SkypeとLINEで、たまに子育ての相談を受けている女性がいた。
名前は知っているが、住んでいるところも年齢も知らない。
怪しい関係だ。
8年前に、埼玉から東京に帰ってきたとき、埼玉で知り合った同業者の皆様方から、「Mさんを励ます会」を定期的にやろうよ、とお節介なことを言われた。
しかも、埼玉からわざわざ吉祥寺まで来てくれるというのだ。
別に励まされなくてもいいんですけどね・・・と失礼なことを思ったが、来てくれるというのを拒むのは大人げないので、適当な居酒屋を捜して、2か月に1回程度、飲み会を開くことが習慣になった。
しかし、それぞれに探りを入れていくと、ただ単に、埼玉の田舎者が吉祥寺に来たいだけだということがわかって、若干白けた。
初めのうちは、店をいつも変えていた。
私は、馴染みの店を作るのが好きではない。常連さんにはなりたくない。味が気に入った店でも、顔を覚えられないように、半年以上の間隔を空けて行くことにしていた。
しかし、飲み会を開くようになってから1年半経ったとき、同業者たちに、「落ち着かないから、店を固定しましょうよ」と言われた。
わざわざ埼玉のど田舎から来てくださる方たちのご意見を無視するわけにはいかないので、わかりやした、と答えた。
「あの2回目に行った居酒屋がいいよね」「そうそう、スタイルがよくてエキゾチックな顔立ちをした威勢のいい女の子が、なんか、いいよね」「愛人にしたいタイプだよね」
スケベ親父か!
あんたらの目は節穴か。あれは、どう見たって元レディースだぞ。背中に入れ墨しているかもしれないぞ。ヤケドするぜ。
「まあ、見るだけだから」「店では暴れないでしょうよ」
そんな経緯があって、店を固定することにした。
こじんまりとした居酒屋だ。30人程度で一杯になる雑然とした居酒屋。その居酒屋を一人の女性が、手際よく仕切っていた。確かにエキゾチックで、キリッとした人だった。
同業者のお気に入りのその女性は、店長代理だということが判明した。
その人は、左の頬に、くっきりとしたエクボがあった。だから、私は、その人のことを「片エクボさん」と呼んだ。
片エクボさんは、私のことを「白髪のだんな」と呼んだ。
その当時、私は体の調子の体調がおかしかった。
ヘモグロビンの数値が5.9まで落ちて、かかりつけの医師から、「いつ脳梗塞や心筋梗塞で死んでもおかしくないですよ」と褒められていた。
週2回の点滴とひと月に1度の輸血を受け、大量の鉄剤を飲んで、やっと生きていた。
しかし、わざわざ埼玉のどどど田舎から吉祥寺まで私を励ましにきてくれる「ハゲ増し軍団」の誘いを断ることはできないから、飲み会には参加した。
ある日の飲み会のとき、片エクボさんが私の耳元で言った。
「白髪のだんな。お酒はやめようよ。栄養のあるものをたくさん食べて、元気を出そう。この店には、ノンアルコールビールは置いてないけど、私が特別に用意をしたから、それを飲んでビールを飲んだ気になって」
元レディースの迫力に押されて、私は、ついうなずいてしまった。片エクボさんは、私の体の調子の体調が悪いことを見抜いていたのだ。
それから、1年半ほど、私はビールの色をしたノンアルコールビールの入ったジョッキを飲まされることになった。
埼玉のどどどど田舎から来ている同業者たちは、私がビールを飲んでいると思ったようだ。
私の体の調子の体調が良くなってから、片エクボさんにこっそり聞いてみた。
なんで、俺のことを気にかけてくれたの?
それに対して、片エクボさんが、元レディースの迫力を隠さずに言った。
「白髪のだんなとあたしは、縁は薄いけど、薄い縁でも縁は縁だよね。具合が悪そうな人を放っておけないよ。それに、あたしは、やせ我慢をする男が好きなんだよね」
そうか、薄い髪でもハゲはハゲって言うもんな、と同業者の頭を見回しながら、私は言った。
後ろから元レディースに、首を絞められた。
ここは、暴力居酒屋か。
それ以来、片エクボさんとは、そんなコントをする仲になった。
結局、飲み会に参加する人たちの中で、片エクボさんと一番仲良くなったのは、私だった。
そんな片エクボさんは、3年前の暮れに、「妊娠が先で入籍があと婚」という人にあるまじきことをして、居酒屋をやめることになった。
やめるとき、「白髪のだんな。Skypeって知ってる?」と聞かれた。
ああ、俺はスキップは世界で2番目に上手いんだ。見せてやろうか。
また首を絞められた。
そのあと、私が、旦那さんのクビは、間違っても締めるなよ、と言いながら片エクボさんの頭をポンポンしたら、片エクボさんに薄い胸にすがりついて泣かれた。
同業者から、嫉妬の目で見られた。
それ以来、妊娠まっただ中、あるいは出産後に、片エクボさんからSkypeのビデオ電話で、相談を受けることがたまにあった。LINEでも相談を受けた。
「忙しい? ねえ、今忙しい? 忙しい?」
元レディースの迫力で言われたら、断ることなどできない。次に会ったとき、絶対にボコボコにされる。だから、平静を装って、全然大丈夫、と毎回震える声で答えた。
今回も震える声で、だいじょうぶだー、と答えた。
「あたしね、また、できた」
何ができた? 逆上がりか?
もちろん、何ができたかは、わかっていたが、私の性格上、一度は茶化さないと話が進まないという愛すべきお茶目さがあるから、一応言ってみた。
しかし、片エクボさんから、「うん、逆上がりができた」という意外な答えが。
うそだろ?
「あたし、勉強とスポーツはぜーんぜんダメだったから、はじめて逆上がりができて、うれしいんだよね」
うそだろ?
「嘘に決まってるでしょうが!」(元レディースの迫力)
ですよね。
2人目か。それは、めでたい。
「24歳で2人目だからね。30までに4人は産みたいよね」
ちょーーーーーっと、待ったぁ!
ということは、6年前に知り合ったとき、君は18歳だったってこと? 18歳で居酒屋の店長代理をしていたのか。
それは、許されることなのか。
片エクボさんが、口元を手で押さえながら、ホホホと笑った。
「だって、わたくし、お酒は飲みませんし、煙草も吸いませんから。それに、22時には帰っておりましたから」
怖いな、怖いな・・・女は怖いなぁ(稲川淳二風に)。
片エクボさんの旦那さんが、すこし可哀想になってきた。