年賀状が2枚きた。
私は8年前に年賀状を出すのをやめた。
得意先と友人に宣言した。
これから年賀状は、なしよ。
思い切って宣言した割には、反響が少なかった。誰も私の年賀状を期待していなかったってこと?
まあ、いいけど。
毎年50枚以上出していた年賀状が消えただけで、ありがたいことに余計な時間を浪費せずに済んだ。経済的にも少し楽になった。
マナーにうるさい人からは、あれこれ言われそうだが、幸いにも私のまわりには、マナーにうるさい人がいないので助かっている。
正月とは関係ないが、お中元とお歳暮も10年前からやめていた。
やめます、と宣言しても得意先から仕事をしくじることはなかった。今も付き合いは正常に続いていた。
マナーにうるさい人からは、あれこれ言われそうだが、幸いにも私のまわりには、マナーにうるさい人がいないので助かっている。
儀式は儀式で尊重するが、自分にとって必要のないものは、選択肢から外してもいいと思う。
日本古来の正月のおせちなどは、とっくの昔にやめてしまっていた。元旦に食うものが単純におせちですよね。何を食ったっていい。
私の友人に、とても儀式にこだわる男がいた。
大学陸上部の同期、デッパだ。
デッパは、温厚な男だった。優秀で調整能力に優れていた。
大学卒業後、疎遠だった新宿でコンサルタント会社を営むオオクボと私の仲を取り持ってくれたのもデッパだった。
そして、デッパは勤勉だった。仕事の関係で海外勤務が2回。上海とイタリアに赴任した。その都度、中国語を賢明に学び、不得意なイタリア語も学んだ。
海外赴任中に、3人の男の子を授かった。
「マツ、俺、生きてきた甲斐があったって、今すごく思うぞ」とエアメールで、子どもの写真を何度も送ってきた。
ちっとも可愛くないガキの写真だったが、なごんだ。
デッパは、儀式を重んじる、つまらない男でもあった。
いらないよ、と断っているのに、「人間には、節目が必要なんだよ」と毎年必ず年賀状を送ってきた。お中元、お歳暮もくる。
会うたびに私は、いらねえんだよ、歯出男、と言いながら、デッパの薄くなった頭を両てのひらで叩いた。それが挨拶代わりだった。
そのデッパが、昨年の12月23日に死んだ。
急死だった。
持病はあったが、死ぬほどの症状ではなかった。だが、複数の病気を併発して、突然死んだ。
デッパのことだから、人知れず体を酷使していたのだろう。
陸上部同期が死ぬのは、初めてだった。
心に穴が開く、という表現がある。
本当にあいた。
それは、埋めることはできない。
だって、デッパの代わりは、どこにもいないのだから。
デッパというのは失礼だ。シミズと呼ぼう。
シミズは、本当にかけがえのない男だった。
彼の一つ一つの言葉や仕草を思い出すたびに、「友」というのは、ありがたいものだと思う。
「マツ、悩み事があったら、なんでも相談しろよ、だって俺たちは友だちだから」
でも、もう、おまえはいないんだよな、シミズ。
心に、穴があいているぞ。
おまえが死んでから、俺の心は穴だらけだ。
シミズが、この世界にいないなんて。
その死んだシミズから、元旦に年賀状が届いた。
律儀なシミズのことだから、死ぬことを知らずに、当たり前のことのように出したのだろう。
「今年も よろしく」
どう、よろしくすればいいんだよ、シミズ。
もっとおまえとよろしくしたかったよ、俺は、俺たちは・・・・・。
打ちひしがれている私だったが、もう一人、年賀状を頂いている永年の友人のミズシマさんから、今年も年賀状をいただいた。
ミズシマさんは、60歳を過ぎて初めて結婚をした。
その都度、ミズシマさんのお母様の写真を年賀状に載せてくれるのだ。
90を過ぎたお母様。和服を着た笑顔の写真をいつも送ってくださる。
そして、そのお母様は、今年99歳になられる。
さらに、ミズシマさんが結婚なさった奥さんのお母様が、今年81歳になられる。
おふたりが並んで写った年賀状が、今年送られてきた。
そこには、「2人合わせて180歳」と書かれていた。
人間の生命力は、すごい、と感心させられる。
おふたり、もっと長生きしてください。お願いします。
来年は、182歳の年賀状をください。
シミズ、キミにも長生きして欲しかったな。
シミズ、あんなに楽しみにしていた次男の結婚式、ボブ・ディランの東京公演、東京オリンピック、阪神タイガースの優勝・・・・・。
シミズ、俺はこれから、キミの代わりに阪神を応援し続けるぞ。六甲おろしを覚えるぞ。
どれだけ泣かせるんだよ、デッパのバカヤロー。