世界人権宣言 1948年
https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/udhr/1b_001.html
いきなり人権ですか???
と、思われたと思いますが、何も難しいことは書いていません。
とても当たり前で、当たり前すぎて、言葉にするのも恥ずかしいくらい、当たり前のことが書かれています。
それは、あなたの毎日に関わる些細なことばかりです。
拷問してはいけない。
当たり前です。
自由を楽しむ権利がある。
当たり前です。
いちいち、トイレに行くのに、家族の許可なんて取らないでしょ?
こんな日本人にしてみたら、当たり前のことが、1948年の国連で採決されなくちゃいけないくらい、世界は、ひどかったのです。
中身をよく読んでみると、聖書で言っていることと一致します。
キリスト教だ、カソリックだ、なんだ、かんだと、信じる神様で敵対している人々を、一つにまとめようと、どこを切っても同じ金太郎飴のような宣言がこれです。
そして、私が言う「全人類」とはこれだし、私が言う「波動が高い世界」とはこれだし、私が言う「神」とは、まさにこの宣言を実現している存在です。
文字通り、全ての垣根を飛び越えて、一つになる世界が、高次元であり波動が高い世界であります。
あれこれ、小分けして条件つけてるうちは、波動もクソもないってことですね。
これを腹の底から実現できた人間が、聖人としてカソリックでは祀られているでしょう?
カソリックの聖人認定は、他にも2回くらいの信じがたいが間違いない奇跡を起こさなくてはいけないのですが、基本はこの世界人言宣言の思想で生きていたということです。
そんな人間、そうそういません。
そして、私たちが目指す人間性、生きる価値は、全てこの世界人権宣言から外れないところにあります。
屁理屈並べて許されようったって、そんなのは通らない世界です。
この間、久々に「本物がわからない」と言われたんで、私たちのような俗世界の人間が、どうやって本物を定義したらいいものか、何かどこにも偏らない、とりあえず納得できそうな物を探していたのですが、これが一番納得かな。
これを規範に生きると、まぁ、真っ当な人間になれるんじゃないかと思います。
んで、世界は残酷です。
人権宣言しないと、人間としての幸せや平和が守られないと言う、残酷な世界です。
人間って残酷ですよ。
なので、私たちは、自分を守る方法も身につけなくちゃいけません。
人権宣言を押し付けて、真っ当になれ!と相手に要求するのは、人権宣言に反しています。
なぜなら、知識が追いつかない人に対しては、教育を受ける権利があるからです。
教育しても学べない人は、誰かがその人の代わりに考え、判断しなくちゃいけません。それを国がやるのか、家族がやるのか、友達がやるのかは、その国の方針で変わりますよね。
外務省の和訳は簡単で、するっと読めるので、一度読んでみてください。
ニュースで「人権問題」と言ったら、ベースはこれです
今日も、明日も修行なのであります。