Cape Fear、in JAPAN

ひとの襟首つかんで「読め!」という、映画偏愛家のサイト。

『Cape Fear』…恐怖の岬、の意。

日本女優別10傑(72)成海璃子

2023-08-16 00:10:00 | コラム
~成海璃子のキャリア10傑~

璃子(りこ)さん30歳、たぶん本人的にも「もういいよ!」ってくらいに女子高生キャラを演じてきて、

しっとり系も演じられる大人の俳優へと成長。

どちらかというと小規模な作品でこそ、その魅力が輝くひとです。


(1)『無伴奏』(2016)

学園紛争に揺れた時代―小池真理子による半自伝小説を映画化、舞台(の一部)となる「無伴奏」とは実在した喫茶店の名前です。



(2)『神童』(2007)

ピアノの天才と呼ばれたおんなのこの物語。
彼女のその後を描いたのが、『蜜蜂と遠雷』だった、、、のかもしれない。


(3)『武士道シックスティーン』(2010)

剣道に青春を捧げた女子高生を描く。
共演は北乃きい―はっきりいえば彼女目当てで観にいきました^^



(4)『少女たちの羅針盤』(2011)

人気の推理小説を映画化、共演に忽那汐里・森田彩華・草刈麻有。
みんな可愛いので、一粒で四度おいしい。



(5)『書道ガールズ!! わたしたちの甲子園』(2010)

今度は書道部に挑戦。
女子高生を演じる俳優は多いけれど、演劇部に剣道部に書道部、さらに学園紛争に関わる…って、ここまでいろいろやったのは璃子さんくらいでは?


(6)『山形スクリーム』(2009)

コミカルなホラー映画。
監督は竹中直人、璃子さんは悪くなかったが、EXILEのAKIRAが酷くてね、、、。


(7)『海辺の映画館―キネマの玉手箱』(2020)

大林宣彦の遺作。
璃子さん、新境地だったと思う。



(8)『あしたの私のつくり方』(2007)

市川準がソツなくまとめた青春映画。
璃子さんもよいが、前田あっちゃんがすごくよい!


(9)『極道大戦争』(2015)

三池崇史のよい面が発揮された快作。
理屈なんか要らない映画だって、あるんだよ。



(10)『ジオラマボーイ・パノラマガール』(2020)

最新出演作。
原作は岡崎京子の漫画、だが漫画そのものが「岡崎っぽく壊れていて」これをまとめるのは難儀だったろうな、、、とは思う。

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明日のコラムは・・・

『無音では眠れません。。。』
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紙派は3割、、、

2023-08-15 00:10:00 | コラム
派遣先の職場、喫煙所にて―。

喫煙者はまあまあ居て、いつも満席にちかい。

さぞ煙でモクモクしていることだろう、、、って思う?

そんなことないんだな、拍子抜けするくらいに。

なぜか。
「紙煙草」派が、自分を含めて3割程度しか居ないから。


時代、時代よのぉ。。。

寂しさはない。
焦りもない。

ないが、なぜか詠嘆はしてしまう。


自分は、非紙煙草の知識をまったく有していない。
なぜなら「最初から代えるつもりがなかった」から。

経済面においては、紙とたいして変わらないらしい。
カートリッジ?はスマホと同様の寿命らしく、2年にいちどくらい買い替えなければならないようだし、
ちがいは「煙、臭いほぼなし」だから他者に嫌われ難く、健康面において「紙よりはだいぶマシ」であること。

・・・う~ん。
ぜんぜん魅力的じゃないな。

だって吸いつづけている時点で長寿はあきらめているし、あと、そもそも嫌われ者だからイマサラ感があるしね(^^;)(^^;)


結論。
自分の相棒は、紙のセブンスター様です^^


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『日本女優別10傑(72)成海璃子』
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シネマしりとり「薀蓄篇」(470)

2023-08-14 00:10:00 | コラム
じょーじぴーこすとま「す」→「す」とっくほるむしょうこうぐん。

73年8月―。
スウェーデンはストックホルムで発生した「ノルマルム広場強盗事件」において、人質になった被害者たちが加害者たちをかばったり警察の捜査を妨害しようとした…ここから名づけられたストックホルム症候群とは、
誘拐・監禁事件などの被害者が「犯人との間に心理的なつながりを築く」ことを指す現象。

映画のなかでこのケースを取り上げているのが、シドニー・ルメット×アル・パチーノの銀行強盗映画『狼たちの午後』(75)。


まぁ分からないではないというか、極限状態だし、加害者が超のつく極悪人でないかぎり、そういうこともあるかもしれない。
ただデータベースによると、実際に心理的なつながりを形成することは「1割に満たない」そうで。

日本でもときどき「立てこもり事件」などが発生するが、被害者がストックホルム症候群に陥った、、、みたいな話を聞くこともないしね。

だから、そういうことが「ごくごく、ごく稀にある」程度のことなのだと思う。
さらに付け加えれば。
現代で銀行強盗や立てこもりが成功するケースは「ほぼほぼゼロ」に等しく、ストックホルム症候群ということばそのものが過去のものになってきているんじゃないだろうか。


さて『ダイハード』(88)では加害者と被害者が心理的なつながりを形成しないが、事件を報じるニュース番組において「そのおそれがある」と識者が解説している。

面白いのは、ここではストックホルム症候群ではなく「ヘルシンキ症候群」といっているところ。

単なる誤りではないと思うので、フィクション性を強調するため「敢えての名称変更」だったのかな。



竹中直人がイヤらしい小島聖を監禁する『完全なる飼育』(99)まで行くと「テーマそのものが、べつ=歪んだ恋愛」になってしまうが、

ちょっとした変化球としては、『クライング・ゲーム』(92)がある。


IRAの一団に拉致監禁された黒人兵士ジョディ、彼の見張り役ファーガスの関係性は最初から「ちょっとだけ、妙。」だった。

ひとの本性を見分ける?ことに長けていたジョディはファーガスがやさしいこころの持ち主であることをすぐに見抜いて、「あんたの名前を教えてくれ」「(頭にかぶされた)袋を取ってくれ」「(小便するために)ナニを支えてくれ」など、人質らしからぬ要求をつづける。

ファーガスが「なんで俺が」みたいにいうと、「それが、あんたの性なんだよ」と返す。

立場が逆転しているようにも見えるが、これもまた、「広義の意味では」ストックホルム症候群といえるのかもしれない。


次回のしりとりは・・・
すとっくほるむしょうこう「ぐん」→「ぐん」たい。

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『紙派は3割、、、』
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シネマしりとり「薀蓄篇」(469)

2023-08-13 00:10:00 | コラム
く「じょー」→「じょー」じぴーこすとます

作家主義ではない、いわゆるジャンル監督は忘れられていく傾向が強い。

たとえばジョン・バダム。
『サタデー・ナイト・フィーバー』(77)や『ウォー・ゲーム』(83)、『ブルーサンダー』(83)などでスマッシュヒットを記録、
地上波で洋画劇場が放送されているころはヘビロテされていた映画は多いのに、作家性を読み解くことに意味がないひと???なので、現代の映画ファンで「バダムが好き」と公言するひとは皆無だろう。

ジョージ・P・コスマトスも、同様に不遇といえば不遇の監督。
見た目はデ・パルマ的というか、バリバリ作家性が濃そうなのだけれどね!!


細菌の恐怖と列車アクションを融合させた『カサンドラ・クロス』(76)は、

「かなりの期待の星」であったのか、ソフィア・ローレンやリチャード・ハリス、マーティン・シーンにバート・ランカスター、挙句にアリダ・ヴァリ(!!)まで集結したオールスター映画。

シンプルに面白かったし、残酷な結末に唖然としてインパクト大でしたなぁ!!

『ランボー』の続編「怒りの脱出」(85)をソツなくまとめてスライの信用を得て、


『コブラ』(86)でもスライの世界観を構築。
批評的な面では惨敗だったものの、まあまあのヒット。



アクション演出における実力はまちがいなく水準以上、
コスマトスのようにデビューした後輩がジョン・マクティアナンで、スライのライバルだったシュワ氏を起用した『プレデター』(87)、そしてアクション映画の潮流を変えたとまで評される『ダイハード』(88)で人気監督となり、しかしこのひとの場合は作家性にまで言及する識者が多く、虚偽の罪で収監されて以降も待望論が根強い。

このちがいは、なんだべか・・・。

89年の深海スリラー『リバイアサン』、


西部劇の『トゥームストーン』(93)も悪くなかったのになぁ、いま「コストマスが好き」とだけいってピンとくる映画ファンは希少でしょう、「ほら、あの『カサンドラ・クロス』の…」と説明する必要がある。


自分はもちろん「作家主義の監督を愛するもの」だが、スタジオやスターの要求どおり「きっちり創ってみせる職人」も正当に評価される世の中であってほしいなぁ。。。


あすのしりとりは・・・
じょーじぴーこすとま「す」→「す」とっくほるむしょうこうぐん。

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『シネマしりとり「薀蓄篇」(470)』
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安らかに、ドキンさん。。。

2023-08-12 00:10:00 | コラム
町山智浩「ウィリアム・フリードキン監督が死んだ。人格は最低だった。『エクソシスト』に本物の神父をキャスティングし、演技ができないからと、神父の頬を平手打ちし、ショックに震える彼を撮影したフリードキンは地獄に行くだろう。でも、映画のために悪魔に魂を売った彼にとってそれは望んだことだろう」

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マーティン・スコセッシはスコ爺、
大島渚はオオシマ、
森田芳光はモリタ、
ポール・トーマス・アンダーソンはPTA、
クエンティン・タランティーノはQT、
スティーブン・スピルバーグはスピちゃん、

そしてウィリアム・フリードキンは「ドキン」さん。

鬼才監督に愛称を冠することによって少しでも距離感を縮めようとする、自分独自―独自でないのも含まれるが―表記・呼称スタイル。

「ドキン」さんは、アメリカン・ニューシネマの時期に頭角を現した「怒れる牡牛系」映画監督。

ゲイの世界を真正面から描いた「初めての米映画」とされる『真夜中のパーティ』(70)のクールというか、冷徹なまでの視点。


『フレンチ・コネクション』(71)のリアリズム。

『エクソシスト』(73)のケレンと、それを補完する映像の説得力(とくに冒頭のイラクでのエピソード)。


クルーゾー監督の名作を「ドキン」さんなりの解釈で捉え直してみせた難産の『恐怖の報酬』(77)。

とくに70年代の活躍は目覚ましく、
80年代以降だって『L.A.大捜査線/狼たちの街』(85)や『英雄の条件』(2000)などで気を吐くも、マイケル・チミノがそうであったように「異様だったあのころ」に才能を使い果たした感もあって、ずっと好調がつづくスピちゃんやスコ爺と比べると不憫に思わなくもない、、、というか。


群れるのを嫌うひとだったようだ。

スコ爺あたりもそんな印象があるが、いやいやデ・パルマやスピちゃんと仲が良かったし。
このグループに「ドキン」さんが入っていなかったことのほうが意外なのよ。

けれども冒頭で引用した町山評のとおり、映画のためならキャストやクルーたちを地獄に落とす悪魔的な面があり、関係者に畏れられて?いたのかもしれない。
創る映画の冗談の通じなさ―『エクソシスト』がほんとうに怖かったのも、そのためでしょう―がそれに輪をかけたところがあったかもしれない。

じつは黒澤信者のひとりであって、自宅で晩餐会を開いたこともある社交性のあるひとだったのに、そのイメージが広まれば思うように映画を撮れなくなった90年代以降も手を差し伸べてくれるひとが居たかもしれないのに・・・。

ただ随分と勝手な言い分であることを自覚していえば、
そんな孤高性が「ドキン」さんを特別にしているところもあって。

ちょっと。どころか「かなり」頭のおかしなひとが撮った映画なんだな、
映画監督としては正しく狂っているひとが撮ったのが『フレンチ・コネクション』なんだな。

そんな風に捉えたほうが、映画をより楽しめる・深く理解することが出来る、、、こともあるかもしれない。


「ドキン」さんへの評価は、それでいいのではないかな―そんな気もするのであった。

映画監督ウィリアム・フリードキン、8月7日死去。享年87歳、合掌。



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明日のコラムは・・・

『シネマしりとり「薀蓄篇」(469)』
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