九州が大変なことになっている。
おそらく、これほどの大地震が発生するとは、専門家も含めて誰も想像していなかっただろう。
日本に住んでいる限り、どこでも大きな地震は起きる。
だから、人ごとではない。
その場所が今回は九州だった。
しかし、次は・・・と思うと、地震の怖さが心の中で肥大化してくる。
「昨日までの日常」が突然なくなる現実は、想像するだけで怖くなる。
今の専門家は、地震の予知や予測をする能力を持っていない。
後付けでメカニズムを推測することはできるが、彼らの理論が正しいという保証は、残念ながらない。
まず大事なのは、大地震が起きたあとに、行政がどれほど効果的な策を打てるかだろう。
ただ、現場で救助にあたっている方々に、行政がどれほど的確なサポートをしたとしても、大きな余震が長く続いたり、大雨が降ったりしたら、救助隊は疲弊して無力感に襲われるかもしれない。
しかし、現実問題として、現状を救えるのは、前線で救助に当たる人であることは間違いない。
私たちは、彼らの邪魔にならないように、そして、彼らを尊敬する気持ちを持ち続けながら見守ることしかできない。
地震大国日本は、過去に数多くの大地震に翻弄されてきたが、それを乗り越えることができたのは、心身を削って救助する多くの方々と被災者された方たちの強い心があったからだと思う。
精神論だけで、大地震は撃退できないが、結局は「人を救うのは人である」と私は思っている。
けが人を救うのも「人」。
避難された方々の心労を少しでも和らげるのも「人」。
被災地を復旧させるのも「人」。
被災者に平穏な日常を取り戻させるのも「人」。
大きな自然災害に対して、人間は無力だが、そのときは無力だったとしても、先人たちは、それを乗り越えて「美しい国」を作ってきた。
その「美しい国」を守るために、私たち一人ひとりのできることには限りがあるが、先人たちがしてきたことを真似ていけば・・・・・とここまで書いてきて、現に被災された方々にとって、こんなものは無責任すぎる意見だということに、遅ればせながら気づいた。
これからも余震が続き、もしかしたら大雨の被害にも遭うかもしれない事態を前にして、綺麗事を綴っても意味はない。
だから、「頑張ってください」とは言いません。
ただ、立ち上がる気力だけは、少し残しておいてください。
まずは、自分が大事。
そして、少し余裕ができたら、他人を思いやる。
そして、最後に気力を奮い立たせる。
私は「人の気力」を信じています。
おそらく、これほどの大地震が発生するとは、専門家も含めて誰も想像していなかっただろう。
日本に住んでいる限り、どこでも大きな地震は起きる。
だから、人ごとではない。
その場所が今回は九州だった。
しかし、次は・・・と思うと、地震の怖さが心の中で肥大化してくる。
「昨日までの日常」が突然なくなる現実は、想像するだけで怖くなる。
今の専門家は、地震の予知や予測をする能力を持っていない。
後付けでメカニズムを推測することはできるが、彼らの理論が正しいという保証は、残念ながらない。
まず大事なのは、大地震が起きたあとに、行政がどれほど効果的な策を打てるかだろう。
ただ、現場で救助にあたっている方々に、行政がどれほど的確なサポートをしたとしても、大きな余震が長く続いたり、大雨が降ったりしたら、救助隊は疲弊して無力感に襲われるかもしれない。
しかし、現実問題として、現状を救えるのは、前線で救助に当たる人であることは間違いない。
私たちは、彼らの邪魔にならないように、そして、彼らを尊敬する気持ちを持ち続けながら見守ることしかできない。
地震大国日本は、過去に数多くの大地震に翻弄されてきたが、それを乗り越えることができたのは、心身を削って救助する多くの方々と被災者された方たちの強い心があったからだと思う。
精神論だけで、大地震は撃退できないが、結局は「人を救うのは人である」と私は思っている。
けが人を救うのも「人」。
避難された方々の心労を少しでも和らげるのも「人」。
被災地を復旧させるのも「人」。
被災者に平穏な日常を取り戻させるのも「人」。
大きな自然災害に対して、人間は無力だが、そのときは無力だったとしても、先人たちは、それを乗り越えて「美しい国」を作ってきた。
その「美しい国」を守るために、私たち一人ひとりのできることには限りがあるが、先人たちがしてきたことを真似ていけば・・・・・とここまで書いてきて、現に被災された方々にとって、こんなものは無責任すぎる意見だということに、遅ればせながら気づいた。
これからも余震が続き、もしかしたら大雨の被害にも遭うかもしれない事態を前にして、綺麗事を綴っても意味はない。
だから、「頑張ってください」とは言いません。
ただ、立ち上がる気力だけは、少し残しておいてください。
まずは、自分が大事。
そして、少し余裕ができたら、他人を思いやる。
そして、最後に気力を奮い立たせる。
私は「人の気力」を信じています。