。

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『息子』のおもひで

2013-04-22 00:15:00 | コラム
WOWOWで山田洋次の『息子』(91)が放送されていて、久し振りにこの作品をじっくり鑑賞してみた。

その実力は認めざるを得ないものの、なんとなく好きになれない―というのが、山田洋次に対する個人的な感情なのだが、じつをいうと『息子』という映画はスクリーンで30回以上観ている。

観客として30回も入場料を払った?

うんにゃ。

このころ自分は高校生で、地元の映画館で映写技師のアルバイトをしていたのだ。


映写すること以外に、映写技師ってやることあるのか?

あるよ、あるある。
沢山はないが、ないことはない。
フィルムに「ずれ」「ぼけ」がないか、スクリーンをチェックするのである。

まぁそれくらいなのだが、結果、好きでもない映画でも繰り返し触れることになる。
だから嫌いな『稲村ジェーン』(90)のことを「より」嫌いになったというわけで、
そのなかの一本、『息子』は好きでも嫌いでもなかった。

どちらかというと、好きかもしれない。
永瀬正敏が好演していたし。
それに、和久井映見も可憐だったし。

(先日亡くなった)三國連太郎も、さすがの存在感だったし。

だから30回の鑑賞でも、苦と感じることはなかった。


岩手の山奥で暮らす父親と、東京でフリーターを続ける息子とのドラマ・・・って、そうか、いま思えば山田監督は最近作である『東京家族』のような構造を、20年以上も前から撮りたかったんだなぁ、、、なんて。


『息子』を観終えて、20年前の自身を思い出す自分。
自身というか、アルバイト先の映画館『清流』のことを。

場末の劇場だが、A館とB館のふたつを構え、それぞれの座席数は300前後となかなかの大きさだった。
自分はこの劇場で成龍やスピルバーグの映画をはしごして、現在のような映画小僧になった。

80年代といえば日本映画斜陽期の「ど」真ん中、それを生き延びたというのに、いや、生き延びたがゆえに瀕死の状態となったのか、わが『清流』は90年代で息を引き取ることになる。

自分がアルバイトをしていたのは、そんな数々の傷が散見される直前のことであった。

脚を引きずって歩く支配人・新名さんは、ハリウッド大作しか入らない現状を嘆いていた。
そんなビッグバジェットでも、最初の2週間程度しか大入りにはならない。

映画が悪いのか。
それとも、この劇場が悪いのか。

新名さんはその原因は後者にあるとし、劇場を大胆に改造することに決めた。

まず、カップルシート―ふたりがけソファのような座席―を設置させた。

当然、、、といったらいいのか、不発に終わる。

落ち込む新名さんのもとに送られてきたのが、『息子』のプレスシートだった。
プレスシートとは簡単にいえば、業界内に配布されるプログラムのことである。

そのなかの「物語」を読んだ新名さんは「これだ!」と閃き、次の一手を打った。


『息子』で和久井映見が演じるのは、聴覚障害を持つ女子である。
身障者およびその家族の入場料を無料にする―ということを、公開1週間前に開催された特別試写会の場で、高らかに宣言する新名さん。

劇場は関係者で埋まっていたが、拍手はまばらだった。
・・・って、そういえば自分、このとき拍手をしなかった。ごめんなさい、新名さん。

「そういうことに、積極的な映画館」を売りにしたかったのかもしれない、打算があろうがなかろうが、いいことはいいことである。
しかし効果は薄く、『息子』はさほど動員数を伸ばすことが出来なかった。


「―なぁ牧野、これいい映画だよな?」
「えぇ、そう思います」
「山田洋次って、人気高いんだよな?」
「そうですよ、自分は、あんまり・・・ですけれど」
「なにをやれば、当たるのかなぁ」
「・・・」
「なにをすれば、当たるのかなぁ」
「・・・」
「設備も悪くないと思うんだよ」
「えぇ」
「映画そのもののレベルが落ちているわけでもない」
「それは、もちろんそうです」
「俺はさ、レンタルビデオの所為にしたくないわけよ」
「・・・はい」
「家で見るのは“映画もどき”、ここで観るものこそ、ほんとうの映画だから」
「・・・はい」


高校3年のころ―赤字が続く『清流』は、とうとうアルバイトの給料を一括で支給することが出来なくなっていた。

「牧野、悪いけど、今月分の残り、来月に出すから」

「イヤです」なんていえるわけがない、
自分が「上京の準備」を理由にアルバイトを辞すのは、その数週間後のことだった。
それがほんとうの理由でないことは、たぶん新名さんも分かっていたにちがいない。


92年3月、自分は上京した。

そして96年―群馬県が出資した小栗康平の『眠る男』を上映した数ヵ月後に、『清流』はひっそりと店じまいをした。

太田市にシネコンが誕生するのは、それからまもなくのことである。

どこからかシネコン建設の話を聞き、「もう限界だ・・・」と思ったのかもしれない。
真相は分からぬが、その最期に立ち会えなかったことが悔やまれる。


『息子』からだいぶ離れたが、一本の映画からこれだけのエピソードが思い出され、あぁ世の中って動き続けているんだなぁ、自分も生きているんだなぁ、、、っていう当たり前のことを思う。


しょっちゅう話題にするトラビスやサリエリ、権藤だけが自分の血と肉になったわけじゃない―そんなことに気づかされ、
当時はこころ動かされなかった映画も、機会があれば観返すべきなのかもしれないなぁ、、、と思ったのだった。





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カンヌだ、わっしょい。

2013-04-21 02:04:34 | コラム
映画の祭典と呼ばれるものは沢山あるけれど、毎年必ずコラムに記している映画の祭典は、みっつ。

米オスカーと東京国際映画祭、そしてカンヌ映画祭。

とくにカンヌは自分の嗜好―闘争、実験精神―とぴったり合うので、年間で最も楽しみにしている映画の祭典なのだった。

本年度は来月15日に開催、審査委員長はスピルバーグが務める。

注目のコンペティション部門、日本からは是枝裕和の『そして父になる』、三池崇史の『藁の楯 わらのたて』が出品、
賞のゆくえも気になるが、米オスカーとはちがい「ほとんどの作品を観ていない」状態ゆえ、賞予想というのは立て難い。
審査委員長のキャラクター性を分析し、「こういう作品が取るんじゃないか」という予想くらいは出来るけれど。

最高賞はパルムドール(=金のシュロ)と呼ばれている。
数年前のコラムでは「パルムドール・フォー・パルムドール」と題し、歴代パルムドールのなかの10傑を選出した。

今宵は第二席とされている「グランプリ・フォー・グランプリ」を展開してみたい。

そうなのだ、ここにカンヌの分かり難さ? があるのだが、
パルムドール=グランプリではない、
テッペンはあくまでもパルムドールであり、グランプリは「パルムドールと最後まで競った」作品に与えられる銀メダルなのである。

それがきちんと説明されることはないので、
日本の広告で「カンヌ映画祭、グランプリ」とかやられると、一般のひとは「これが最高賞を取った作品なのか~」などと思ってしまう。

・・・というカンヌへの文句をくどくど書き続けることも出来るけれど、
グランプリ受賞作の一覧を眺めてみたらば、映画史に残る傑作ばかりで、もうどっちだっていいじゃないか、、、なんていう気分になった。


以下の作品を5つ以上観ていて、なおかつそれらが好きだというひと。
確実に自分と仲良くなれると思う、どうですか、自分と友達になりませんか?

ん?

ザーメン臭いヤツは勘弁してくれ?

いいさいいさ、映画小僧には孤高が似合う。
孤高の映画小僧には、カンヌで戦う孤高の映画たちがこころの友になってくれるのさ。


(1)『奇跡の海』(96)

ラース・フォン・トリアーの性格の悪さが「奇跡的に」吉と出た感動作。

こんなに豪快に? 涙を流した映画は、ほかにない。

(2)『鬼が来た!』(2000)

「鬼子」という日本人に対する蔑称が原題タイトル(の一部)であることから、思想信条的に観たくないというひとも多かった・・・ように記憶するが、これは観ておいて損はない。

香川照之の全キャリアのなかで、最高の仕事だと思う。

(3)『ジョニーは戦場へ行った』(71)

反戦映画の金字塔。

午前十時の映画祭は、こういう作品もセレクトすべきではないか。

(4)『死の棘』(90)

日本映画から一本。

松坂慶子と岸部一徳、ふたりの俳優の演技対決により、映画はある高みに―という話はよく聞くけれど、それを実際に目にした最初の映画かもしれない。

(5)『スウィート ヒアアフター』(97)

スクールバス事故の顛末を、静謐なタッチで描く。

地味過ぎて新規の映画ファンには馴染みのないタイトルかもしれないが、公開時はミニシアター全盛期で、けっこうな興行記録を打ち立てた(はず)。

(6)『オールド・ボーイ』(2004)

この年の審査員長はQTタランティーノ。
彼だからこそ本作がグランプリを取ったのだという意見が聞かれたが、誰が審査員長でも賞をあげたくなるような会心の出来。

個人的に、韓国映画史上で最高の一本。

(7)『ユリシーズの瞳』(95…トップ画像)

映像美、鮮烈。

映画を語った映画だが、アンゲロプロスが語ると、やはり風格がちがう。

(8)『美しき諍い女』(91)

モデルと画家の心理的攻防を描き、とってもスリリング。

エマニュエル・ベアールのハダカを拝めるから―という動機で観に行き、こころの底から感動しちゃったのである。

(9)『サクリファイス』(86)

タルコフスキーの入門篇としては、これが最適か。

(10)『ライフ・イズ・ビューティフル』(98)

このリストのなかでは最もポピュラーで、最も観易い映画かもしれない。
しれないが、テーマは、重い。


※『藁の楯』予告編…藤原くん、いい俳優になったなぁ




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