リスタートのブログ

住宅関連の文章を載せていましたが、メーカーとの付き合いがなくなったのでオヤジのひとり言に内容を変えました。

娘と観たドラマ「あの花」

2015-10-04 08:05:00 | オヤジの日記
大学2年の娘が珍しく、「一緒にドラマを見ようぜ」と言った。

フジテレビで放映した「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない」だ。
娘が録画しておいたらしい。

娘は中学まではドラマ好きで、週に何本も見ていたが、高校に上がると英語、韓国語と社会福祉の勉強を真剣に始めたことで自由時間がなくなった。
大学に上がってからは、その勉強のほかに、週に3回イトーヨーカ堂での夜のアルバイトが入るから、尚更ドラマを見ている暇がない(来年の海外留学のために金を貯めているのだ)。

おそらく4年以上ドラマを観ていないのではないか。
ドラマだけではなくテレビを観ることも極端に減った。
EXILEとAKB、ジャニーズをあまり知らない数少ない女子大生のひとりだ。

「観たいと思ったドラマは、久しぶりだぜい!」
大好きな亀田の柿の種を皿いっぱいに盛って、娘はテレビの前に陣取った。
時刻は午後11時半を過ぎていたので、観終わるのは深夜1時半頃になるが、娘とドラマを観る機会が次いつになるかわからないので、さきいかを齧りながら並んで観ることにした。

「泣くなよ、泣くなよ」と言いながらも、最初に泣いたのは娘の方だった。
そして、つられるように私も泣いた。

娘から、アニメーションが原作だという情報を知らされているだけで、私の中に先入観はまったくなかった。
だから、アニメーションとイメージが違う、などという思い込みもまったくなかった。

つまり、普通の青春ドラマとして鑑賞できた。

設定がアニメーションっぽいなどとも思わなかった。
不自然だとも思わなかった。

この設定が不自然だというのなら、映画「ゴースト/ニューヨークの幻」の設定にも文句を言わなければならなくなる。
そもそも私は、リアリティのあるドラマは面白みに欠けると常々思っている。
せめて映画やドラマだけは、想像力と創造力にあふれた夢のある物語が観たい、と思うのだ。

現実世界に生きている以上、同じ現実世界の重いテーマにドップリ浸かりたくはない。
違う世界を漂って、脳を休ませてやりたいと思う。

その意味では、このドラマは現実感がないという点で最適だった。

さらに驚いたのは、ドラマの展開が前後する中で、この現実感のない話をおとぎ話のような空気感をさりげなく醸し出し、無理なく演じた若い俳優たちの力量だ。

それは、見事だったと思う。
おとぎ話は、俳優としての経験の少ない人の方が、無駄な装飾がなくて直接的な表現ができると思う。
つまり、演技に余分な生活臭がない分だけ、メルヘンの世界が構築しやすい。

その無垢な表現は、このドラマから確実に現実感を削ぎとっていた。
そして、この現実感を削ぎとることこそが、この物語のテーマなのではないかと私は勝手に思ったのである。

もちろん、大きなテーマとしての「友情」が、そこにはある。
その上で、あえて現実感をなくすことで、その「友情」だけを浮き立たせる手法を取ったのではないか、と私には思えた。

アニメーションを知っている人には、きっと言いたいことはたくさんあるはずだ。
それぞれの思い入れが強ければ、その意見は分岐されてパズルのように複雑な断片を作る。
そして、その断片が数多いほど、その物語は人から愛されているということになる。

「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない」が、多くの人に愛されているか私は知らないのだが、このドラマが娘と私にとって忘れられないものになったのは確かだ。

そして、、若い俳優たちの繊細な表現力を感じることができた私には、これから先、原作のアニメーションを観る楽しみが増えたというオマケもある。

いつかアニメーションの方も観てみたいと思っている。


物語に入り込んで、途中から大好物の柿の種を食べるのを忘れた娘が、「絶対に、今日の夢に出てくると思うぞ。夢で6人に会ったら、何て言えばいいんだろうな。悩むよな」と、涙で溢れた目を左手で拭って、さらに鼻をすすり照れたように笑った。

そんな娘に、私は言った。

悩むことはないさ。
言うことは一つしかない。
わかるだろ?


娘とふたり、深夜1時半過ぎ、小声で同時に叫んだ(目から水を流しながら)。



「めんま、みーっけたぁー!」