まいぱん日記

身近なあれこれ、植物のことなど

川原はイタドリの花が満開(10月1日)

2024年10月05日 | 川原の植物
夕方ちかく川原に行ってみました。

                                                               (10月1日 16時34分)
夕陽をうけてかがやくチカラシバの穂


イタドリが満開

イタドリの花は地味ながら、なかなか風情があります。

イタドリはイギリスでジャパニーズ・ノットウィード(学名Reynoutria japonicaから)と呼ばれ、忌みきらわれています。在来の植物を駆逐する勢いで増えつづけ、家の基礎のコンクリートや道路のアスファルトを突き破るなど多大な被害をおよぼしています。イギリスでは家を売る際 敷地にイタドリが生えていないかどうかの申告が必要とされ、うその申告をした場合罰金が科せられるそうです。
この<やっかいな、きらわれ植物>イタドリを日本からヨーロッパに持ち込んだのは、シーボルトです。
私のシーボルト観は大場秀章著『シーボルトの21世紀』(2003)によって一変しました。(興味のある方は シーボルトの21世紀 (u-tokyo.ac.jp) を)

そこに書かれていたのは、
シーボルトは日本の医学を発展させた貢献者、アジサイなど日本の植物の研究者などとして知られるが、彼が日本の植物に熱中したのは植物学的な観点よりも園芸植物への関心からだった。彼を虜(とりこ)にした日本植物の魅力とは園芸植物として役立つこと、日本の植物でヨーロッパの園芸植物や庭園の大改良ができるという事業的野心だった。ヨーロッパでは園芸的価値がある野生植物が少なかったのだ。シーボルトがヨーロッパに持ち帰ったのは日本の弟子とともに精力的に収集した生きた植物二〇〇〇種と植物標本一万二〇〇〇種、多数の動物標本などであった。
シーボルトを虜(とりこ)にした日本植物の魅力とは,それが園芸植物として役立つという日本植物の資源性ならびに日本植物をもってヨーロッパの園芸植物や庭園の大改良ができるという事業的野心である。
来日中に植物学と園芸が進んだ日本の状況を目の当たりにしたシーボルトは,日本の植物を導入してヨーロッパの園芸を豊かなものにする衝動に駈られていた。園芸的価値のある野生植物が少なかったヨーロッパでは,そもそも露地植えできる園芸植物の数が限られていたためである。
シーボルトは日本の植物を園芸へ導入するためにこれをヨーロッパの環境に馴らす作業を開始する。その作業の場となったのが,ライデン近くのライダードルプに設けた馴化植物園である。また,日本それに中国の植物を導入するために「園芸振興協会」を設立し,さらに種苗輸入のための「シーボルト商会」を設立した。一八四四年にはシーボルトが日本から持ち帰った植物を掲載した世界初の通信販売用の『有用植物リスト』ができ、球根や種が販売されることになった。現在ヨーロッパの庭園で見る日本産の植物はシーボルトが関与したものが多い。

イタドリも観賞用としてヨーロッパや北米で庭園に植えられたが、その後庭園から逸出して野生化し、分布を広げて旺盛な繁殖力でその土地の植物を駆逐していったのです。二〇〇〇年には国際自然保護連合(IUCN)が発表した「世界の侵略的外来種ワースト一〇〇」に名を連ねています。

植物は(も?)人間によって思いがけない運命をたどることになるのだとイタドリの花を見ると思うのです。

お彼岸はすぎてしまいましたが、彼岸花も満開でした。


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