リスタートのブログ

住宅関連の文章を載せていましたが、メーカーとの付き合いがなくなったのでオヤジのひとり言に内容を変えました。

普通の人たち

2014-07-13 08:53:00 | オヤジの日記
集団的自衛権の拡大解釈は、間違いなく日本を戦争に導くものである。

どれほどの綺麗事を並べようが、集団的自衛権を認めなければ、自衛隊が参戦することはない。
日本国が、他国に宣戦布告をすることもない。

しかし、アメリカからの圧力に屈して、簡単に認めてしまった以上、70年前の戦場に逆戻りすることを想定しなければいけない。

一国の軍隊が、70年近く、殺しもせず殺されなかった例は、人類史上珍しいことなのに、たった一人の指導者の「同盟国(アメリカ)への恐怖」から、認めてしまったのである。

日本を敵視し、蔑ろにする中韓鮮にとっては、平和憲法を持ってこその日本だから、強腰でいられたのだと思う。
しかし、集団的自衛権を行使する権利を得た国に対しては、これからの方針は確実に変わるだろう。

中韓鮮が弱腰になることはあり得ないが、間違いなく日本を「軍事国家」と見做して、最後は戦争を念頭に置いて、外交をしてくるはずである。

それが、集団的自衛権を持った、当たり前の国家の交渉だからだ。
(同盟や条約は、戦争の前には反古にされる)

集団的自衛権を平和のために使う、などという戯れ言は、通用しない。

中国は、核を持っているのだ。
そして、おそらく、北朝鮮も持っている。

韓国は持っていないが、米韓相互防衛条約を考えたら、米国の核が、日本に影響を及ぼすことがゼロとは言えない。

日本とアメリカが同盟しているからと言って、その時点の利益を考えたら、アメリカという唯一の超大国は、自己の利益を優先して、日本に不利益になることを選ぶかもしれないことは、第2次世界大戦後の地域的紛争の際に、選んだアメリカの政策を考えれば、簡単にわかる。


政治家や保守主義の人は、何故わざわざ、自分の国を危ない場所に置きたがるのだろうか。


最近では、若い人の中にも、「昔はよかった」という愚かな意見を述べる人が多くいる。

昔の教育に戻し、愛国心を植え付ける教育を徹底すべきではないか、という意見もある。

昔がよかったのなら、絶対に負ける戦争に若者を導いたことも、いいことになる。
(日本を戦争に導いたアメリカは、戦争中もメジャーリーグを開催し、ハリウッドでは大作を制作していたのだ。それくらいの情報は、指導者なら簡単に把握できたはずである。………愚かだ)

高度経済成長の頃、日本人が外国に行くと。我が物顔でブランドを買い漁り、行く先々で「エコノミック・アニマル」と蔑まれたことも、肯定していいことになる。

バカバカしすぎる話だ。


それらを反省して、日本という国を見つめなおし、「日本」を一つのブランドとして、品位を上げた人が、私たちのまわりにいくらでもいる「普通の人」なのである。

それは、決して、「昔はよかった」式の教育を受けた人ではないだろう。

「普通の人」たちが、大震災でも節度を保ち、お互いを尊重して、境遇を分かち合おうとした結果、日本人の「民度」を世界に示すことができた。

それは、「ゆとり世代」などというふざけた批判とは、関係ないものだ。

誰もが、「普通の人」として、当たり前のように生きてきて、傲り高ぶった「エコノミック・アニマル」世代の下衆の行いを修正したから成し遂げられたものだ。

高度成長時代の、ご立派な教育を受けた方々の「下衆な行い」より、今の日本人の民度の方が高いのは、自明なことである。


70年前、50年前、30年前より、今の日本人は、遥かに、「まともな道」を歩いている。

その「まともな道」をねじ曲げる政治家は、政治家として、日本の将来に何を見ているのだろうか。


集団的自衛権の拡大解釈は、自衛隊を確実に、戦地に赴くことになるだろう。

可愛い子どもたちが、戦火に倒れることを、彼らの親は納得するだろうか。

私は、2人の子どもの親だが、それは、断固として拒否する。

そんなことが、あっていいわけがない。


政治家は、いつも安全な場所にいるが、安全ではない場所に行かされるのは、「普通の人」なのだ。

「愛国心」などという、いつの時代にも権力者に都合のいいように使われる言葉は、私は信じない。

「国」は大事だが、「人」より大事ではない。

おそらく、子どもを持つ親の何割かは、私の意見に賛成してくれると思う。


いつ戦争に連れて行かれるかわからないのに、親は、自分の子を自衛隊に預けるだろうか。


自衛隊の隊員は、これからは、減っていくのではないだろうか。


そうなったら、やがて………チョウヘイセイ?


愚かな政治家たちは、そこまで考えていることもありうる。



もしかしたら、政治家は、「普通の人」の持つパワーを恐れているのかもしれない。

「普通の人」のパワーを封じ込めることが、彼らの「明日の票」に繋がる、と政治家独特の下衆な「票読み」を下衆な脳の電卓でしているのかもしれない。



今の日本の基礎を築いた「普通の人」たちの中には、戦争を望んでいる人はいるかもしれないが、今の「美しい景色のままの日本」を望んでいる人も多くいるはずだ。


私は、そんな「普通の人」が多くいることを信じたい。