おんぼろアパートの庭に住み着いた「セキトリ」という名の猫。
我が家族が、おんぼろアパートに住み始めて5年が経つが、我々が引っ越してきた2~3ヶ月後には、セキトリは庭に置いたダンボールの箱を住処にしていた。
もしかしたら、我々がおんぼろアパートに引っ越す前からセキトリは庭に住み着いていて、我々の方が居候ということもありうる。
引越しの時に使ったダンボールを潰さずに置いておいたら、彼にはそれがヘーベルハウスに見えたらしく、気に入って今に至るまで庭の右隅で居住権を主張していた。
ただ、ダンボールでは雨や雪を凌ぐのは大変だろうと思って、ダンボールを二重にして空気の層を作り、夏は涼しく冬は暖かい仕様に改造した。
そして、雨が侵入しないように五つの面にビニールシートを貼り、入口は猫の鼻や手で押して開けられるように、細いパイプの軸を使ったスイング形式のドアにした。
雨よけ用のひさしも防水シートで作った。
さらに、中には洗濯のしやすいタオルケットを敷いた。
大改造! 劇的ビフォーアフター。
なぜ私が彼をセキトリと呼ぶかというと、頭のてっぺんの模様が相撲取りの髷(まげ)に似ていたからだ。
ドスコイ!
セキトリの歳はわからない。
5年まえから大人の雰囲気を撒き散らしていたから、推定6~7歳ではないだろうか。
メシは、セキトリが練り物が好きなので、一日一回は練り物を出す。
あとは、パンが好物なので我が家で作った食パンをちぎって出したり、トーストにして出したりしている。
基本的にメシは朝と夕方の2回だ。
私はセキトリを愛しているのだが、セキトリが私を愛しているかはわからない。
東日本大震災のとき、セキトリは震災の2日前から姿が見えなくなった。
私は心配で心配で、メシだけは喉を通ったのだが、アルコール類は買い占めにあって買えなかったため喉を通らなかった。
そんな日々が続いていたとき、震災から2週間以上経って、セキトリがハウスに戻ってきた。
私は嬉しさを表現するため、セキトリを抱きしめようと思ったのだが、セキトリは素早い動きで私の手を逃れ、ハウスに戻った。
それはとても素っ気ない態度だったが、晩メシにカマボコを出したら、セキトリが「ニャー」と鳴いた。
セキトリの鳴くのを初めて聞いた。
「ニャー(でっかい地震だったな、おい!)」
それを聞いて、心が通じたと思った。
嫌われてはいないと感じた。
ただ、今もそうだが、たいていはメシの時にしか心が通じないのが、私には不満であるが。
いや、他にも通じたと思ったことが何度かあった。
私には、2歳上の姉がいたのだが、私は姉と血が繋がっているはずなのに、身内としての愛情を持ったことがなかった。
おそらく中学のときから、口をきいた回数は10回に満たなかったと思う。
姉は、無類の怖がりで、自分以外の全てが怖い人だった。
だから、社会を怖がり、高校卒業後40年近くを家に引きこもって過ごした。
酒だけが友だちだった姉は、3年前に肝臓ガンで死んだ。
葬儀から帰ったあとで、私はセキトリに、血の繋がった姉が死んでも泣けない人でなしの俺を叱ってくれ、とお願いした。
そのとき、セキトリはハウスからノッソリと出てきて、私の膝の上に乗っかった。
セキトリが、私の膝の上に乗るのは、初めてのことだった。
セキトリは私の方を見なかったし、鳴きもしなかった。
だが、私はセキトリが私を慰めている気がした。
その感覚が確信になったのは、父親が死んだときだった。
私の父親は破滅型の人で、誰もが知っているような一流会社に勤めていたのに、稼ぎを家に入れずに稼いだ金すべてを自分のためだけに使った。
酒と女。
私の母は20代後半と70代に結核を患って入院したのだが、そんな時でも父は病院に顔を出さず、家に帰っても来なかった。
病弱な自分の妻を見向きもしなかった。
年金も自分のためだけに使った。
そして、2年前、脳梗塞で死んだ。
その時も私は泣けなかった。
いや、意地でも泣かなかった。
薄情だよな。
俺は人間じゃないよな、とセキトリに話しかけた。
そのときも、セキトリは私の膝に乗ってきたのだ。
昨年の8月。
「重度の貧血」と診断された私は、セキトリに家族にも言えない愚痴を盛大にこぼした。
身内が死んでも涙ひとつ流さない人間に、誰かが重い罰を下したんだよ。
そのときも、セキトリは当たり前のように膝に乗ってきた。
そして、今週のことだ。
一年経って、ヘモグロビンの数値と残留鉄の数値が鉄剤を飲んでいるのにも関わらず、平均値まで届かないことを医者に指摘された。
「あなたの体は、自転車操業状態ですね」
かなり悲観的なことを例に上げて、「精密検査をして原因を探らないと何が起こるか・・・」と脅された。
セキトリに、そのことを伝えると、セキトリが「ニャーニャー」と2回鳴いた。
いつもは1回なのに、この日は2回。
彼は、2回鳴くことで、私に何を伝えたかったのだろうか。
「おまえも大変だな、兄弟」
「うるせえよ、そんなの関係ねえよ」
「眠いんだから寝かせろよ、ボケ!」
「早くメシ持ってこいや! 気がきかねえな」
どれか一つは当たっているような気がするが、私はネコ語を習い始めてから、まだ日が浅いので正確な翻訳ができなかった。
俺は、人間としても猫としても劣等生だな、とセキトリの前で泣いたふりをした。
セキトリは、何も言ってくれなかった。
我が家族が、おんぼろアパートに住み始めて5年が経つが、我々が引っ越してきた2~3ヶ月後には、セキトリは庭に置いたダンボールの箱を住処にしていた。
もしかしたら、我々がおんぼろアパートに引っ越す前からセキトリは庭に住み着いていて、我々の方が居候ということもありうる。
引越しの時に使ったダンボールを潰さずに置いておいたら、彼にはそれがヘーベルハウスに見えたらしく、気に入って今に至るまで庭の右隅で居住権を主張していた。
ただ、ダンボールでは雨や雪を凌ぐのは大変だろうと思って、ダンボールを二重にして空気の層を作り、夏は涼しく冬は暖かい仕様に改造した。
そして、雨が侵入しないように五つの面にビニールシートを貼り、入口は猫の鼻や手で押して開けられるように、細いパイプの軸を使ったスイング形式のドアにした。
雨よけ用のひさしも防水シートで作った。
さらに、中には洗濯のしやすいタオルケットを敷いた。
大改造! 劇的ビフォーアフター。
なぜ私が彼をセキトリと呼ぶかというと、頭のてっぺんの模様が相撲取りの髷(まげ)に似ていたからだ。
ドスコイ!
セキトリの歳はわからない。
5年まえから大人の雰囲気を撒き散らしていたから、推定6~7歳ではないだろうか。
メシは、セキトリが練り物が好きなので、一日一回は練り物を出す。
あとは、パンが好物なので我が家で作った食パンをちぎって出したり、トーストにして出したりしている。
基本的にメシは朝と夕方の2回だ。
私はセキトリを愛しているのだが、セキトリが私を愛しているかはわからない。
東日本大震災のとき、セキトリは震災の2日前から姿が見えなくなった。
私は心配で心配で、メシだけは喉を通ったのだが、アルコール類は買い占めにあって買えなかったため喉を通らなかった。
そんな日々が続いていたとき、震災から2週間以上経って、セキトリがハウスに戻ってきた。
私は嬉しさを表現するため、セキトリを抱きしめようと思ったのだが、セキトリは素早い動きで私の手を逃れ、ハウスに戻った。
それはとても素っ気ない態度だったが、晩メシにカマボコを出したら、セキトリが「ニャー」と鳴いた。
セキトリの鳴くのを初めて聞いた。
「ニャー(でっかい地震だったな、おい!)」
それを聞いて、心が通じたと思った。
嫌われてはいないと感じた。
ただ、今もそうだが、たいていはメシの時にしか心が通じないのが、私には不満であるが。
いや、他にも通じたと思ったことが何度かあった。
私には、2歳上の姉がいたのだが、私は姉と血が繋がっているはずなのに、身内としての愛情を持ったことがなかった。
おそらく中学のときから、口をきいた回数は10回に満たなかったと思う。
姉は、無類の怖がりで、自分以外の全てが怖い人だった。
だから、社会を怖がり、高校卒業後40年近くを家に引きこもって過ごした。
酒だけが友だちだった姉は、3年前に肝臓ガンで死んだ。
葬儀から帰ったあとで、私はセキトリに、血の繋がった姉が死んでも泣けない人でなしの俺を叱ってくれ、とお願いした。
そのとき、セキトリはハウスからノッソリと出てきて、私の膝の上に乗っかった。
セキトリが、私の膝の上に乗るのは、初めてのことだった。
セキトリは私の方を見なかったし、鳴きもしなかった。
だが、私はセキトリが私を慰めている気がした。
その感覚が確信になったのは、父親が死んだときだった。
私の父親は破滅型の人で、誰もが知っているような一流会社に勤めていたのに、稼ぎを家に入れずに稼いだ金すべてを自分のためだけに使った。
酒と女。
私の母は20代後半と70代に結核を患って入院したのだが、そんな時でも父は病院に顔を出さず、家に帰っても来なかった。
病弱な自分の妻を見向きもしなかった。
年金も自分のためだけに使った。
そして、2年前、脳梗塞で死んだ。
その時も私は泣けなかった。
いや、意地でも泣かなかった。
薄情だよな。
俺は人間じゃないよな、とセキトリに話しかけた。
そのときも、セキトリは私の膝に乗ってきたのだ。
昨年の8月。
「重度の貧血」と診断された私は、セキトリに家族にも言えない愚痴を盛大にこぼした。
身内が死んでも涙ひとつ流さない人間に、誰かが重い罰を下したんだよ。
そのときも、セキトリは当たり前のように膝に乗ってきた。
そして、今週のことだ。
一年経って、ヘモグロビンの数値と残留鉄の数値が鉄剤を飲んでいるのにも関わらず、平均値まで届かないことを医者に指摘された。
「あなたの体は、自転車操業状態ですね」
かなり悲観的なことを例に上げて、「精密検査をして原因を探らないと何が起こるか・・・」と脅された。
セキトリに、そのことを伝えると、セキトリが「ニャーニャー」と2回鳴いた。
いつもは1回なのに、この日は2回。
彼は、2回鳴くことで、私に何を伝えたかったのだろうか。
「おまえも大変だな、兄弟」
「うるせえよ、そんなの関係ねえよ」
「眠いんだから寝かせろよ、ボケ!」
「早くメシ持ってこいや! 気がきかねえな」
どれか一つは当たっているような気がするが、私はネコ語を習い始めてから、まだ日が浅いので正確な翻訳ができなかった。
俺は、人間としても猫としても劣等生だな、とセキトリの前で泣いたふりをした。
セキトリは、何も言ってくれなかった。