慢性の寝不足が続いていた最近だったが、今週水曜日はグッスリ眠れた。だが、寝たら普通はスッキリするはずなのに、微妙な違和感があった。
その違和感を取り除くために、ランニングをしようと思った。LINEでランニング仲間のフリーランス・ドクターTに都合を聞いた。しかし「午後からオペなんで」と逃げられた。
仕方ない。一人で走ることにしよう。私を振った憎い一橋大学前の並木道を走ることにした。木々の葉は、100パーセント色づいてはいなかったが、紅葉を目に入れたことで、体の違和感が消えた。
水曜日は、2ヶ月ぶりの完全オフだった。今まで忙しくて先延ばしにしていたことを、昼メシの焼きオニギリと豚汁を食ってから決行することにした。
川崎の介護施設に入所している遠い遠い親戚のタカシさんに、原付バイクで会いに行くのだ。
タカシさんは、よく系譜は理解できないが、死んだ母の親戚だった。
今年の2月に、母が死んだことは知らせた。しかし、まだ実際に会っての報告はしていなかった。
タカシさんには、身内が一人もいなかった。母と私が、細いなりにも繋がっていただけだ。
タカシさんは、2年以上前、新潟で一人暮らしをしていたとき、火災に遭い、右足首に火傷を負った。足首は壊死状態だった。家は半焼したという。
一人では生活ができなくなった。だから、介護施設を探して、入ることにした。新潟には彼に適した施設がなかったので、医師の勧めで、新潟からは遠い川崎市高津区の施設に入ることになった。家も畑も全部売って施設に入所した。もう帰るところはない。
介護施設の談話室で、タカシさんに会った。
タカシさんに会うのは、今回で8回目だ。最初に母と一緒に会ったとき、気難しそうな人だな、と思った。口がへの字に曲がっていたから、そう思ったのかもしれない。いま、71歳。痩せ型、猫背で、絶えず貧乏ゆすりをしていた。
苦手なタイプだ。我が家系に、こんなタイプの人がいるとは、思わなかった。付き合うのは嫌だな、と思った。
今回会ったときも、口が曲がっていた。
そのタカシさんが、すぐにこんなことを言った。
「俺、若いとき、中学校の社会科の教師をしていたんだ。意外だろ」
意外だった。タカシさんに一番ふさわしくない職業だと思った。
「学校の教師の中で、生徒に一番嫌われていたんだ」と口を歪めながら自虐的に言った。
他の学校に転任しても、絶えず1番の嫌われ者だったらしい。
失礼だが、わからないこともない。
生徒に絶えず、辛辣なことを言っていたようだ。
たとえば、タナカ、おまえ社会科で二回連続で赤点とったろ。担任の俺に恥をかかせるなよ。それなのに、昼休みに校庭で遊ぶんじゃねえ。さっさと、教室に帰って勉強しろ!
ヤマグチ、セーラー服が皺くちゃじゃねえか、セーラー服は女の顔だ。まわりみんなが、おまえのこと、だらしない女だと思っているぞ、など・・・。
そんなことを、本人だけでなく、みんなの前で言うのだ。なかなか、いい教師だったようだ。
タカシさんは、公立中学校に勤めていた。住居も私の中目黒の実家から、500メートル程度の距離の借家だった。
しかし、偏屈者のサトシさんは、決して我が家には近ずかなかった。我が家には、元教育者の祖母がいたからだ。
普通の人には、とても優しい祖母だったが、教育者には厳しかった。
「教師は、生徒を最優先に考えるものです。誰もが親にとっては、大切なお子さんです。教師は、クラスを支配してはいけません。生徒の個性を見なさい。あなたは我が強すぎます。教師には向きません」
祖母に、そう言われて以来、中目黒の家には近ずかなくなった。
ただ、私の母は、ときどきタカシさんの家に様子を見に行っていた。いつも東急ストアで買った惣菜を5パック携えて。
「君の母さんは、穏やかな人だったね。分け隔てがなく、優しかった。誰をも平等に扱った。俺には絶対にできないことだ。俺は人をみんな敵かゴミだと思っていたからな」
タカシさんは、40歳で教師を辞めた。突然飽きてしまったと言うのだ。
「生徒に嫌われるのにも飽きてしまったし、孤独にも飽きた。目黒での暮らしにも飽きてしまったんだ」
そこで、新潟の実家に帰ることにした。身内も知っている人も誰もいない新潟に。
新潟に帰る日、母が見送りに来た。上野駅の売店で、母は弁当など色々な物を買って、タカシさんに持たそうとした。しかし、あまりにも多すぎて、手に持てなかった。
そこで、母は手に持ったビニールバッグを開けて、買ったものをバッグに入れ、タカシさんに渡した。
「たまには帰ってきてね」と母に言われて見送られた。
「俺は、情に流されない男なんだ。だから、ほとんど泣いたことがない。でも、このときは泣いたな」
座席に座っても、涙が止まらなかった。電車が走り出してからも10分くらいは泣いていたという。
泣いたあと、お腹がすいたので、弁当を食べようと思ってバッグの中を探ったら、封筒を見つけた。
中には、「体に気をつけて」の紙片と一万円札が2枚入っていた。それを見て、また泣いた。
新潟県では、幼稚園の事務員の職を得た。しかし、タカシさんは、そこでも孤独だった。偏屈な彼に近ずく人はいなかった。
そして、新潟の豪雪。雪かきだけでヘトヘトになった。疲れた。
人は心が疲れ、体も疲れると、死にたくなるようだ。
新潟に移り住んで2年が経った42歳のとき、タカシさんは、死のうと決意した。そして、死ぬ前に、私の母の声を聞きたいと思った。
電話をした。
母は、その電話で、全てを悟った。今まで一度も電話をしてきたことがない男が、突然電話をしてきた。母の勘が働いた。
母は、タカシさんが話す前に、こう言った。
「死んでもいいですよ。あなたは、親も奥さんも子どももいない天涯孤独のひと。死んでも誰も悲しまない。だけどね・・・あなたが死んだら、少し私が悲しみます」
それを聞いて、タカシさんは、死ぬのをやめた。
「だって、君の母さんを悲しませたくなかったから」
「だけど、俺は薄情な男だよ。君の母さんが死んだのを聞いても涙が出なかった。少しは悲しかったけどね」
そのあと、沈黙が続いた。
あまりにも沈黙が長かったので、車椅子のタカシさんの顔を覗き込んだ。
タカシさんは、声を出さずに泣いていた。そのあと、体を折るようにして、両手で顔を覆って泣いた。今度は、声を出して泣いた。
談話室の柱時計が4つ鳴ったとき、タカシさんが、顔を覆ったまま掠れた声で言った。
「サトルくん、俺は・・・」
そのあと、いくら待っても、タカシさんから言葉は出てこなかった。
私は、タカシさんの背中をさすりながら、「また来ます」と言って、施設を後にした。
「サトルくん、俺は・・・」
そのあとタカシさんは、何を言おうとしたのだろう。