石井桃子さんの『家と庭と犬とねこ』、読み終わるのが惜しくて大事に少しずつ、少しずつ読んでいたのですが、読み終わりました。
2008年に101歳で亡くなられたそうですから、4.50代にいろいろなところに書かれた、いわゆる雑文が集めてあります。
思っていたよりずっと芯のつよい、自分を持っていた方でした。言いかえると自分が見て感じていること、考えていることから周囲を見て、生き方も選べるひとといったらいいでしょうか。(くどいっ!)

鮮やかに私の印象にのこったのはこうした文章です。
「その後、私の一生の友だちとなったスミレを、本当に美しいと思って見ほれたのも、「古い汽車道」でであった。」
「私が自分で見つけて、これこそ、自分のスミレときめたのは、……細長い葉がスッスッと何本か根元から出ていて、そこからスウと立ち上がった何本かの茎には、一本に一輪の濃紫の花がうなだれて咲くという、あの種類である。この種のスミレが、「汽車道」のあちこちに群れ咲いていて、日に輝いているのを見ると、幼い私は、何ともいえない満足感でゾッした。」
幼いときにぞっとする満足感を与えてくれ、別のときにはなんとしてもほしい「所有慾」から「盗んだ」スミレはどんなスミレでしょうか。
「 ……これこそ原始的にただ「スミレ」と呼ばれている種類なのだと知った。それ以来、私のそばには、毎年春になると、「スミレ」が咲いて、私を喜ばしてくれている。
これです。
http://www.mitomori.co.jp/hanazukan/hanazukan2.4.61.html
あなたには「一生の友だち」の花はありますか。
それは幼いときからのものでなくて、今からのでもいいわけですし、そう呼べるものをもつことはまっすぐに自分らしく生きられることでもありますね。
2008年に101歳で亡くなられたそうですから、4.50代にいろいろなところに書かれた、いわゆる雑文が集めてあります。
思っていたよりずっと芯のつよい、自分を持っていた方でした。言いかえると自分が見て感じていること、考えていることから周囲を見て、生き方も選べるひとといったらいいでしょうか。(くどいっ!)

鮮やかに私の印象にのこったのはこうした文章です。
「その後、私の一生の友だちとなったスミレを、本当に美しいと思って見ほれたのも、「古い汽車道」でであった。」
「私が自分で見つけて、これこそ、自分のスミレときめたのは、……細長い葉がスッスッと何本か根元から出ていて、そこからスウと立ち上がった何本かの茎には、一本に一輪の濃紫の花がうなだれて咲くという、あの種類である。この種のスミレが、「汽車道」のあちこちに群れ咲いていて、日に輝いているのを見ると、幼い私は、何ともいえない満足感でゾッした。」
幼いときにぞっとする満足感を与えてくれ、別のときにはなんとしてもほしい「所有慾」から「盗んだ」スミレはどんなスミレでしょうか。
「 ……これこそ原始的にただ「スミレ」と呼ばれている種類なのだと知った。それ以来、私のそばには、毎年春になると、「スミレ」が咲いて、私を喜ばしてくれている。
これです。
http://www.mitomori.co.jp/hanazukan/hanazukan2.4.61.html
あなたには「一生の友だち」の花はありますか。
それは幼いときからのものでなくて、今からのでもいいわけですし、そう呼べるものをもつことはまっすぐに自分らしく生きられることでもありますね。