リスタートのブログ

住宅関連の文章を載せていましたが、メーカーとの付き合いがなくなったのでオヤジのひとり言に内容を変えました。

ミーちゃんと親子丼

2019-01-06 05:02:01 | オヤジの日記

あけまして おめでとうございます

本年も 皆様のご多幸を お祈りいたします

 

新年初めてのブログなのに、最初の話題は昨年末の話。

12月30日の夜、大学時代の2年後輩のカネコから接待を受けた。

嬉々として、我が家族5人、吉祥寺の食い放題の店に乱入した。

カネコだけが待っているかと思ったが、知っている顔がたくさんいた。

カネコの奥さん、カネコの娘のショウコとそのガキ2人、カネコの息子のリョウ、ショウコの夫のマサの7人だった。

私のほうと合わせて、総勢12名。これは、どういうこと?

「忘年会をしようかなと思ってな。こんなチャンスは、そうそうないからな」

もちろん、おまえの奢りだよな。

「ああ、俺とマサとリョウが払う。だから、財布は気にするな」

ショウコの夫のマサが、コクンと頭を下げた。真面目な夫。八王子で、中学の英語教師をしていた。「牧師をしてます」と言っても誰も疑わないだろう。つまり、つまらない男だ。

 

ショウコが高校3年のとき、ショウコの通う高校に、マサが中学3年生の教え子たちを連れて学校見学に来た。

そのとき、ショウコは、高校の生徒会長をしていた。マサと生徒たちを案内した。

そのとき、何が、あるいはどこがお互いを引きあったのかわからないが、25歳と17歳の男女の気持ちが化学反応を起こした。

そして、一年後の7月に、2人は結婚した。ショウコは、大学1年、大学に入ったばかりだった。

どうして、そんなに結婚を急いだのだろう。当然の疑問だと思う。

しかし、その年の11月、八王子のアパートに行って、2人に会ったとき、私は確信した。

マサだから・・・マサだから、ショウコは結婚したのだということを。

意味がわからないかもしれないが、補足説明をするとこうなる。

17歳で出会おうが、20歳で出会おうと、25、30歳で出会おうと、ショウコは絶対にマサと結婚しただろう。

つまり、相手が「マサだから」ショウコは結婚した。たまたま17歳で出会っただけ。いつ出会っても良かったのだ。いつ出会おうが、ショウコはマサと結婚する運命にあった。

そういうことだよな、とショウコに聞いた。

「さすがサトルさん、正解だよ。うちのパパには、わからなかったみたいだけどね」

脳細胞が脂肪で埋まったカネコには、絶対に理解不能に違いない。

 

ショウコとマサのガキ、帆香(ホノカ)、悠帆(ユウホ)は、私の両サイドに座って、寿司やらソフトクリームを食っていた。

2人は、私のことを「しらがじいじ」と呼んだ。本当のじいちゃんであるカネコのことは、「デブジー」と呼んだ。

「デブジー」よりも明らかに「しらがじいじ」の方が品のいい呼び方だと思う。ガキどもは、人間の価値が分かっているのだ。あっぱれだと思う。

 

ユウホの隣に座ったマサが、私に言った。

「先輩、あの子、すごい食べっぷりですね。圧倒されますよ」

マサもショウコも私と同じ大学を出ていた。だから、マサは、私のことを「先輩」と呼んだ。

だが、私は年下に「先輩」と呼ばれるのが好きではない。私自身、大学時代の年上を「先輩」と呼んだことがない。形骸化した上下関係が鬱陶しいからだ。

「先輩」などと呼ばなくても人を敬うことはできる。言葉は、所詮言葉だ。形だけの敬意は、相手を軽んじるだけだ。

だから、俺のことは「マツ」と呼んでくれ、とみんなにお願いした。学年が下の子たちは、それを受け入れてくれて、私を「マツさん」と呼んだ。

マサにもそうお願いしたのだが、マサは、頑なに私のことを「先輩」と呼んだ。

「だって、マツさんこそ『先輩』と呼ぶのに相応しい人ですから」

つまらない男だ。しかし、1人くらいは、私を「先輩」と呼んでバカにする奴がいてもいいと思ったので、マサに限っては、それを許していた。

 

マサの目の前の席に、ミーちゃんがいた。

食い放題の焼肉を私の娘が焼き、それを大盛りのご飯の上に乗せて、一気に掻きこむ豪快な食いっぷり。

わずか30分で、これが3杯目のどんぶり飯だ。惚れ惚れするほどの大食い風景。

その前に、刺身3人前をすでに食っていた。味噌汁も大椀で1杯飲んでいたのだ。

どんぶりを左手に持ったみーちゃんは、完全に戦闘態勢に入っていた。

やっと焼肉2皿目に取り掛かったカネコなど、小せえ小せえ。体はデカくてもミーちゃんの迫力には及ばない。所詮はミニブタですな。

 

食っている最中のミーちゃんと目が合った。

私がうなずくと、みーちゃんは顔全体でキラキラとした笑顔を作って、目だけで私に語りかけた。

「パピー、アタシ、満足だよ」

ミーちゃんは、中学3年の6月から高校1年の7月まで我が家に居候していた。

両親の離婚調停という生々しい空気に耐えきれず、我が家に逃れてきたのだ。

初めての日、その食いっぷりの凄まじさに圧倒された。とにかくコメをよく食ってくれたのだ。コメにゴマ塩を振りかけただけで、どんぶり飯を三杯一気に食った。味噌汁は、大きなお椀で五杯は飲んだ。スパゲッティなら、最低5束食った。コロッケは20個。餃子は100個。インスタントラーメンは最低3人前プラス米。

ミーちゃんの美味そうに食べる姿を見るのが、私は好きだった。

 

ある日の深夜、仕事部屋で徹夜をしていたとき、ミーちゃんが部屋に入ってきた。

腹が減ったのかな、と思ったが、鼻をすする音が先に聞こえた。

「ゴメンナサイ、ゴメンナサイ」とミーちゃんが泣いて謝った。

なんで、謝るの?

「だって、パピーの娘でもないのに、ずっと家に居座って、ご飯もたくさん食べて。アタシ、非常識だよね」

私は、椅子から降りて、ミーちゃんの前に座った。

「俺は、君のことを娘だと思っているよ。メシを作って、たまに勉強も教えている。君の下着だって、俺は洗っている。それは、俺が君の父親だからできることだ。君が俺のことを父親だと思わなくても、俺は父親だと思っているから。それは、これからも変わらないから」

ミーちゃんのご両親は、離婚が成立して、ミーちゃんの親権は母親が持った。しかし、ミーちゃんは母親と折り合いが悪かった。父親についていきたいと思ったみーちゃんの願いは叶えられなかった。

それが、とてもショックで、ミーちゃんは、そのときとてもネガティブになっていたのだと思う。

これは、さらに一年以上あとのことだが、父親はその後再婚し、再婚相手との間に子供も生まれた。それ以来、今に至るまで、ミーちゃんと父親は没交渉になった。

 

ミーちゃんが「ゴメンナサイ」と泣いた夜、ミーちゃんは心のたけを30分以上私にぶつけた。

ミーちゃんは、とてもいい子で頭のいい子だったが、唯一「愛情」を受ける方法だけを知らなかった。

そのとき、私はミーちゃんに言った。

俺はいま仕事中で、とても忙しいけど、邪魔をしないなら、ずっと見ていてもいいよ。

ミーちゃんは、私が仕事を終えた朝4時過ぎまで、床に正座して私の作業をずっと見ていた。そして、仕事を終えたのを確かめたあと、「ご苦労さまでした」と頭を下げ、仕事部屋を出ていった。

朝8時前に、娘とミーちゃんは、家を出て学校に行く。私はいつも玄関で2人を見送った。

そのとき、ミーちゃんが言った。

「パピー、今日は親子丼が食べたい。親子が食べたい」

わかった。親子だね。

 

それ以来、ミーちゃんは親子丼が大好物になった。

昨年の30日。最後にミーちゃんが食ったのも親子丼だった。シメに親子丼を大盛り1杯。

食い終わって「幸せだー」と叫んだ。

そんなミーちゃんに向かって、全員が大きな拍手を送った。店の人も拍手をしてくれた。

 

12月31日と1月1日。娘とミーちゃんは、家でのんびりと過ごした。入社一年目。肉体的にも精神的にも疲れがたまっていたに違いない。

娘の部屋で、テレビを見たりゲームの任天堂クラシックミニなどをしたりして過ごした。

2日になって、やっと外に出た。みんなで東京タワーに行った。

ミーちゃんが、東京タワーに行ったことがないと言っていたからだ。

幸いアッパレなほどのいい天気だったので、見晴らしはすこぶる良かった。

その絶景に見とれているとき、まずミーちゃんが言った。

「ねえ、パピー、カレシができた。取引先の4歳年上の人だよ」

スマートフォンの中の画像を見せてくれた。普通の男だった。

次に、娘が言った。

「ボクもできた。まだ2週間もたっていないけど、一応カレシだ。今度連れてくるな」

画像を見せてもらった。普通の男だった。

 

普通が、一番さ(ちょっとショック)。

 

1月3日。2人のカレシの話と餃子をおかずにして、晩メシを食った。

ちょっとビールを飲みすぎたかもしれない。その理由は言わない。

 

4日の昼前、北陸新幹線で、ミーちゃんは予定通り金沢に戻ることになった。

新幹線の中で食わせようと思って、特大のおにぎり3つとでかいメンチカツ2つ、大好物の自家製タクワンをミーちゃんに持たせた。

ホームで、突然ミーちゃんにハグされた。耳元で言われた。

「パピー、大好きだよ。今度は、ゴールデンウィークに帰ってくるから・・・カレシを連れて」

 

北陸新幹線が走り去っていった。

 

呆れるくらいいい天気だったのに、遠ざかっていく新幹線が雨にけぶっているように見えたのは、なぜだろう?