5年ほど前から、ドクターの知り合いがいる。
主治医というわけではない。小金井公園でランニングをしたときに、知り合ったのだ。私がマックスの6割程度の力で走っているときだけ、同じペースで走っている人がいることに気づいた。そして、当然ながら、相手も気づいた。
4、5回目に遭遇したとき、向こうから話しかけてきた。相手が勝手に自己紹介してきたのだ。
「フリーランスの医者をしています」
(私は鞭なので、無知なので知らなかったのだが、日本には一万人以上のフリーランスの石が、医師がいると言う。居間は、今は医師もフリーランスの時代なんですね)。
ドクターの声は、安心感のある低音だった。歳は40前後に見えた。面長で、紳士の雰囲気が身についていた。
したくはなかったが、私も自己紹介をした。フリーランスのデザイナーです。
「ああ、同じフリーランスですか。奇遇ですね」
ちょっと、お待ちください。お医者さんと5流デザイナーを同じ「フリーランス」のくくりでカテゴライズしないでいただきたい。たとえば、「野球をやってます」と言っても、メジャーリーガーと草野球の選手を同じくくりにはしないでしょう。ここは、厳密に分けていただきたい。
「あはは、面白いことをおっしゃる」余裕の笑いである。
それ以来、小金井公園で出くわすと、必ず立ち話をするようになった。
そのあと、ドクターの身の上に、私には全く縁のないメルヘンの世界が展開した。
初めて話をしたとき、ドクターは独身だった。仕事が忙しすぎて、結婚どころではなかった。「ボク、一生、結婚できないかもしれません」と悲観的なことを言うドクターだった。
しかし、その一年後、ドクターは、10歳以上若い女性と結婚したのだ。東京世田谷で花の直売所を20代の若さで経営する人だった。
そして、この女性の父親は都内で輸入バッグの販売店をいくつか持つ人だった。金を持っている人だった。
父親は、一人娘がドクターと結婚するとき、ドクター曰く「えげつない額」の持参金を与えたという。ドクター夫妻は、その金で中央線武蔵境駅前のマンションを購入した。
翌年に子供が生まれると、奥さんの父親は、祝い金として、またも「えげつない額」をプレゼントした。
ビンボー人の私からしたら、それはメルヘン以外の何ものでもない。
だけど、そんなメルヘン、聞きたくないわ。
ドクターとは、年に7、8回小金井公園を走った。
だが、お別れのときがきた。私たち家族が、武蔵野から国立へ逃げ込むことになったからだ。
それは、小金井公園から遠ざかることを意味する。小金井公園で走ることはあったとしても、今までのように頻繁に走ることはできないだろう。
グッバイ、ドクター。
だが、我が家が国立に越してから4ヶ月経った頃、ドクターから電話がかかってきたのだ。
「Mさん、お元気ですか〜。実は、お願いがあるのですが、また、一緒に走りませんか。1人だと、どうしてもペースがつかめません。消化不良です。ボクが車で国立から小金井公園まで送り迎えをします。走ってくれませんか」
断る理由がないので、よいよい、と答えた。
ドクターは、アウディで迎えに来てくれた。
一緒に走った。10キロ。
「ああ、いいなあ、Mさんの安定したペースは、気持ちいいですね。最高のペースメーカーですよ」
ああ、そうですか。
国立に帰る途中で、昼メシを奢ってもらった。焼肉だった。
ドクターに、気になっていたことを聞いてみた。
手術の後で、肉って普通に食べられますか。
「もちろん食べますよ。だって、生きた人間と死んだ肉は違いますから。医師にとって、一番重要なのは、生きているか死んでいるかです。死んでいる肉に、ボクは心を動かされません。それは、ただの食材です」
そういうものですか。
さらに、話は進んで、先月のことだった。小金井公園を走った後で、ドクターが、恐ろしいことを言い出したのだ。
「車の送り迎えが面倒だというわけではありませんが、時間は確実にもったいないですよね。武蔵境から国立まで行って、小金井公園。そして、また国立。さらに、ボクはまた武蔵境に帰るわけです。この時間のロスは無駄です。いっそ、ボクが国立に越した方が効率的ではないですか」
え? え? え?(三度見)
しかし、そう簡単には。
「簡単にはいかないでしょうけど、考察の余地はあると思います。我ながら、いいアイディアだと思いますけどね」
そして、今週の木曜日、またドクターと一緒に小金井公園を走った。走った後で、小金井公園の裏側にある「おふろの王様」で汗を流した。
じつは、前回のときも、ここで裸の付き合いをしたのだ。
ドクターは、ヒョロヒョロのガイコツの体には、まったく興味を示さなかった。患者さんの体にしか興味がないのかもしれない。
ドクターの体はムキムキではないが、贅肉が全くなく、シャープな感じだった。抱かれたいとは思わなかったが・・・。
風呂上がりに、店内のレストランで、メシを奢っていただいた。
そのとき、私は、ざるそばと枝豆、生ビールを頼んだ。
ドクターは、高価な弁当を頼み、生ビールを頼んだ。
え? 生ビール? ドクター、それは、いかんぞよ。だって、あんた、車じゃん。
「いえ、ボクも走って喉が渇いたあとは、やっぱり、ビールが飲みたいんですよ。でも、安心してください(履いてますよ)。今日は、弟を呼んでますので、帰りは、弟が運転します」
その弟さんは、どちらに。
「場所を教えておいたので、あとで、ここの入り口まで来てくれます」
そのあと、ドクターは、心底嬉しそうに、「国立でいいマンションを見つけたんです。中古ですけど、駅前で、作りも良くて広くて、駐車場も2台確保できるようです。妻も気に入っています。子どもが、まだ小さいので、転校という縛りがありません。引っ越しは楽ですよ。だから、そこに決めようと思います。楽になりますよね、ランニングが」と言った。
しかし、武蔵境のマンションは、売れたのですか。
「そっちの方は、気長に」
しかし、しかし、マンションが売れないと、資金の方が・・・というビンボー人のビンボーくさい発想。
「実はですね、私が国立に越したいと義父に言ったら、お義父さんが、マンションの代金、半分出してやろうか、と言ってくれたんです。だから、それに甘えまして」
メルヘンやん。けったくそ悪いやん(下品な表現で申し訳ありません。クソを蹴りたくなったものですから・・・もっと下品?)。
それを聞いて、やけくそで生ビールを3杯飲んでから、おふろの王様を出た。
エントランスの外に、ドクターに雰囲気が似た人が待っていた。ドクターよりも顔のパーツが、それぞれ大きくて、着ているものもオレンジ色のポロシャツ、トロピカルな半ズボンというけったクソ悪いものだった。まるでハリウッド映画から抜け出して来たような無駄にあか抜けた人だった。
型どおりの挨拶のあと、ドクターと並んで、後部座席に腰かけた。
弟さんもお医者さんですか、と聞いた。
「いや、ボクは、学校で用務員をやっています。
ガッコウ、ヨウムイン?
おお、今までのメルヘンに比べたら、なんと庶民的な響き。久しぶりに聞いたぞ、その庶民派のおことば。
「フランスの私立学校の用務員ですけど」とドクターの補足説明。
なんでっか? フランスの学校のヨウムインって。
「文字通り、フランスの学校の用務員ですけど」
それは何を? 日本の用務員さんと同じなんですか。
「雑用もします。あとは、スクールバスの運転ですとか、警備もします。大事なお子さんをガードしなければいけませんので」とドクターの弟。
「弟は、剣道2段、柔道3段なんです」というドクターの補足説明が続いた。
なんか、頭の全体を覆うモヤモヤ感が半端ない。なんで、唐突に用務員なのさ。なんで、フランスなのさ。いったい、フランスの私立学校で用務員をする必要性はあるのか。
日本の東京都品川区西小山あたりで、やってもいいじゃないか。
なんで、フランスなんだ。W杯で勝ったからか。シルビー・バルタンが、まだ頑張っているからか。それとも、異常にエスカルゴが好きだとか。
ああ、でも、「えげつない額」がないだけ、まだ庶民的かな、と私は思い直した。
だーーーが、最後にドクターが166キロの豪速球を投げてきたのである。
「彼の奥さんは、パリで弁護士をしています。もちろん、フランス人です。凄腕らしいですよ」
おい、そっちかーーーーい!
結局、メルヘンじゃないか。
私は、このとき完全に悟った。
ブス猫のウンチの処理を毎日している私には、永遠にメルヘンは舞い降りてこないってことを。