大徳寺 芳春院の参道
アップが遅れ、もう忘れかけていますが、
大徳寺・芳春院席の会記を忘備録として記しておきます。
6月11日は古田織部(1543~1615年)の命日でした。
古田織部四百年遠忌追善茶会が大徳寺の3塔頭(芳春院、黄梅院、総見院)で
行われ、芳春院席へ茶友Oさんと参加しました。
芳春院席は、書院で濃茶席、席主は筒井如是庵(紘一)氏(今日庵文庫長)、
高林庵で薄茶席、席主は宮下玄覇氏(古田織部美術館館長)でした。
8時30分の開場なので8時少し前に芳春院へ到着し、列の最後尾に並びました。
私たちの後に並んだ男性A氏は東京から泊りがけでいらして、
芳春院と総見院の2塔頭に参列するそうです。
幸いにも一席目に入ることができ、A氏と同行することになりました。
織部と茶道具など、いろいろ教えて頂きながら愉しく廻ることが出来ました。
・・・お名前をお尋ねしなかったのが悔やまれます。
濃茶席 主 筒井如是庵
待合
床 近衛龍山公筆 和歌懐紙 小津松洞庵旧蔵
龍伯老人の詠歌のあさからぬ
御心はへに一首をかきつけけるとそ
ゆうたちの雲はれてたにはちすはの
うへにすゝしき玉ゆらの露
(近衛龍山は安土桃山時代の公卿、名は前久(さきひさ)。
織田信長をはじめ戦国大名間を渡り歩き、乱世を生きた公家であったが、
父・種家から古今伝授を受け、和歌や連歌にも通じた教養人。
小津松洞庵は江戸時代から近代にかけての豪商、伊勢松坂の素封家。
映画監督・小津安二郎は分家にあたる)
炭斗 唐物青買底四方
(待合に飾られていた炭道具が素晴らしく、ため息をつきながら拝見しました)
羽箒 朝香宮拝領 白孔雀三枚羽 初代甫斎作
揚輝荘 伊藤祐民箱書付
(白い繊細な羽にハッとするような緊張感を感じます)
鐶 大角豆(ささげ)象嵌割 徳元作
火箸 角張七宝透 花頭 徳元作
灰器 天下一松斎写 雲華 辻井播磨作
(炭道具の中の一番はコレ。モダンで歪みのある、初めて見る形です)
灰匙 唐物双魚紋
釜敷 唐物藤 松尾宗二箱書付 藤村庸軒所持
本席 書院
床 石室善玖 墨蹟 七言詩
海山夜月自團圓 風巻浮雲廓性天
却笑推窓多倦睡 青蛇出透髑髏前
(人の一生を謳った奥深い詩とのこと。
なぜかハムレットが、道化師だった男の髑髏を掲げて言うセリフ
「世にある、世にあらぬ、それが疑問ぢゃ」(坪内逍遥訳)を思う。
織部追善茶会にこの墨蹟を掛けた意は深すぎて測り知れない・・・。
席中一番の大事は墨蹟也が頷けます。
A氏より石室善玖(せきしつぜんきゅう)のことを伺い、興味を持つ。
石室善玖は、鎌倉後期・南北朝時代の五山の禅僧。
中国・元に渡り、古林清茂(くりんせいむ)の法嗣となる。帰国後、
筑前の顕考寺・聖福寺、京都の万寿寺・天龍寺、鎌倉円覚寺・建長寺
の住持を歴任した)
花入 青銅鍍金相華文扁壺 明代
花 大山蓮華
敷板 時代板
香合 遠州元蔵帳之内
唐物青貝梅渦形 小堀大膳宗慶箱書付 益田鈍翁旧蔵
宗中蓋裏張紙
(織部が好んだという梅文の香合で織部を偲んで・・・)
風炉先 仙叟好 長片木 五代利斎作
(終了後、風炉先の障子を開けてくださると、薄い長片木から
光りが漏れ射して、別の世界が生まれました)
釜 古芦屋 馬猿地文
風炉 土 道安 三代西村宗全作
水指 織部所持 信楽一重口 永順箱
(永順は武田信玄の祐筆か?)
長板 木地 利斎作
茶入 織部所持 瀬戸黄釉手 銘「青苔」
聖護院宮道晃法親王 箱書付 聖護院宮・西本願寺伝来
袋 龍文金襴 白極緞子 島津間道
(黄釉と形(尻張・肩衝)が個性的で、存在感のある茶入に惹かれました。
聖護院宮へ伝わったというのも嬉しい伝来です)
茶碗 主 絵唐津 益田鈍翁・青山二郎旧蔵
替 古伊羅保 銘「翁」 松永耳庵箱 同 旧蔵
替 黒織部 沓
(会記には「翁」が主でしたが、第1席は絵唐津が主でした。
青山二郎1901~79年、近代の装丁家・美術評論家。
彼の有名な格言
「美とは、それを観た者の発見である。創作である」)
茶杓 津田宗及作 覚々斎原叟筒 川上不白箱書付
長谷川宗仁宛文添 内本積有所持 三井松籟旧蔵
御茶 祖母昔(むかしおとめ) 上林春松詰
菓子 卯の花キントン 末富製
器 青磁輪花 六代宗哲作
以上
末富さんが奥で作っているそうで、出来立ての卯の花キントンは
柔らかく、程よい甘みと大きさでした。
次いで3人で濃茶を頂戴しました(たしか、禾目天目?)。
とても美味しく練れていましたが、量が少なく、それだけが心残りでした・・・。
その日は
古田織部四百年遠忌追善茶会ーつづき へ
アップが遅れ、もう忘れかけていますが、
大徳寺・芳春院席の会記を忘備録として記しておきます。
6月11日は古田織部(1543~1615年)の命日でした。
古田織部四百年遠忌追善茶会が大徳寺の3塔頭(芳春院、黄梅院、総見院)で
行われ、芳春院席へ茶友Oさんと参加しました。
芳春院席は、書院で濃茶席、席主は筒井如是庵(紘一)氏(今日庵文庫長)、
高林庵で薄茶席、席主は宮下玄覇氏(古田織部美術館館長)でした。
8時30分の開場なので8時少し前に芳春院へ到着し、列の最後尾に並びました。
私たちの後に並んだ男性A氏は東京から泊りがけでいらして、
芳春院と総見院の2塔頭に参列するそうです。
幸いにも一席目に入ることができ、A氏と同行することになりました。
織部と茶道具など、いろいろ教えて頂きながら愉しく廻ることが出来ました。
・・・お名前をお尋ねしなかったのが悔やまれます。
濃茶席 主 筒井如是庵
待合
床 近衛龍山公筆 和歌懐紙 小津松洞庵旧蔵
龍伯老人の詠歌のあさからぬ
御心はへに一首をかきつけけるとそ
ゆうたちの雲はれてたにはちすはの
うへにすゝしき玉ゆらの露
(近衛龍山は安土桃山時代の公卿、名は前久(さきひさ)。
織田信長をはじめ戦国大名間を渡り歩き、乱世を生きた公家であったが、
父・種家から古今伝授を受け、和歌や連歌にも通じた教養人。
小津松洞庵は江戸時代から近代にかけての豪商、伊勢松坂の素封家。
映画監督・小津安二郎は分家にあたる)
炭斗 唐物青買底四方
(待合に飾られていた炭道具が素晴らしく、ため息をつきながら拝見しました)
羽箒 朝香宮拝領 白孔雀三枚羽 初代甫斎作
揚輝荘 伊藤祐民箱書付
(白い繊細な羽にハッとするような緊張感を感じます)
鐶 大角豆(ささげ)象嵌割 徳元作
火箸 角張七宝透 花頭 徳元作
灰器 天下一松斎写 雲華 辻井播磨作
(炭道具の中の一番はコレ。モダンで歪みのある、初めて見る形です)
灰匙 唐物双魚紋
釜敷 唐物藤 松尾宗二箱書付 藤村庸軒所持
本席 書院
床 石室善玖 墨蹟 七言詩
海山夜月自團圓 風巻浮雲廓性天
却笑推窓多倦睡 青蛇出透髑髏前
(人の一生を謳った奥深い詩とのこと。
なぜかハムレットが、道化師だった男の髑髏を掲げて言うセリフ
「世にある、世にあらぬ、それが疑問ぢゃ」(坪内逍遥訳)を思う。
織部追善茶会にこの墨蹟を掛けた意は深すぎて測り知れない・・・。
席中一番の大事は墨蹟也が頷けます。
A氏より石室善玖(せきしつぜんきゅう)のことを伺い、興味を持つ。
石室善玖は、鎌倉後期・南北朝時代の五山の禅僧。
中国・元に渡り、古林清茂(くりんせいむ)の法嗣となる。帰国後、
筑前の顕考寺・聖福寺、京都の万寿寺・天龍寺、鎌倉円覚寺・建長寺
の住持を歴任した)
花入 青銅鍍金相華文扁壺 明代
花 大山蓮華
敷板 時代板
香合 遠州元蔵帳之内
唐物青貝梅渦形 小堀大膳宗慶箱書付 益田鈍翁旧蔵
宗中蓋裏張紙
(織部が好んだという梅文の香合で織部を偲んで・・・)
風炉先 仙叟好 長片木 五代利斎作
(終了後、風炉先の障子を開けてくださると、薄い長片木から
光りが漏れ射して、別の世界が生まれました)
釜 古芦屋 馬猿地文
風炉 土 道安 三代西村宗全作
水指 織部所持 信楽一重口 永順箱
(永順は武田信玄の祐筆か?)
長板 木地 利斎作
茶入 織部所持 瀬戸黄釉手 銘「青苔」
聖護院宮道晃法親王 箱書付 聖護院宮・西本願寺伝来
袋 龍文金襴 白極緞子 島津間道
(黄釉と形(尻張・肩衝)が個性的で、存在感のある茶入に惹かれました。
聖護院宮へ伝わったというのも嬉しい伝来です)
茶碗 主 絵唐津 益田鈍翁・青山二郎旧蔵
替 古伊羅保 銘「翁」 松永耳庵箱 同 旧蔵
替 黒織部 沓
(会記には「翁」が主でしたが、第1席は絵唐津が主でした。
青山二郎1901~79年、近代の装丁家・美術評論家。
彼の有名な格言
「美とは、それを観た者の発見である。創作である」)
茶杓 津田宗及作 覚々斎原叟筒 川上不白箱書付
長谷川宗仁宛文添 内本積有所持 三井松籟旧蔵
御茶 祖母昔(むかしおとめ) 上林春松詰
菓子 卯の花キントン 末富製
器 青磁輪花 六代宗哲作
以上
末富さんが奥で作っているそうで、出来立ての卯の花キントンは
柔らかく、程よい甘みと大きさでした。
次いで3人で濃茶を頂戴しました(たしか、禾目天目?)。
とても美味しく練れていましたが、量が少なく、それだけが心残りでした・・・。
その日は
古田織部四百年遠忌追善茶会ーつづき へ