リスタートのブログ

住宅関連の文章を載せていましたが、メーカーとの付き合いがなくなったのでオヤジのひとり言に内容を変えました。

激情するひと

2015-09-13 08:49:00 | オヤジの日記
民主主義を勘違いしている政治家がいた。

橋下徹氏が明らかに「言いがかり」的な発言をした記事を読んだ。

橋下氏が「日本の有権者数は1億人。国会前のデモはそのうちの何パーセントなんだ? こんな人数のデモで国家の意思が決定されるなら、サザンのコンサートで意思決定する方がよほど民主主義だ」などと批判した。

誰もがわかるとおり、それは、まったく見当違いな感情的意見だ。

デモは、法律で認められている国民の権利。
だから、国民の意思として、デモに参加する。

つまり、法に則って自分の意思表示をすることは、全ての国民に与えられた権利であり行為だ。

その数が国民の何パーセントなどと否定的に語るのは、権利の意味がわかっていない人の言い分だ。
さらに、本人は気の利いたことを言ったつもりだろうが、サザンオールスターズのコンサートを出す意味がわからない。

当たり前のことだが、サザンオールスターズのコンサートは彼らの音楽を楽しむためのものであって、ほかの何物でもない。

それは民主主義とは、まったく関係ない。
たとえとして意味を成していない。

国民が国民の権利として、デモに参加する。
その数をパーセントで語ることに意味はあるのか。

5千万人がデモに参加しなければ、そのデモは意味がないとでも橋下氏は思っているのだろうか。

数字を言うなら、先の総選挙で自民党が小選挙区で得た票は、全有権者の4分の1の比率だった。
その25パーセントの票で、自民党は小選挙区全議席の4分の3を獲得した。
そんないびつな比率が民主主義なら、国会前や新宿の歩行者天国に集まった多くの人の姿は比率が少なくても、明らかな民主主義といっていいのではないか。

民主的なデモに対して反発したいなら、橋下氏には「俺は国民が自己主張するデモが嫌いなんだよね」とキッパリと言ってくれた方が、私には遥かに納得しやすい。

橋下氏は政治家だから、反対勢力の圧力が怖いのだと思う。
デモというのは、間違いなく政権に対するアンチテーゼだ。

橋下氏は、いま小さな世界で政権を担っているが、その小さな世界でさえアンチテーゼが負担になって、デモの群衆に対して自分の身に置き換えて、恐怖を感じているのではないだろうか。

「反対」の声を恐怖に感じているのが、今の橋下氏。

しかし、彼の本来の出処は法律家ではなかったか。
その法律家が、国民に当然与えられた権利をパーセントを引き合いに出して反発することに、私は幻滅を感じたのだ。

感情論が激しすぎる橋下氏は激情型(あるいは劇場型)弁護士としては役に適っていたかもしれないが、政治家としては、ただ声がでかいだけの大根役者なのではないかと、今回の彼の談話を聞いて私は思った。


話は飛んで、もう前のことになったが、国連事務総長が中国の抗日戦勝70周年の催しに参加したというニュース。

日本政府は、そのことに対して異議を唱えたというのだが、私は彼のこの行動に関して全く驚かなかった。

国際連盟という機関は、国家間の問題に中立の立場を取るのが建前かもしれないが、事務総長の国籍を考えたとき、彼は中国に対して事務総長としてではなく、個人的に「戦友」という感覚で中国と接しているのだと思う。

だからきっと、他の国が同じことをしても、彼は参加しなかっただろう。
中国だから参加した。

「戦友」だから。

建前の「中立」などより、戦友の祝い事に参加する事の方が重要という「私的行動」に出たとしても、彼にとってそれは何の矛盾もない行為のはずだ。

もともと国連というものの立ち位置が曖昧なのだから、事務総長だろうが、理事だろうが事務員だろうが、彼らがそれぞれ「私的行動」に出ても、各国の力学的な関係はあまり変わらないという現実がある。

各地の紛争地域は、国連の議決、要望など気にも止めずに、武器を構え続けているのが現実だ。

いま国連は国際紛争の他に、人権に関しても、はかばかしい成果を上げていない。
今の国連は、国家間の自己満足のサークル、同好会のようなものになっている。

各国からの多額の分担金をただ消費する、形式だけの「優良機関」になっている。
言葉を変えれば、加盟国が「自分のところは、世界にちゃんと貢献しているんだよね」という「言い訳」を世界に配信するための道具になっている。

だから、その程度の機関の代表者が、公私混同で中国に恩を売ったとしても、何の不思議もない。
彼は、とりわけ感情が豊富で、それを制御するのが難しい激情型の国に生まれた人なのだ。

大国になびくことは、自分のためにも自分の国のためにも優先すべき事項である、という彼の個人的な激情は、かの国ではごく普通の情景だと思う。

人が、己の激した感情に勝つのは極めて難しいことだ。


そして、橋本徹氏とパン・ギムン氏は、自分のことを最高クラスの頭脳を持った人だと思っているだろうから、たとえ、激した言動や行動に出たとしても、自分にはそれを「言い訳」できる能力があるとも思っているのではないか。

だから、自信過剰気味な激情する人に、何を言っても絶対に伝わらない。

ただ、感情的な反論が返ってくるだけだ。


ようするに、彼らの肩書きが消えるのを待つしかない、ということだ。