東京武蔵野のオンボロアパートの近くに自治会の副会長さんが住んでいた。
年は、68歳だとご本人が言っていたと思う。
北海道生まれ北海道育ちの元刑事。
定年を迎えた後、息子のいる東京へ越してきて、警備会社に勤めた。
そして、今はその警備会社の非常勤をやりながら、地域の民生委員もやっておられるようだ。
元刑事とは思えないほど物腰は柔らかいが、時折見せる敏捷な身のこなしは柔道三段、剣道三段がダテではない証しだろう。
見ているだけで頼もしさを感じさせる人だ。
ただ、一つだけ気に食わないのは、筋金入りのジャイアンツファンだというところだ。
北海道なのに、ジャイアンツファン?
日本ハムではなく?
「僕が住んでいた頃は、まだ日ハムは北海道にいなかったんですよ。その当時の北海道は、圧倒的にジャイアンツファンが多かったですね」
ご本人も地域の野球チームに入るほど野球が好きだったようだ。
野球のどこがいいんですか、と聞くと「だって、歴史があるじゃないですか。プロスポーツとして一番国民に馴染んでいるんじゃないですかね」と副会長さんは答えた。
見解の相違ですね。
確かにプロスポーツとしての歴史は長いかもしれないが、今は衰退しているように思えますが。
「いやいや、いまだに娯楽の王様ですよ」
言い争うつもりはないので、そうしておきましょうか。
「Mさんは、東京生まれ東京育ちなのに、なんでジャイアンツが嫌いなんですか?」と、目の奥に鋭い炎を宿して聞いてきた。
子どもの頃、まわりが、自分の意思を持たない付和雷同型のジャイアンツファンばかりだったからです。
他のチームと比べてメディアの露出度が違いすぎる。
1球団だけが、ほかのチームを差し置いて露骨に優遇されている。
ジャイアンツファンは、それを疑問に感じることなく、ただテレビや新聞の紙面をジャイアンツが占拠しているということだけで、好きになっているような気がしたんですよ。
これは、どこのチームのファンにも言えますが、大抵は洗脳されています。
でもその洗脳の度合いが、ジャイアンツファンは強いような気がする。
球団がどんなに不祥事を起こしても、彼らは盲目的に球団を信じて従属している。
つまり、ジャイアンツ教の信者なんですね。
・・・・・とまで言ったところで、普段は温厚な副会長さんの顔色が変わったので、私は話題をすこし変えた。
それに、プロ野球で我慢できないのは、「評論家」と言われる人たちの質の低さです。
結果論ばかり、精神論ばかり、ボキャブラリー不足、滑舌が悪い、表現力が平均以下、一般常識不足、理論不足などなど。
私の記憶にある30年近く前の野球評論家の皆さんは、現役時代の栄光にアグラをかいている人たちばかりに思えた。
「たとえば?」
金田正一、張本勲、江本孟紀、江川卓、掛布雅之、堀内恒夫、中畑清、山本浩二、東尾修、野村克也氏。
「いや、野村さんは、かなりの理論派ではないですかね。誰もがそう思っているはずですよ」
野球にインポータント・データを持ち込んだことを言っているのなら、まったく的外れですね。
データ野球は、彼が言うよりも前にメジャーリーグで、かなり前から取り入れられています。
目新しいものではありません。
それに、評論とは関係ない部分で私は野村氏を認めないんです。
彼は、プロのレベルに到達していない、ご子息を自分のチームに入れるという公私混同をしました。
それだけで、理論的な頭脳の持ち主でないことがわかります。
実力があるのならいいですが、ない場合は、プロの世界に「歪んだ世襲制」を持ち込んだだけになる。
それは尊敬できませんね。
私が、そう言うと、副会長さんは、「え? そんなことがあったんですか?」と目を丸くして驚いた。
言い方は悪いが、アホなジャイアンツファンの典型である。
ジャイアンツのことにしか興味がない。
知識がない。
だから、他チームのことを知らない。
他のチームのことは、ジャイアンツに隷属する「おまけ」くらいにしか思っていない。
彼らを見ていると、盲目的であることは、幸福なことのように思える。
今年も、思いっきり「ジャイアンツ教」を極めてください、と私は、失礼にも人生の先輩である副会長さんに向かってトゲのある言葉を吐いた。
すると、副会長さんが、異次元の生物を見るような目で、物騒なことを言った。
「よく言うじゃないですか。アンチジャイアンツは実はジャイアンツファンだって。でも、Mさんを見てると悪意と偏見しか感じませんねえ。そういう人は、尋問してもなかなか落ちない厄介な人なんですよね。完全に理論武装しているから、違う弱みを掴まないと落とせません。僕のこれからの楽しみは、Mさんの弱みを掴むことだな」
空気がやや険悪になったと反省した私は、このまま後味の悪いまま別れるのは気が引けたので、最後に当たり障りの無いプロ野球ネタを披露することにした。
私は基本的に、プロ野球中継は見ないのだが、むかし大阪出身の友人で「近鉄バッファローズ」が好きな男がいた。
かなり大昔に、彼のアパートで、すき焼きを食わせてもらったときのことだった。
NHKテレビで、バッファローズ対ホークス(大阪球場)の試合を中継していたのである。
30年近く前は、今とは違って、プロ野球中継はジャイアンツが占めていたから、他チームの試合、ましてやパシフィック・リーグの試合は、NHKしか放映がなかった。
だから、それは貴重な野球中継だと言えた。
その試合でバッファローズのピッチャーは、鈴木啓示氏だった。
彼が大投手だということは知っていた。
そして、その試合の解説をしたのが、川上哲治氏だった。
「打撃の神様」と言われていたような記憶がある。
全盛期のスズキイチロー氏も言わなかった「球が止まって見える」と豪語した達人だ。
その川上氏が、鈴木氏を評して、「彼は親孝行な男ですからね。それがピッチングに現れていますよ」と言った。
ピッチングに「親孝行が現れる」というのは、素人の私には意味不明だったが、大打者の川上氏が言うのだから、大きな意味があったのだろう。
川上氏は、いいピッチングをする鈴木氏をその後も「親孝行が彼を支えているんですね」と評した。
鈴木氏は、親孝行だから大投手になった。
あり得ることだ、と私は素直に思った。
(私は親不孝だったから、いい年をしてオンボロアパート暮らしだ)
そして、今度は、打席に相手チームの4番バッター門田博光氏が立った。
川上氏は、門田氏に対しても、「彼は本当に親孝行な選手でね。親への思いがバットに乗り移ったように感じるんですよ」というようなニュアンスのことを言った。
門田博光氏も、大打者だった。
だから、それもあり得る、と私は思った。
アナウンサーも、「そうですね。一流選手は、王貞治さんもそうでしたが、みんな親孝行ですものね。それは、わかります」などといって同調した。
アナウンサーの言葉にも、「親孝行」という表現が混じるようになった。
試合は、1対1で中盤までいったと思う。
試合が急展開したのは、親孝行の門田氏の3度目の打席の時だった。
門田氏が同じく親孝行の鈴木氏の初球のストレートを打った。
打球は、ライトスタンドを軽々と超えて、ホークスが勝ち越した。
門田氏が悠々とダイアモンドを回る姿と悔しがる鈴木氏の姿がテレビに映し出されたが、川上氏もアナウンサーも、その間ひとことも声を発しなかった。
「門田くんは親孝行だから、ここでホームランが打てたんですよ」「そうですよね」「鈴木投手も親孝行だけど、今回は門田くんの親孝行が勝ちましたね」「そうですね」という川上氏とアナウンサーの言葉を期待したが、二人とも次の打者が打席に立つまで無言だった。
そのとき私は、なぜだろう、と思った。
親孝行の門田氏が、同じく親孝行の鈴木氏の球をホームランしたのは、いけないことだったのだろうか。
そのときの2分近い川上氏の沈黙は何だったんだろう、という疑問は解けないまま、試合はホークスが勝って終わった。
あの沈黙は、いまも謎のままだ。
そんな話を自治会の副会長さんにした。
それは、私にとっては、かなりほのぼのとした話題だったが、副会長さんは、まったく興味を示さなかった。
そればかりか、「その話、何が面白いんですか」とまで言われた。
凹んだ私は、念のため、聞いてみた。
鈴木投手と門田選手のことは、知っていますか?
「知りませんよ」
一刀両断とは、このことである。
プロ野球に詳しくない私でさえ知っている大投手、大打者を「ジャイアンツ教の信者」の副会長さんはご存知ない。
ジャイアンツは、こんな「ジャイアンツ教」の皆さまに支えられているのだと、改めて思った。
盲目的な「ジャイアンツ教」の皆さま、今年も教祖様のために、祈って拝んで、悔いのない一年をお過ごし下さいますように。
年は、68歳だとご本人が言っていたと思う。
北海道生まれ北海道育ちの元刑事。
定年を迎えた後、息子のいる東京へ越してきて、警備会社に勤めた。
そして、今はその警備会社の非常勤をやりながら、地域の民生委員もやっておられるようだ。
元刑事とは思えないほど物腰は柔らかいが、時折見せる敏捷な身のこなしは柔道三段、剣道三段がダテではない証しだろう。
見ているだけで頼もしさを感じさせる人だ。
ただ、一つだけ気に食わないのは、筋金入りのジャイアンツファンだというところだ。
北海道なのに、ジャイアンツファン?
日本ハムではなく?
「僕が住んでいた頃は、まだ日ハムは北海道にいなかったんですよ。その当時の北海道は、圧倒的にジャイアンツファンが多かったですね」
ご本人も地域の野球チームに入るほど野球が好きだったようだ。
野球のどこがいいんですか、と聞くと「だって、歴史があるじゃないですか。プロスポーツとして一番国民に馴染んでいるんじゃないですかね」と副会長さんは答えた。
見解の相違ですね。
確かにプロスポーツとしての歴史は長いかもしれないが、今は衰退しているように思えますが。
「いやいや、いまだに娯楽の王様ですよ」
言い争うつもりはないので、そうしておきましょうか。
「Mさんは、東京生まれ東京育ちなのに、なんでジャイアンツが嫌いなんですか?」と、目の奥に鋭い炎を宿して聞いてきた。
子どもの頃、まわりが、自分の意思を持たない付和雷同型のジャイアンツファンばかりだったからです。
他のチームと比べてメディアの露出度が違いすぎる。
1球団だけが、ほかのチームを差し置いて露骨に優遇されている。
ジャイアンツファンは、それを疑問に感じることなく、ただテレビや新聞の紙面をジャイアンツが占拠しているということだけで、好きになっているような気がしたんですよ。
これは、どこのチームのファンにも言えますが、大抵は洗脳されています。
でもその洗脳の度合いが、ジャイアンツファンは強いような気がする。
球団がどんなに不祥事を起こしても、彼らは盲目的に球団を信じて従属している。
つまり、ジャイアンツ教の信者なんですね。
・・・・・とまで言ったところで、普段は温厚な副会長さんの顔色が変わったので、私は話題をすこし変えた。
それに、プロ野球で我慢できないのは、「評論家」と言われる人たちの質の低さです。
結果論ばかり、精神論ばかり、ボキャブラリー不足、滑舌が悪い、表現力が平均以下、一般常識不足、理論不足などなど。
私の記憶にある30年近く前の野球評論家の皆さんは、現役時代の栄光にアグラをかいている人たちばかりに思えた。
「たとえば?」
金田正一、張本勲、江本孟紀、江川卓、掛布雅之、堀内恒夫、中畑清、山本浩二、東尾修、野村克也氏。
「いや、野村さんは、かなりの理論派ではないですかね。誰もがそう思っているはずですよ」
野球にインポータント・データを持ち込んだことを言っているのなら、まったく的外れですね。
データ野球は、彼が言うよりも前にメジャーリーグで、かなり前から取り入れられています。
目新しいものではありません。
それに、評論とは関係ない部分で私は野村氏を認めないんです。
彼は、プロのレベルに到達していない、ご子息を自分のチームに入れるという公私混同をしました。
それだけで、理論的な頭脳の持ち主でないことがわかります。
実力があるのならいいですが、ない場合は、プロの世界に「歪んだ世襲制」を持ち込んだだけになる。
それは尊敬できませんね。
私が、そう言うと、副会長さんは、「え? そんなことがあったんですか?」と目を丸くして驚いた。
言い方は悪いが、アホなジャイアンツファンの典型である。
ジャイアンツのことにしか興味がない。
知識がない。
だから、他チームのことを知らない。
他のチームのことは、ジャイアンツに隷属する「おまけ」くらいにしか思っていない。
彼らを見ていると、盲目的であることは、幸福なことのように思える。
今年も、思いっきり「ジャイアンツ教」を極めてください、と私は、失礼にも人生の先輩である副会長さんに向かってトゲのある言葉を吐いた。
すると、副会長さんが、異次元の生物を見るような目で、物騒なことを言った。
「よく言うじゃないですか。アンチジャイアンツは実はジャイアンツファンだって。でも、Mさんを見てると悪意と偏見しか感じませんねえ。そういう人は、尋問してもなかなか落ちない厄介な人なんですよね。完全に理論武装しているから、違う弱みを掴まないと落とせません。僕のこれからの楽しみは、Mさんの弱みを掴むことだな」
空気がやや険悪になったと反省した私は、このまま後味の悪いまま別れるのは気が引けたので、最後に当たり障りの無いプロ野球ネタを披露することにした。
私は基本的に、プロ野球中継は見ないのだが、むかし大阪出身の友人で「近鉄バッファローズ」が好きな男がいた。
かなり大昔に、彼のアパートで、すき焼きを食わせてもらったときのことだった。
NHKテレビで、バッファローズ対ホークス(大阪球場)の試合を中継していたのである。
30年近く前は、今とは違って、プロ野球中継はジャイアンツが占めていたから、他チームの試合、ましてやパシフィック・リーグの試合は、NHKしか放映がなかった。
だから、それは貴重な野球中継だと言えた。
その試合でバッファローズのピッチャーは、鈴木啓示氏だった。
彼が大投手だということは知っていた。
そして、その試合の解説をしたのが、川上哲治氏だった。
「打撃の神様」と言われていたような記憶がある。
全盛期のスズキイチロー氏も言わなかった「球が止まって見える」と豪語した達人だ。
その川上氏が、鈴木氏を評して、「彼は親孝行な男ですからね。それがピッチングに現れていますよ」と言った。
ピッチングに「親孝行が現れる」というのは、素人の私には意味不明だったが、大打者の川上氏が言うのだから、大きな意味があったのだろう。
川上氏は、いいピッチングをする鈴木氏をその後も「親孝行が彼を支えているんですね」と評した。
鈴木氏は、親孝行だから大投手になった。
あり得ることだ、と私は素直に思った。
(私は親不孝だったから、いい年をしてオンボロアパート暮らしだ)
そして、今度は、打席に相手チームの4番バッター門田博光氏が立った。
川上氏は、門田氏に対しても、「彼は本当に親孝行な選手でね。親への思いがバットに乗り移ったように感じるんですよ」というようなニュアンスのことを言った。
門田博光氏も、大打者だった。
だから、それもあり得る、と私は思った。
アナウンサーも、「そうですね。一流選手は、王貞治さんもそうでしたが、みんな親孝行ですものね。それは、わかります」などといって同調した。
アナウンサーの言葉にも、「親孝行」という表現が混じるようになった。
試合は、1対1で中盤までいったと思う。
試合が急展開したのは、親孝行の門田氏の3度目の打席の時だった。
門田氏が同じく親孝行の鈴木氏の初球のストレートを打った。
打球は、ライトスタンドを軽々と超えて、ホークスが勝ち越した。
門田氏が悠々とダイアモンドを回る姿と悔しがる鈴木氏の姿がテレビに映し出されたが、川上氏もアナウンサーも、その間ひとことも声を発しなかった。
「門田くんは親孝行だから、ここでホームランが打てたんですよ」「そうですよね」「鈴木投手も親孝行だけど、今回は門田くんの親孝行が勝ちましたね」「そうですね」という川上氏とアナウンサーの言葉を期待したが、二人とも次の打者が打席に立つまで無言だった。
そのとき私は、なぜだろう、と思った。
親孝行の門田氏が、同じく親孝行の鈴木氏の球をホームランしたのは、いけないことだったのだろうか。
そのときの2分近い川上氏の沈黙は何だったんだろう、という疑問は解けないまま、試合はホークスが勝って終わった。
あの沈黙は、いまも謎のままだ。
そんな話を自治会の副会長さんにした。
それは、私にとっては、かなりほのぼのとした話題だったが、副会長さんは、まったく興味を示さなかった。
そればかりか、「その話、何が面白いんですか」とまで言われた。
凹んだ私は、念のため、聞いてみた。
鈴木投手と門田選手のことは、知っていますか?
「知りませんよ」
一刀両断とは、このことである。
プロ野球に詳しくない私でさえ知っている大投手、大打者を「ジャイアンツ教の信者」の副会長さんはご存知ない。
ジャイアンツは、こんな「ジャイアンツ教」の皆さまに支えられているのだと、改めて思った。
盲目的な「ジャイアンツ教」の皆さま、今年も教祖様のために、祈って拝んで、悔いのない一年をお過ごし下さいますように。