遅ればせながら、あけましておめでとうございます。
年末年始は仕事。
1月3日まで慌ただしい日々を過ごした。
そして、4日の昼。長年の友人の尾崎から昼過ぎに電話があった。
「お嬢さんを連れて、バーまで来ないか」
尾崎が経営する中野のスタンドバーに娘と行ってきた。
午後4時にバーに到着した。
尾崎が一人で待っていた。
店は12月31日まで営業していて、年始は5日からだという。例年は4日からの営業だが、今年は5日。
バーをまかせているのは、尾崎の妻・恵実の弟だ。つまり、尾崎にとっては義弟。
義弟に昨年子どもが産まれたので、一日家族サービスの時間を多く与えたらしい。
普段は尾崎がカウンターに立つことはない。しかし、この日は立った。
最初に出されたのは、クアーズライトだった。
娘の気に入っているビールだ。
それを飲んでいるとき、尾崎が娘に紙袋を渡した。
「恵実からだ」
今年の春から会社勤めをする娘へのプレゼントだった。
ありがたい。恵実の気配りに感謝した。
娘も感激していた。
私にはまったくわからないのだが、フェリージというメーカーのバッグらしい。
なんじゃ、フェリージって?
何語やねん?
「俺もよくわからねえんだ」と尾崎。
ただ、見た目で、高価なものだということは想像できた。
ありがとうございます、と親子で頭を下げた。
そのあと、3人でカティサークを飲んだ。
飲んでいるとき、尾崎が突然饒舌になった。
尾崎は、高校を1年の1学期で中退し、それから10年近くアンダーグラウンドの世界で生きてきた。
その話をし始めたのだ。
どうしたんだ、尾崎、酔ったのか?
「酔っちゃいないが、今日は俺の両親の命日なんだ。なんか、心のケジメをつけたくなってな」
そのストーリーは、重くて新年の話題に相応しくないので、今回は書かない。いつか、機会があったら、紹介してみようかと思う。
尾崎の話を聞いた娘は、ショックを受けたようだ。
尾崎と娘は、私の父親の葬儀で、初めて顔を合わせた。そのときは、尾崎が放出する空気に圧倒されたようだが、それからのち3度尾崎と会うことによって、完全に免疫ができた。
今では「尾崎のおじさん」と呼ぶくらい親しみを感じている。
「お嬢がいるから」と尾崎が言った。尾崎は、私の娘を「お嬢」と呼んでいた。
「お嬢がいるから話せたんだ。おまえ相手だと照れるからな」
きっと尾崎は、前からそれを聞いてもらいたかったんだと思う。
ただ、私に直接語るには、生々しすぎて気が引けたのだろう。
その気持ちは、わからないでもない。
その尾崎の告白を受けて、今度は娘が「今だから言うけどな」と話し始めた。
「韓国に留学しただろ」(娘は大学三年の後期、半年ほど韓国に留学していた)
「最初の2週間は、大学の寮で晩ご飯を食べながら、毎日泣いていたんだよな」
初めて聞く話だ。
娘とは毎日Skypeのビデオ電話で会話をしていた。
「ホームシックなんて全然ないよ」と娘は言っていた。私は、その言葉を信じていた。いつも明るい笑顔だったからだ。
しかし、パソコンの画面に映らないところで、娘は泣いていた。
その事実は、私にとても大きなショックを与えた。
なぜ気づいてあげられなかったのだろう。
異国の地で、ひとりぼっち。韓国語も英語も完璧ではない。その中で、ひとり暮らすことが、どんなに辛いことか。
「大丈夫だぜ、キムチがあれば、ボクは元気だ!」
その強がりの裏にあるものを理解できなかった俺に、彼女の父親である資格はあるのか。
へこんだ。
そう思っていたら、尾崎が新しいカティサークのストレートを私の前に滑らせながら言った。
「お嬢は、お嬢なりに環境に適応しようとしたんだ。そのための涙だ。その涙が、お嬢を強くしたんだと俺は思う。その強くなる過程を、おまえはビデオ電話で見守ることで、さらにお嬢に力を与えたんだと俺は思っている。それが、父親としての役目だったんだ。おまえは、父親の役目を知らないうちに果たしていたんだよ」
娘もうなずいていた。
心の中に小さなわだかまりはあったが、娘と尾崎の目を見ているうちに、心が徐々にほぐれてきた。
俺は完璧な父親ではない。完璧な人間でもない。
だが、それは、誰もが同じだ。
娘の涙を想像できなかった私は、とんでもないバカ親だが、バカな親でもいないよりはいい。
俺は、このままでいいんだよな、と娘と尾崎に聞いた。
ありがたいことに、二人はうなずいてくれた。
まだ、しばらくは、バカ親父を続けようかと思った新年だった。