あけまして おめでとうございます
本年も 皆様のご多幸を お祈りいたします
新年初めてのブログなのに、最初の話題は昨年末の話。
12月30日の夜、大学時代の2年後輩のカネコから接待を受けた。
嬉々として、我が家族5人、吉祥寺の食い放題の店に乱入した。
カネコだけが待っているかと思ったが、知っている顔がたくさんいた。
カネコの奥さん、カネコの娘のショウコとそのガキ2人、カネコの息子のリョウ、ショウコの夫のマサの7人だった。
私のほうと合わせて、総勢12名。これは、どういうこと?
「忘年会をしようかなと思ってな。こんなチャンスは、そうそうないからな」
もちろん、おまえの奢りだよな。
「ああ、俺とマサとリョウが払う。だから、財布は気にするな」
ショウコの夫のマサが、コクンと頭を下げた。真面目な夫。八王子で、中学の英語教師をしていた。「牧師をしてます」と言っても誰も疑わないだろう。つまり、つまらない男だ。
ショウコが高校3年のとき、ショウコの通う高校に、マサが中学3年生の教え子たちを連れて学校見学に来た。
そのとき、ショウコは、高校の生徒会長をしていた。マサと生徒たちを案内した。
そのとき、何が、あるいはどこがお互いを引きあったのかわからないが、25歳と17歳の男女の気持ちが化学反応を起こした。
そして、一年後の7月に、2人は結婚した。ショウコは、大学1年、大学に入ったばかりだった。
どうして、そんなに結婚を急いだのだろう。当然の疑問だと思う。
しかし、その年の11月、八王子のアパートに行って、2人に会ったとき、私は確信した。
マサだから・・・マサだから、ショウコは結婚したのだということを。
意味がわからないかもしれないが、補足説明をするとこうなる。
17歳で出会おうが、20歳で出会おうと、25、30歳で出会おうと、ショウコは絶対にマサと結婚しただろう。
つまり、相手が「マサだから」ショウコは結婚した。たまたま17歳で出会っただけ。いつ出会っても良かったのだ。いつ出会おうが、ショウコはマサと結婚する運命にあった。
そういうことだよな、とショウコに聞いた。
「さすがサトルさん、正解だよ。うちのパパには、わからなかったみたいだけどね」
脳細胞が脂肪で埋まったカネコには、絶対に理解不能に違いない。
ショウコとマサのガキ、帆香(ホノカ)、悠帆(ユウホ)は、私の両サイドに座って、寿司やらソフトクリームを食っていた。
2人は、私のことを「しらがじいじ」と呼んだ。本当のじいちゃんであるカネコのことは、「デブジー」と呼んだ。
「デブジー」よりも明らかに「しらがじいじ」の方が品のいい呼び方だと思う。ガキどもは、人間の価値が分かっているのだ。あっぱれだと思う。
ユウホの隣に座ったマサが、私に言った。
「先輩、あの子、すごい食べっぷりですね。圧倒されますよ」
マサもショウコも私と同じ大学を出ていた。だから、マサは、私のことを「先輩」と呼んだ。
だが、私は年下に「先輩」と呼ばれるのが好きではない。私自身、大学時代の年上を「先輩」と呼んだことがない。形骸化した上下関係が鬱陶しいからだ。
「先輩」などと呼ばなくても人を敬うことはできる。言葉は、所詮言葉だ。形だけの敬意は、相手を軽んじるだけだ。
だから、俺のことは「マツ」と呼んでくれ、とみんなにお願いした。学年が下の子たちは、それを受け入れてくれて、私を「マツさん」と呼んだ。
マサにもそうお願いしたのだが、マサは、頑なに私のことを「先輩」と呼んだ。
「だって、マツさんこそ『先輩』と呼ぶのに相応しい人ですから」
つまらない男だ。しかし、1人くらいは、私を「先輩」と呼んでバカにする奴がいてもいいと思ったので、マサに限っては、それを許していた。
マサの目の前の席に、ミーちゃんがいた。
食い放題の焼肉を私の娘が焼き、それを大盛りのご飯の上に乗せて、一気に掻きこむ豪快な食いっぷり。
わずか30分で、これが3杯目のどんぶり飯だ。惚れ惚れするほどの大食い風景。
その前に、刺身3人前をすでに食っていた。味噌汁も大椀で1杯飲んでいたのだ。
どんぶりを左手に持ったみーちゃんは、完全に戦闘態勢に入っていた。
やっと焼肉2皿目に取り掛かったカネコなど、小せえ小せえ。体はデカくてもミーちゃんの迫力には及ばない。所詮はミニブタですな。
食っている最中のミーちゃんと目が合った。
私がうなずくと、みーちゃんは顔全体でキラキラとした笑顔を作って、目だけで私に語りかけた。
「パピー、アタシ、満足だよ」
ミーちゃんは、中学3年の6月から高校1年の7月まで我が家に居候していた。
両親の離婚調停という生々しい空気に耐えきれず、我が家に逃れてきたのだ。
初めての日、その食いっぷりの凄まじさに圧倒された。とにかくコメをよく食ってくれたのだ。コメにゴマ塩を振りかけただけで、どんぶり飯を三杯一気に食った。味噌汁は、大きなお椀で五杯は飲んだ。スパゲッティなら、最低5束食った。コロッケは20個。餃子は100個。インスタントラーメンは最低3人前プラス米。
ミーちゃんの美味そうに食べる姿を見るのが、私は好きだった。
ある日の深夜、仕事部屋で徹夜をしていたとき、ミーちゃんが部屋に入ってきた。
腹が減ったのかな、と思ったが、鼻をすする音が先に聞こえた。
「ゴメンナサイ、ゴメンナサイ」とミーちゃんが泣いて謝った。
なんで、謝るの?
「だって、パピーの娘でもないのに、ずっと家に居座って、ご飯もたくさん食べて。アタシ、非常識だよね」
私は、椅子から降りて、ミーちゃんの前に座った。
「俺は、君のことを娘だと思っているよ。メシを作って、たまに勉強も教えている。君の下着だって、俺は洗っている。それは、俺が君の父親だからできることだ。君が俺のことを父親だと思わなくても、俺は父親だと思っているから。それは、これからも変わらないから」
ミーちゃんのご両親は、離婚が成立して、ミーちゃんの親権は母親が持った。しかし、ミーちゃんは母親と折り合いが悪かった。父親についていきたいと思ったみーちゃんの願いは叶えられなかった。
それが、とてもショックで、ミーちゃんは、そのときとてもネガティブになっていたのだと思う。
これは、さらに一年以上あとのことだが、父親はその後再婚し、再婚相手との間に子供も生まれた。それ以来、今に至るまで、ミーちゃんと父親は没交渉になった。
ミーちゃんが「ゴメンナサイ」と泣いた夜、ミーちゃんは心のたけを30分以上私にぶつけた。
ミーちゃんは、とてもいい子で頭のいい子だったが、唯一「愛情」を受ける方法だけを知らなかった。
そのとき、私はミーちゃんに言った。
俺はいま仕事中で、とても忙しいけど、邪魔をしないなら、ずっと見ていてもいいよ。
ミーちゃんは、私が仕事を終えた朝4時過ぎまで、床に正座して私の作業をずっと見ていた。そして、仕事を終えたのを確かめたあと、「ご苦労さまでした」と頭を下げ、仕事部屋を出ていった。
朝8時前に、娘とミーちゃんは、家を出て学校に行く。私はいつも玄関で2人を見送った。
そのとき、ミーちゃんが言った。
「パピー、今日は親子丼が食べたい。親子が食べたい」
わかった。親子だね。
それ以来、ミーちゃんは親子丼が大好物になった。
昨年の30日。最後にミーちゃんが食ったのも親子丼だった。シメに親子丼を大盛り1杯。
食い終わって「幸せだー」と叫んだ。
そんなミーちゃんに向かって、全員が大きな拍手を送った。店の人も拍手をしてくれた。
12月31日と1月1日。娘とミーちゃんは、家でのんびりと過ごした。入社一年目。肉体的にも精神的にも疲れがたまっていたに違いない。
娘の部屋で、テレビを見たりゲームの任天堂クラシックミニなどをしたりして過ごした。
2日になって、やっと外に出た。みんなで東京タワーに行った。
ミーちゃんが、東京タワーに行ったことがないと言っていたからだ。
幸いアッパレなほどのいい天気だったので、見晴らしはすこぶる良かった。
その絶景に見とれているとき、まずミーちゃんが言った。
「ねえ、パピー、カレシができた。取引先の4歳年上の人だよ」
スマートフォンの中の画像を見せてくれた。普通の男だった。
次に、娘が言った。
「ボクもできた。まだ2週間もたっていないけど、一応カレシだ。今度連れてくるな」
画像を見せてもらった。普通の男だった。
普通が、一番さ(ちょっとショック)。
1月3日。2人のカレシの話と餃子をおかずにして、晩メシを食った。
ちょっとビールを飲みすぎたかもしれない。その理由は言わない。
4日の昼前、北陸新幹線で、ミーちゃんは予定通り金沢に戻ることになった。
新幹線の中で食わせようと思って、特大のおにぎり3つとでかいメンチカツ2つ、大好物の自家製タクワンをミーちゃんに持たせた。
ホームで、突然ミーちゃんにハグされた。耳元で言われた。
「パピー、大好きだよ。今度は、ゴールデンウィークに帰ってくるから・・・カレシを連れて」
北陸新幹線が走り去っていった。
呆れるくらいいい天気だったのに、遠ざかっていく新幹線が雨にけぶっているように見えたのは、なぜだろう?