(薔薇園にて)
今年2回目の立礼の茶事は「聴花の茶事」と名付けました。
5月半ばに4名のお客さまをお招きしていますが、あれこれ悩んでいます。
茶事にはテーマを・・・先ずは亭主自身が楽しめるテーマを心がけています。今まで「聴雨」や「聴雪」の茶事(茶会)はしたことがありますが、「聴花」は初めて取り組むテーマです。
そもそも何故「聴花」にしたのか・・・
2月に入院した時、時間がたっぷりあるので茶事のことを考えていました。お客さまは昨年お招きできなかった方が十数名いらっしゃいましたし、今までやりたかったけれど、やれなかったテーマや初めてのテーマに挑戦するのも面白くやりがいがありそう・・・と思いました。
ネット検索で「聴花」という題の詩集があることを知りました。作者は橋本果枝さん、1997年10月みもざ書房出版です。すぐに詩集「聴花」を読んで見たいと思いましたが、未だ入手できずにいます。
そのあとがきに書かれた次の一文に惹かれて、私なりの「聴花の茶事」をしてみたいと思いました。詩集の本はありませんが、メモした「あとがきにかえて」を忘れないように記しておきます。
詩集・聴花の「あとがきにかえて」より 橋本果枝・文
おかげさまで、第二詩集をようやく出版できることになった。題は、初めから「聴花」にしたいと思っていた。この言葉について、私なりに一言、書いておきたい。
古くから花についての名作は数あるが、直接に聴くことに結びついた作品を上げると、
ホリ・ヒロシの人形舞「聴花」(恋人を亡くした女が毎年桜の下に立ち、面影を追いながら正気を失っていく物語)があり、
西行の歌に
「白川の春のこずゑのうぐひすは
花のことばを聞く心地する」 がある。
私にとって「聴花」は、花の気配を聴くことであり、自然を通して姿を変えていくこの世の気配を聴くことである。
じっと耳を澄ましていると、(禅僧から聞いた自己を整えて、というところまでいかないが)人がこの世に在るということは何か、を見つけられるような気までしてくる。
大切な人の死に出会うたびに、この思いは深くなり、移ろう花に託して書くことで、そのことを問い直してみたかった。・・・後略・・・
う~ん! ホリ・ヒロシさんの人形舞、西行法師の和歌、橋本果枝さんの詩・・・それぞれの「聴花」があるのだから、「聴花の茶事」に集うお客さま、スタッフや暁庵にもそれぞれの「聴花」があるに違いなく、その花ものがたりに耳を傾けてみたくなりました。
「聴花の茶事」ならぬ七事式・廻り花之式の偈頌は「色即是空 思慮凝即背」。この偈頌の意味するところは奥が深く、花を生けながら、花に心を寄せながら、そして花の言葉に耳を澄ませながらいろいろ体験し考えてみたいと思っています。
茶事支度にせっせと勤しんでいますが、いよいよ明日が「聴花の茶事」の日です。
ここまで書いてから急に気になって、茶入と炭斗を別のものに変えようと・・・
この記事は大分前に書き出したのですが、やっとアップします。 つづく)
聴花の茶事・・・(1)無我へつづく (2)花ものがたりへ