渋谷行きの井の頭線に乗っていたときのことだ。
デカい声の言い争いが耳に届いた。
騒音の方を見ると、外人4人のうち2人が、顔を真っ赤にして怒鳴りあっていた。
あまりご存じないかもしれないが、アメリカのメジャーリーグでは、監督が審判に抗議するとき、腹を突き出してアピールする場面がある。
あれは、俺は腹は出しているが、手は出していないぞ。だから、これは暴力ではない、と言いたいのだと思う。
車内で怒鳴っている二人が、まさしくそれだった。
二人とも手は出さないが、腹で相手を押すようにしながら、罵り合っていた。
おそらく、ラテン語だ。
私は、残念にも、昨日まではラテン語を理解できたが、朝起きたら突然理解できなくなったので、何言ってるか、チョットわからない。
理解できないにしても、相当にうるさいのはわかる。
まわりの乗客も眉をひそめていた。
迷惑だ。
そんなとき、優先席にいた70歳過ぎのご老人が、立ち上がるのが見えた。
そして、大音量の「だまらっしゃーい!」。
車内いっぱいに響くほどの「だまらっしゃい」だった。
外人たちの怒鳴り声がやんだ。
ご老人は、そのあと、外人たちにゆっくりと近づいていった。
今度は、一転して穏やかな笑顔だった。
「あんたたち。マナーを知らんのかな。
見てごらん。日本人は皆大人しく乗っているだろ。
どこから来たのか知らないが、喧嘩なんかして、人様に迷惑をかけるより、日本を楽しむことを考えなさいよ。
神宮外苑前の紅葉でも見て、心を落ち着かせたら、どうだい」
一人一人の顔を見上げながら、ご老人は、語りかけていた。
外人さんたちには、何を言っているかわからなかったろうが、雰囲気は伝わったようだ。
4人のうちのひとりが、「ゴメンナサイ、ボス」と頭を軽く下げたのである。
他の3人もつられて、頭を下げた。
ご老人は、頷きながら優先席に帰っていった。
車内が、静かになった。
意味がわからなくとも、思いを込めれば伝わるのが言葉だ。
口から出た言霊は、邪念がなければ、相手の心に必ず届く。
それを実感した出来事だった。
ここからは、バカ親の話。
韓国留学中の娘から、手紙が来た。
内容は簡単なものだった。
父ちゃんへ。
ボクは、元気にやっているぞ。
でも、安心するなよ。
娘のことをもっともっと心配して、やせ細るくらい心配しろ。
(前から、やせ細ってたか)
12月3日から10日間の学期間休みに入る。
だから、帰国するぞ。
ハンバーグが食べたい。
カレーライス、餃子、豚しゃぶ、ほうとう、お好み焼き、もんじゃ焼き、トンカツが食べたい。
父ちゃんの作る料理を楽しみにしているなりー。
娘から「父ちゃん」と言われたことはない。
二人のときは「おまえ」、まわりに人がいるときは「パピー」だ。
手紙では「父ちゃん」のほうが伝えやすかったのかもしれない。
ほぼ毎日Skypeのビデオ電話で話をしているから、リアルタイムで近況は把握している。
しかし、文字になると、こころ沸き立つものがある。
目から脳に、直接文字の形が入ってくるからかもしれない。
特に「父ちゃん」がいい。
さらに距離が縮まった感じがする。
読みながら、文字は生きているんだな、と思った。
娘からの手紙は、同封されていた2枚の写真とともにラミネート加工をし、額にいれて飾ってある。
その「父ちゃんへ」の文字を見るたびに、毎回泣いているガイコツであった。
父ちゃんも、娘の一時帰国を楽しみにしているなりー。
デカい声の言い争いが耳に届いた。
騒音の方を見ると、外人4人のうち2人が、顔を真っ赤にして怒鳴りあっていた。
あまりご存じないかもしれないが、アメリカのメジャーリーグでは、監督が審判に抗議するとき、腹を突き出してアピールする場面がある。
あれは、俺は腹は出しているが、手は出していないぞ。だから、これは暴力ではない、と言いたいのだと思う。
車内で怒鳴っている二人が、まさしくそれだった。
二人とも手は出さないが、腹で相手を押すようにしながら、罵り合っていた。
おそらく、ラテン語だ。
私は、残念にも、昨日まではラテン語を理解できたが、朝起きたら突然理解できなくなったので、何言ってるか、チョットわからない。
理解できないにしても、相当にうるさいのはわかる。
まわりの乗客も眉をひそめていた。
迷惑だ。
そんなとき、優先席にいた70歳過ぎのご老人が、立ち上がるのが見えた。
そして、大音量の「だまらっしゃーい!」。
車内いっぱいに響くほどの「だまらっしゃい」だった。
外人たちの怒鳴り声がやんだ。
ご老人は、そのあと、外人たちにゆっくりと近づいていった。
今度は、一転して穏やかな笑顔だった。
「あんたたち。マナーを知らんのかな。
見てごらん。日本人は皆大人しく乗っているだろ。
どこから来たのか知らないが、喧嘩なんかして、人様に迷惑をかけるより、日本を楽しむことを考えなさいよ。
神宮外苑前の紅葉でも見て、心を落ち着かせたら、どうだい」
一人一人の顔を見上げながら、ご老人は、語りかけていた。
外人さんたちには、何を言っているかわからなかったろうが、雰囲気は伝わったようだ。
4人のうちのひとりが、「ゴメンナサイ、ボス」と頭を軽く下げたのである。
他の3人もつられて、頭を下げた。
ご老人は、頷きながら優先席に帰っていった。
車内が、静かになった。
意味がわからなくとも、思いを込めれば伝わるのが言葉だ。
口から出た言霊は、邪念がなければ、相手の心に必ず届く。
それを実感した出来事だった。
ここからは、バカ親の話。
韓国留学中の娘から、手紙が来た。
内容は簡単なものだった。
父ちゃんへ。
ボクは、元気にやっているぞ。
でも、安心するなよ。
娘のことをもっともっと心配して、やせ細るくらい心配しろ。
(前から、やせ細ってたか)
12月3日から10日間の学期間休みに入る。
だから、帰国するぞ。
ハンバーグが食べたい。
カレーライス、餃子、豚しゃぶ、ほうとう、お好み焼き、もんじゃ焼き、トンカツが食べたい。
父ちゃんの作る料理を楽しみにしているなりー。
娘から「父ちゃん」と言われたことはない。
二人のときは「おまえ」、まわりに人がいるときは「パピー」だ。
手紙では「父ちゃん」のほうが伝えやすかったのかもしれない。
ほぼ毎日Skypeのビデオ電話で話をしているから、リアルタイムで近況は把握している。
しかし、文字になると、こころ沸き立つものがある。
目から脳に、直接文字の形が入ってくるからかもしれない。
特に「父ちゃん」がいい。
さらに距離が縮まった感じがする。
読みながら、文字は生きているんだな、と思った。
娘からの手紙は、同封されていた2枚の写真とともにラミネート加工をし、額にいれて飾ってある。
その「父ちゃんへ」の文字を見るたびに、毎回泣いているガイコツであった。
父ちゃんも、娘の一時帰国を楽しみにしているなりー。