暁庵の茶事クロスロード

茶事が好きです。茶事の持つ無限の可能性に魅了されて楽しんでいます。2015年2月に京都から終の棲家の横浜へ戻りました。

古田織部四百年遠忌追善茶会

2014年07月06日 | 献茶式&茶会  京都編
                 大徳寺 芳春院の参道

アップが遅れ、もう忘れかけていますが、
大徳寺・芳春院席の会記を忘備録として記しておきます。

6月11日は古田織部(1543~1615年)の命日でした。

古田織部四百年遠忌追善茶会が大徳寺の3塔頭(芳春院、黄梅院、総見院)で
行われ、芳春院席へ茶友Oさんと参加しました。

芳春院席は、書院で濃茶席、席主は筒井如是庵(紘一)氏(今日庵文庫長)、
高林庵で薄茶席、席主は宮下玄覇氏(古田織部美術館館長)でした。

8時30分の開場なので8時少し前に芳春院へ到着し、列の最後尾に並びました。
私たちの後に並んだ男性A氏は東京から泊りがけでいらして、
芳春院と総見院の2塔頭に参列するそうです。
幸いにも一席目に入ることができ、A氏と同行することになりました。
織部と茶道具など、いろいろ教えて頂きながら愉しく廻ることが出来ました。
・・・お名前をお尋ねしなかったのが悔やまれます。


            


濃茶席       主 筒井如是庵

   待合

  近衛龍山公筆  和歌懐紙     小津松洞庵旧蔵

     龍伯老人の詠歌のあさからぬ
     御心はへに一首をかきつけけるとそ

     ゆうたちの雲はれてたにはちすはの
        うへにすゝしき玉ゆらの露

     (近衛龍山は安土桃山時代の公卿、名は前久(さきひさ)。
      織田信長をはじめ戦国大名間を渡り歩き、乱世を生きた公家であったが、
      父・種家から古今伝授を受け、和歌や連歌にも通じた教養人。
      小津松洞庵は江戸時代から近代にかけての豪商、伊勢松坂の素封家。
      映画監督・小津安二郎は分家にあたる)


  炭斗  唐物青買底四方
  (待合に飾られていた炭道具が素晴らしく、ため息をつきながら拝見しました)
  羽箒  朝香宮拝領 白孔雀三枚羽  初代甫斎作
                    揚輝荘 伊藤祐民箱書付
  (白い繊細な羽にハッとするような緊張感を感じます)
  鐶   大角豆(ささげ)象嵌割   徳元作
  火箸  角張七宝透 花頭      徳元作  
  灰器  天下一松斎写 雲華     辻井播磨作
  (炭道具の中の一番はコレ。モダンで歪みのある、初めて見る形です)
  灰匙  唐物双魚紋
  釜敷  唐物藤   松尾宗二箱書付  藤村庸軒所持


             

       本席   書院

   石室善玖  墨蹟  七言詩

      海山夜月自團圓 風巻浮雲廓性天
      却笑推窓多倦睡 青蛇出透髑髏前

      (人の一生を謳った奥深い詩とのこと。
       なぜかハムレットが、道化師だった男の髑髏を掲げて言うセリフ
       「世にある、世にあらぬ、それが疑問ぢゃ」(坪内逍遥訳)を思う。
       織部追善茶会にこの墨蹟を掛けた意は深すぎて測り知れない・・・。
       席中一番の大事は墨蹟也が頷けます。

       A氏より石室善玖(せきしつぜんきゅう)のことを伺い、興味を持つ。
       石室善玖は、鎌倉後期・南北朝時代の五山の禅僧。
       中国・元に渡り、古林清茂(くりんせいむ)の法嗣となる。帰国後、
       筑前の顕考寺・聖福寺、京都の万寿寺・天龍寺、鎌倉円覚寺・建長寺
       の住持を歴任した)


  花入  青銅鍍金相華文扁壺  明代
   花   大山蓮華
   敷板  時代板
  香合  遠州元蔵帳之内
      唐物青貝梅渦形   小堀大膳宗慶箱書付  益田鈍翁旧蔵
                宗中蓋裏張紙
       (織部が好んだという梅文の香合で織部を偲んで・・・)

           

  風炉先  仙叟好  長片木  五代利斎作
      (終了後、風炉先の障子を開けてくださると、薄い長片木から
        光りが漏れ射して、別の世界が生まれました)


  釜    古芦屋  馬猿地文
   風炉  土 道安  三代西村宗全作
  水指   織部所持  信楽一重口   永順箱
      (永順は武田信玄の祐筆か?)
  長板   木地   利斎作

  茶入   織部所持  瀬戸黄釉手 銘「青苔」
           聖護院宮道晃法親王 箱書付 聖護院宮・西本願寺伝来
        袋  龍文金襴  白極緞子  島津間道
       (黄釉と形(尻張・肩衝)が個性的で、存在感のある茶入に惹かれました。
        聖護院宮へ伝わったというのも嬉しい伝来です)


       
  茶碗   主  絵唐津      益田鈍翁・青山二郎旧蔵
       替  古伊羅保  銘「翁」  松永耳庵箱  同 旧蔵
       替  黒織部 沓
      (会記には「翁」が主でしたが、第1席は絵唐津が主でした。
       青山二郎1901~79年、近代の装丁家・美術評論家。
       彼の有名な格言
       「美とは、それを観た者の発見である。創作である」)


  茶杓  津田宗及作  覚々斎原叟筒  川上不白箱書付 
        長谷川宗仁宛文添       内本積有所持 三井松籟旧蔵

             

   
  御茶  祖母昔(むかしおとめ)  上林春松詰
  菓子  卯の花キントン      末富製
  器   青磁輪花         六代宗哲作 
                               以上

末富さんが奥で作っているそうで、出来立ての卯の花キントンは
柔らかく、程よい甘みと大きさでした。
次いで3人で濃茶を頂戴しました(たしか、禾目天目?)。
とても美味しく練れていましたが、量が少なく、それだけが心残りでした・・・。


                                   その日は   

          古田織部四百年遠忌追善茶会ーつづき へ  


           
              
       

楽美術館茶会ー2  茶碗との出合い

2014年05月20日 | 献茶式&茶会  京都編
(つづき・・・やっと
5月11日の楽美術館茶会から1週間以上経ってしまいました。

茶会で出合った6つの茶碗は
1)不二乃絵赤楽茶碗 (流芳五十之内)

  大きく口縁がうねっているような歪みのある造形、とても重く、
  思わず両手で扱って、この茶碗で薄茶を頂戴しました。
  赤楽ですが肌色に近く、胴に白い不二らしき画があります。
  ・・・覚々斎手造り50の茶碗の一つで、他に江岑50年忌に使われた
  「鈍太郎」という黒楽茶碗があるそうで、前に拝見したかも?

2)赤楽茶碗 伝来「武蔵野」写  9代了入

  実はあまり感動なく拝見、その様子をみてか、当代が・・・
  「この茶碗は表千家に伝来されている古萩「武蔵野」の写しですが、
   実によく雰囲気や三つ割高台が写されている茶碗です」と力説。
   さらに
  「楽茶碗は手づくねですが、萩は轆轤を使います。
   この茶碗は手づくねですが、轆轤をひいたように見せ、このように
   石ハゼまでそっくりに写しています」
   ・・・飛び上がってもう一度拝見し、帰宅後、「武蔵野」を茶道大辞典で
   すぐに調べましてございます(汗)。

3)御本写楽茶碗  10代旦入作
  肌色に御本の赤が美しい、赤楽茶碗だったと思う・・・。 

            

4)鷺之絵赤楽   狩野永岳画 11代慶入作
  鷺の絵は大好きなので、雰囲気のある茶碗でした。
  高台を見せながら
  「これは茶碗ではなく向付か小鉢として作られたものですが、
   赤や黒の楽茶碗ばかりではつまらないので、遊びを入れました」

5)菖蒲之画赤楽茶碗 即中斎画賛 14代覚入作
  大きく、力強く、一目で覚入らしい作風と思いました。
  見込みに「五月」とあり、菖蒲画と共に即中斎の手によるものです。
  「杜若づくし」の茶会にぴったりの茶碗でした。

6)黒楽茶碗 銘「初冠(ういこうぶり)」 
  襲名初造之内  大印在  15代吉左衛門(当代)

  必ず一つ、当代の茶碗がでますが、若き日の作「初冠」は
  在原業平のカキツバタの和歌と重なって、嬉しい趣向でした。
  しかも、この茶碗はとても凝っていて、釉薬が二重掛けされています。
  艶のある黒釉の上にカセた釉薬が掛かり、
  黒の役者たちの競演を見るような、深い味わいを感じる茶碗です。
  楽印は大小二つあって、今は高台内に小を使っているそうですが、
  大印を使った数少ない一つとか。

他にも楽茶碗に使う「土」を世代を超えて寝かせ、大事に使っている話や、
展示中の「あまやき(尼焼)」にまつわる話など興味深く伺いました。

            

茶会後、2階の展示を拝見、次の2つの茶碗を書き留めておきます。

1)比丘尼  黒楽茶碗(尼焼)
  元伯宗旦  武者小路千家・5代文叔書付  

  先ず形に魅せられる・・・ほっそりとした胴長(半筒?)で小振り。
  今まで遭ったことのない形と柔らかい雰囲気を持っています。
  黒の釉薬の半分は光沢もあり滑らかな反面、もう半分は
  茶色に近くカセていて、肌も荒々しく、二面性が何とも・・・。

  解説・・・「尼焼」は長次郎の妻の作とされる。
  作行き、上味、釉調から判断して、道入以前の古楽の作品と考えられるが、
  作者の特定はむずかしい。

2)十五代吉左衛門(s.24~)
  焼貫黒楽茶碗  銘「砕動風鬼」

  解説・・・「激しさの中にあえて身を置き、己を見つめた。
  長次郎とは真反対の方向、装飾の彼方へ投げ出す。
  形は鬼なれども心は人なる風体。
  世阿弥の「二曲三体人形図」から、その時の心情を銘に託して
  「砕動風鬼」と名付けたという。
  焼貫の技法で、しかも楽茶碗において初となる金彩、銀彩により
  装飾された一碗」

  感想・・・茶碗と解説を見ながら、次のフレーズが頭を横切っていきます。
  能  能舞台  能役者の光と影  栄光と挫折と 百鬼夜行・・・
  手に余る大きさの茶碗、形も印象も鋭く激しく、
  金彩と銀彩の肌に、眉間の縦じわを連想する深い黒、
  心血をあらわすような赤のまじわり・・・好悪いろいろな感情が消えては現われる
  不思議な茶碗にしばし魅せられ、見つめます。

  圧倒されながらも
  「この茶碗でお茶を喫んでみたい!」
                             

           楽美術館茶会-1へ戻る  




楽美術館茶会-1  杜若づくし

2014年05月19日 | 献茶式&茶会  京都編
(杜若の群落  京都市・大田神社にて)

5月11日に楽美術館茶会へ出かけました。
東京からOさんが来るはずでしたが、急用のため来れません。
一人で・・と思っていたら、偶然Sさんと同じ時間でご一緒しました。

茶室・翫土軒へ席入りすると、
本床のお軸と風炉先屏風に杜若が咲き誇っています。

  からごろも
  きつつなれにし
  つましあれば
  はるばるきつつ
  たびをしぞおもふ

杜若と有名な在原業平の和歌が書かれた画賛は13代惺入筆、
あざやかな杜若を書いた顔料が余ったので風炉先まで描いてしまったとか。
さらに飴釉の舟花入に杜若がすっきりと生けられていました。
この花入に惹かれましたが、一入作と伺い、嬉しい出合いです
存在感溢れる舟花入は重すぎて、いまだ吊り下げたことがないそうです。

「今日はいっそ杜若づくしと思い、このような設えにしました・・・」
席主・当代吉左衛門氏がいつものように解り易くお話してくださいます。
前にも書きましたが、当代の真摯な人柄と楽焼をめぐるお話がステキな茶会です・・)

            

点前座は黒長板が敷かれ、鮮やかな緑釉の紅鉢風炉は11代慶入作、
尾垂の古釜は翫土軒什物、浄長作、
「豊公 濡烏形ヲ以テ好之」という惺斉書付があるそうです。
華やかな杜若に対抗するには詫びすぎている・・・ように思いましたが、
案外バランス好く納まっているのかもしれませんね。
水指は香炉釉算木、12代弘入作の大きめの水指です。
最近、算木の水指や花入が気になっていたので、嬉しい出合いでした。

            

菓子が運ばれました。
織部釉四方手付鉢(14代覚入作)に菓子はあやめか杜若でしょうか?
菓子銘は「沢辺之」(ステキ!)、聚洸製です。
蔵(納戸?)の片隅に使われずあった織部菓子鉢を手に取ってみると、
好く出来ているように思い、今回の茶会に登場したそうです。
・・・きっと他にも眠っているお宝がいっぱいあるのでしょうね。

お点前さんが茶を茶碗に入れ、静かに待っているのに気が付きました。
席主との会話に夢中な正客がやっと菓子を口へ運ぶのを見定めて、
湯を注ぎ、心をこめて薄茶を点ててくださいました。
「お先に・・・お点前、頂戴いたします・・・美味しゅうございます」
(他の茶会ではなかなか見られぬ、細やかな心遣いに感激です・・・)

当代から6つの茶碗の解説やエピソードを聴きながら、
全員(20名ほど)がそれらの茶碗で薄茶をのみ終ると、
浄められて中央に並べられ、手に取って鑑賞させて頂きました。
(茶碗についてはつづきます・・・)

        
        楽美術館茶会-2 茶碗との出合い へつづく



さくらさんの「さくら茶会」-2014年3月30日

2014年04月05日 | 献茶式&茶会  京都編
                    小林一三記念館

2014年3月30日に小林一三記念館・即庵で行われた、
さくらさんの「さくら茶会」へ出かけました。
前回の「さくら茶会」から早や2年近く過ぎていました。

今回の「さくら茶会」は真ML茶の湯コミュニティを通じて行われたので
真ML会員の方々がスタッフとしてバックアップされていて、
チームワークの好さを感じる茶会でもありました。

              

阪急「池田」駅から雨上りの道を小林一三記念館を目指しました。
ステキな二階建ての洋館・雅俗山荘で同席のKさんとSさんと合流し、
待合の茶室・人我亭(にんがてい)へ。
待合の床に中国の風景らしき水墨画が掛けられ、桜の香合が荘られていました。

              

              

ご案内があり、正客のKさんを先頭に同席のお客さま5名と、
洋館の佇まいや見事な庭石が敷き詰められた庭を進むと、
七分咲きの桜が聳えていました。

即庵は、小林一三(逸翁)が昭和12年に雅俗山荘を建てたときに
作られた茶室です。
三畳台目に土間を二方に巡らせ、土間には10席の椅子席があります。
椅子席から畳に座るのと同じ目線になるように工夫されていて、
土間の向こうは面取りした桟のガラス戸がはめられ、庭が一望できます。

              

即庵の立礼席へ座り、ガラス越しに桜を愛でながらお茶を・・・
というご趣向が最高でした!
席主のさくらさんもお点前のアンさんも花を惹き立てるような
色合いのお着物で、こちらもステキでした。

               

床には大仙院老師筆「喫茶去」のお軸、
「去」というのは、「ね」「ねぇ~」という呼びかけの語句で
「お茶を喫(の)んで行ってね!」
さくらさんらしい自然体の茶席にふさわしい「喫茶去」です。

花は椿と枝もの、さくらさんちのベランダの鉢植から・・。
大好きな奈良・秋篠寺の傍らにある秋篠窯で作られた、
青磁釉の花入や茶碗に目を細めました。
中国や韓国などの旅先でご縁のあった茶碗が次々とが登場し、
ご亭主の味わい深いお話とともに楽しませて頂きました。

アンさんの美しいお点前で、さくらさんの深いおもてなしの心を感じながら
頂戴した二服の薄茶・・・至福の時間が流れていきました。

              

その中で、さくらさんの亡くなられた先生のお話が心に残っています。
ご高齢の先生は認知症が進んでいたそうですが、
50年教えてこられたお茶の事はきちんと覚えていて、
稽古の途中に倒れたとき、さくらさんが膝の上で抱いていらしたとか。
きっと先生もさくらさんの膝の上で安心だったことでしょう・・・。

さくらさんの温かなお人柄が偲ばれるお話でしたが、
お正客のKさんが親友であるからこそ伺えたお話で、
お二人のコラボレーションが素晴らしい・・・と思いました。

さくらさんとの再会を楽しみに、Kさん、Sさんと桜の即庵を後にしました。
さくらさん、スタッフの皆様、素敵な茶会をありがとうございました。

                                  

          さくらさんの「さくら茶会」-2012年6月29日へ戻る


さくらさんの「さくら茶会」-2012年6月29日

2014年04月04日 | 献茶式&茶会  京都編
               近衛池にかかる糸桜・・・京都御苑にて
                (クリックすると大きくなります)

京都御苑の糸桜が満開になった3月30日、
小林一三記念館・即庵で行われた、さくらさんの「さくら茶会」へ伺いました。
さくらさんの「さくら茶会」は二回目です。

最初の「さくら茶会」は2012年6月29日、京都へ来て間もなくの頃でした。

H家庭茶事の会KさんSさん、Tさんと、さくらさん宅へ伺いました。
「お茶を一服差し上げたい・・・」とお招きくださったのです。
さくらさんはKさんの親友で、Kさんはさくらさんの茶事の様子を
何度も熱く語ってくれました。
「右手と左手が仲良く助け合ってお点前が進んでいくの・・・」

さくらさんは10年ほど前に交通事故にあい、九死に一生を得ましたが、
右手が少し不自由になってしまいました。
「でも、前向きに生きる姿勢はきっと貴女のお茶に役立つと思うので・・・」
と言って、Kさんは連れて来てくださったのです。

お礼のメールが消さずに残っていました。
その時の感激を忘れたくなくって・・・ブログへ記しておきます。


                (柳の若葉・・・白川疏水にて)


さくらさまへ

昨日はさくら茶会へお招き頂き、誠にありがとうございました・・・!
今日はお稽古の日でしたので、なかなか茶会の余韻に浸れませんでしたが、
「いつまでも心に残る素晴らしい茶会でした・・・」
とS先生や社中の皆様へお話ししたいほどでした。

今改めて、スゴイな!素晴らしいな!と思うのは
さくらさまのお茶へ向かう、ひたむきな心でしょうか。

「右手と左手が助け合ってお点前が進みます・・・」
Kさまから伺っていましたが、目のあたりにすると、
さくらさまのお点前は芸術の域に達しているかのように自然体でした。
でも、そこまでの修練を重ねられた日々を思うと、
「本当にお茶がお好きなのですね・・・」という言葉になりました。

月に1回、自宅でお茶サロンをしていらっしゃることにも
刺激と感銘を受けました。
さくらさんの素敵な生き方や実行力を垣間見て、
お茶を習いたい方が大勢いらしゃるのも納得です。
私も大いに見習わねば・・・と刺激をうけました。

そして、次々とさりげなく出されるご馳走に皆で舌鼓を打ちながら
H家庭茶事の会の会員である喜びを噛みしめました。
懐石ではなく、さくらさんちの家庭料理が出てくるのも新鮮でした。

ありがとうございます。また伺わせてくださいませ。
そして、我が灑雪庵の茶事へもどうぞいらしてください。


               (京都府立植物園のさくら山)

Kさま、Sさま、Tさまへ

「さくら茶会」ではお世話になり、ありがとうございました!
おしゃべり好きの正客で失礼しましたが、どうぞお許しください。
さくらさまの小宇宙で楽しく、感動的な時間をご一緒に過ごすことが出来て、
嬉しゅうございました。
美味しい佃煮と懐かしい豆楽をご馳走様でした。

   2012年6月30日     暁庵                   


       さくらさんの「さくら茶会」-2014年3月30日 へ