新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

古紙配合率問題を考える

2008-02-27 11:05:08 | 指定なし
この件が未だに燻っているのは何としたことだろう。北越製紙では社長が辞任を表明し、大王精製氏では会長・顧問以下役員が処分された。未だに「業界は古紙配合率をあの時に受けたではないか」など誹られている。
私はこの問題はただ一つ「問題発生の時点で、グリーン購買法制定以前に、製紙業界が「逆KY」(=空気の読み過ぎ)で何かを怖れて言うべきことを言えなかったか言わなかったことが全てである」と信じている。
確かにあの頃の資源節約、環境保護の澎湃たる世論というかマスコミ論調に抵抗するのは容易な業ではなかったことは解る。過剰設備を抱えて競争が激しい業界が、無理を承知でもあの配合率を受け入れた心情は理解できると思う。だが、一言くらいは言っておいても良かったと思う。「再生紙」等という名称に反対しても良かったと思う。
このような製紙業界の伝統的な温和で奥床しい体質を少しも理解していないかの如き報道には不満を感じるのだが。
ここに思い出すことがある。それは94年に、当時としては斬新ではあったが時期尚早で受け入れられなかったREITを、海外に多くの物件を抱えてその処分に頭を悩ましていたゼネコンや不動産関連の企業に勧めて回っていたアメリカの不動参会社の手伝いをしたことがあったことだ。
その際に数社のゼネコンを回ってその英語力には多大なる感銘を受けた。そのことを当時親しくしていたアメリカ大使館の日本人の商務官と会った際に取り上げた見た。彼は笑いながら言った「それは貴方が彼らがどのような経験を経てきたかを知らないからです。ゼネコンは競争激甚なアメリカに進出し業務面だけではなく英語でも辛酸をなめた結果で、今日のあの英語力となったのです。
製紙業界は未だに国内向きの業界でゼネコンのような激甚な海外での競争や海外のメーカーとの国内でも競争もありません。言うなれば、恵まれた業界なのです」と。
なるほどと納得した。製紙業界もクリントン政権時代には「紙を輸入せよ」と圧力も経験し、その後には過剰設備を抱えるアジアの新興勢力と国内外での競争も経てきた。だが、会社存亡の事態に至る厳しいものではなかった。それに優れた技術で作られた紙は輸入紙の跳梁跋扈卯を許さなかった。
だが、国内外で厳しい競争を経てこなかったためか「これを言うことで失うものはない」というような高飛車ともも思えるような姿勢で交渉することはない。であればこそ、あの古紙配合を要求された時点で「そんな無理を言わないでください。お求めの品質を保証できかねます」とは言い出せなかったのだろう。
それが今日に禍根を残したのだろう。しかも、その奥床しさと伝統を承知していると思っていたマスコミのあの嵩にかかった叩き方は何だろう。世界最高水準を行っている品質の評価などはかけらもない報道振りである。
と、こんなことを言ってみても「引かれ者の小唄」である。何とも残念な事態だ。今後は次の世代がこの経験を活かして言うべきことはその場で言って「品質の日本」として海外をも相手に立派に成長して貰いたい。