新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

小売業は何故衰退した

2008-02-29 16:20:14 | 200802

「頂門の一針」第1107号の平井氏の寄稿を読んで思い出しました。私は10年以上も前から現在の、いやその当時の形の小売業は大小に拘わらず衰退していく以外ないと書いてきましたことを。これがまた当時は意外なほど受けていませんでした。
 今時、私は余程の理由がなければデパートメント・ストアなどでは買いません。スーパー・マーケットにしたところで同じです。価格的に妙味に乏しく、活気もありませんから。
 そのスーパーの大手であったダイエーは、創業者の故中内功氏が80年代に「今や長年蓄積してきた知識と経験が役に立たなくなった時代」と、時代に先駆けて喝破しながら、自分の会社が倒れてしまいました。
 その理由が何処にあるのか、大規模小売業の経営者もお解りでないようで、今やM&Aの花盛り。繁盛しているのが伊勢丹だけで三越がその軍門に下ったかに見える経営統合。
 私が見る小売業の衰退の理由はそれほど高邁なものではありません。だが、これを言い出した頃よりも全般的に経営者のやり方が、俗な言い方をすれば「せこく」なり、最悪の手段と言われている人体給与の削減策を講じるばかりで、如何にしたら内需を喚起できるかに対して無策であると思うのです。所得が増えなければ消費者は安いものを追いかける自衛策を講ずるだけでしょう。
 長い導入部でした。当方はもう10年以上も某商社が開催する国産か輸入かを問わずに取扱商品のセールを行う企画に助けられて「お買い得」を楽しんでいます。大小の小売店では市況調査をさせて貰うだけです。ここではその商社が設立した小売り専門の子会社が、季節が来れば毎週のように同社取り扱いのブランド品も魅力ある提供してくれます。
 さらに年に2回、決算の前後にはビッグ・サイトを借り切って大セール大会を開いてくれます。この催しは勿論会員制ですが会員は回を追うごとに鼠算式に増えているかに見えるのです。あの広い会場内を歩くのも容易ではない満員の盛況。
 言いたいことは、このような催しで買える品物の範囲の広さと価格を考えれば、半年経てば「お買い得」が待っていることです。ブランド品のセールに行ってご覧なさい。開門と同時に全員西宮戎の年男争いさながらの猛ダッシュでお買い得品に殺到。そして人目も憚らず山の如くに抱え込んだお目当てのブランド品の試着を開始します。私はこの有様を「人間が何処まで恥を忘れられるか競争」と名付けて楽しんで見ているのです。
 何故人々は殺到するのか。一寸季節が外れればそこにはアメリカのセール並みの思い切ったどころではない捨て値で買えるからでしょう。
 勿論デパートでもセールはしますが、そこには彼らのなにがしのマージンが残っているのですから商社並みの魅力はありません。だが、商社の場合は彼らの仕入れ価格が元値であるし、出店しているのが問屋である以上、どうしてもデパートの安売りでは価格面で対抗できなくなる仕掛けです。
 こういう形式の売り方は何もこの商社だけのことではないのです。彼らは小売店を意識してか、ブランド品でも自前でセールを敢行するのです。
 こういう消費者の買い方に対応する小売業の対策は後手、後手となる感があり、悪循環であります。私はこれが単なる不景気によるものではなく「蓄積された知識と経験での後追い」であるに過ぎないと思っているのです。いわば時代遅れとなって消費者の心を掴んでいないのです。現にこの商社の小売り専門の子会社はクレディットカードまで発行する規模に成長し、1回のカードでの買い物の総額がX万円を超えればそれ相応のリベートまでくれる知恵を出しています。それだけではなく、会場には宅配便業者が出店し特別料金で配達を引き受けています。
 つまり、これからは新しい知恵を出して実験し、その経験に基づいてまた新機軸を出していく時代なのです。商社の知恵はデパートを上回ったと見ていますが、どうでしょう?因みに、かく申す私はシルバーパスをも利用して足代を倹約し、大江戸線の大門(=浜松町)から都営バスでレインボーブリッジを渡り、高層アパートが林立するお台場見物を楽しみながら割安な買い物もしている状態です。