13日朝の五月橋。前夜にはすでにこうしてありました。
13日買い物途中アモーレフィオーレに鶏頭を注文に寄りました。
あとから来たお客さんと文子さんが話すのを聞いていたら、その人は12日に避難所に避難したというのです。
「第五小学校ですか」ってきいたら、あそこは川のすぐそばだし、建物が低いし話にならない、高台にある市民体育館に車でいったこと、とても混んでいたこと、お湯もでるし、広いし、よかったと話されました。それで浅川橋の水位が下がったのを見計らって、12日のうちに帰宅されたそうです。
私が感心して聞いていたら、避難勧告、指示が出たのだから、当たり前、睦橋は流されたし、遊歩道に亀裂が入った箇所もでき、浸水した避難所もある。あと30分降りつづいていたら、八王子も危なかったこと、避難勧告、まして避難指示が出て、避難しない選択肢はないとも。文子さんも「私だってそうよ。」 自分の認識の甘さを実感しました。テレビでも私のような甘ちゃんの方がたくさんいて、後悔されてましたね。状況判断できるようにしないといけませんね。そのときの状況にもよりますが、それでも私はジュリアがいるかぎり基本的には避難場所は2階かな。
14日に改めて、川原にいってみました。
わが家から一番近い五月橋です。
睦橋は少しだけ上流になります。
脇の小さな川が浅川と合流する地点の右側の向こう岸沿いに橋が横たわっているのが見えます。ヒマラヤスギの下あたり。
橋げたはどうしたんでしょう?流されちゃったみたい。
これが睦橋のあった場所です。
あのヒマラヤスギのところまで流されたわけですね。
多分五月橋と同じような橋桁だったのではないでしょうか?そう思うと五月橋の橋桁も頼りなく思えます。
ほんとにあと30分大雨が降りつづいていたら、どこかから町にどっと流れ込んでいたかもしれませんね。
帰りに第五小学校を見たら、3階建てでした。朝からテレビで見ている風景を目の前の建物や家に当てはめながら、家にもどりました。
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