ヒトリシズカのつぶやき特論

起業家などの変革を目指す方々がどう汗をかいているかを時々リポートし、季節の移ろいも時々リポートします

長野県小川村の尾根沿いの「番所のサクラ」は七部咲きでした

2011年05月03日 | 旅行
 長野県上水内郡の小川村は現在、サクラの花の満開時期を迎えています。“星がよく見える”がうたい文句なほど、空気がきれいな山深い山里の小川村にある桜の木の名所は、ちょうど、サクラの花が見ごろになっていますで。

 「番所の桜」のベニシダレザクラは樹齢約60年とまだ新参者ですが、周りに植えられた桜の木々に守られて、その尾根一帯がベニシダレザクラの濃いピンクの“雲”のように見えます。





 周囲のサクラの木とのコラボレーションによって、新緑になり始めた周囲の木々と早春らしさを伝えます。標高1000メートル以下の低山の尾根沿いにある桜の名所は、まさに“花見山”そのものでした。



 大町市と長野市を結ぶ、通称“オリンピック道路”(1998年2月に開催された第18回冬季オリンピック向けに整備されたため)と呼ばれる長野県道31号(長野大町線)を通った時に、「番所の桜、立屋の桜が七部咲き」との案内を見かけ、指示された脇道に入りました。たまたま、数台の車が続いて入っていったのでつられて入りました。

 すぐに後悔しました。山道の登りの傾斜がきつく、道幅がかなり狭いからです。偶然、すれ違う車が無く、幸運でした。「この奥に本当に桜の名所があるのか」と疑い始めたころに、尾根沿いにある「番所の桜」に到着しました。尾根一帯にベニシダレザクラなどが多数植えられていて、七部咲き程度です。

 まだ花びらが散っていません。「やっと、ここまで桜前線が登って来た」という感じです。周囲の木々も芽吹いたところで、早春です。

 「番所の桜」の番所とは、徳川時代に松代藩の番所が、その場所にあった経緯から名付けられたそうです。その「立屋口留番所跡」は、当時の“大町峰街道”を行き交う、善光寺詣での旅人に対して「人改め」「物資改め」を行った番所だったそうです。山道を歩いて、こうした尾根越えを続ける旅は苦労の連続だったことと思います。当時の人々の健脚ぶりに驚きます。

 この番所跡に住む子孫のお一人である鈴木守雄さんがベニシダレザクラなどを、周囲に多数植えて“花見山”に仕立てました。苦労の連続だったようです。

 この「番所の桜」から数10メートル離れたところに、エドヒガンザクラの「立屋の桜」がそびえています。枝を天に向かって広げている大木です。



 この立屋の桜は樹齢が約350年と推定される古木(こぼく)です。小川町指定の天然記念物になっています。この日は黄砂の影響で、青空ではないために、曇り空を背景にしているため、あまりきれいな写真になっていません。

 白い花をやっと咲かせ始めた感じです。



 「番所の桜」のベニシダレザクラは、この「立屋の桜」のエドヒガンザクラの種から発芽した若木を台木として用い、「番所の桜」のベニシダレザクラの枝を接ぎ木して増やしたものだそうです。

 小川村のほぼ真ん中を東西に貫く“オリンピック道路”の長野県道31号を快適に走る限りは、小川村の山深さを実感できません。県道の両側の山々に分け入らないと、山里の良さは分からないと思いました。日本の原風景にあふれる山里です。下りの途中で子ギツネに会いました。夜型のキツネに昼間に会う分だけ、山深いと感じました。日本もなかなか奥深いです。