ヒトリシズカのつぶやき特論

起業家などの変革を目指す方々がどう汗をかいているかを時々リポートし、季節の移ろいも時々リポートします

深谷市の旧深谷宿は日本の赤レンガ製造発祥の地でした

2011年04月08日 | 旅行
 埼玉県深谷市のJR深谷駅を起点に、近くの唐沢川周辺の桜並木を散策した話の続きです。

 散策の出発点となったJR深谷駅の駅舎は、赤レンガづくりを基調にしたデザインです。その理由は、現在の深谷市内(当時の埼玉県榛沢郡上敷免村=じょうしきめんむら)にあった日本煉瓦製造がつくった赤レンガを基に、JR東京駅の丸の内駅舎を1914年に建築した経緯があるからです。現在のJR東京駅の丸の内駅舎は、残念ながら1945年の東京大空襲によって大部分が破損したため、1947年に縮小して復元されています。この結果、重要文化財に指定されているそうです。日本煉瓦製造は2006年に株式会社を解散しています。

 深谷駅は東京駅丸の内駅舎を連想させる赤レンガのデザインになっています。


 この画像は南口側から撮影したものです。深谷駅の外観デザインは赤レンガですが、残念ながら本物ではなく、赤レンガを模したパネルだそうです。

 赤レンガ利用の歴史上の経緯は、深谷市にいくつか残っています。一番目立つには造り酒屋(醸造元)の煙突です。深谷駅周辺の散策の時に立ち寄った滝澤酒造の煙突は赤レンガを積み上げたものです。煙突には、主力商品の清酒「菊泉」の名前が入っています。


 かなりの年期を感じさせる煙突と醸造場の建屋でした。大震災の後だけに、赤レンガを積み上げた煙突をじっくり見ると、鋼板などで補強をしてありました。

 煙突に用いた赤レンガは日本煉瓦製造が製造したものです。日本煉瓦製造が深谷市に設立された経緯には、第一国立銀行(現在のみずほ銀行)、東京ガス、東京海上火災保険保など約500社を創業した事業家・起業家の渋沢栄一さんが、産業振興のために建築資材となる赤レンガを国産化したことがあります。具体的には、日本煉瓦製造(深谷煉瓦製造)を深谷市内に創業したことです。同社は当時最新式のホフマン輪窯をドイツから輸入し、レンガの工業化に成功しました。この赤レンガは日本銀行(旧館)、司法省(法務省旧本館)、東京大学、東宮御所(現赤坂迎賓館)などの建物に利用されたそうです。

 深谷市にあった深谷宿は、江戸時代には中山道の中で最大規模の宿場町の一つだったため、造り酒屋が多かったそうです。現在でも、いくつかの醸造元が残っています。その残っている造り酒屋の煙突は赤レンガ製が多いとのことでした。

 また、造り酒屋を廃業した所にも、倉などの赤レンガ製の建屋が残っています。その一つの「七ッ梅酒造跡地」には、深谷シネマというNPOが運営する自主映画館がありました。七ッ梅酒造跡地の面影は、清酒「七ッ梅」を知らせる看板(?)が残っています。


 唐沢川の桜堤と呼ばれる桜並木はソメイヨシノ(染井吉野)の桜の木が主役です。この桜並木の中に新しく植えたサクラの木がいくつかありました。さすがにソメイヨシノばかりでは飽きると思ったのでしょうか、カワヅザクラ(河津桜)の木が2本植えられていて、濃いピンクの花が満開でした。


 深谷市の深谷駅近くを、日がな一日、のんびりと散策した話でした。中山道の雰囲気を少し垣間見ることができた一日でした。こうした歴史的経緯を見ることができるのも、風雪に耐えて建造物が残っているからです。大震災に会わず、あるいは耐えて残っているからです。