暁庵の茶事クロスロード

茶事が好きです。茶事の持つ無限の可能性に魅了されて楽しんでいます。2015年2月に京都から終の棲家の横浜へ戻りました。

鷹峰・光悦会-1

2014年11月26日 | 献茶式&茶会  京都編
              光悦寺より京の街を望む(11月6日に撮影)

京の北、鷹峰三山(鷹ヶ峰、鷲ヶ峰、天ヶ峰)を見渡す景勝の地、光悦寺。
その昔、本阿弥光悦が家康よりこのあたりの土地を拝領して拓き、
太虚庵を建てて住し、一族と配下の工匠とともに芸術村を創りました。

ここで毎年行われる光悦会へ11月13日に行ってまいりました。

光悦会は、本阿弥光悦の遺徳をしのぶ茶会で、土橋嘉兵衛らが世話役となり、
三井松籟、益田鈍翁、馬越化生、団琢磨らの賛助を得て、
大正4年(1915)に財団法人として発足しました。
光悦寺に大虚庵、騎牛庵、本阿弥庵などを新築して、11月に最初の茶会が開かれ、
東京の大師会とともに近代数寄者の二大茶会として始まったのです。
現在も11月11日~13日の三日間、東京、京都、大阪、名古屋、金沢の
美術商が世話人となって茶会が行われています。

             

京都に居る間に参席したく思い、或る方に茶券をお願いしました。
関東から茶友のSさん、Oさんが参席することになったので、
ご案内の下見を兼ねて光悦寺を訪ね、掲載の写真を撮ってきました。

当日、三人で9時前に光悦寺へ到着すると、1週間前より紅葉が進み、
朝陽を浴びて、赤橙黄緑のグラーデーションが輝いています。
東京、金沢、大阪、京都、最後に点心の順で各席をまわりましたが、
とても覚えきれず、各席ごとに印象に残ったことを記念に記しておきます。

             

第一席は薄茶・東京席で、本席は三巴亭です。
青磁竹の子の花入に季節外れの大きな牡丹(花無し)。
たった一枝ですが、枯れた葉あり、青葉あり、花芽あり、新芽ありで、
人の一生を託したとか・・・東京席世話人の心意気を垣間見た気がしました。

源氏夕顔文の芦屋釜と、七宝蒔絵(道恵造)の炉縁の華やかさにも惹かれましたが、
乾山の色絵夕顔文水指が一番のお好みでした。
鉄絵も好いですが、斬新でモダンな乾山の色絵にすっかりほれ込みました。
茶碗(黄伊羅保、絵唐津、色絵)のうち、仁清造の黒地芭蕉葉文(横山家伝来)が
珍しい文様で、仁清の色絵も佳いなぁ~とため息です。

             
                  三巴亭 (薄茶・東京席)

第二席目は濃茶・金沢席です。
了寂軒が寄付になっていて、床には元伯宗旦の松絵自画賛のお軸が掛けられ、
香合は金沢席らしく、仙叟手捏ねの飴釉寿星香合。
垂涎の炭道具が飾られ、こちらで金沢・吉はし製の「初霜」と薄茶を頂きました。

本席は太虚庵、外には有名な光悦垣があり、了寂軒から庭伝いへ進みます。
三畳台目の落ち着いた席へ入ると、奈良先生が対応されていました。
床は、春屋宗園墨蹟「諸悪莫作衆(修)善奉行」、
以前に拝見した一休禅師の墨蹟と違い、柔らかく優しい人柄が想像される墨蹟で、
光悦の遺跡・太虚庵にふさわしく思いました。
花は白玉椿とズイナ、花入は古銅四方蝶耳(芳春院伝来)、
この花入は本阿弥光悦より大徳寺芳春院へ寄付されたものとか。

             
                   紅葉が美しい光悦垣

             
                   太虚庵 (濃茶・金沢席)

インパクトがあったのが水指でした。
仙叟好飴釉海老撮手付(初代長左衛門造、一井庵旧蔵)で、
一井庵不言斎記によると、
「長左衛門が同じ水指を二つ造り、一つは宗室へ、一つは自分が持ち、
 互いに懐かしく思う時は是をみるべし・・・と」

茶入、茶碗、帛紗、茶杓・・・どれも素晴らしく相和して、金沢席っていつも凄い!
・・と思うのはお道具もさることながら、郷土愛を感じるせいかもしれませんね。
                                       

            鷹峰・光悦会-2へつづく                            

吉田神社の献茶式

2014年11月20日 | 献茶式&茶会  京都編
            
11月4日は吉田神社の献茶式でした。

氏子ではありませんが、散歩によく出かける大好きな神社なので
この度献茶式へ伺えて、とても嬉しく思っています。
茶券を手配してくださった真ML会員のTさまと待ち合わせ、ご一緒しました。

            

先日の平安神宮と違い、吉田神社は参列者が少ないのが好ましく、
吉田山の樹木に囲まれた式場は清閑として献茶式にふさわしい佇まいです。

雅楽が演奏され、お祓いを受け、神箋が供えられ、祝詞があげられ、
いつものように、厳かに坐忘斎お家元の献茶のお点前が始まりました。

            

            

よく見える席だったので、坐忘斎お家元の所作や間合いに合わせて、
頭の中でご一緒に茶を点てさせて頂いていると、いくつか気が付いたことがありました。
帛紗の色が、濃茶では白、薄茶では紫だったような気がします。
仕覆は白、緒の色が濃茶器と薄茶器で違っていましたが、しかと思い出せません。
もう一つ、水次を運ぶ時、水次を持ったまま水指前へ斜めに膝行し、
水次を台子と平行に置き・・・
水を次いだ後も水次を持ったまま斜めに膝退されたような・・・。

このような臨場感のある献茶体験ができるなんて、
なんて素晴らしい献茶式なんだろうと感激し、吉田神社にも感謝です。

            
                 薄茶の緑が美しく映えて・・・

献茶式のあと、拝服席、本席、副席、点心席へTさまとまわり、
一人ぽっちで参席した平安神宮とはちがい、心豊かな愉しい時間でした。
社務所の奥に茶室や広間があるのを発見したのも嬉しいサプライズです。

            
                   吉田神社の社務所

ますます吉田神社が好きになりましたが、来年の節分に来れるかしら?

                               


平安神宮献茶式-2014へ

2014年10月24日 | 献茶式&茶会  京都編
10月19日(日)、孝明天皇御鎮座記念祭・平安神宮献茶式へ参席しました。
四流派宗家の輪番で、今年は裏千家坐忘斎・千宗室家元のご奉仕です。
献茶式は昨年7月の祇園祭・八坂神社以来です。

9時に着くように家をでました。
着物は紫の無地紋付、帯は白地に草花が手書きされた塩瀬です。
ゆっくり歩いて15分、お家元のお点前をじっくり拝見したいので、
献茶式の1時間前に着くようにしています。
既に20名ほどいらしてましたが、良席をゲットすることができました。

待つ間、今までの献茶式(東京の諸所、伊勢神宮、東大寺)を思い出したり、
台子の設えや直弟子さんの準備を見ていたり・・・。

             

白木の台子に唐銅の朝鮮風炉と釜、唐銅の杓立、水指が地板に置かれ、
天板には2つの台にのった茶碗(蓋あり)、
その間に白い仕覆に入れられた茶入2つが載った木地長盆がありました。
献茶式の長盆は、神社では木地、寺院では塗になっているそうです。

直弟子さんが何度も炭を改めて火相と湯相を調えています。
留金のようなものが地板に置かれ、あとで火箸を止めるものとわかりました。

神官や雅楽の方々が拝殿に入室され、続いて裏千家御一行がつづきました。
一同、お祓いを受け、神官が供物をささげ、詔をあげます。
儀式の最中に奥殿から不思議な「呼び声?」が響いてきました。
「あ~~~ あ~~~う~~~・・・」
神々を目覚めさせ、神殿へ誘う、そんな呼び声に聴こえたのですが・・・。

             
                      平安神宮・本殿
いよいよ献茶式です。
伊勢神宮八坂神社のようにお家元の炭手前を期待したのですが、
今回はありませんで、最初に濃茶、次に薄茶の2服が点てられました。
流れるような無駄のない、しかも端麗な動きを固唾をのんで見つめます。
お家元のお点前の一挙一動を臨場感を持って拝見することができ、
心の中でお家元と一緒に神殿へ渾身の一碗を捧げました。
これぞ献茶式の醍醐味でしょうか。

献茶式のあと、拝服席(於記念殿 今日庵)、本席(於貴賓館 今日庵)、
副席(於勅使館 淡交会京都支部連合会)、点心席(於会館栖鳳殿 瓢樹)
の4席をまわり、2時半頃帰宅しました。
渾身の(?)献茶式のせいか、疲れ果てて徒歩15分の道のりが遠かったです。

             
                      点心(瓢樹)

本席(於貴賓館 今日庵)について記録しておきます。
本席掛物  以通神明之徳
        以類万物之情
        (玄々斎筆 円能斎箱書)
花   さくら蓼  白桔梗
花入  竹一重切 「八束穂」 淡々斎作
香合  源氏香の図 「榊」  玄々斎好
釜   四方釜  浄味造  (又玄斎名鋳込?)
棚   黒長板 
水指  御本狂言袴一重口
茶器  独楽棗  不見斎好
茶杓  「秋の露」 円能斎作
茶碗  黒  「さざれ石」 得入作
     松本萩「四季の友」 玄々斎箱書
     黒織部
蓋置  竹  又みょう斎在判
建水  唐草彫  浄益作
菓子  「菊の酒」  虎屋製
菓子器 雲鶴青磁        ・・・以上。

京の月釜  雨の金毛院

2014年07月15日 | 献茶式&茶会  京都編
7月13日(日)、法然院塔頭・金毛院の月釜へ出かけました。
文月の供茶「金毛院」とあり、ぜひ伺いたい・・・と思いました。

その日は朝から雨がぱらつき、金毛院の滑りやすい急坂を
  「雨の日は雨の中を  
   風の日は風の中を」  (相田みつを)
の詩を思いだしながら上りました。

待合の掛物は、鈴木基一筆「葡萄に甲虫」。
濃紺地に金色で葡萄が描かれていますが、虫が何処にもいません。
すると、お声が掛かり
「光線の具合でこちらから甲虫がみえますよ」

夜桜棗みたいに光線の具合で鮮明に甲虫が現われ、面白い画でした。
もう一つ、表具の風袋が1本で珍しく、初めてです。

          


苔が露を含んでキラキラ輝いている露地を眺めると、
濡れた敷石の向こうに腰掛待合が手持無沙汰のようす。
いつもは露地草履を履いて露地を進み、蹲を使って席入りするのですが・・・。

若住職の娘さんでしょうか、赤い浴衣を着た可愛いい女の子の案内です。
「お席の準備ができましたので、どうぞお入りください」
席札を女の子が持っている籠へ入れ、廊下伝いに席入りしました。

              

四畳半の茶室は東側に台目床と台目の書院があり、
西側に大きな吉野窓があります。
窓の障子が開けられていて、雨に濡れた樹木の向こうに
少し明るくなった空が見え、気持ちの良い席でした。
11名が譲り合って座り、正客は顔なじみの男性で運よく次客です。

先ほどの女の子が菓子を運びだし、お点前が始まりました。
席主(若住職の母上?)からお話を伺いながら・・先ずはお菓子。

津軽籠に梶の葉を敷いて、ハマグリが3個のっていました。
菓子銘は「浜土産(はまづと)」、亀則克製の夏期限定だとか。
ハマグリを開けると、大徳寺納豆入りの琥珀色の寒天が美しく涼感たっぷり、
貝の蓋をスプーンにして食べるそうです(・・・ナルホド!)。
程よい甘さに塩味と大徳寺納豆が効いていて、絶品でした。

              
                   「浜土産(はまづと)」 亀則克製

団子が先になりましたが、花は白木槿、庭藤、撫子が蝉籠に入れられ、
香合は珍しい泰国産のマンゴスチンです。

風炉先は、淡々斎好み三組銀箔押、裕軒造。
真塗長板、丸っこい雲華の土風炉(半七造)に仙叟好みの夕顔釜、
水指は伊万里の染付、黒塗り蓋に霊子(キノコ)が赤で描かれ、直入画だそうです。

正客に続いて、丁寧に点てて頂いた薄茶をたっぷり美味しく喫みました。
主茶碗は、高麗青磁蓮華文、厚く深みのある青磁は珠光青磁を連想しました。
替茶碗は刷毛目、初代長楽造です。
初代長楽の茶碗で頂くのは初めて(?)なので調べてみました。

小川長楽 
初代 1874~1939
1886年、11代楽吉左衛門(慶入)に弟子入
1904年、12代楽吉左衛門(弘入)の命を受独立
1906年 建仁寺4世竹田黙雷より「長楽」を、
     裏千家13代圓能斎より「長友軒」の号を授かり、
     京都・五条坂、若宮八幡宮近くに長楽窯を築窯
1911年、京都市左京区岡崎天王町に移窯   (今は三代目で移窯)


         

三客は丹波焼、黒の平茶碗で、見込みに土見せと黒丸があり、個性的です。
他にも相馬焼、明石焼、水戸偕楽園焼ありで、
もう一人の席主(若住職)が解説してくださり、お話が盛り上がりました。

薄器は、七宝草花蒔絵透胎棗。
豪華な平棗で、白蝶貝かギャマンがはめ込まれているように見えました。
でも、手に取ってみると軽く、アクリル樹脂で出来ているそうです。
三代・表朔の作だけあって、デザインが斬新で迫力があり、
緑の抹茶が草花蒔絵の間に透けて見え、これからの薄器かもしれませんね。

細身の茶杓(中節)は飴色になっていて、小堀左馬之助作です。
新時代の薄器に古い茶杓の取り合わせを一座でワイワイ楽しみました。

(小堀左馬之助正春(1595年-1672年)は小堀遠州の異母弟、小堀仁右衛門家の初代。小堀仁右衛門家は600石の旗本で、代々京都代官を務め主に禁裏の作事を担っていた。
慶安4年(1651)宗旦四男の玄室(仙叟)は、小堀左馬助正春の肝煎りで、
加賀小松家前田利常に召し抱えられた )


             

最後に(とっておいた?)、軸のお読み上げを若住職にお願いすると、
「雪似鵝毛飛」  宙宝宗宇筆
(雪 鵝毛(がもう)飛ぶに似たり)
鵝毛とはガチョウの毛で、とても軽いそうです。
昔、夏に禁中へ献上された氷室の氷とはいきませんが、
せめて雪の風情を心に描いて一時の涼を・・と掛けてくださったのです。

一同、お軸の話を最後に伺って大感激でした。
葉月はお休みですが、長月の金毛院月釜が楽しみです。

                                     のち 



古田織部四百年遠忌追善茶会-つづき

2014年07月07日 | 献茶式&茶会  京都編
                  大徳寺塔頭・芳春院の庭
(つづき)                         
書院で行われた濃茶席に続いて、香林庵で行われた薄茶席へ参席しました。

席主は宮下玄覇氏、2014年3月に開館された古田織部美術館館長で、
織部研究をライフワークにされている方です。
薄茶席の会記を忘備録として感想を交えて記します。

薄茶席          主  宮下玄覇(はるまさ)

    待 合
   織部所持
          古田宗屋・春屋宗園 両筆勘弁状 

         (十一月五日付の織部消息。消息は苦手なので省略・・・
          織部が規主座(きしゅざ:春屋の従者)に先日早々に帰ったのが
          残念なこと、文箱を下さることなどが書かれている。
          宗屋という署名があり、宗屋は師・春屋宗園に授けられた法緯を
          称したもので、他に1通しかないそうです)


   織部家紋三引両前立 梅鉢文吹返 黒漆塗六十二間小星兜 
   金箔押 黒獅子香炉   長次郎作  仙叟宗室箱書付
   織部茶書 古織伝  寛永三年版

              
                    
                        大徳寺にて
本席      高林庵

本席へ席入りすると、そこは鎖の間の設えでした。
見た途端懐かしく、上田宗箇流・和風堂鎖の間を思い出します。

運よく点前座がよく見える、床の前に陣取りました。
初めてお目にかかる宮下玄覇氏はお若く(1973年生まれ)、緊張気味でしたが、
古田織部に惹かれ、長年「古田織部の世界」を研究していたという気概が
快く感じられ、丁寧にお話してくださいました。

お正客は心得のある男性客でしたが、
「門外漢でよくわかりませんので、よしなにご説明をお願いします・・」
30名の席ですから席主にお任せした方がスムースに進行すると思い、
お正客の英断に拍手です。これも良いお勉強でした・・。

織部は書院のある座敷に年中、鎖または自在で釜を釣り、会席を振舞ったり、
袋棚を据えて薄茶を点じるなど、いろいろな試みをしていて
書院には文房具などを飾ったそうです。

この日の薄茶席はそんな織部のもてなしを彷彿する設えでした。


               
               (参考) 上田宗箇流・和風堂の「建渓」(鎖の間) 

花入 伊賀 鍔口(つばぐち)  釘ニ掛ケテ  
 花 笹百合5本

香合 織部好 梅鉢文黒塗
   黒塗盆上に時代物ヲ中心トシテ三代・四代・五代・六代・七代宗哲作ヲ
   周リニ配シテ梅鉢文トシ、六国五味ノ香ヲ入レル)

  (歴代宗哲作の梅鉢文が微妙に違っているのに見惚れていると、
   隣席のA氏から6個の香合の配置で二重に梅鉢になっていると指摘され、
   素晴らしいご趣向と感激しました。
   中にそれぞれ六国五味の香包が入っているのも嬉しいです)


釜   織部好 鋸歯文 大筒 辻与次郎作  中川寺弥勒院・東大寺清涼院伝来

 炉縁  沢栗  半入作
    (利休・織部時代の指物師で、久以・長以とともに著名)
 自在  竹 六閑斎在判
 釣   鉄木瓜 甲冑師 明珍作 
 鐶   半月相生 甲冑師 松村勝房作 

風炉先  時代矢並網代 
袋棚   木地
  
水指  高取耳付三足  内ヶ磯(うちがそ)窯  松葉銘 
   (古高取窯の一つ。1600年初頭に織部が指導して焼かせたもの。
    歪み、デフォルメされた形、三足などに織部好の特徴がある。
    内ヶ磯窯に興味があり、やや下よりの耳の位置が安定感を増している。
    明るさと落ち着きを感じる水指が木地袋棚にお似合いでした)


薄茶器  織部好  溜竹寸切 
      織部伝ノ通リ紙ニシキテ
      (これについては? 解説が欲しい)
 替  織部好 黒中次 藤重作

                  

          
茶碗  黒織部 六波文 沓形  
 替   黒楽 織部形 二代長次郎作 
 替   絵志野
(道具好きのA氏が拝見したさに、せっせと茶碗を運んできてくださって
 しっかり見ることができました・・沓形黒織部より絵志野がヨカッタかな)
 

茶杓  織部作   筒 慶主座(けいしゅざ) 
  (慶主座は桃山時代の禅僧。利休の茶杓の下削りを行い、中節の茶杓を確立。
   利休の弟子道慶と同一人物とされ、後に南坊宗啓と名を改めて南方録」を
   著したとも言われているが詳細は不明。弟子の甫竹も利休の茶杓師)
   (竹茶杓は中節、蟻腰、中樋、色は飴色だったような・・)


蓋置  織部好 竹引切  (織部好は高さが少し高いそうです)
建水  備前三足 (織部は、建水は備前か名物を使ったそうです) 
柄杓  織部形

御茶  好の白  上林春松詰  (織部と親交あり) 
菓子  「青梅」 川端道喜製  (織部と親交あり) 
器  時代黒塗織部盆 
 替  時代黒塗羽田盆     (黒塗りの最初の盆、縁が矢筈形)

莨盆  佐久間将監(しょうげん)形 溜掻合塗手付透  六代利斎作
    (江戸時代前期の武将・茶人。名は実勝・直勝、号は寸松庵。
     豊臣秀吉のちに徳川家に仕え、茶は古田織部に学んだ。
     晩年は大徳寺・龍光院内に茶室寸松庵を建てて茶事三昧に過ごした。
     秘蔵の伝紀貫之筆の色紙は寸松庵色紙として名高い)

火入  雲華 菊桐紋三足   天下一宗四郎作 
煙管  青織部  
                            以上

               

茶会後、総見院席へ向かうA氏と別れ、Oさんと瑞雲軒の点心席へ。
こちらにも展観席があり、見応えがあるものが並んでいましたが、
もはや頭の中は満杯で、花より団子とばかり、たん熊の点心に舌鼓を打ちました。
食後、マイクロバスで古田織部美術館(京都市北区大宮釈迦谷)へ行き、
織部好の茶道具を見学しました。

古田織部を偲び、織部好の茶道具にどっぷり浸かった一日でしたが、
日が経ってみると、新たな疑問やら興味やらが出てきました。
「実際の古田織部の茶会とは?」
「自分で古田織部をテーマにした茶会をするとしたら?」
「茶道・織部流は存在するのか?」
「宮下氏は古田織部を卒業できる(超えれる)のか?」などなど・・・。


                                       
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