日本は何故輝いていたか:
昨日までアメリカNBCが特集した“If Japan can … Why can’t we?”に始まって、1980年代の我が国が輝いていた頃を回顧してきた。反省したことがあった。それは、私が如何にもTQCを礼賛して、その頃のようにTQCの手法に回帰すべきだと論じているかのようだった点だ。そのように論じる意図はなかったので、今回はその辺りを述べていこうと思う。
ウエアーハウザーは3名の若きハーバードでPh.D.を取得した精鋭が結成したコンサルタント事務所が提案した「日本のデミング賞を受賞した多くの会社の工場を巡回訪問して、そこから日本が何故成功したかを学ぼう」という企画を採用して、1988年秋に紙パルプ部門の全事業部が副社長以下幹部のミッションを結成して日本に派遣する運びとなった。
その第1回目のミッションに私が参加して、2週間かけて我が国の各地にある受賞した工場を訪問して回ることになった。訪問した工場の中には「看板システム」を学ぶべくトヨタ自動車傘下の工場もあった。実際に回ってみると、多くの工場では非常に良く整備された言わばベルトコンベイヤー式システムが整然と稼働していて、一同は「なるほど。これか」と感服させられた。
だが、何社か回り終えたところで、恒例となっている帰りのバスの中での視察した結果を纏めて記録するための討論会での事だった。その中で何人かがハッキリと、
「確かに、アメリカではどこも成し得なかったようなTQCの方式が整然と実行されているのには感心した。だが、良く見ていると『ベルトコンベイヤーが動いている中では、人間がまるで部品のように秩序正しく組み込まれてミスなく次の工程に半製品を送り込んでいるだけのように見えた。あれでは人間の尊厳を無視しているのではないかという印象』を受けたので、この点には疑問を感じた」
という、かなり辛辣な意見を述べていたのが非常に印象的だった。
この見方には私もある程度以上同感だったが、そこには以下のようなアメリカにはない点が見落とされていると思うのだ。それは「我が国の労働力の質の高さがあってこそ、間違いなくシステムが運用できているという事実」である。そのシステムの中に配置された現場の組合員というか作業員たちの質が高くて均一であればこそ、システムが間違いなく動き、次に工程に引き継がれているのだ。
この我が国のような「高質の労働力はアメリカの製造の現場では期待できないのである」と経験上から断言できる。飛躍したかも知れない結論めいたことを言えば「だから、アメリカではTQCを軌道に乗せ得なかったのだ」である。だからこそ「何故、日本に出来ることがアメリカでは(出来なかったのか)」となったのであると言って誤りではない。問題は「労働力の質」にあるのだ。
この視察団の予定には、コンサルタントたちと激論を交わした後で反対を押し切って「TQCを実践していない」と標榜する某製紙会社の旗艦工場を組み込ませた。その工場の幹部は工場見学の後の質疑応答で「何故、TQCを採用していないのか」との質問に答えて、
「自社の製品の品質の維持管理と向上のために理論や数式に依存するシステムなど不要だ。我が社には長年培ってきた技術と歴史がある」と堂々と言い切ったのだった。
この激しい口調には同行してきていたプロの通訳の女性たちを「これをそのまま通訳して宜しいでしょうか」と慌てさせ、私に指示を求めてきたという一幕もあったのを未だに覚えている。「勿論。そのままで結構です」と答えた。
ここで、「何故、我が国ではTQCがアメリカでは成し得なかった次元で活用されていたか」を私なりに纏めてみよう。それは既に指摘してあったことで「我が国の現場の作業員(企業別の組合員であっても、アメリカ式の業界横断のCraft unionの所属ではない)たちの労働力の質の高さ」によるものだ。その成功をTQCという点からではなく「労働力の質の高さと均一性」の点から見れば分かりやすくないか。
私は「我が国が自動車と電気製品の市場を席巻した」という背景にあったのはTQCの活用の成功もあったかも知れないが、労働力の質の高さこそが世界のpowerhouseとまで言われた最大の要因だったと思っている。だからこそ、嘗てはアメリカに次いで世界第2位の経済大国たり得たのだと思っている。
それが、失われた30年の間に何一つ新規の産業も世界を瞠目させる新製品も創造できていなかったことが衰退の主たる要因だと思うのだ。その時にあって「嘗てのTQC実行の成功」を持ち出したので、誤解を招いていたのだったらお詫びする。現在の我が国の産業界に求められることは「創造力」と「発想力」と「惜しみなきR&D費の投入」であり、「理工系の人材の育成」ではないのだろうか。
経済界と製造業界の奮起に期待したい。
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