Cape Fear、in JAPAN

ひとの襟首つかんで「読め!」という、映画偏愛家のサイト。

『Cape Fear』…恐怖の岬、の意。

あ・お・る

2014-01-21 05:02:02 | コラム
骨はもう「なんともない」ので、長距離の自転車移動を再開させた。

当然、安全運転を心がけている。
というか、事故前もそうだったし。
模範チャリダーと自称出来るほど、マナーしっかりしているし。
そもそも事故の原因は「速度」とは無関係だったし。

まあいいや。

だから後続チャリダーに煽られても先を譲り、競うことはしない。


【煽る】
(1)うちわなどで風を起こす。また、風が火の勢いを強める。
(2)風が物を揺り動かす。また、風を受けて物が動く。
(3)おだてたりして、相手がある行動をするように仕向ける。たきつける。扇動する。
(4)物事に勢いをつける。
(5)<「呷る」と書く>酒などをひと息に飲む。
(6)相場の高騰をねらって、意図的に大量に買う。
(7)前を走る車の後ろにぴったり付いて走る。

・・・などなど。

いろいろあるが、最も身近に感じられるのは(3)なのではないか。
ちなみにトップ画像は映画『イージーライダー』(69)のジャック・ニコルソンで、(5)の酒を呷る。


煽ること、煽られることはあるだろうか。

煽られることは多いと思う。
チャリの運転時だけではない。

酒の席で酒を煽られ、自分のペースで呑みたいのに結局は呷ることになる、、、とか。

東京で積雪があると予報が出たときのニュース番組の煽りがひどい―と、居酒屋を経営する友人がいっていた。
「降りますよ降りますよ、気をつけましょう」と煽り過ぎるから客足に影響が出るというのだ。

なるほどなー。
用心は必要だが、台風直撃の可能性が出たときもすごいものね。

映画やテレビ番組の大量宣伝だって煽りのひとつ。
それが悪いとはいわないけれど、なんかいろいろ麻痺してきちゃって「観なきゃいけないんだろうな」みたいな感覚になるひとだって居るだろう。

たとえば『風立ちぬ』(2013)は大好きだが、日テレ/読売は熱くなり過ぎだろう、どう考えても。

ジブリブランドをなめ過ぎなんじゃ? と思う。
宮崎爺の新作というだけで動員が期待出来るのに、毎度毎度、、、と、いっつもうんざりする。
だから、目や耳をふさぐようにしている。

基本的にメディアに乗っかりにくい、宣伝費の少ない、テレビ放映も期待出来そうにない映画を応援したい人間であるからして、「強大であるもの」に対する嫌悪感があるのだよねぇ。
もちろん宮崎爺は好き、大好きだけれど。
『スター・ウォーズ』の最新作を、いまから期待してはいるのだけれど。


という自分が、ひとを煽ったことはあるか・・・という話。

あぁ、あるね、ある。
女子への告白を煽るとか。

「いまだ! いましかない!!」なんつって。

他者にたきつけるケースだけでない、自分自身を奮い立たせるために自分を煽り、告白することだってあるよね。

そう考えると、煽るということば/行為は悪いことばかりではない。
べつに悪いイメージを抱いていたわけじゃないけど。
「煽」は、自分の好きな漢字「煽情的」(扇情的)の「煽」だし。

そんな漢字が好きだなんて、バカじゃねーの。

あぁそうさ、バカさバカヤロウ。


※格闘技ファンにとって煽りといえば、煽りVと呼ばれる選手紹介VTR。
こんなに楽しい煽りVを観ることが出来ない現在は、動画サイトで過去Vばかり観ているのさ。




…………………………………………

本館『「はったり」で、いこうぜ!!』

前ブログのコラムを完全保存『macky’s hole』

…………………………………………

明日のコラムは・・・

『怒れる牡牛の物語』

コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

初体験 リッジモント・ハイ(64)

2014-01-20 00:30:00 | コラム
自分が単独でナンパをし、生まれて初めて成功させた話。

2000年の秋だったと記憶する・・・から、いまから13年くらい前、自分が20代の後半だったころの出来事である。

場所は渋谷の映画館、シネマライズだった。
目当ての映画は『ヴァージン・スーサイズ』(99)、コッポラの愛娘ソフィアが初めて映画監督に挑戦した作品で、日本でもスマッシュ・ヒットを記録している。

美人で有名だった5人娘が「全員」自殺を遂げるというショッキングな物語。
しかしソフィアはそれを「なんてことないようなこと」みたいな感じ? で表現してみせ、「ガーリー趣味全開」のセンス溢れる映像詩として完成させている。

時代がちがえば、あるいは単なる悪趣味映画として駄作の烙印を押されたことだろう。
けれども時代の「ほんのちょっと先」を見据えていたソフィアのセンスは10~20代女子の琴線に触れ、いつ行っても満員状態という支持を集めたのである。

当時はミニシアターブームの隆盛期で、そのトップを走るのが渋谷シネマライズだった。
独走といってよかった。
ライズでかかる映画を観ておけば間違いない―そんな空気さえ漂っていて、実際、自分はここでかかる映画だけは観逃さないでおこうと意気込んでいた。

だからもちろん、ガーリー女子に向けられた? この映画もひとりで観に行った。
周りは女子ばかりだが、へん、気にしないもん、、、なんてね。
いい香りがするし、ここは天国じゃないかと。

映画そのものは、物語があってないようなもの。
トラン・アン・ユンの『夏至』(2000)もそうだったが、映像の心地よさを最優先にした創りだから、物語に集中することはせず、最初から最後までボーっとしていたというか。

浮遊する映像だけでなく、
周りのガーリーなperfume感がそうさせていた?

それもあるけれど、理由はほかにもあった。

自分の真横に座る女子が、あまりにも可憐だったからである。

自分は開場の10分前に行列に並んでいた。
その後ろに立っていたのが、彼女だった。

席には、自分のほうが先に着いた。
まだ席が埋まっていないにも関わらず、彼女は自分の横に座ったのである。

彼女にとってのベストポジションというだけで、他意はなかった。
(それは、あとから聞いてみた)

で、上映中。
ソフィアの映像センスに感心はしたが、それ以上の感慨はなかった。
横が彼女じゃなかったら、もう少し感じ入ったかもしれないけれど。

あまりにも可憐で素敵なものだから、もう恋をしていた。
そこで上映後、声をかけてみることにした。

ここまで思うこと、滅多にないし。
街中でちゃらついた感じで声をかけるのとは、ぜんぜんちがう行為だろうし。
案外、気軽に応えてくれるかもしれないし。

「―不思議な映画でしたね」
「あっ、、、(笑顔)そうでしたね」
「でも、後味は悪くない」
「えぇ、話は暗いのに」
「新しい才能ですかね」
「うれしいです。ソフィア、俳優としていちど失敗してるから」

お!
これはいけるかもしれない。

というわけで、食事に誘ってみた。

なんという店かは忘れたが、そこそこお洒落なイタリアン。

互いのことを話すというより、ただただ映画のことを語り合った。
(その日、という意味でなく)いけそうな気がしたので、また映画の話をしませんかといってみたらば「はい、私でよければ」と返ってきた。

そうして、ほんとうに付き合い始めた。

トントン拍子過ぎやしねぇかい?
最後にオチが待っているんじゃねぇかい?
『クライング・ゲーム』(92)じゃないが、彼女は可愛い男子だった、、、とか。

自分だってそう勘繰ったが、そんなことはなかった。

なかったのだけれども、いつもどおり? 彼女とは3ヶ月くらいしか続かなかった。
自分、いつもそのくらいだからね。


なにがいいたいかっていうと。
「彼女、ほしいんですよー」
「童貞、卒業したいんですよー。いい風俗紹介してください」
とかいってくる後輩が増えたのだが、

うまくいく可能性もあるから、とりあえず気に入った子が居たら声かけてみようぜ、、、ということなんだ。





…………………………………………

本館『「はったり」で、いこうぜ!!』

前ブログのコラムを完全保存『macky’s hole』

…………………………………………

明日のコラムは・・・

『あ・お・る』

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

初体験 リッジモント・ハイ(63)

2014-01-19 10:11:30 | コラム
去年の11月、2つ上の友人の結婚式に出席した。

ふたりの出会いはナンパだという。
しかも、いわゆる逆ナン―新婦のほうが新郎に声をかけて付き合い始めた。
馴れ初めのVTRでも、それを隠さずに紹介していた。

ナンパでゴールインまで到達するというのは、なかなかに少ないケースなんじゃないだろうか。

自分のまわりの家庭持ち、その馴れ初めを思い出してみる―。

職場で出会った。
ネットで知り合った。
学生時代からの交際。
友人の紹介。
合コンから交際スタート。

・・・と、こんな順番だろうか。

ネットというのが「いまっぽい」が、まぁそんな自分だって現在のハニーとはネットを介して知り合ったわけで。

さて、ナンパである。
約40年の人生で、5回くらいしかしたことがない。
うち3回は酔った勢いでの複数ナンパ。
ほぼ空振りで、性交じゃなくて成功したのは1度だけ、それも、呑んでバイバイ、、、だったのだけれども。

残り2回が、単独ナンパ。
自分ひとりで、ターゲットを決めて―という形。

ナンパ目的の行動ではなく、たまたま見かけた女子に一目惚れし、声をかけずにはいられなかった、、、というもの。
ひとりは本屋で、ひとりは映画館で。
成功したのは後者で、今回の初体験シリーズではそのことについて書く。

ナンパは漢字で軟派、軟派の対義語は硬派であるからして、ナンパにはいかにも軽薄なイメージがある。
だからこそナンパで結婚までいくカップルが珍しいと思われるのだが、その軽薄なイメージも複数ナンパから生じるものであって、ひとりの男がひとりの女に声をかけるだけだとしたら、「軽さ」というものはそれほど感じないのではないか、、、なんつって。


「ギャグではない」映画におけるナンパシーンというと、それほど浮かばない。
映画ファンが真っ先に挙げるのは『トゥルーロマンス』(93)だろう。

クラレンスとアラバマの出会いを指しているのではない。
クラレンスがバーで女子を口説いているシーン、ここを指してのことである。

プレスリーを信奉するクラレンスがプレスリー愛を散々語ったあと、隣りに座るヴァージニア・マドセン似の女子を映画に誘う。

「映画? どんな映画?」
「『ストリート・ファイター』の3本立て」
「『ストリート・ファイター』? なにそれ?」
「カンフー映画だよ。ソニー千葉が主演してるやつ」
「ソニー千葉? 誰それ?」
「ソニー千葉を知らないのか? カンフー映画のスターだよ」
「カンフー? あたしをカンフー映画に誘うの?」
「しかも3本立てだよ」
「・・・行かないわ、カンフー映画なんて」
「・・・・・」

こうやってナンパを繰り返していることが、アラバマとの会話で判明する創りになっている。

クリスチャン・スレーターくらいの男子であれば、どんな映画だって誘われればOKしそうだけれどね。
馬鹿な女だ、、、と思ったが、これはもちろん脚本家QTタランティーノの妄想である。

QTの妄想イコール、映画小僧の妄想。
こんな風にして女子と付き合いたいなと思った映画小僧は、それこそ星の数ほど居るにちがいない。


自分の場合は映画に誘おうとしたのではなく、映画を観終わったあとの劇場でナンパをした。

館内が暗くなる前から気になっていた子で、そのため映画にも集中出来なかった。
だから明かりが戻ったら、すぐに声をかけようと決心したのである。

つづく。


※『トゥルーロマンス』のハイライトといえば、やはりこのシーン




…………………………………………

本館『「はったり」で、いこうぜ!!』

前ブログのコラムを完全保存『macky’s hole』

…………………………………………

明日のコラムは・・・

『初体験 リッジモント・ハイ(64)』

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

爺からの手紙

2014-01-18 00:30:00 | コラム
送った相手に「泣いた」といわれた手紙を3度ほど書いたことがある。

似非とはいえモノカキを名乗っているものとして気持ちのいい返しであったが、
「ようし、もういちど泣かせようじゃないか」
と張り切って書くと、いい結果を得られない、、、ということを理解した。

泣かせよう笑わせよう怒らせようとして、そういう反応を100%起こせるひとのことを「真のプロ」というのかもしれない。
(いや、怒らせるのは意外と簡単かも…)


立場を逆転させてみて―。
手紙を読んで泣いたことがあるだろうか。

ぜひ泣いてみたいが、そんな経験はない。
ジーンとしたことくらいは、あるけれども。


世界の映画監督のなかでマーティン・スコセッシがいちばん好きであることは、しつこいくらいに述べている。
次いで黒澤、リンチ、デ・パルマ、塚本、オオシマ、QT、溝口、コーエン、PTA、原、イマヘイ、宮崎・・・とつづく。

好きというより、信奉しているといったほうが適切だろうか。
ほかのひとがいうと嫌な顔をするクセして、自分だけスコ爺と「いっていいこと」にするほど歪んだ愛情を抱いている。

ともかく高校生のころにこのひとの映画に出会って、自分は変わった。

「人生変えた映画や小説、歌なんてあるものか」というひとも居るが、いや、変わるんだほんとうに。
スコセッシの映画に出会わなければ、たぶん東京で暮らしていることもないだろうし、クソのつくろくでなしにもなっていなかったと思う。

そのほうがいいんじゃね、、、だって?

いや、出会わなかったらクソのついていないろくでなしであったというだけで、
どうせいちどしかない人生だったら、クソがついていたほうが面白いっしょ?

そんなスコセッシも71歳、うちの父親よりひとつ年上であり、
最近「(映画を)創っても、あと2~3本」と発言した。

ショックではない。
このひとには「これが遺作だ」と自覚して遺作を撮ってほしい、、、みたいな思いがあるから。

その2~3本のなかに遠藤周作の『沈黙』が確実に含まれているようなので、そういう意味でも安心しているし。

先日、スコセッシが14歳の娘に送った手紙が公開された。
一読して分かった、私信を公開した理由が。

これは愛娘に送った手紙であることは間違いないが、と同時に、自分のような映画小僧に送られた手紙でもあるということ。

広義の意味で捉えれば、この手紙は自分に送られたもの。
そう解釈すれば、前半で掲げた「手紙を読んで泣いたことがあるだろうか」という問いにイエスと答えられる。

きのう読んで、生まれて初めて手紙で泣かされたその内容。

サイト「TECH SE7EN」さんがその英文を翻訳してくれている。
サイトには「皆さんと共有したい」とあるので、その全文を勝手に拝借することにしよう。

…………………………………………

最愛なる フランチェスカへ

私は未来についてあなたにこの手紙を書いています。私は私の世界のレンズを通して未来を見ています。つまり私の世界の中心である映画のレンズを通してです。

私がこの数年間に気づいたことは、私が少年の時にあった映画に関する考え方、子供だった頃からあなたに見せてきた映画の中にあった考え方、私が映画を撮り始めた頃に一般的だった考え方が終わろうとしていることです。
すでに製作された映画について触れているのではありません。これから製作されるであろうものについて言及しているのです。

私は絶望しているわけではありません。これらの言葉を敗北の気持ちで書いてはいません。反対に未来は明るいと考えています。

私たちは、映画がビジネスだということ、ビジネスとして成立するからこそ映画による芸術が可能だったことを常に理解していました。60年代や70年代にこの世界に入った者で、そうした面で何らかの幻想を抱いている者は一人もいません。愛するものを守るため一生懸命に働かなくてはならないことは分かっていました。多少は大変な時をくぐり抜ける必要があるかもしれないことも理解していました。そして、ある段階において私たちは、映画製作プロセスのあらゆる不都合または予測不可能な要素が最小化され、それどころか除去されるときに直面するかもしれないことに気づいていたのかもしれません。最も予測不可能な要素とは何でしょうか。映画です。それから映画を作る人たちです。

非常に多くの人たちが言ったり書いたりしていることやビジネスにおけるあらゆる困難について、ここで繰り返すつもりはありません。そして、私は映画製作の全体的なトレンドの中の例外に勇気づけられています。ウェス・アンダーソン、リチャード・リンクレイター、デヴィッド・フィンチャー、アレクサンダー・ペイン、コーエン兄弟、ジェームズ・グレイ、ポール・トーマス・アンダーソンたちは皆、すべてを管理して映画を製作しています。そして、ポールは『ザ・マスター』を70mmで撮影したのみならず、いくつかの都市では70mmで上映することに成功しました。映画のことを気にかける者の全員が感謝しなくてはなりません。

また、フランスで、韓国で、イギリスで、日本で、アフリカで、世界中で映画を撮り続けているアーティストたちにも感銘を受けています。ますます困難になっていますが、彼らは映画を撮りきっています。

しかし、映画の芸術と映画ビジネスがいま岐路にあると私が言うことに関して、悲観的だとは思いません。音声と映像のエンターテイメント、映画と呼ばれるもの、すなわち個人が構想した動く映像は、さまざまな方向へと向かっているようです。私たちが映画と呼んでいるものが将来、大きな映画館のスクリーンで見られることがますます少なくなり、小さな劇場、オンライン、それから私には想像もつかない空間と環境で見られるようになるのかもしれません。

では、未来はなぜ明るいのでしょうか。なぜなら、この芸術表現の歴史の中で本当に初めて、映画は非常に少ないお金で製作できるようになるからです。こんな話は、私が少年の頃には考えられないことでした。非常に低予算な映画は常に例外でした。今やそれが反対になりました。手頃な価格で美しい映像を撮ることができます。音声を録音できます。家で編集して、ミキシングして、色補正ができます。それら全部が可能になるのです。

しかし、映画作りにおいてこの革新をもたらした映画製作の機械と技術の進歩に関心を向ける一方で、覚えておくべき大切なことが一つあります。映画を作るのはツールではなく、人だということです。カメラを手にして、撮影して、Final Cut Proで編集するのは簡単です。映画を作るということ、あなたが作る必要があるものは他の何かです。そこに近道はありません。

私の友人であり師でもあったジョン・カサヴェテスが今日もし生きていたら、利用できるツールを全て使ったことは間違いありません。しかし、彼が常に言っていたことをいまでも言うでしょう。「仕事に心から打ち込まなければならない、自分の全部を捧げなくてはならない、そもそもあなたを映画作りに駆り立てた閃きを守らなくてはならない。命を賭けて閃きを守らなくてはならない。」これまでは映画作りにとてもお金がかかったために、消耗と妥協から守らなくてはなりませんでした。これからは別のことに対して気を引き締めなくてはなりません。流れに身をまかせたい誘惑に逆らって、映画が流れ去ってしまうことを防がなくてはなりません。

これは映画だけの問題ではありません。何事にも近道はないのです。すべてが難しくあるべきだと言っているのではありません。あなたを鼓舞するのはあなた自身の声であると言っているのです。それは、クエーカー教徒も言っている内なる光です。

それはあなたです。それは真実です。

すべての愛を。

父より





…………………………………………

本館『「はったり」で、いこうぜ!!』

前ブログのコラムを完全保存『macky’s hole』

…………………………………………

明日のコラムは・・・

『初体験 リッジモント・ハイ(63)』

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

シネマしりとり「薀蓄篇」(64)

2014-01-17 04:57:59 | コラム
るーしー「りゅー」→「ゆーつー」(U2)

(日本以外で)好きな国は、アイルランドとブラジル。
前者の理由は後述するとして、ブラジルが好きなのは格闘技大国だから。
ちなみに次にくるのはロシアかな。ロシアというよりプーチンが好きなんだが。あの冷酷な感じとか。

好きな洋楽アーティストを順に挙げると・・・
ストーンズ、ドアーズ、ナイン・インチ・ネイルズ、デヴィッド・ボウイ、REM、レディオヘッド、エイミー・マン、その次にU2だろうか。

U2は、アイルランド出身のアーティスト。
アイルランドが好きだから彼らを好きになった・・・というより、

U2、
映画監督ニュール・ジョーダン、
映画監督ジョン・フォード、
俳優ガブリエル・バーン、
画家フランシス・ベーコン、

・・・という具合に、好きな有名人を挙げていったら、その多くがアイルランド出身だった―という流れによる。

それからサッカーW杯でもアイルランドを推すようになった。
ユニフォームも買った。
アディショナルタイムに同点に追いつくとか、泥臭い勝ちかたで好きだったけれど、今年のブラジル大会には出場しないのだよなぁ。。。

外側から見ているだけだから思えること―かもしれないが、その苦難な歴史もいいなぁと思う。
酒の国というイメージも強く、そこも好き。

もちろん文学史に輝く『ユリシーズ』(ジョイス著)も読んだ。
よく分かっていないのに感動もした。


さて、U2について。
楽曲の提供が多いことから映画ファンにも馴染み深いアーティストだが、メディアの興味はボーカルのボノがノーベル平和賞に選出されるかどうか、、、にあるみたい。

10年くらい前からいわれているよね。
曲そのものが社会的テーマを含んでいるわけだし、実際に社会的活動も積極的におこなっているし、
オバマさんのときは「早過ぎやしねぇかい?」と思ったが、ボノがもらっても疑問には思わない。
けれども、ノベール平和賞の肩書きを持つボノっていうのも、なんだかピンとこない。
春樹さんには文学賞の肩書きが似合うが、ボノはそういうものと無関係な存在であったほうがいいような気もする。
(関係ないが、姫野カオルコ直木賞受賞、おめでとー! マジうれしい)


突出した存在であるので、ボノについてばかり書く―ベースのアダム・クレイトンも好きだよ―が・・・
マッチョ化が異様で、最近はレスラーに見えることも。
(ナイン・インチ・ネイルズの)トレント・レズナーもそうだし、これは最近の流行なんだろうか。

少し前までのミュージシャンといえば、「ちょい痩せ」体型が主流だったよね?
悪くいえば貧弱で、でもそんな華奢な身体からとんでもない声量を出すところに凄みがあったような気もする。
デヴィッド・ボウイとか、まんまそうでしょ?

まぁいいか、そんなこと。

そういえば友人の結婚式で、彼らの『All I Want Is You』が流れていた。
「そう来るか!」と思ったけど、流すなら『Beautiful Day』のほうが格好いい気がする。

それこそ、まぁいいか、そんなこと・・・だけれども。


映画との関連づけで自分が1曲選ぶとするならば、『ギャング・オブ・ニューヨーク』(2002)から、、、ではなく、
『トゥームレイダー』(2001)に提供した『Elevation』かなぁ。

映画はクソだったが、この曲とアンジーの目の演技だけは満点だったと思うよ。

・・・・・って、あれ、今回、ぜんぜん薀蓄になってない。
あまりにも知られ過ぎたひとたち、、、ということで、勘弁してください。






次回のしりとりは・・・
ゆー「つー」→「つー」ぶろっく。

…………………………………………

本館『「はったり」で、いこうぜ!!』

前ブログのコラムを完全保存『macky’s hole』

…………………………………………

明日のコラムは・・・

『爺からの手紙』

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする