新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

6月27日 その2 シアトル市の思いで

2020-06-27 15:21:23 | コラム
初めてMLBの野球を見る機会を得たプロスポーツの都市シアトル:

MLBの野球:

1970年代の末だったと記憶する。もう老朽化したとのことで取り壊されてしまった、ドーム球場という構造のプロのフットボールの試合も出来る球技場で、シアトルの南の外れにあったKing Domeで初めてアメリカのメージャーリーグの野球を見せて貰えた。やや興奮していたので記憶は確かではないが、事業部が持っていた内野の年間指定席で誰か同僚に案内して貰ったようだった。MLBの野球を見るのも初めてなら、ドームの球技場に入るのも初体験だった。地元もテイームは言うまでもなくシアトル・マリナーズである。

試合が始まって先ず痛感したことは選手たちの体格の良さというか大きいことで、内野のフィールドが狭く見えたのだった。この頃は未だMLBには南アメリカから来た者が少なく、現在のような私が「身体能力ショー」と揶揄するような身体能力任せで質が低くなった野球ではなく、「これぞアメリカ大リーグの野球か」と感動させてくれるような鮮やかで華麗で緻密な野球が展開されていた。その時の試合で最も感動したのが、オールスター戦にも選ばれていたと聞いた2塁手(確かアフリカ系)の華麗にして軽妙な守備だった。「流石」と唸らせられたものだった。

80年代に入ってからは副社長兼事業部長がホームベースの真上(真後ろ?)になるボックス席を取っていたので、投手が投げる球種までが見える特等席で観戦することが出来るようになった。その席には何度か日本からのお客様もご案内して「アメリカの文化である大リーグの野球」を堪能して頂いたものだった。当時で記憶に残っている名手は結局はヤンキースに出ていってしまったアレックス・ロドリゲスの強打や、華麗という以外に形容する言葉を知らない親子でメージャーリーガーだったケン・グリフィーJR.の守備だった。

念の為に申し上げておけば、大魔神こと佐々木主浩は2000年からシアトルマリナーズで活躍し始めたので、同年の4月に今や名前が変わってしまったSafeco Fieldで見たのが初めてで最後だった。かのイチロー君は2001年からのマリナーズ加入なので、2007年に矢張り最初で最後にセーフコフィールドで見たのだが、その試合では外野フライを落球したとのおまけ付きだった。この時は2階席からの観戦だったが、180 cmという身長のイチロー君が現れたときには「何と小さなな選手が出てきたことか」と痛感させられたのは意外と言えば意外だった。

NFLのフットボール:
次はアメリカの三大スポーツの一つである「フットボール」を語ろう。Seattle Seahawksは何故か「シアトルシーホークス」とカタカナ表記されているが、私は「スイホークス」であるべきだと思っている。このNFLのゲームも初めて見る機会を得たときは大感激だった。野球と同様に感謝感激でスイホークスが何処テイームを相手に試合をしたかも、NFLのフットボールがどれほど凄くて素晴らしかの記憶は全く残っていない。広大なキングドームを埋め尽くしたスイホークスファンが興奮したのだけは鮮明に覚えているが。

フットボールには何回か日本からのお客様もご案内したが、俗に言う「ルールが良く解らないので」ということで、MLBの野球ほどには受けていなかったのは残念だった。正直に言えば、「ルールも何もかも理解するようになれば、フットボールほど面白く見る者を感動させ興奮させるスポーツはない」と固く信じている。だから、私はフットボールのシーズンに入ってから本部出張があれば、副社長の秘書に「何とか観戦できるような日程を組んで欲しい」と頼み込んでいたし、ご案内するお客様がおられるときにも無理矢理に観戦に引っ張り込んでいたものだった。

念の為に確認しておくとアメリカには「アメリカン・コーヒー」がないのと同様に「アメリカンフットボール」という呼称はない。フットボールといえば“football”のことである。

NBAのバスケットボール:
最後は八村塁君が加入したNBAのバスケットボールだ。往年のシアトルには“Seattle SuperSonics“(通称「ソニックス」)という有力なテイームがあった。我が事業部も年間指定席を持っていたので、何試合か見る機会を得ていた。バスケットボール場は都心からそれほど遠くないシアトルセンターという施設の中にあるので、気軽に観に行けたのだった。NBAのバスケットボールもそれこそ身体能力の塊のようなアフリカ系の選手が主体なので、その凄さは十分に堪能できるのだ。だが、見る者にとっては一つだけ難点があった。

それは、あの狭いバスケットボールのコート内では「今のダンクシュートは凄かったな」とか「あのポイントガードのノールックパスは流石だな」と感激している間に、もう次のプレーが始まっていて、またまた凄いプレーが展開されてしまうのだ。その為に、直前のシュートやパスの凄さや上手さに浸っている暇を与えてくれないのだ。ましてや現場で観ていれば、テレビ観戦とは違って「ビデオテープでもう一度」という具合に再生して貰えないのだ。それほどのスピード感と技術と彼らの瞬発力を観て楽しむ競技だという事。

これらの三大スポーツのテイームがあのどちらかと言えば、アメリカの都市としては小さな部類に入るのではと危惧するシアトルには全部揃っていたのは大いに有り難がった。何と言っても本場の試合を年間指定席で観戦できる贅沢さを味わえたのは、当時はアメリか第2位の紙パルプ林産物メーカーであり、地元の有力企業だったウエアーハウザーの有り難さかと思って感謝していた。だが、ソニックスは2008年からオクラホマ州に移転して、“Oklahoma Thunder“になってしまったのは残念である。



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