痛ましい事故が隣国で起きた。
ただ、事故の処理はまだ継続中で、確かな原因もまだ明らかではない。
(急速な方向転換が原因だという説が有力だが)
ニュースでは、コメンテーターや専門家が、検証の言葉を述べているが、それは今の時点では推測であって、実証されたものではない。
政府や海洋警察の発表が二転三転する中で、事故原因を検証されても、それは中途半端な推理小説を読むようなもので、居心地の悪さしか私は感じない。
私としては、事故の検証よりも建設的な救助の方法を助言していただいた方が、耳にすんなり届く。
若い人が、突然その未来を断たれてしまうのは、理不尽としか思えない。
未来を断たれない方法を国籍関係なく思い募るのが、優先される事項なのではないかと思う。
ただ、事故は人災だとしても、現実に対処すべきなのは、自然の驚異である。
風、波、雨。
その脅威が目の前に立ち塞がったとき、選べる選択肢は限られている。
2次的な被害を出さないことをまず考えなければならない。
当たり前のことだが。救助される側の命と救助する側の命は、イコールだ。
その荒れ狂う自然の中で、人が無力になったとしても、そのことを責めるのは、酷というものだ。
不明者の親の嘆きと絶望、怒りは、想像できる。
そして、救助側の焦りも想像できる。
だから、つらい。
ひとりでも多くの方が、生存していることを祈るしかない。
この事故に関連して、修学旅行の引率をしていた教頭先生が、自殺したという記事をネットで読んだ。
自分が助けられたことに対して、自責の念に抗えず、命を絶ったというのだ。
これは、亡くなった方には申し訳ないが、美談ではない、と私は考える。
責任者なら、最後まで、事故の顛末を見届けるべきだ。
最終的には、裁判の判決まで。
責任者というのは、そういうものではないのか。
なぜ生徒たちが、悲劇に遭遇しなければならなかったのか。
なぜ適切な救助方法が選ばれなかったのか。
そして、誰が悪かったのか。
自分ひとりが死を選んで逃げるのは、教育者として失格ではないのか。
自ら死を選んだ方には申し訳ない言い方になるが、私だったら、こんな弱い教育者に、自分の子どもを預けることはできない。
きっと、生徒への愛情は、過剰なほどある先生に違いない。
だが、愛情の使い方を間違っていると思う。
彼の心情は、わからない。
自分が、その立場になってみないとわからないと思う。
私も弱い人間だから、その状況になったとき、自分がどんな行動を起こすかをいま想像することが出来ない。
ただ、これが己を省みない身勝手な言い方だというのは承知だが、責任者なら、最後まで結末を見届けて欲しいと思うのだ。
突然、その人生を断たれた生徒たちの無念を、その心で受け止めて、次の世代に伝えることが教育者としての務めなのではないか。
私が理想とする教育者の姿が、それだ。
死は、逃避だ。
逃避を選ぶ人は、教育者になるべきではなかった、と私は考える。
ただ、事故の処理はまだ継続中で、確かな原因もまだ明らかではない。
(急速な方向転換が原因だという説が有力だが)
ニュースでは、コメンテーターや専門家が、検証の言葉を述べているが、それは今の時点では推測であって、実証されたものではない。
政府や海洋警察の発表が二転三転する中で、事故原因を検証されても、それは中途半端な推理小説を読むようなもので、居心地の悪さしか私は感じない。
私としては、事故の検証よりも建設的な救助の方法を助言していただいた方が、耳にすんなり届く。
若い人が、突然その未来を断たれてしまうのは、理不尽としか思えない。
未来を断たれない方法を国籍関係なく思い募るのが、優先される事項なのではないかと思う。
ただ、事故は人災だとしても、現実に対処すべきなのは、自然の驚異である。
風、波、雨。
その脅威が目の前に立ち塞がったとき、選べる選択肢は限られている。
2次的な被害を出さないことをまず考えなければならない。
当たり前のことだが。救助される側の命と救助する側の命は、イコールだ。
その荒れ狂う自然の中で、人が無力になったとしても、そのことを責めるのは、酷というものだ。
不明者の親の嘆きと絶望、怒りは、想像できる。
そして、救助側の焦りも想像できる。
だから、つらい。
ひとりでも多くの方が、生存していることを祈るしかない。
この事故に関連して、修学旅行の引率をしていた教頭先生が、自殺したという記事をネットで読んだ。
自分が助けられたことに対して、自責の念に抗えず、命を絶ったというのだ。
これは、亡くなった方には申し訳ないが、美談ではない、と私は考える。
責任者なら、最後まで、事故の顛末を見届けるべきだ。
最終的には、裁判の判決まで。
責任者というのは、そういうものではないのか。
なぜ生徒たちが、悲劇に遭遇しなければならなかったのか。
なぜ適切な救助方法が選ばれなかったのか。
そして、誰が悪かったのか。
自分ひとりが死を選んで逃げるのは、教育者として失格ではないのか。
自ら死を選んだ方には申し訳ない言い方になるが、私だったら、こんな弱い教育者に、自分の子どもを預けることはできない。
きっと、生徒への愛情は、過剰なほどある先生に違いない。
だが、愛情の使い方を間違っていると思う。
彼の心情は、わからない。
自分が、その立場になってみないとわからないと思う。
私も弱い人間だから、その状況になったとき、自分がどんな行動を起こすかをいま想像することが出来ない。
ただ、これが己を省みない身勝手な言い方だというのは承知だが、責任者なら、最後まで結末を見届けて欲しいと思うのだ。
突然、その人生を断たれた生徒たちの無念を、その心で受け止めて、次の世代に伝えることが教育者としての務めなのではないか。
私が理想とする教育者の姿が、それだ。
死は、逃避だ。
逃避を選ぶ人は、教育者になるべきではなかった、と私は考える。