ヒトリシズカのつぶやき特論

起業家などの変革を目指す方々がどう汗をかいているかを時々リポートし、季節の移ろいも時々リポートします

静岡県熱海市梅園町の熱海梅園では、ジョウビタキにも出会いました

2015年02月20日 | 旅行
 静岡県熱海市梅園町にある熱海梅園に、早咲きのウメの花を見に行った話の続きです。

 日本で一番早く咲く梅園と自称する熱海梅園だけに、早咲きのウメの木々が、花をよく咲かせています。熱海梅園は山麓の斜面に、清流を流し、そこを渡る橋をいくつか配しているために、やや深山の趣(おもむき)のある梅林です。

 南北方向の山裾に長い熱海梅園の上側(北側)にある中山晋平記念館などが並ぶ高台から見渡した熱海梅園のウメの木の咲き具合です。





 中山晋平記念館の外観を眺めていると、冬鳥のジョウビタキのオスが登場しました。尾を振っています。



 その内に、中山晋平記念館の小さな庭に降り立ちました。地面の上に落ちているエサになりそうなものを探しています。





 お腹辺りの少し褐色気味のオレンジ色の羽根が鮮やかです。背中の黒褐色の羽根も印象的です。

 その内に、ホオジロの仲間であるアオジも登場しました。眼の周囲が黒く、一見、“サングラス”をかけているように見えます。見方によっては目つきが悪いようにも見えます。

 アオジも地面を歩きながら、エサになるものを探しています。



 “アオジ”という名前は、お腹の辺りが黄色みがかった緑色の羽根模様のために、これを“緑色”と見立て、日本では“緑色”は“青色”と書くために、アオジとなったようです。

 中山晋平記念館の本来の主(あるじ)だった中山晋平さんは大正時代から昭和初期かけて、童謡や歌謡曲などの名作を作曲し、ヒット作を多数世に出します。その中山さんは、第二次大戦末期に東京都内から熱海市に疎開し、熱海郊外に別荘を建てて、晩年を過ごしました。

 その中山さんの別荘を移築したのが、現在の中山晋平記念館です。熱海梅園も様々な付加価値を工夫してつけています。

(追記)
 中国の旧正月にあたる「春節」が2月19日から始まり、日本への観光客が増えているそうです。実際にはその前夜の2月18日から始まるそうで、熱海梅園にも中国人の団体の観光客が来訪していました。