奈良県桜井市の山際にある名刹(めいさつ)の長谷寺は「花の御寺」として知られています。特に大輪のボタン(牡丹)の花が、境内のあちこちを飾ることが有名なお寺です。最盛期にはボタンの花で境内が埋め尽くされるそうです。このボタンの花を目指して多くの老若男女が、道路が狭い門前町を進みます。
ボタンの花が美しいとの噂の長谷寺に一度は行ってみたいと、長年思っていました。この希望が今回、やっと適いました。ただし、長谷寺のボタンの花の最盛期は5月上旬までだったようで、花の盛りはやや過ぎていました。
ボタンは、仁王門から本堂までの長い登楼(のぼりろう)の両側にある階段状の石垣に多数、植えられています。種類が約150種類、約7000株のボタンが植えられているそうです。この直植えのボタンはもう花期が過ぎ、若いお坊さんたちが、枝振りの調整などと、来年の開花に向けた処置を精力的に進めています。
実際には現在でも登楼の階段の両側などに、大輪のボタンの花が並んで咲いています。
開花しているボタンを楽しめる秘密は、鉢植えのボタンを植え込みなどに多数並べているからです。咲き終わったボタンを補うように、ちょうど花が咲いたボタンの鉢植えが多数配置されています。
開花直後のボタンの花はかなりの趣があります。
長谷寺が「花の御寺」と呼ばれる理由は、春から秋まで花が咲き続けるからです。まず春にサクラの花が全山を彩り、ツツジやボタン、シャクナゲなどの花が続き、夏にはアジサイの花が主役を務めます。秋は紅葉、冬は冬ボタンなどが境内を飾ります。この間にも、いろいろな花が助演します。今回は、オオデマリやクレマチスの花が立派に助演を務めていました。
長谷寺は真言宗豊山の総本山です。ボタンの花に飾られた、延々と続く登楼を登ると、本堂に鎮座している十一面観世音菩薩に拝観できます。この十一面観世音菩薩は神亀4年(727年)に祀(まつ)られたものです(本物は火災で焼失し、室町時代に復元されたそうです)。十一面観世音菩薩が格納さられている本堂は山中のかなりの高さにあります。山門からかなり上を見上げると、深い森の中に、本堂を仰ぎ見ることができます。こんな山中にお寺を構え、お堂を建てること自身が、ものすごい修行になっていると感じました、
新緑が見事な深い森に囲まれた本堂では、イカルの鳴き声がよくこだましていました。開山した朱鳥元年(686年)当時は、こんな山深い所で修行するのも大変なことだったと思います。一念発起した者のすごさを感じます。物流システムが無かった昔は、この山奥では自給自足の生活を基本に、究極の省エネルギー生活を過ごしていたと想像します。現代も学ぶことが多そうです。
ボタンの花が美しいとの噂の長谷寺に一度は行ってみたいと、長年思っていました。この希望が今回、やっと適いました。ただし、長谷寺のボタンの花の最盛期は5月上旬までだったようで、花の盛りはやや過ぎていました。
ボタンは、仁王門から本堂までの長い登楼(のぼりろう)の両側にある階段状の石垣に多数、植えられています。種類が約150種類、約7000株のボタンが植えられているそうです。この直植えのボタンはもう花期が過ぎ、若いお坊さんたちが、枝振りの調整などと、来年の開花に向けた処置を精力的に進めています。
実際には現在でも登楼の階段の両側などに、大輪のボタンの花が並んで咲いています。
開花しているボタンを楽しめる秘密は、鉢植えのボタンを植え込みなどに多数並べているからです。咲き終わったボタンを補うように、ちょうど花が咲いたボタンの鉢植えが多数配置されています。
開花直後のボタンの花はかなりの趣があります。
長谷寺が「花の御寺」と呼ばれる理由は、春から秋まで花が咲き続けるからです。まず春にサクラの花が全山を彩り、ツツジやボタン、シャクナゲなどの花が続き、夏にはアジサイの花が主役を務めます。秋は紅葉、冬は冬ボタンなどが境内を飾ります。この間にも、いろいろな花が助演します。今回は、オオデマリやクレマチスの花が立派に助演を務めていました。
長谷寺は真言宗豊山の総本山です。ボタンの花に飾られた、延々と続く登楼を登ると、本堂に鎮座している十一面観世音菩薩に拝観できます。この十一面観世音菩薩は神亀4年(727年)に祀(まつ)られたものです(本物は火災で焼失し、室町時代に復元されたそうです)。十一面観世音菩薩が格納さられている本堂は山中のかなりの高さにあります。山門からかなり上を見上げると、深い森の中に、本堂を仰ぎ見ることができます。こんな山中にお寺を構え、お堂を建てること自身が、ものすごい修行になっていると感じました、
新緑が見事な深い森に囲まれた本堂では、イカルの鳴き声がよくこだましていました。開山した朱鳥元年(686年)当時は、こんな山深い所で修行するのも大変なことだったと思います。一念発起した者のすごさを感じます。物流システムが無かった昔は、この山奥では自給自足の生活を基本に、究極の省エネルギー生活を過ごしていたと想像します。現代も学ぶことが多そうです。