墓参りは物悲しい。
墓参りに行く目的とは。
お世話になった方へ、生前のご厚意に対して、感謝の意を表すこと。いい思い出をたくさんいただいたことに対して、感謝すること。
私は、罰当たりなので、墓参りの頻度はたいへん少ない。
私が一番尊敬する祖母の墓参りさえ4回しか行ったことがない。ただ、これはお墓が島根県出雲市にあるから、物理的に頻繁に足を運べないということもある。
あとは、大学時代の友人の父親で、私が「おやっさん」と呼んで父親のように慕っていた人の墓参りも4回。
しかし、先週墓参りに行った大学時代のおんな友だちの墓参りは、8回も行っているのだ。今年で連続して8回目だ。
最初の1回は、1人で行った。2回目からは、今回も一緒の大学時代の友人の妹の養女と行った。
友人の妹は、墓の中にいた。
東日本大震災のあと、過労による心不全で死んだのだ。被災した仙台支社、石巻倉庫を立て直すために、不眠不休で働いた結果だった。
長谷川の妹の養女と初めて墓参りをしたとき、私は養女の七恵に宣言した。
俺は、罰当たりだから、墓参りで手を合わせることはしないから。
「え? どうしてですか」
当時の七恵は、私に対して、敬語を使っていた。遠慮をしていたのだ。初々しい時代だった。しかし、今は容赦のないタメ語だ。
いつからか、「こいつは敬語を使う価値のない男だ」と気付いてしまったようだ。
俺の尊敬する祖母が言ったんだ。
「人間は、死んだら無になるのだから、無になるものに手を合わせても意味はありません。だから、私が死んでも手を合わせなくてもいいです」
私は、祖母の言いつけを今も守っていた。ただ、いくら私が罰当たりでも人さまの弔いのときは手を合わせた。それくらいの常識は持っていた。
「無になるんですか、人間は死ぬと」
肉体も魂も無になると俺は思っている。
「それって寂しいですよね。じゃあ、母ももう無なんですか」
とは言っても、肉体や魂が無になったとしても、思い出は消えない。たとえば、俺が、君の母さんの墓の前で目を閉じたとしよう。その途端、俺の頭には、君の母さんの大学時代の思い出が、溢れるくらいに甦るんだ。
手を合わせるだけが、供養じゃない。思い出すことも供養だと俺は思っている。
「ねえ、マッチん。今年は何を思い出した?」と目をつぶり、手を合わせたままで、七恵がタメ語全開で聞いてきた。
大学3年のときの東京都の陸上大会、と私は答えた。
1学年下の長谷川の妹は、欠かさず私のレースを見に来ていた。
その大会のとき、ウォーミングアップ中の私に、長谷川の妹が近づいてきて、「マツ、いい記録を期待してるよ」と励ました。
私が「頑張れ」という言い方が嫌いなので、そういう表現をいつも長谷川の妹は使った。
(いつもマックスで頑張っている俺が、何で他人に「頑張れ」と命令されなきゃいけないんだ。言った人からすれば、ただの言いがかりに聞こえるだろうが)。
わかった。ベストをクリアするさー。
すると、長谷川の妹は、突然、私に向かって敬礼をしたのだ。それも、真剣な表情で。
居心地の悪さを心に残しながら、スタートラインに向かって、ゆっくりと駆けながら後ろを振り返ると、長谷川の妹は、まだ敬礼をしていた。まるで戦地に赴く恋人を見送るように。
その日のレースで、私は、中高大学を通じて、東京都の大会で初めて決勝に残った。タイムも自己ベストだった。
それから、次の大会のとき、長谷川の妹に、またあの敬礼をしてくれないか。決勝に残りたいんだ、とお願いした。
しかし、「ダメだよ、そういうのって、マツが一番嫌いなことだろ。あれはマツの実力で残ったんだ。自信を持とうよ」と、長谷川の妹に諭された。
「それで、結果は」と七恵。
かろうじて、決勝に残った。8位だったけどな。
七恵が、呆れるほど青い空を見上げながら言った。
「手を合わせたら、私の目の前にも沢山の思い出が出てきたよ。でも、泣いちゃうから、言わないけどね」
今日は、泣いてもいい日じゃないのか。
「いや、泣かないと決めた日だから」
目に涙はたまっているように見えたが。
そんな七恵に、私は唐突に言った。
ところで、生きている人が、死んだ人に唯一できることって何だかわかるかい。
「唯一?」
忘れないことだ。たまに、思い出すことだ。そうすれば、その人は、いつも我々と一緒にいる。
私がそう言うと、泣きそうになった自分の気持ちを誤魔化すように、七恵が「へへへ」と笑った。
なぜ、笑う。
「だって、マッチん、ずいぶん真面目なんだもん。いつもなら、そろそろ、話にオチがつくはずだなと思って」
完全にバカにしておるな。
では、最後に、こんな大学時代の思い出をもう一つ。
ある日、君のお母さんと大学の学食で昼メシを食ったんだ。君のお母さんは、俺の右隣でサンドイッチを食っていた。俺は、大好物の天丼を食った。そのとき、空いた左の席に、長谷川がきて座ったんだ。長谷川もサンドイッチを持っていた。
あれー、長谷川兄妹に、サンドイッチにされてしまった!
「ちぇっ、やっぱりバカか・・・」絶対零度の目で、七恵に見られた。
7月16日、七恵は仙台に帰った。
そのとき、新幹線の中で、お弁当が食べたいから、作って持ってきて、と命令された。
それは、いつものことだから、七恵の好きな鳥そぼろ弁当を呪いをかけながら、作った(俺をもっと尊敬しろー!)。
16日は、世田谷から国立まで、わざわざ長谷川が迎えにきてくれた。ただ、長谷川の運転ではない。生意気にも運転手さんに運転させてきたのだ。
まあ、運転手さんだから、運転するのが当たり前だとも言えるが。
長谷川は、ベンツの後部座席の端に座っていた。隣に七恵。
私が、乗り込もうとすると、七恵が出てきて、「マッチんは、真ん中に座って」と真ん中を開けてくれた。
座った。
あれー、また、長谷川にサンドイッチにされてしまった!
すると、右から「バカか」の声、左からは「バーカ」。
まさかの「バカ」のサンドイッチ攻撃。