少し前のことだが、テレビのニュースで、安倍政権の4ヶ月を検証して、「アベノミクス」が効果があったかどうかを街頭でインタビューしている画面を写した。
お決まりの新橋のサラリーマン、アメ横、築地、銀座など。
ほとんどの人が、「景気が上向いた実感? ないですね」と答えていた。
それは、そうだろう。
20年近く成長率ゼロパーセント前後をさまよっていた日本経済が、ひとり総理大臣が変わったからといって、すぐに景気に反映されるものではない。
まともに予算も回っていないのだ。
たとえ株価が好感を持って上がったとしても、それは所詮は経済の指標として上がっただけで、庶民の財布レベルにまでは到達していない。
どんな魔法を使ったとしても、4ヶ月で景気が目に見えて上昇することはありえない。
おそらくこのニュースを制作した人は、そんなことはわかりきっているだろうから、意図的に「アベノミクス」を「何か」の枠組みにはめたかったのだろう。
マスメディアのいつもながらの底の浅い手法である。
そんな短絡的な取材方法を取るから、マスメディアの稚拙な記事は、最後は政治家の揚げ足取りに行き着く。
その結果、総理大臣が1年単位で変わる。
それに合わせて、国民も堪え性がなくなって、すぐに結果を求めようとする。
たった1年で、国の指導者が変わることが、当たり前になってくる。
そして、それを異常だと思わなくなる。
しかし、総理大臣には、最低4年はその座を与えてもいいと、私は思っている。
私は、アンチ自民、アンチ保守、アンチタカ派だから、安部総理のことは気に食わないのだが、拙速に結果を求めようとは思わない。
すべての能力を出し切って、その結果の善し悪しで、指導者のことは判断すべきだ。
予算案を最低3回は上げて、景気の動向を見守るくらいの余裕がないと、日本の指導者は、いつまでたっても使い捨てのままだ。
昔の政治家は良かった、などという世迷い言は、高度成長経済の時代と安定期に入った今の経済を混同した愚か者の言い分である。
保守だろうが革新だろうが、指導者になった政治家に対しては、的確な批判はいいが、政治家の揚げ足取りだけに有権者の興味を向ける手法は、あまりに下衆過ぎて、品性を疑う。
マスメディアが幼稚だから、他人の言動の影響を受けやすい有権者も幼稚になる。
私も幼稚の範疇に入る男だが、私は、安部総理の政策を4年は我慢して見守りたいと思う。
偉そうに言うことではないが・・・・・。
話は、少々変わるが、かなり前に、安部総理が防衛大学校で演説をした。
その中で、総理が「我が国の領土・領海・領空に対する挑発が続いている。現場で起きていることは今そこにある危機だ。私は先頭に立って、国民の生命・財産、領土・領海・領空を守り抜く決意だ」と述べたという。
「今そこにある危機」
トム・クランシーの小説。
安倍総理が、その小説を読んでいたかどうかは推測するしかないが、少なくともタイトルだけは知っていたのではないか、と私は推測する。
ただ、この小説は、麻薬カルテルの存在に危機感を抱いて「今そこにある危機」と言っているので、防衛大学校の演説で中国を念頭に置いて言うことに関しては違和感はある。
が・・・「危機」ということを強調したいという安部総理の心意気は、ある程度は伝わる。
だから、そのことを批判するつもりはない。
気になったのは、このことを伝えた読売オンラインの記事である。
タイトルが「中国の挑発『危機は今そこに』…防大で首相訓示」となっていたのだ。
「今そこにある危機」が「危機は今そこに」に変わってしまっては、総理が言葉に込めた決意が薄くなってしまうのではないか、と思ったのだ。
今そこにある危機、は日本人の翻訳家と編集者が、知恵を絞ってタイトルをつけたに違いない。
この小説はハリソン・フォード主演で映画にもなっていて、そのタイトルも、そのまま「今そこにある危機」だ。
いいタイトルだと思う。
差し迫った危機感をうまく表現していると思う。
だから、それを「危機は今そこに」と変えてしまう記者の鈍感さに、私は腹が立ったのだ。
彼は、トム・クランシーの小説を知らなかったのか。
いや、たとえ、知らなかったとしても、総理大臣の言葉は、正確に伝えるべきだろう。
記者は、揚げ足取りは得意だが、自分の畑以外の分野は無知なのではないか、と意地悪なことを思ってしまった私だった。
お決まりの新橋のサラリーマン、アメ横、築地、銀座など。
ほとんどの人が、「景気が上向いた実感? ないですね」と答えていた。
それは、そうだろう。
20年近く成長率ゼロパーセント前後をさまよっていた日本経済が、ひとり総理大臣が変わったからといって、すぐに景気に反映されるものではない。
まともに予算も回っていないのだ。
たとえ株価が好感を持って上がったとしても、それは所詮は経済の指標として上がっただけで、庶民の財布レベルにまでは到達していない。
どんな魔法を使ったとしても、4ヶ月で景気が目に見えて上昇することはありえない。
おそらくこのニュースを制作した人は、そんなことはわかりきっているだろうから、意図的に「アベノミクス」を「何か」の枠組みにはめたかったのだろう。
マスメディアのいつもながらの底の浅い手法である。
そんな短絡的な取材方法を取るから、マスメディアの稚拙な記事は、最後は政治家の揚げ足取りに行き着く。
その結果、総理大臣が1年単位で変わる。
それに合わせて、国民も堪え性がなくなって、すぐに結果を求めようとする。
たった1年で、国の指導者が変わることが、当たり前になってくる。
そして、それを異常だと思わなくなる。
しかし、総理大臣には、最低4年はその座を与えてもいいと、私は思っている。
私は、アンチ自民、アンチ保守、アンチタカ派だから、安部総理のことは気に食わないのだが、拙速に結果を求めようとは思わない。
すべての能力を出し切って、その結果の善し悪しで、指導者のことは判断すべきだ。
予算案を最低3回は上げて、景気の動向を見守るくらいの余裕がないと、日本の指導者は、いつまでたっても使い捨てのままだ。
昔の政治家は良かった、などという世迷い言は、高度成長経済の時代と安定期に入った今の経済を混同した愚か者の言い分である。
保守だろうが革新だろうが、指導者になった政治家に対しては、的確な批判はいいが、政治家の揚げ足取りだけに有権者の興味を向ける手法は、あまりに下衆過ぎて、品性を疑う。
マスメディアが幼稚だから、他人の言動の影響を受けやすい有権者も幼稚になる。
私も幼稚の範疇に入る男だが、私は、安部総理の政策を4年は我慢して見守りたいと思う。
偉そうに言うことではないが・・・・・。
話は、少々変わるが、かなり前に、安部総理が防衛大学校で演説をした。
その中で、総理が「我が国の領土・領海・領空に対する挑発が続いている。現場で起きていることは今そこにある危機だ。私は先頭に立って、国民の生命・財産、領土・領海・領空を守り抜く決意だ」と述べたという。
「今そこにある危機」
トム・クランシーの小説。
安倍総理が、その小説を読んでいたかどうかは推測するしかないが、少なくともタイトルだけは知っていたのではないか、と私は推測する。
ただ、この小説は、麻薬カルテルの存在に危機感を抱いて「今そこにある危機」と言っているので、防衛大学校の演説で中国を念頭に置いて言うことに関しては違和感はある。
が・・・「危機」ということを強調したいという安部総理の心意気は、ある程度は伝わる。
だから、そのことを批判するつもりはない。
気になったのは、このことを伝えた読売オンラインの記事である。
タイトルが「中国の挑発『危機は今そこに』…防大で首相訓示」となっていたのだ。
「今そこにある危機」が「危機は今そこに」に変わってしまっては、総理が言葉に込めた決意が薄くなってしまうのではないか、と思ったのだ。
今そこにある危機、は日本人の翻訳家と編集者が、知恵を絞ってタイトルをつけたに違いない。
この小説はハリソン・フォード主演で映画にもなっていて、そのタイトルも、そのまま「今そこにある危機」だ。
いいタイトルだと思う。
差し迫った危機感をうまく表現していると思う。
だから、それを「危機は今そこに」と変えてしまう記者の鈍感さに、私は腹が立ったのだ。
彼は、トム・クランシーの小説を知らなかったのか。
いや、たとえ、知らなかったとしても、総理大臣の言葉は、正確に伝えるべきだろう。
記者は、揚げ足取りは得意だが、自分の畑以外の分野は無知なのではないか、と意地悪なことを思ってしまった私だった。