Cape Fear、in JAPAN

ひとの襟首つかんで「読め!」という、映画偏愛家のサイト。

『Cape Fear』…恐怖の岬、の意。

シネマしりとり「薀蓄篇」(472)

2023-08-25 00:10:00 | コラム
ぐん「ま」→「ま」ぐのりあ

「物語を物語ること」を志すひとの大半、、、といってしまうと大袈裟か、いや、そんなことはないと思うな。

だから繰り返しいうが、大半が「いちどは群像劇を書きたい」と思っているはずで。

自分?
一時期は、それしか書いていなかったくらい。

群像劇とはなんぞや?
複数の登場人物を同時進行的に動かしていく―そんな構成を持つ物語。

分かり易く大作を挙げれば、『タワーリング・インフェルノ』(74)とか。

映画界における群像劇の第一人者といえば、ロバート・アルトマンだろうか。

音楽関係者24人(!)を見事に捌いてみせる『ナッシュビル』(75)、
多数の映画関係者が蠢くハリウッド業界を皮肉った『ザ・プレイヤー』(92)、
そして、そのテクニックを極めた感のある大傑作『ショート・カッツ』(93)などなど。

そんなアルトマンの後継者と目されていた時期があったのが、PTAことポール・トーマス・アンダーソン。


そのくらいのインパクトが、『マグノリア』(99)にはありました。


いまは目されていない?

そのとおり。
なぜってPTAにとって群像劇は「一ジャンル」に過ぎず、ほかに目指すところがある、、、ということがその後のキャリアで判明したから。


話を戻して『マグノリア』。
すべての映画のなかで群像劇をひとつ挙げろといわれれば、自分はこの傑作を選ぶ。

死にゆく老いた旦那について悩むジュリアン・ムーアや、


父親に犯された過去を引きずり、「自分はサイテー」と自虐的に呟くメローラ・ウォルターズなど、


演じる俳優とキャラクターが全員ハマっていて素晴らしい。


オチばかり言及される作品かもしれない、
けれども映画を引っ張るのは、やはりキャラクターなんだなと実感出来るわけです『マグノリア』を観ると。

いちばん好きなのは「彼女」が「泣き」「笑い」するエンディングだが、
ココも悪くない、
それぞれの場所に居る登場人物が、同時にエイミー・マンの曲を歌いだすところ。

スコセッシもそうなのだが、学生が自主映画で試みるような実験的手法を「ぬけぬけ」とやっちまうところが、逆にクール!だなぁと^^



次回のしりとりは・・・
まぐのり「あ」→「あ」んどろいど。

…………………………………………

明日のコラムは・・・

『麦茶とおにぎり』
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする