武蔵野から国立に越してくるにあたって、ずっと気にかかっていたのが93歳の母のことだった。
母は、86歳まで川崎で一人暮らしをしていた。
6年前に引きこもりの娘が死に、夫は老人ホームに入っていた(5年前に死んだ)。
母は、医師の判断では認知症の境界線と言われたが、歩みは遅いが歩けるし、トイレも一人で行けた。買い物も行けた。帰り道を間違えることはなかった。
風呂だけは、一週間に二回サポートセンターに頼んだ。入浴中の事故が怖かったからだ。
マンションの部屋に、2台のウエッブカメラを取り付け、動向を見られるようにした。
偶然にも同じマンションに地域包括センターの女性がいたので、たまに様子を見てもらうようにした。
地域の民生委員さんにもお願いした。
電話は、固定電話に私の携帯電話とかかりつけの医師、包括センターの女性、民生委員さんを記憶させ、一発でかけられるようにした。
半年間、トラブルはなかった。
だが私は、突然マンションの自治会長に川崎まで呼び出されたのだ。
自治会長は女性で、公認会計士をしていた。
市議選にも出たことがあるらしい(落選)。
自治会長に、いきなり言われた。
「86歳の高齢者に一人暮らしをさせるなんて犯罪ですよ! あなたは、母親を棄てたんですか!」
自治会長は、50歳くらいの背の低いメガネをかけた人だった。
公認会計士というのは、自分より年上の男を呼びつけて罵倒する権利を持った生き物なのか。
「うるせえ、ババア!」と言ってやりたがったが、相手の下品に下品で返すのはみっともないと思ったので、無言で帰った。
あとで包括センターの人に聞いたら、自治会長自身も山梨の実家に80歳近い母親を一人暮らしさせているという。
人間というのは、自分を棚に上げる生き物である。
みんなが、そんな棚をいくつも持っていて、都合の悪いものを奉っている。
私も50個くらいは、持っているかもしれない。
その2週間後に、長年の友人の尾崎から電話があった。
「なあ、俺は、母ちゃん先生が心配なんだよ」(尾崎は私の母のことを『母ちゃん先生』と呼んでいた。今は『母さん』だ)
「しっかりしているとは言っても、高齢であることは間違いねえ。おまえが引き取るのは無理だってことは俺だって知っている。だが、近くに住んでもらうことはできないだろうか」
近くにか?
「俺の昔のダチが、立川で不動産屋をやっていてな。だいぶ前から頼んでおいたんだよ。そうしたら、昨日電話があってな、お前が住む武蔵野のアパートから500メートルくらいのところのバリアフリーのワンルームに空きが出たらしい」
「勝手にやって悪かったが、俺は母ちゃん先生に、おまえのそばに引っ越してきてもらいたいんだ。怒ったか?」
私は、お節介なババアの言うことは聞かないが、尾崎の言うことなら聞く。
お願いする、と答えた。
「引っ越しは、すべて俺が手配する。おまえは、事務的な手続きだけをやってくれればいい」
友とは、ありがたいものだ。
母は、尾崎のおかげで、何の苦労もなく、川崎から武蔵野に越してくることができた。
かかりつけの医師も紹介された。ウェッブカメラも今まで通りだ。武蔵野の包括センターや民生委員さんともコンタクトを取った。
母の武蔵野での一人暮らしが始まった。
尾崎は、母が川崎の前に住んでいた中目黒でも、2か月に1回程度は、母の様子を見がてら、話し相手になってくれた。
尾崎が25歳のとき、私は危険な匂いを振りまく尾崎を母に紹介した。
教育者だった母は、尾崎の本質を見抜き、教え子に接するように尾崎を包み込んだ。
尾崎は、そのときから母に心酔し、心を許した。
そして、今年、我が家族は武蔵野から国立へ。
半年前からインターネットで、母に合う国立の物件を探してみたが、いいものが見つからなかった。
そんなとき、正月開けに、尾崎がオンボロアパートにやってきた。
「俺のダチが、国立にいい物件を探してくれたぜ。おまえが住もうとしているところから400メートルの距離だ。どうだ、今回もやらせてくれるかい?」
断る理由がなかった。
尾崎に頼った。頼り切った。
尾崎のおかげで、母は、今年の3月1日から国立で一人暮らしを始めた。
朝ご飯は、6時前に、私が自家製の弁当を母に届けた。
昼ご飯は、ヘルパーさんだ。
晩ご飯は、私が作って冷凍した総菜をヨメが母のところまで運び、解凍して食べてもらった。
そして、尾崎は、やはり2か月に1回程度来て、母の話し相手になってくれた。
母が言う。
「龍一くんは、私の次男君だものね」(尾崎は、私より2歳下だ)
母に、そう言われたときの尾崎は、いつもの苦笑いではなく、はにかんだ笑顔を見せた。
ときどき、母のために車椅子が乗せられるように改造した車で、尾崎は母をドライブに誘った。
「最低、百歳までは」と尾崎が言う。
その尾崎の言葉を聞くたびに、私は心で泣く。
私は、尾崎がいなかったら、親孝行もできないクズだ。
何の役にも立っていない。
そんな私の思いを見透かしたのか、尾崎が言った。
「おまえ、自分がダメな人間だ、と思ってるんじゃないだろうな。俺は、長男のおまえがいるから、母さんの次男にさせてもらっているんだ。つまり、感謝するのは、俺の方だ。勘違いするな」
私は「今度飲もうぜ」と言って、電話を切った。
心は泣きっぱなしだった。
もうすぐ尾崎の誕生日が来る。
長い付き合いの中で、誕生日プレゼントのやり取りをしたことは一度もないが、今年は何か贈ろうと思っている(お互いの子どもが生まれたときは、プレゼントをした)。
メッセージカードに「弟へ」と書いたら、尾崎はどんな顔をするだろうか。
照れた苦笑いで応えてくれたらいいのだが・・・。