世界の街角

旅先の街角や博物館、美術館での印象や感じたことを紹介します。

「陶磁器・パヤオ」シリーズ・5

2016-01-26 10:57:25 | 北タイ陶磁
<続き>

<ウィアン・ブア陶磁>

●釉薬の原料
Kriengsak Chaidarung氏は、マゴータームーの木(Qvercus velutina:ブラックオーク)が釉薬の原料だと推測しておられる。氏によると、ブア村の周囲にはマゴータームーの木が豊富にあり、現在も多く見られる。釉薬作りの順序としては、マゴータームーの木の枝と葉を燃やしてできた灰と田圃の土を、灰4:土5の割合で混ぜ、そこに水を加えてよくかき混ぜる。混ぜ終わった釉薬を焼成すると翠色に発色する、これをセラドン(celadon・青磁)と呼ぶ。
成長したマゴータームーの木の灰を使うと釉薬は、翠色の青磁となり、若い木を使うと釉薬は、黄緑色に発色する。
写真がマゴータームーの木。パヤオ県ムアン郡メーガー地区ブア村の灌木林で一般的に見ることができる

●形状と文様
ウィアン・ブア陶磁の成形と文様で、はっきりとしている特徴は、施釉の前に見込みに印判にて文様を押すことである。よく見られる文様は、双魚、単魚と複数魚である。その他シンハ(獅子)、象、太陽、鳥、馬などもあり、口縁に波のようなギザギザの刻線や小さな丸の印花文も見られる。
「陶磁器・パヤオ」の著者KriengsakChaidarung氏は、推測されるものの一つとして、ウィアン・ブアの文様はそれぞれの器ごとに、どの文様をどのように置くか特に決まっておらず、陶工によりけりだと云うことである。例えば、魚の文様の場合、文様をどのように置くか決まりがない。1匹でも2匹、3匹でもよく、8匹も表現された盤もあり、陶工の裁量にまかされていた・・・と推測している。
(写真は、なんと印花8魚文である。3魚文は見たことがあるが、図書「陶磁器・パヤオ」で初めてみた)

よく見ると、それぞれの文様は一つとして同じ盤は無く、様々な美的作品を生み出している。ウィアン・ブアの器の特徴である魚文は、陶工が日常生活で目にするその土地の魚を、文様にしたものだと理解されている。




                         <続く>






積雪1mの広島・島根県境

2016-01-25 16:23:34 | 日記
いや~参った。昨1月24日広島の親族を訪ねるため、早朝の6時30分に出発した。のっていた高速から降ろされ、訳のわからぬ下の道を右往左往、結局広島まで5時間を要した。通常2時間の距離である。
深々と雪が降り、この日はその積雪ぶりの写真を撮ることを忘れた。それどころではないというのが本音であった。結局当日の帰宅は無理と判断して、宿泊することにした。
1月25日の本日は、すべての高速が不通である。またまた帰宅するのに5時間か?・・・と思ったが、結果は4時間であった。下の写真は県境で積雪1mである。
積雪1mの経験は初めてであり、今後も経験はしないであろう。雪国の人々の苦労がよく理解できた。

「陶磁器・パヤオ」シリーズ・4

2016-01-25 15:49:33 | 北タイ陶磁
<続き>

<ウィアン・ブア陶磁>

●ウィアン・ブア窯群
モン・オーム窯を除く窯群をウィアン・ブア窯群と呼び、ブア村に点在する。Nam Mae Tamと記載している緑の蛇行線がメー・タム川である。

●成形
中世のウィアン・ブアの陶工は、成形する際に轆轤を使用していた。成形が終わったら、成形物を轆轤から外すのに糸、または馬の毛、ないしは細い針金③を用いて、未だ轆轤が回っている際に切り離した。従ってウィアン・ブアの陶磁には糸切り痕が残っている。この轆轤を回転させながら切り離す方法は、熟練の腕を必要とした。
このような木製の轆轤が使用されたと思われる。焼物を成形するのに用いられた。
100年ほど前の、チェンマイの陶工の轆轤の使い方。轆轤が2台あり、1台目は陶工用で2台目は回す人用であることが伺える、2台目の轆轤の上に柄があり、粉をひく石臼のようにして回す。陶工が使う1台目の轆轤とベルト掛けしていた。この100年前の轆轤が中世も使用されていたとの根拠は無いが、何がしかのことを想像させる。
ナーンのワット・シーコムカム付属パヤオ文化展示センターのジオラマは、手び練りも存在していた様子を表している。

注釈
③13-15世紀の中世に細い針金が存在していたのか?多少疑問に感ずる
 が、タイ文書籍「陶磁器・パヤオ」には、“細い針金”と記している

●白化粧と施釉
ウィアン・ブアの器の多くは、白い粘土液(WhiteSlip)で素地を覆うものである。その後、見込みに印判で様々な文様を押す④。幾つかの器のカベットは、縦方向に溝彫りし鎬文を表出している。この後、素焼⑤をして状態の良いものを選び、器の内側にのみ釉薬を浸す。しかし、内外共に釉薬のかかった器も見受けることができる。施釉が終わったら、口縁の釉薬を削ぎとる。これは本焼の際に器同士が融着するのを防止するためである。
これは素焼きされた魚文の印判である。様々な文様の素焼き印判が、発掘調査中に出土した。

注釈
④これは見解が分かれそうだ。そうであるなら印花文は、明瞭に浮き出るは
 ずだが、文様に不鮮明さが残る盤が多々ある。そのことについて、どのよ
 うに考えればよいのであろうか?
⑤タイ字書籍「陶磁器:パヤオ」の著者:クリエンサック氏によると素焼を
 すると断言している。2015年11月4日、パヤオのGao Ma-Fuang古窯
 址を訪ね陶片を譲って頂いたが、その時白化粧後魚文をスタンプし、素焼
 をした陶片を入手した。それは素焼き後廃棄されたもので、本焼は行われ
 ていない。この陶片からいえることは、素焼きは実際に行われていたので
 ある
入手した印花魚文が押された素焼きの陶片が上の写真である。


                             <続く>



「陶磁器・パヤオ」シリーズ・3

2016-01-23 07:10:30 | 北タイ陶磁
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<ウィアン・ブア窯群の陶磁>

●ウィアン・ブア陶磁の概要
ウィアン・ブア窯群①で見られるのは盤、皿の類が多い。口径と高台径が大きく、高台幅は狭く、ほとんど平らである。口縁は鍔縁で、その端部は丸く巻いており、シーサッチャナーライのトゥーリアン窯に見られる“MONの盤”によく似ている。
ウィアン・ブア窯群の陶磁は釉薬が掛っている。硬く焼いた形態のもので、無釉のものは稀である。釉薬をかけるのは器の内側のみで、見込みの印花文を装飾するためである。文様は象、馬、魚、ハムサ(鳥)、シンハ(獅子)などの動物で、釉薬をかける前に見込み中央に、スタンプにて印花文様を表現している。
ウィアン・ブア窯群の一つであるGao Ma-Fuang古窯址付属資料館に立つと、その陶磁の概要を把握することができる。下の写真は、その資料館の正門を写したものである。
そこは窯址の発掘調査と共に物原も発掘され、それが発掘当時のそのままの様子で展示されている。
下の写真は、その資料館に展示されている、緑がかった褐色釉の青磁印花双魚文盤の物原廃棄物である。


●胎土
胎土の多くは黒色系統の粘土②である。しかし、白や淡黄色の土も少しであるが散見される。黒色系統の土は砂が多く含まれるため、粗い肌となる。それを成形するには厚めに作る必要がある。
従って、胎土の木目細かく、砂の含有量が少なく、薄く成形できるカロンの陶磁の質が良い。カロンの胎土は茶色かかった白である。
ウィアン・ブア窯群の原料となる粘土は、メータム渓谷の近くの採掘場から採られたものだと考えられる。このメータム川③は村中を流れ、窯はこの流れから遠くないところに作られている。

注釈
①ブア村一帯の窯群を“ウィアン・ブア窯群”と呼ぶことにする。ブア村には中世に環濠都
 市が存在した、それをウィアン・ブアと呼ぶことから名付けたものである
②これが、他のタイ北部諸窯と異なる特徴である
③メーは川、タムが川の名称。従ってタム川と表記すればよいが、便宜上メータム川と表
 記する



                          <続く>

「陶磁器・パヤオ」シリーズ・2

2016-01-22 10:53:36 | 北タイ陶磁
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<パヤオ窯の位置>
パヤオ古窯群の位置は、上の写真の通りである。ここで語句の用法として、パヤオ窯群ないしはパヤオ古窯址群と双方をもちいているが、同義で語句の違いに意味はないことを断っておく。
ウィアン・ブア窯群が、陶磁生産の中心で窯址数が最も多いので、記事の中心となる。位置はパヤオの南7-8kmに位置している。
メータム渓谷(川)周辺に多くの窯址が存在している。中世のバーン・ブア(ブア村)の人々にとっての重要な渓谷(川)で、飲料水として、陶磁器作りのための用水として使われた。




                         <続く>