ひとつの夢を持っている。
大昔のことになるが、私は大学で陸上部に所属していた。
自慢をする気満々だが、私の通っていた大学では、私が短距離の記録は一番よかった。
だが、その陸上部は短距離の種目では当時の東京で弱小の方だったから、私は典型的なお山の大将だった。
そして、そのお山の大将は、3年の夏に腰と膝を痛めて、治療に専念するため休部することになった。
4年になれば、就職活動が忙しくなるので時期的に退部でも良かったのだが、悪あがきをしたのだ。
中学から陸上部一筋だった私から走ることを取ると、腑抜け同然だった。
そこで、中学時代から置き去りにしてきた自由時間を取り戻すために、変化を求めて、まずジャズ研究会を冷やかしに行った。
ウッドベースが余っていた状態だったので、格安の2万円で譲り受け、ウッドベースと格闘した。
さらに、映画研究会にも平行して顔を出し、映画撮影の裏方の仕事を教えてもらった。
そして、裏方の仕事が楽しくなると、映画の脚本に興味を持った。
映研の連中が書く脚本が、現実にこだわるあまり退屈で面白みに欠けていたからだ。
俺なら、あんな深刻なテーマは選ばない。
人生がどうの、死がどうの、過去がどうの、日常生活に潜む暗闇がどうの、なんて映像にして何が面白いのか、と思った。
何を芸術家ぶっているのか、と。
映画は、エンターテインメントなのだから、現実世界から遠いものを作ったほうが絶対に観る方も作る方も楽しいはずだ。
そんなことを思っていた私は、脚本を書き始めた。
脚本を書くのは初めてではない。
高校2年、3年の文化祭で、同級の友人と共同執筆という形で脚本を書いたことがあった。
2年のときは、鳥を擬人化したファンタジー。
3年では、パラレル・ワールドに入り込んだ教師が主人公のSFだ。
一部の人たちからは「自己満足だ」と悪評だったが、2つとも「演劇部門」で1位の評価を得た(2回とも2クラスしか参加しなかった。つまり、1位かビリ)。
脚本を起こすときは、私がアイディアを出し、文章のうまい友人が話をまとめる分担制だった。
その友人は、同じ大学に進学したので、今回も文章に書き起こす役目を押し付けた。
友人はクラブに入っていなかったので、自由な時間が多かった。
頼むと「面倒くさいな」と言いながらも嬉しそうに引き受けてくれた。
ストーリーは、「逆ホラー」。
簡単に言えば、幽霊の方が生身の人間どもに脅かされる話である。
幽霊ふたりは友人だった。
同じ場所、同じ時間に死んで幽霊になった。
しかし、その幽霊は、いつも人からは丸見えだった。
そして、極度の怖がりだった。
最初は、人間のほうが彼らを怖がったが、実は彼らが臆病だということを知った人間たちから、彼らは絶えず脅かされることになった。
都会の公園、路地裏、エレベーターの中、交差点など、幽霊たちはあらゆる場所で人間たちに脅かされた。
お化け屋敷なら、むしろまわりに溶け込んで脅かされることはないと思って入り込んでみたが、偽のお化けや入場者たちにも脅かされて、余計怖い思いをする羽目になった。
幽霊二人は、都会を逃れて人気のない海辺にやってきた。
夜の海辺だ。
どこか懐かしい景色と波の音。
「ああ、ここなら俺たちも心と体を休められるかもしれない」
だが、そう思って安心していた幽霊に、もっと大きな悲劇が訪れる。
砂浜に仕掛けられた爆弾が次々と爆発したのだ。
腰を抜かしそうになりながら、幽霊は逃げる。
逃げる、逃げる、顔を恐怖で引きつらせながら逃げる。
そして、逃げた先には断崖絶壁。
追い詰められた幽霊に、人間どもはマシンガンを掃射する。
幽霊だから、弾に当たったとしても死なないのだが、この幽霊は痛みだけはわかるのだ。
撃たれた分だけ痛い。
痛い、痛い、痛い。
幽霊は、我慢できずに断崖からダイブした。
そして、そのダイブが時間を切り裂いて、幽霊はタイムスリップしたのである。
幽霊たちが降り立ったのは、1944年。
フィリピンの戦場だった。
アメリカ軍が日本軍を容赦なく機銃掃射する場面に遭遇して、幽霊は驚愕した。
それは、正しく自分たちが死んだ場所だったからだ。
同じ場所、同じ時間に死んだ幽霊ふたり。
幽霊(このときは人間)は、弾丸の雨にさらされながら、そのことを思い出した。
逃げなくては。
逃げないと、幽霊になったとき、また人間どもに脅かされる。
それだけは、嫌だ。
幽霊は、神がかった走りで弾丸の雨から逃げることに成功した。
そして、生きたまま終戦を迎えた。
ときは移って、西暦2000年。
80歳になった幽霊は、ふたり同じ時刻に、人間として死んだ。
彼らは、幽霊になることを選ぶこともできたが、それを望まなかった。
なぜなら、この世に思い残すことがなかったからだ。
というような脚本を書いて、映研のシナリオ担当に見せたのだが、「自己満足だな」と一刀両断された。
さらに、追い打ちをかけるように「これ、どんだけ金かかると思ってるんだ! 予算を考えろ、バカ!」と罵られた。
そして、つい最近、大学2年の娘に、大昔にこんな脚本を考えたんだけど、と言って話したら、「自己満足にも程がある」と怒られた。
映画にしないほうがいいのかな?
「自己満足の妄想」で我慢しておきましょうか。
大昔のことになるが、私は大学で陸上部に所属していた。
自慢をする気満々だが、私の通っていた大学では、私が短距離の記録は一番よかった。
だが、その陸上部は短距離の種目では当時の東京で弱小の方だったから、私は典型的なお山の大将だった。
そして、そのお山の大将は、3年の夏に腰と膝を痛めて、治療に専念するため休部することになった。
4年になれば、就職活動が忙しくなるので時期的に退部でも良かったのだが、悪あがきをしたのだ。
中学から陸上部一筋だった私から走ることを取ると、腑抜け同然だった。
そこで、中学時代から置き去りにしてきた自由時間を取り戻すために、変化を求めて、まずジャズ研究会を冷やかしに行った。
ウッドベースが余っていた状態だったので、格安の2万円で譲り受け、ウッドベースと格闘した。
さらに、映画研究会にも平行して顔を出し、映画撮影の裏方の仕事を教えてもらった。
そして、裏方の仕事が楽しくなると、映画の脚本に興味を持った。
映研の連中が書く脚本が、現実にこだわるあまり退屈で面白みに欠けていたからだ。
俺なら、あんな深刻なテーマは選ばない。
人生がどうの、死がどうの、過去がどうの、日常生活に潜む暗闇がどうの、なんて映像にして何が面白いのか、と思った。
何を芸術家ぶっているのか、と。
映画は、エンターテインメントなのだから、現実世界から遠いものを作ったほうが絶対に観る方も作る方も楽しいはずだ。
そんなことを思っていた私は、脚本を書き始めた。
脚本を書くのは初めてではない。
高校2年、3年の文化祭で、同級の友人と共同執筆という形で脚本を書いたことがあった。
2年のときは、鳥を擬人化したファンタジー。
3年では、パラレル・ワールドに入り込んだ教師が主人公のSFだ。
一部の人たちからは「自己満足だ」と悪評だったが、2つとも「演劇部門」で1位の評価を得た(2回とも2クラスしか参加しなかった。つまり、1位かビリ)。
脚本を起こすときは、私がアイディアを出し、文章のうまい友人が話をまとめる分担制だった。
その友人は、同じ大学に進学したので、今回も文章に書き起こす役目を押し付けた。
友人はクラブに入っていなかったので、自由な時間が多かった。
頼むと「面倒くさいな」と言いながらも嬉しそうに引き受けてくれた。
ストーリーは、「逆ホラー」。
簡単に言えば、幽霊の方が生身の人間どもに脅かされる話である。
幽霊ふたりは友人だった。
同じ場所、同じ時間に死んで幽霊になった。
しかし、その幽霊は、いつも人からは丸見えだった。
そして、極度の怖がりだった。
最初は、人間のほうが彼らを怖がったが、実は彼らが臆病だということを知った人間たちから、彼らは絶えず脅かされることになった。
都会の公園、路地裏、エレベーターの中、交差点など、幽霊たちはあらゆる場所で人間たちに脅かされた。
お化け屋敷なら、むしろまわりに溶け込んで脅かされることはないと思って入り込んでみたが、偽のお化けや入場者たちにも脅かされて、余計怖い思いをする羽目になった。
幽霊二人は、都会を逃れて人気のない海辺にやってきた。
夜の海辺だ。
どこか懐かしい景色と波の音。
「ああ、ここなら俺たちも心と体を休められるかもしれない」
だが、そう思って安心していた幽霊に、もっと大きな悲劇が訪れる。
砂浜に仕掛けられた爆弾が次々と爆発したのだ。
腰を抜かしそうになりながら、幽霊は逃げる。
逃げる、逃げる、顔を恐怖で引きつらせながら逃げる。
そして、逃げた先には断崖絶壁。
追い詰められた幽霊に、人間どもはマシンガンを掃射する。
幽霊だから、弾に当たったとしても死なないのだが、この幽霊は痛みだけはわかるのだ。
撃たれた分だけ痛い。
痛い、痛い、痛い。
幽霊は、我慢できずに断崖からダイブした。
そして、そのダイブが時間を切り裂いて、幽霊はタイムスリップしたのである。
幽霊たちが降り立ったのは、1944年。
フィリピンの戦場だった。
アメリカ軍が日本軍を容赦なく機銃掃射する場面に遭遇して、幽霊は驚愕した。
それは、正しく自分たちが死んだ場所だったからだ。
同じ場所、同じ時間に死んだ幽霊ふたり。
幽霊(このときは人間)は、弾丸の雨にさらされながら、そのことを思い出した。
逃げなくては。
逃げないと、幽霊になったとき、また人間どもに脅かされる。
それだけは、嫌だ。
幽霊は、神がかった走りで弾丸の雨から逃げることに成功した。
そして、生きたまま終戦を迎えた。
ときは移って、西暦2000年。
80歳になった幽霊は、ふたり同じ時刻に、人間として死んだ。
彼らは、幽霊になることを選ぶこともできたが、それを望まなかった。
なぜなら、この世に思い残すことがなかったからだ。
というような脚本を書いて、映研のシナリオ担当に見せたのだが、「自己満足だな」と一刀両断された。
さらに、追い打ちをかけるように「これ、どんだけ金かかると思ってるんだ! 予算を考えろ、バカ!」と罵られた。
そして、つい最近、大学2年の娘に、大昔にこんな脚本を考えたんだけど、と言って話したら、「自己満足にも程がある」と怒られた。
映画にしないほうがいいのかな?
「自己満足の妄想」で我慢しておきましょうか。