リスタートのブログ

住宅関連の文章を載せていましたが、メーカーとの付き合いがなくなったのでオヤジのひとり言に内容を変えました。

おけまる水産

2020-01-05 05:41:02 | オヤジの日記

あけまして おめでとうございます

皆様の本年が 幸せな年で ありますように

 

12月30日の朝、大食いのミーちゃんが、嫁ぎ先の金沢から帰ってきた。

旦那様の若ちゃまと深夜の高速バスで来たのだ。

朝7時に新宿に着いて、若ちゃまの友だちが運転する車で国立にやってきた。8時前だった。

「パピー、マミー、ただいま」と言って抱きついてきた。

頭をヨシヨシした。顔の色艶がよくて、肌の温もりから幸せな生活を想像できた。

「パピー、おなか空いたー」

もちろん用意しておきましたよ。オニギリ30個と自家製タクワン、豆腐とほうれん草、ワカメの味噌汁だ。これを我が家族とミーちゃん、若ちゃま、若ちゃまの友だちの7人で食べる。オニギリの具は、鮭、タラコ、エビマヨ、自家製梅、カツオ昆布だ。

ミーちゃんが12個食べた。若ちゃまが5個。残りを5人で食った。ミーちゃんは、その他に大きな飯わんで味噌汁を3杯飲んだ。

ミーちゃんが、でかい口を開けてオニギリを次々に頬張る姿を、若ちゃまは優しい笑顔で眺めていた。

キミ、完全にミーちゃんに惚れとるな。

「あー、落ち着いた」とミーちゃん。

食べている間、ミーちゃんが、新婚生活を雑に語った。なぜ、雑かというと、まだミーちゃんは仕事を辞めていなかったから、若ちゃまと接する時間が短かった。すれ違いではないが、若干生活のリズムが違うからだ。

本当は、結婚を機に仕事を辞めるつもりでいたが、会社から「もう少し続けてもらいたい」と懇願されたので、残った。自分としても、2年も勤めていないのに辞めるのは申し訳ないと思い直して、続けることにした。

若ちゃまも「いいよ」と快諾してくれた。若ちゃまのスーパーマーケットは、とりあえず人手が足りているし、野菜農家もご両親と若ちゃまの弟で、手が足りているということもあるだろう。

 

朝メシを食ったあとは、ミーちゃんと若ちゃまは、別行動だ。

ミーちゃんは、このまま我が家にとどまる。若ちゃまは、東京杉並の親戚の家で過ごす。大学時代の友だちと会ったり、初詣に行ったり、買い物をしたりするようだ。

ミーちゃんは、30、31日は、我が家でまったりと過ごす。

実際、「パピー、ごめん、寝かせて」と言って、娘の部屋で2人仲良く眠った。

2人とも12時過ぎに起きて、家族みんなと中央線立川の食べ放題の店で、昼メシを食った。ミーちゃんは、相変わらずまわりを驚かせるほどの食欲を発揮した。

晩メシは、寄せ鍋と米四合。大晦日朝のメシは、鮭茶漬け。ミーちゃんは、みんなよりでかい飯わんで、4杯食った。昼は、ラーメンライス。米三合を食った。夜は、年越し蕎麦ではなく、年越しスパゲティ。ペスカトーレと明太子バタークリーム合わせて12人前を全員で食った。もちろん、その6割をミーちゃんが腹におさめた。

年越しは、ミーちゃんお気に入りのサンドウィッチマンのライブDVDを見ながら、みんなでチーズをつまみにして赤ワインで乾杯。

元旦は、我々は普通にお雑煮。ミーちゃんは、お雑煮が苦手なので、焼き餅を14個食った。おせち、などという高尚なものは食わない。ちょっとお高いシャンパンは、飲みましたが。

 

そのあと、出かけた。ミーちゃんが、雷門に行きたいと言ったからだ。

ミーちゃんは事情があって、あまりファミリーの生活を経験してこなかった。家族でどこかに行くという経験が少なかった。ミーちゃんの記憶の中にある家族体験は、3、4歳の頃に井の頭公園に花見に行ったことだけだという。

それを聞いた私は、ミーちゃんが中学3年で我が家にやってきたとき、ミーちゃんのことを完全にファミリーとして受け入れようと思った。

普通の家族が行くはずの遊園地、動物園、水族館などの経験をするスタートとして、まず、ディズニーランドに一緒に行った。

ミーちゃんは、ディズニーランドのアトラクションを経験するたびに、「あー、これは夢だ、夢だ」とつぶやいた。園内にいる間ずっと、ミーちゃんの目は、乙女になっていた。

それからも、サンシャイン水族館、上野動物園、お台場、横浜みなとみらい、横浜中華街、江ノ島、鎌倉などに、一緒に行った。

横浜みなとみらいでは、初めて食べ放題の店に入った。目の前に、40種類の食べ物があった。それを見て、ミーちゃんの目が輝いた。

「これ、全部食べていいの?」

全部は無理だと思うけど、食べられるだけ食べていいんだよ。

「頑張ります!」

40種類は無理だったが、きっと25種類くらいを食べたと思う。

ここでもミーちゃんは、食べながら時々「あー、これは夢だ、夢だ」とつぶやいていた。

「ああー、コンプリートできなかったぁ」とミーちゃんは悔しがった。そのあと、急に、「パピー、ありがとう」とミーちゃんが抱きついてきた。

その瞬間、ミーちゃんと家族になった気がした。

 

雷門に行った。

外人が思った以上に多かった。でかいな、君たち。日本をこれ以上狭くするなよ(でも、俺だって負けてないぞ。ただ、横幅で負けているだけだ)。

ここでは、ゲストとして、娘の友だちのユナちゃんも参加した。ソウル生まれの日本びいきの子だ。

「オットーさん、あけまして おめでとう」

生き生きとした顔をしていた。日本の生活に完全に慣れたようだ。

ユナちゃんも雷門は、初めてだという。

31歳だが、独身なので、お年玉をあげた。公衆の面前で抱きつかれた。照れまんがな。しかしガイコツオヤジは、油断も隙もない。そーっと若い娘のエキスをいただいただいた。2歳若返った。

ミーちゃんは、焼けたばかりの煎餅を10個ゲットして、仲見世を歩き、煎餅を食っている間も色々なものを立ち食いして食欲を満たした。

しかし、昼メシどきになると「お腹すきません?」とミラクルなことを言うミーちゃん。

食い放題の店を探したが、なかったので、洋食屋さんに入った。

ミーちゃんは、ナポリタンとハンバーグ、大ライスを頼んだ。大ライスを3回追加注文したとき、店内がざわついた。

ミーちゃんが、主役になった。

 

1月2日朝10時前に、若ちゃまが迎えにきた。

これからバスで金沢に帰る。北陸新幹線が大変なことになっているので、バスの方が予定がたちやすいからだ。

新宿まで、みんなで見送りに行った。

バスの中で簡単に食えるように、特大オニギリとタクワン、唐揚げの弁当を持たせた。若ちゃまの弁当は、ミーちゃんの半分以下の量だった。

それ、夫として、どうなの?

新宿バスタの構内で、ミーちゃんが、私の両手を握りながら言った。

「帰る場所があるって、いいね」

実家には帰りたくないのか、と聞きたかったが聞けなかった。人には、いろいろな事情がある。私にだってある。ほじくってもらいたくない部分は誰にでもある。

「家族の正月って、いいね」ミーちゃんは涙目だった。

その涙が何を意味するのか、詮索しても意味はない。

ただ、私はこの子を娘として愛していた。

それで、いいのではないか。

 

「パピー、マミー」と馴れ馴れしく若ちゃまが言った。

なんでい、若造。

「今度は、ゴールデンウィークに来ます。僕も来ますけど、いいですか」

 

いいともー!

 

あ、あれっ、白けたか。

新宿の空気が、突然重くなったぞ。

平成2年ごろなら、ドカンドカンと受けたのに。

 

おけまる水産、とでも言えばよかったのか。

 

涙目で、令和2年を突っ走っていく高速バスを見送りながら、「ゴールデンウィーク、おけまる水産」とつぶやいた俺だった。

 

 

(娘曰く『おけまる水産』は、もうすでに死んでいる言葉らしい)