リスタートのブログ

住宅関連の文章を載せていましたが、メーカーとの付き合いがなくなったのでオヤジのひとり言に内容を変えました。

僕たちの75年目戦争

2020-04-19 05:40:02 | オヤジの日記

まずは、懐かしくも怖い話から。

 

25年前、会社勤めをしていたときのことだった。

当時私は、港区虎ノ門の会社に勤めていた。

そのとき埼玉に住んでいた私は、大宮から埼京線に乗り、新宿で中央線に乗り換え、四谷で丸の内線に乗り換え、さらに丸の内で日比谷線に乗り換えて会社のある神谷町駅まで通っていた(わかりづらいですよね)。

どの路線もとても混んでいた。

そんなアヒルある日、埼京線赤羽駅に電車がついたとき、その時点で電車の混雑は相当なものだったが、ややポッチャリのオバサン軍団4人が、私が潰されているドアから乗り込んできたのである。オバサン軍団は、混んでいたって、チャラヘッチャラだ。グイグイ押して乗り込んでくる。

オレ、肋骨折れそうなんですけど。

華奢な私の体を忖度することなく、オバサン軍団は、力づくで乗り込み終わった。私はドアの近くから、車両真ん中近辺まで押し込まれた。こんなとき、高身長は関係ない。肉の多さが勝負を分ける。

完敗だった。カンパーイ。チアーズ。サルー。チンチン。

現実の厳しさに打ちひしがれているとき、オバサン軍団の一人が、遠慮なく言った。

「ねえ、なに、この混み方は。なんで、今日はこんなに混んでいるのよぉ!」

その無神経なご意見に、いささかカチンときた私は、小さな声でつぶやいた。

それはな、おまえたちが乗ってきたからだよ。

私のまわりだけ、ドカンとウケた。

 

そのあと四谷乗り換えの丸の内線では、どう遠慮がちに見ても150キロはありそうな若い男が、グイグイと人を押し込んで必死な形相で乗り込んできた。

そして、そいつも言ったのだ。「なに? 丸の内線って、こんなに混んでいるのかよ。俺を殺す気か」

殺されているのは、こっちの方だよ。

おまえ、次に朝の丸の内線に乗るときは145キロ落としてから乗れ。

 

なぜ、私がこんなことを鮮明に覚えているかというと、この4日後、私が利用していたのとほぼ同じ時間帯に、丸の内線と日比谷線で、猟奇的な「地下鉄サリン事件」が起きたからだ。

ダイヤの構成から言えば、せいぜい1本か2本の違いだ。たとえば、埼京線や中央線が少しでも遅れていたら、普段だったら遭難した可能性はあったかもしれない。

しかし、その日私は、得意先のある渋谷に直接向かったので、難に遭わなかった。事件は得意先がざわついて浮き足立っているのを見て初めて知った。

知って、背筋がゾワゾワ。頭から爪先まで泡立つような恐怖がこみ上げてきて、その日家に帰ってからも私は声を発することが、なかなかできなかった。

 

その日、難を逃れた俺は、喜んでいいのか。遭難した方のご家族の無念を思うとき、俺がその幸運を噛みしめるのは、不謹慎なことじゃないのか、と感情を押し殺した。

私が家に帰ってきたとき、私の通勤ルートを知っているヨメは、泣きじゃくってすがりついてきた。

「よかったー、よかったー!」

私の生身の姿を見るまで、ヨメは生きた心地がしなかっただろう。「俺はだいじょうぶだあ」と留守番電話に吹き込んではおいたが、電話だけでは安心できなかったようだ。

事件を知って、朝ヨメが会社に電話をしても、「出社していません」という事務的な答えしか返ってこなかったから余計に不安はつのったようだ。

 

なぜ今回こんな話をしたのかというと、人は知らない間に、何かに巻き込まれるかもしれない、ということを伝えたかったからだ。

それが、今回はウイルスだ。

新型コロナウイルスは、恐ろしい。誰にも容赦がない。

たとえば、大統領や首相だって特別ではない。うつる人には伝染るのですよ。

コロナは差別しないウイルスだ。

「特別」を選ばない。遠慮のかけらもない。

私がコロナウイルスの親玉だったら、志村けん大師匠にウイルスを植え付けることはしない。でも、容赦なかった。

 

だから、守りましょう。大切な人を、大切な自分を。

 

先日、テレビで品川戸越銀座の週末の映像を見て、驚いた。

人がうじゃうじゃいるのよ。

ソーシャル・ディスタンスなんて関係ねえ関係ねえ。オッパッピー。

8割くらいの人がマスクをしていたが、2割の人はマスクをしていなかった。おそらくマスク難民の方がほとんどだろうが、中には、まったく根拠のない「だって、俺は平気だから」精神の強固な人も多くいただろう。

その中で、家族のインタビューが放映された。

「思ったより、人が多いんでビックリしました。自粛要請が出ているのに、スゴいですよね」

 

あんたらも、自粛要請を無視してるよね。

むかし赤羽で無理やり乗り込んできたオバサンが、「なんでこんなに混んでいるのよ」という心理と一緒だ。

何があっても「私は悪くない。悪いのは私以外だ」「私以外私じゃないの」(ゲスの極み家族)。

 

ウイルスも思っているだろうね。

「俺は悪くない。悪いのはヒトだ」

 

今回のウイルス禍を考えるとき、人そのものがウイルスだと思った方がいい。予防していたって、人から人へ何かの拍子で伝染る。

マスクをすれば、自分が人に伝染す可能性は低くなる。それなのに、マスクをしないというのは、自分が媒体になっていることを想像できない人が少なからずいるということだ。

極端なことを言えば、想像力のない人が1割いたら、その1割が10人の人にうつして、人類は滅びると私は悲観的に思っている。

 

ようするに、怖いのはヒトなんですよね。

 

世界中に新型コロナウイルスが蔓延するなか、街中に、電車内に、駅前に、スーパーに、遊興の場に、これほど人がいる国は、発展途上国以外では日本だけだろう。

 

日本と諸外国との違いは、日本は握手とハグが日常的ではないというところと、日本語は話すときに唇と舌と歯をそれほど活動させないところだ。外国語は唾液が外に出る。日本語は唾液が口に籠もる。

しかし、それだけで楽観的になっていいものかどうか。

 

戦争に負けてから75年。

79年前の日本国民も、こんな他人事のような気持ちで戦争に突入したのかな。

負けそうだね、NIPPON、ウイルス戦争に。

 

地下鉄サリン事件のときは、一部の日本人が悪魔になった。

そして、今回は、世界中の人が「ウイルス運び人」になった。

 

どちらもサイレント・キリングだ。

 

 

サーカスを殺したのは誰だ!

2020年を殺そうとしているのは誰だ!