
もともと私は、宮沢賢治には特に興味も関心もありませんでした。ところどころおもしろさを感じるのですが、どうしても文章がたどたどしくて、つっかえつっかえしか読めなかったからです。すんなりと読むことができないので、どうしても好きになれなかったのだと思います。
最近になって逆にあのたどたどしさが実はいいのかと感じるようになってきました。宮沢賢治は文章が下手なのです。しかしその下手というのが宮沢賢治の文体であり、実はこの下手さこそが魅力なのではないかと思うようになりました。
宮沢賢治の文章は絶対に流れません。必ずそこに立ち止まるようになっています。立ち止まるからこそ印象に残ってしまうのです。「上手な文章」の定義にはあてはまらないからこそ、なぜか印象に残ってしまう文章なのです。
それは本人が意識したものなのではないと思います。しかし生活の中で独自の方法で編み出してきた文章技法であることはあきらかです。「文壇」という所や国語教育という場所と全く別の所で独自に作られてきた文章なのです。
宮沢賢治は不器用な人なのです。不器用であるからこそ逆に好かれるのです。
不器用な家族の不器用な歴史が語られる本です。

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