~1990年3月・イースター島1日目~
午前9時ごろ飛行機が着き、宿が決まって、荷物を置いて、
散歩に出かけて、あっけなくモアイに出会ってしまった我々・・・。
日本だと、観光地といえば人間がわんさかいて、
近くにお土産物屋があったりするのに、
モアイのまわりはただの荒地のようで、ほかに人もなく・・・。
それでも台座に寄り添って写真など撮ったり、触ったりしていると、
地元の偶然通りかかったおじさんに、
「さわらないように」(スペイン語がよくわからないので、多分・・・)、
と注意を受けたので、
「悪い日本人」と思われないように、軽く謝って、去りました。
ところで、1990年頃はデジタルカメラは一般的ではなく、
フィルムでの撮影でしたので、ブログにはスキャナーで取り込んでみました。
便利な時代になったものです。
タハイのモアイを見た後、ハンガロアの町を通って民宿に戻る途中、
クミちゃんと「食事はどうしようか」と思い出し・・・。
機内食で深夜がっつり頂いたため、朝食は食べていなかったので、
さすがに空腹を感じていました。
民宿では朝食のみお願いしていたので、夕飯もなんとかしなければ。
町の様子からすると、レストランのようなものは見かけず、
テイクアウトの食事も売っている様子はなく、
・・もっとも、我々は節約旅行なのでそんなことは覚悟の上でしたが・・
パンと飲み物を小さなお店で買ってすますことにしました。
その頃、日本ではまだペットボトルが普及する前で、
それに比べて、タヒチにもイースター島にも、300ml位の、
日本でもおなじみの清涼飲料水のペットボトルが売られていて、大変重宝しました。
値段はおおむね1US$弱だと記録しています。
(ちなみに1US$は150円の計算でやっていました。)
昼過ぎに民宿に戻ると、嬉しいことに、民宿のおじさんが
「食べなさい~」と青空の下で焼いたお魚をとりわけてくれました。
市場で買ったばかりの大きな白身魚でした。
民宿の男の子(10歳位)が「これをかけるとおいしいよ」と
持ってきてくれた調味料・・・「SOYAだよ」・・・と言われて、
「お醤油かもね」とクミちゃんと私。
こんなところで思いがけず日本の味に出会えるとは
そして、ふかしたサツマイモ、すいか、サラダもごちそうになってしまいました。
素朴ですが、本当においしくいただきました。
おなかが満たされたところで、午後はお洗濯をし、
シャワーを浴びて、クミちゃんと「一眠りしようか」・・・
計算すると、日本でベッドから起きてから、48時間ぶりのベッドです。
数時間後、起きてみたら外は明るい・・・
時計を見たらもう薄暗くなってもよいはずの時間なのに?
いつ暗くなるんだろうと思っていたら、21時頃まで薄明るかったのでした。
長~い1日でした。~続く~