ヒトリシズカのつぶやき特論

起業家などの変革を目指す方々がどう汗をかいているかを時々リポートし、季節の移ろいも時々リポートします

神奈川県小田原市の正栄堂がつくる最中「虎の印判」をいただきました

2015年02月24日 | グルメ
 神奈川県小田原市内に店を構える和菓子屋の正栄堂に立ち寄り、銘菓の最中「虎朱印」を買い求めました。

 小田原市のJR小田原駅近くを通る国道1号線がかなり混雑していたので、JR小田原駅を避けるように迂回し、北側の海岸側に出た時に、偶然、和菓子屋の正栄堂を見つけたので、立ち寄りました。

 今回、最中「虎朱印」などの数種類の和菓子を購入しました。

 この最中「虎朱印」は戦国時代に小田原城の城主を務めた北条氏が5代にわたって公文書に使った「虎の印判」を模したものです。和紙に包まれた最中「虎朱印」です。



 包みの和紙から出した最中の本体です。



 最中を二つに切り分けた断面です。小倉餡とその中に入っている求肥が見えます。



 外側の最中の皮(最中種)はパリパリとした食感です。中の小倉餡(あん)は濃厚な甘さです。求肥がいい食感です。

 正栄堂の二代目の伊東梅太郎さんは、小田原城の城主の北条氏が五代にわたって使用した「虎の印判」に掘られている「録寿応穏」(長命の寿をもって国の安穏に応える)』という志に共感したことから、最中として再現させたとの縁起が、正栄堂のWebサイトに書かれています。

 この最中の外側は、有機農法によって栽培された新潟産小金餅米を使った最中種だそうです。この最中種の中に、北海道産の極上の大納言小豆(あずき)を丁寧に炊いた小倉餡(あん)に求肥を入れたものです。これが「録寿応」の思いを込めたものだそうです。

 戦国時代に小田原を中心に栄えた北条一族は、家系は武家の桓武平氏伊勢氏流だそうです。室町幕府の御家人の伊勢氏の一族にあたる北条早雲(こと伊勢盛時)が一代目です。鎌倉幕府の執権をつとめた北条氏とは傍系の遠い血縁関係だそうです。このため、直接の後裔(まつえい)ではないことから、後代の史家は両者を区別するために、伊勢氏流北条家を「後北条」と呼んだそうです。

 小田原城を基に北条一族は、関八州を治めた越後の上杉系の上杉姓の勢力と、関八州をめぐって勢力争いを続けました。一時は、北条氏は関八州で240万石の一大版図を支配した時もあったそうです。
 
(追記)
 ブログ用に食品を示すのは、意外と難しいと感じました。今回は最中をナイフで真っ二つに切り分けましたが、その断面をうまく切り分けることができませんでした。こんなことが予想以上に難しいと感じました。