杯が乾くまで

鈴木真弓(コピーライター/しずおか地酒研究会)の取材日記

花と酒

2012-11-26 17:20:58 | 地酒

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 11月も最終週。今月は編集モノの締め切りがいくつかあってバタバタしてました。取材中に撮った、仕事では使わない写真の中に、いくつか捨てがたいカットがあったので、備忘録がわりにUPします。取材先の名前は、掲載前なので伏せさせてください。ごめんなさい。

 

 

 

 花の取材で某フラワーショップでのひとコマ。花って自然にこういう色になるんだから、本当にすごいですね・・・。

 

 

 

 

 

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 こちらは県内のトルコギキョウ生産者のハウス内。バラみたいだけどトルコギキョウの一種「オーブピンクフラッシュ」です。

 

 今、トルコギキョウは静岡県で、バラ、カーネーション、キクに次いで第4の生産量を誇ります。日持ちするし花の形や色もバリエーション豊富で、値段も安定していることから、県でも力を入れていくみたいです。

 

 

 

 

 

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 こちらはバラの生産者。ちょうど取材中、東京の皇居Imgp0911_2
前にある某有名ホテルから注文コール。すごいな~。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 トルコギキョウからバラのハウスへ移動中、時間が出来たので、途中にある『小夜衣』の蔵Imgp0883
元・森本酒造の陣中見舞いに。

 

 

 

 「ちょうどいいところに来たなあ」と、いきなり、釜場の掃除と洗濯を手伝う羽目に。蔵元杜氏の森本均さんが一人で造ってる小さな蔵で、(今年、県内の蔵元杜氏・ともに50歳前後が2人亡くなったので)森本さんの体力がとにかく心配でしたが、相変わらずと強がり口調&マイペースぶりに少しホッとしました。

 

 

 

 

 

 

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 森本酒造には、『もったいない卸し』『熱燗用・火の用心』『速廃仕立て~自作流速醸やめてみた』『絶対生厳守』等など、ユニークな期間限定酒がいっぱい。一度に呑み比べできないのが残念ですが、空瓶をこうして眺めているだけでも、酒呑みのハートを上手に釣る森本さんの”人たらし”ぶりが炸裂してますね(笑)。

 


東京新聞『暮らすめいと』久能山特集

2012-11-22 07:57:21 | 地酒

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 東京新聞の首都圏購読者40万世帯に配布されるタブロイド新聞『暮らすめいと』2012年12月号が発行されました。久しぶりに巻頭見開きの特集・鉄道の旅コーナーを担当し、久能山東照宮と生まれ故郷清水の見どころを紹介させてもらいました。

 

 

 

 

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 久能山東照宮をじっくり取材したのは、2007年の映画『朝鮮通信使』のロケ以来。案内してくれた権禰宜さんに当時の事を話したら、「覚えています、寒い日でしたよね~」と懐かしんでくれました。本殿内で、御神体の家康公に報告する・・・という趣旨で、林隆三さんに通信使の日記を朗読していただいたんです!

 

 

 あれから本殿の塗り替え作業があり、国宝指定となり、参拝客の増加はもちろん、最近ではスペイン国王から贈られた家康の洋時計が話題沸騰中。ロケ当時とは一味違う、華やいだ雰囲気に包まれていました。洋時計のこと、家康の外交実績の一例として映画で取り上げてもよかったな・・・と今になって反省しています。洋時計についてはこちらの記事もご参照を。

 

 

 グルメコーナーでは、どの店を取り上げるか本当に悩みました。今回取り上げた日本平~久能山~三保~清水エリアには県外観光客向けの新しいグルメスポットが数多くあり、甲乙つけがたいところ。最終的には、申し訳ないくらい趣味と独断で、JR清水駅近くの河良(かわよし)さんを選びました。夜しかやっていないし、ご存知の方はお解かりだと思いますが、店主の河本さんは、どちらかといえば職人気質で一本気で、隅々まで行き届いた接客サービスができる・・・というタイプではありません(河本さんゴメンナサイ)。

 

 

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 それでも、彼が提供する料理の素晴らしさと静岡の酒に対する深い愛情は、私が知る限り、“静岡県代表”として首都圏読者に情報提供するのに最適だと判断しました。加えて、店の紹介写真の中に、静岡の酒瓶をズラリ並べることで、酒のPRにもなるし、首都圏のこだわり酒徒ならばラインナップを見て興味を示す可能性大!・・・と目論んだわけです(河良の詳しい紹介はこちらを)。

 東京新聞の購読者しか読めない情報紙ですが、お知り合いに購読者がいたらぜひよろしくお願いします!

 

以下、本文(ノーカット版)を再掲します。

 

 

 

 

 

風景をアートにしたホテル、徳川家康が眠る国宝・久能山東照宮へ<o:p></o:p>

 

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 JR東静岡駅から日本平ホテル・ロープウエイ行きのバスに乗り、約20分。まずは今年9月にリニューアルオープンした日本平ホテルのラウンジで長時間移動の疲れをほぐした。ロビー真正面のテラスラウンジは、全面ガラス張りの向こうに富士山と清水港の絶景が広がる。まるで風景画のような美しさに息を呑む。それも道理で、ホテルは”風景美術館=日本平“をコンセプトにした設計とのこと。風景を楽しむだけでも価値がある。◇日本平ホテルTEL054-335-1131<o:p></o:p>

 

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日本平山頂と久能山東照宮を結ぶロープウエイで5分足らず。今回の旅のお目当てである久能山東照宮へ到着した。<o:p></o:p>

 

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東照宮といえば首都圏では日光東照宮だが、久能山東照宮は日光よりも19年前に建立された。1616年4月、静岡・駿府城で75年の生涯を閉じた徳川家康は「遺体を駿河の久能山に葬り、葬礼は江戸増上寺で行い、位牌は三河の大樹寺に立て、一周忌を過ぎたら下野の日光山に勧請して関八州の鎮守となる」と言い遺した。これを受け、二代将軍秀忠の命で宰相頼将卿を総奉行、名工・中井大和守正清を大工棟梁としてわずか1年7ヶ月という短期間で造営された。桃山時代の技法を取り入れた権現造、総漆塗、極彩色の社殿は江戸初期の代表的な建造物として知られ、400年余の今も創建当時の堂々たる姿を伝える。

名古屋城、二条城、仁和寺など中井大和守正清が手がけた建造物の多くが国宝に指定されており、また久能山東照宮が中井の生前最後の作品であることから、平成2212月、静岡県内の建造物では初めて国宝に指定された。御神体は家康本人、両脇に鎮座する相殿はなんと豊臣秀吉と織田信長。やはり歴史を動かしたこの三傑か・・・と感慨深かった。<o:p></o:p>

 

国宝指定を機に参拝客も激増した。取材に訪れた日も平日ながら団体客で賑わっていた。09年の富士山静岡空港の開港で、家康人気の高い中国・韓国の観光客も増えたという。拝殿の際は、先般の領土問題が長引かなければ、と祈らずにはいられなかった。◇拝殿参拝料大人500円<o:p></o:p>

 

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家康の洋時計が伝える海を越えた国際親善<o:p></o:p>

 

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 久能山東照宮社殿の奥には、神廟(家康の墓)がある。埋葬時はこじんまりしたほこらだったが、3代将軍家光が高さ5・5m、外回り8mの堂々とした石塔に造り替えた。廟は家康の遺言により、生まれ故郷の岡崎や京都のある西を向いている。

 

楼門まで戻り、脇にある久能山東照宮博物館を見学した。徳川歴代将軍ゆかりの宝物2千余点を有する日本屈指の歴史博物館。中でも話題になっているのが、徳川家康がスペイン国王フェリペ三世から贈られた洋時計である。

江戸幕府成立間もない1610年、スペイン領フィリピンの提督が乗った船が千葉県御宿海岸沖で遭難し、地元漁民が献身的に救護した。助かった乗組員は家康が三浦按針に作らせた帆船でメキシコまで送り届けた。その返礼に贈られたものである。家康はこの時計を大名お抱えの職人たちに見せ、これがきっかけで日本のからくり歯車の技術が発展したともいPhoto_4
われる。

 

今年5月、イギリス大英博物館の古時計専門家に鑑定してもらったところ、制作当事(1581年)のほぼ原型のまま、今も鐘の音が鳴る世界でも類のない時計であることが判明。ヨーロッパ技術発展史における貴重な遺産であると太鼓判を押された。博物館ではいつでも見られるので、東照宮を訪ねた際は必見である。

 

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 博物館を後にし、岐路は、久能海岸まで1159段の石段を下った。海に面した一ノ門は、元旦の初日の出スポットとして地元でも有名だ。明るい日差しと潮風を全身に受けると、ここを安住の地に選んだ家康公の、泰平を願う真摯な気持ちが理解できた気がした。

 

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温泉<o:p></o:p>

 

三保はごろも温泉天女の湯<o:p></o:p>

 

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日本平と並ぶ富士山の景勝地三保半島の名旅館『三保園ホテル』で、地区では初めて、2006年に天然温泉が開湯した。自家源泉掛け流し。海に近いため、塩分やミネラル分が豊富。入浴と昼食がセットになった日帰りコース(3500円・4200円)も人気がある。ホテルのすぐそばにある羽衣の松も必見。■日帰り入浴/大人500円(タオル別料金)■受付時間11時~21時■静岡県静岡市清水区三保2108 三保園ホテル内■TEL054‐334‐0111<o:p></o:p>

 

http:.//www.mihoen.jp■交通/JR清水駅よりバス「三保本町」下車、ホテルより送迎あり。<o:p></o:p>

 

■温泉データ<o:p></o:p>

 

○泉質/ナトリウム塩化物強塩温泉○泉温26・5℃○適応症/神経痛、筋肉痛、五十肩、冷え症、慢性消化器病、疲労回復。<o:p></o:p>

 

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味彩<o:p></o:p>

 

割烹居酒屋『河良(かわよし)』<o:p></o:p>

 

 

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JR清水駅から徒歩7~8分、清水税務署の裏手にある小さな割烹居酒屋。主人が駿河湾の桜海老、黒鯛、清水両河内の里の味など地元食材を手間隙かけて本格的な会席一品に仕上げ、しかもほとんどが500~800円というリーズナブルさ。料理に合わせて自慢の静岡の酒をチョイスしてくれる。筆者は日本酒の取材を続けて25年になるが、酒と料理の食べ合わせに関しては日本屈指の店といってよい。<o:p></o:p>

 

■静岡県静岡市清水区江尻東1丁目5-6 TEL054-367-9990 1730分~2330分 日曜定休 *予約すれば日中や日曜もOK<o:p></o:p>

 

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おみやげ<o:p></o:p>

 

久能山東照宮謹製 東照公の遺訓扇<o:p></o:p>

 

Photo_7「人の一生は重荷を負て遠き道をゆくが如し・・・」で名高い家康の遺訓が書かれた扇。2000円●久能山東照宮社務所/TEL054‐237-2438<o:p></o:p>

 

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国宝久能山東照宮献上米・JA御殿場こしひかり<o:p></o:p>

 富士山のお膝元御殿場は静岡県屈指の米どころ。久能山東照宮の国宝指定記念にJA御殿場から限定発売された。450g500円●久能山東照宮社務所/TEL054‐237-2438<o:p></o:p>

 

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万年青(おもと)Photo_9<o:p></o:p>

 久能山東照宮の社殿装飾にも描かれた日本の伝統的な観葉植物。万年青々として縁起が良いことから、家康公は江戸入城の際にも持参したという。社務所前に日本おもと協会の展示即売コーナーがある。一鉢1000円~●久能山東照宮社務所/TEL054‐237-2438<o:p></o:p>

 

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河良の特製桜えびおにぎり

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割烹居酒屋河良の隠れ人気メニュー。衣を着けて繊細に揚げた桜えびをごはんに混ぜ、ひと口大に握った。土産用は8個750円●河良/TEL054-367-9990<o:p></o:p>

 

 

 

 

 

 

 

 

 

交通費(品川―東静岡(清水)往復5880円<o:p></o:p>

首都圏から静岡方面までJRの在来線を利用する際は熱海で乗り換えとなる。接続はスムーズだ。JR東静岡駅から日本平方面へのバスは本数が少ないので事前に問い合わせを。なお日本平ロープウエイは1210日から23日まで設備点検で運休となるため、久能山東照宮にはJR清水駅からバスで久能山下まで行き、1159段の石段を登る。◇しずてつジャストライン(バス)0120―012―990。◇日本平ロープウエイ054―334―2026<o:p></o:p>

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久能山東照宮博物館<o:p></o:p>

久能山東照宮が所蔵するすべての宝物類を保存展示。徳川歴代将軍の鎧、兜、刀剣、書画類など500件2千余点を数え、国宝・重要文化財185件を有する。なお平成25年2月20日から9月30日まで改築工事で休館となるので要注意。○9時~16時○入館料一般400円(社殿参拝共通券800円)○無休○久能山東照宮社務所電話054‐237‐2438<o:p></o:p>

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龍華寺<o:p></o:p>

久能山東照宮よりバスかタクシーで約10分、家康の側室お万の猶子・日近大僧都が開いた日蓮宗の寺。富士山を愛した僧都らしい観富の庭で知られる。「滝口入道」の文豪高山樗牛もこの地に眠る。庭園の大蘇鉄と大サボテンは国の天然記念物。○拝観料300円○TEL054‐334‐2858<o:p></o:p>

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鉄舟寺<o:p></o:p>

飛鳥時代に藤原家出身の久能忠仁が久能山に建立。奈良時代に行基が久能寺と号して栄えたが、武田信玄が久能山に築城するために移転し、江戸後期以降は衰退。明治になり、静岡藩に勤めた旧幕臣の山岡鉄舟が再興し、鉄舟寺と改めた。龍華寺から歩いて10分○拝観料300円○TEL054-334-1203<o:p></o:p>

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静岡が誇る茶師と杜氏

2012-10-30 14:22:35 | 地酒

 気づけば、またしばらくブログ更新をさぼっていました。バイトを始めて以来、休みゼロの暮らしが2ヶ月。肉体疲労で免疫機能が低下したせいか、帯状疱疹まで出来てしまいました。気持ちと体がリンクできていない状態に、ちょっと驚いています。こうして人は少しずつ老いを実感していくんですねえ。もう10月がもう終わってしまうのか・・・早いなあ。

 

 季節が変わったと実感するのは、冷蔵庫に冷たいお茶をストックする習慣がなくなったこと。暑い時期はお茶を急須で淹れて瓶ボトルに移して冷ましておくのですが、今月半ばぐらいから急須のお茶を熱いまま飲むようになりました。今、飲んでいるのは取材先の伊東で買った「ぐり茶」。沸かしたてのお湯で乱暴に淹れても結構美味しいので、すぐに飲みたい!ってな時は重宝します。

 今月は静岡県のお茶の手揉み技術の取材があり、静岡がお茶どころになったマンパワー=茶師の技の価値について改めて深い感動を覚えました。県史に造詣の深い中村羊一郎先生が編集した『静岡県指定無形文化財・八流派の手揉茶技法』という冊子に、次のような記述があります。読んでいるうちに、手揉茶の蒸し技術と日本酒の麹造り、茶師と杜氏の置かれた状況に多くの共通点があると実感しました。

 

 

『静岡県指定無形文化財・八流派の手揉茶技法』 中村羊一郎編 (社)静岡県茶手揉保存会発行

 

●流派の発生とその意義

 静岡県の基幹産業のひとつである煎茶の生産は、幕末における開国を契機とする貿易開始とともに飛躍的に増大し、一時は我が国からの輸出品目で生糸につぐ第二位を占めるほどになった。

 その背景には牧之原や三方原台地の開墾に見られるような茶園の拡大という生産基盤の整備があったが、それと並んで良質の茶を安定して生産するための製茶技術の開発にも注目しなければならない。

 静岡県の製茶技術は近世までの先進地である山城(宇治)や近江(朝宮・土山)や伊勢(水沢)などから導入されたが、その技術を身につけた者たちがさらに自ら工夫をこらすことによって、より高品質な茶を効率的に生産するための製法が考案されていった。

 このような製茶技術に長じた職人は茶師と呼ばれ、各地の農家に雇われた。自分が製茶した茶が、買取に来た商人によってただちに評価されるという厳しさの中で、少しでも高価に売れる茶を揉まなければならない。(中略)ときにはその地位を奪おうとやってきる旅の茶師と対決して、自らの優位性を示さなければならないこともあった。

 こうした実践を重ねる中で評価を高めた茶師は、県や業界の推薦を受けて各地に招かれ、伝習所を開設し、自らの技術を多くの若者に伝授していく。弟子たちは伝習の記念として師匠に大きな幟を贈り、グループの結束を図った。師匠格の茶師は、焙炉場の軒先にこの幟を高く掲げて自らの技量を誇示し、まわりからはノボリモチと呼ばれて尊敬された。これが静岡県独特の茶手揉み流派発生の原因のひとつである。

 

(中略)

 それぞれの流派の開祖は自らの技術に絶対の自信をもった。それは生産地によって茶葉の性質が微妙に異なっており、自分の揉み方こそがそれにもっとも適しているという信念があったからである。

 たとえば南向きの日照時間の長い肥えた土地の茶は肉厚であり、反対に日が当たりにくい山間地域の茶は肉が薄い。そういった茶葉をよい茶に仕上げるためには、いつ、どんな風に力をこめたらよいのか、時間をどれだけかけるかというような具体的な相違点が生じてくる。つまり多様な流派発生のもうひとつの背景として考えられるのは、生産地域の特色を活かした独自の工夫が互いの相違点を浮き彫りにしたということである。

 それが伝習所において結ばれた師匠と弟子という人間関係と重なり合って集団としての強い自己主張となり、ひいては独自性の象徴として流派名が唱えられるようになっていったのである。

 なお明治10年代には輸出の好調さに乗じて日干し番など煎茶とはいえない下級茶や偽茶、着色茶などの不良品が大量に出荷され、アメリカから制裁を受けたことがあり、県はいっときの利益を追わず、良質な茶を生産するよう厳しく指導した。優れた手揉み技術の開発は、こうした茶業界の動向とも無縁ではなかったろう。

 

 

*静岡県指定無形文化財の八流派=青透流(志太)、小笠流(中遠・浜松)、幾田流(富士以東)、倉開流(北遠)、川上流(静岡)、鳳明流(静岡・岡部)、興津流(清水)、川根揉切流(川根)

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●蒸し加減の表現からみた八流派の差異

 「蒸し」は緑茶製造の第一歩で、品質を左右する重要な操作である。生葉の性質によって蒸籠に入れる生葉の量、箸の使い方、蒸し時間などを加減しなければならないが、要は、蒸し葉の香気によって適度を知ることである。

 若蒸しは青臭さや苦渋味が残り、貯蔵中に変質しやすい。蒸し過ぎれた鮮緑を欠き、香気が冴えず、蒸し葉がべとついて揉みにくく、肌荒れや小玉を生じやすい。近頃、深蒸しの傾向があるが、滋味の点では勝るが、香気・水色に難点があり、一得一失である。

 

 

 目で蒸すな鼻で蒸せ

 黄色に蒸して青く揉め

 蒸す前に芽の質を見よ

 

 

 つまり、蒸しの加減はおのれの鼻をじゅうぶんにきかせよ、というのである。8つの流派とも生葉を蒸す時間は30秒前後と変わらず、箸でかき混ぜていったん蓋をする。その後の処理をどんなふうに表現しているか比較してみる。

 

 

 「青透流(志太)」 蓋の間から甘涼しい香りが出たら2~3回蓋をたたいて取り出し・・・

 「小笠流(中遠・浜松)」 蓋をして芳香の出た頃、蓋を打ちながら匂いをかぎ・・・

 「幾田流(富士以東)」 蓋を打ちながら芳香の発生を確認し取り出し・・・

 「倉開流(北遠)」 蓋を打ちながら匂いをかぎ、芳香が出たら甑から外し・・・

 「川上流(静岡)」 蒸気が上がってきたら方向を確認し、1~2回蓋を打って・・・

 「鳳明流(静岡・岡部)」 蓋を2~3回打ちながら嗅ぎ、芳香を確認し取り出す

 「興津流(清水)」 蓋をして甘香りの出たとき蓋を前2回・後1回たたきつつ速やかに出し・・・

 「川根揉切流(川根)」 蓋をして20秒前後経て芳香が確認できたら取り出し急冷する

 

 

 6つの流派が「芳香」といい、青透流は「甘涼しい香り」、興津流は「甘香り」と表現している。芳香だけでは漠然としているが、甘涼しいというのもなかなか微妙な表現である。国語辞典にもない特徴的な言い方が、いつから使われているのだろうか。

(中略)

 明治38年式製法大要には「蒸しの適度をもっとも容易に知る方法は、青臭きを去り、甘く涼しき香を発し、蒸葉滑らかとなりて箸に付着するを以って適度とす」とあり、以降の指導書に引き継がれていく。(中略)「甘涼しい」という業界用語としての表現が、「青臭さ」と対置される芳香の中身であった。逆に言えば「甘涼しい」の概念を共有化することによって、各流派の独自性が薄れていったといえるのではなかろうか。

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 どうでしょう。酒造りの技術的なことを少しかじったことのある人なら、製茶のノウハウがすんなり会得できるんじゃないでしょうか。実際、志太杜氏の中には、酒造りが終わってから川根で茶師を務めた人もいました。

 

 鼻で香りを嗅ぎ分けて蒸し加減を調整する=香りや指の感触で麹の切返しや出麹のタイミングを計る、「甘涼しい」という言葉で香りの概念が統一された=「香りよく軽快で丸い」酒質の静岡酵母の出現で静岡酒の概念が統一された経緯など等、相通じるところが多いですよね。

 

 

 冊子の最後で、中村先生が次のようにまとめておられました。

 

 「現在の製茶機械の性能はきわめて高く、かつての名人の腕前に匹敵するほどになった。しかし、自動化されたとはいえ、茶葉の微妙な差異、わずかな温度差などを判断しながら機械を操作することで、より高品質の茶を作ることができる。

 ”お茶の心を知れ”と茶師は言った。機械を操作する人にもそっくりあてはまる至言である。そしてなによりも茶は食品であるという事実をしっかりと噛み締めておかねばならない。今ほど生産者が心をこめた食品が求められる時代はない。

 茶手揉み技術が多くの人に継承されていくことは、良質茶の生産に寄与すること大であるとは言うまでもないが、実は食品と人間とが直接的なつながりを持ち続けるという点においてこそ、きわめて大きな意味があるといえるのである」

 

 

 ・・・ふるさと静岡に、美味しい茶と酒がある悦び、美味しい茶と酒を生み出す職人がいる誇りと幸せを噛み締めたいと思います。


「翁弁天」岡田真弥さん永遠に

2012-10-22 22:12:40 | 地酒

 

 また一人、大切な酒縁者を亡くしました。藤枝で「翁弁天」を醸していた岡田真弥さん(51)。2ヶ月前に脳梗塞で倒れ、一命を取り留めてリハビリに励んでいたさなかの急死でした。

 

 今日の夕方、取材先から帰ったタイミングで知らせを聞き、取るものもとりあえずお通夜の会場(すでに終わっていましたが)にかけつけ、最期のお別れをしてきました。昔と変わらないふっくらした表情で、今すぐにでも起き上がってくるようでした。喪主のお母様も「いまだに信じられない」と堪えておられました。酒蔵を廃業して時間が経つので、酒造関係者には知らせなかったと申し訳なさそうにおっしゃっていましたが、お通夜に河村傳兵衛先生が来て下さったと、とても感激しておられました。

 

 

 岡田酒造と河村先生のことは、毎日新聞朝刊に連載していた『しずおか酒と人』1997年11月6日付の記事でこんなふうに紹介しました。

 

蔵元の灯を守る【救世主】

 

 静岡の酒には【救世主】がいます。河村傳兵衛さん。県沼津工業技術センターに勤める醸造研究者で「静岡酵母」や「吟醸麹ロボット」の開発者。酒造業界で知らない人はいません。今回は単なる酒のみの私でも「この御仁は救い主だ・・・!」と実感したお話を。

 今秋(1997年)からNHK朝の連続テレビ小説で酒蔵が舞台になり、蔵の生活や人間関係が描かれています。蔵の当主は酒造りを杜氏に一任し、現場では口を出しません。ヒロインが蔵の中をのぞこうとして叱られるのも誇張ではなく、蔵は当主といえども侵すことの出来ない神聖な場所。現在、私のような外部の、しかも女が平気で出入りするなど、ドラマに描かれた30年前までは信じられない話でした。

 しかし肝心の杜氏や蔵人が減ってしまい、蔵の様子は激変しました。職人の高齢化による技術の先細り。酒造業も、伝統産業の多くが抱える難題に直面しているのです。

 「翁弁天」の酒造元・岡田酒造(藤枝市鬼島)も2年前、その危機に直面していました。仕込が始まる直前、杜氏から「行けない」という連絡。仕入れ済みの酒米・山田錦を手に途方にくれる岡田真弥さん(37)の背中を「応援するから自分で造ってみなさい」と押したのが河村さんでした。どんな小さな蔵でも酒造の灯を消してもらいたくないというのが、河村さんの切なる思いだったのです。

 蔵元が杜氏になるなど、ドラマの時代では論外ですが、貴重な酒米を無駄には出来ません。酒造初体験の岡田さん。ベテラン杜氏もその厳しさに恐れをなすという河村さんの指導。岡田さんの生活は文字通り一変しました。早朝から午後にかけての仕込み。夕方から夜にかけての配達。体の弱い父・昭五さんも朝3時に起きて蒸釜に火をつける役を買って出ました。そして春にはタンク2本の吟醸酒が仕上がり、ファンをホッとさせたのです。

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 97年10月12日、蔵の一角に岡田さんの兄・晃さんが板長を務める居酒屋【伽草子】が開店しました。酒蔵内の料飲店は県内初。出す酒はもちろんオール生酒。弟が造った酒を、兄の手料理と一緒に売る・・・酒蔵の風景は様変わりし、当主を旦那様、杜氏をおやっさんと呼ぶ伝統もなくなりました。

 それでも私は、ひとつの地酒が熱意ある指導者と蔵元一家の力で生き残ったことに、心から拍手を贈りたいと思います。

 今期で3造り目。【伽草子】開店の夜、自ら醸した酒を囲む客を眺める岡田さんの笑顔は、自信に満ちた杜氏の顔でした。彼の背中を押し、杜氏へと導いた河村さんは本当に「救い主」だと思います。

(文・イラスト 鈴木真弓/1997年11月6日付毎日新聞朝刊静岡版)

 

 

 

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 この取材から2年後の1999年1月から3月にかけて、私はひと造り、岡田酒造で酒造り体験をさせてもらいました。無理をお願いしたお礼というかおわびに、静岡新聞編集局のカメラマン永井秀幸さんに岡田酒造を取材してもらい、静岡新聞朝刊写真特集(全段カラー頁)で紹介。永井さんからは取材時に撮ったベストショットを寄贈してもらいました。

 ・・・岡田酒造で過ごした3ヶ月は、ライター人生にとっては宝物のような時間でした。

 

 

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 お通夜の会場でお母様とその頃の話をしたとき、「本当に楽しい時代だったわねえ」と表情を少し崩されたお母様を見て、私が弔い代わりにできることといったら、あのころのことをきちんと遺して伝えることだ・・・と心に迫るものがありました。

 

 

 

 酒造の灯が消えてしまってから、岡田さんがどんな暮らしをされてきたのか、仔細はうかがいませんでしたが、現在の仕事先関係者からたくさんの花輪が届けられ、同僚や友人と思われる方々が通夜が終わった後も大勢残っておられました。・・・たぶん、新しい職場でも愛され兄貴キャラで親しまれていたのでしょう。

 そして、「翁弁天」という地酒を岡田さんが必死で守ろうとしたことと、「伽草子」という家族経営の居酒屋が、本当に地域に愛されていたことは、ゆかりある人々の記憶にしっかり刻まれています。 

 

 

 Dscn2195

 

 こちらは2003年春、しずおか地酒研究会で藤枝四蔵見学ツアーを企画したとき、最後の〆で盛り上がった岡田酒Dscn2198造と「伽草子」の店内。蔵の母屋を改築した、趣のある居間で、ご近所の寄り合いにでも来たような、とてもくつろげる空間でした。

 当時、静岡産業大学で教鞭をとっておられた後藤俊夫先生が東京からソニーやNEC等そうそうたるメーカーの技術者OB仲間を呼んでくださって、藤枝四蔵の蔵元と酒造り談義を交わした楽しい夜でした。後藤先生とお話するたびに、いまだにあの夜のことが話題に出ます。

 

 

 

 落ち着いたら「岡田さん、貴方が生まれ育った酒蔵と貴方が醸した酒は、人の記憶に残る価値ある財産だったんですよ」と、天に向かって酒盃を捧げたい。・・・でも今夜はまだ気持ちの整理がつきそうもありません。

 心よりご冥福をお祈りいたします。


篠田酒店ドリプラ店リニューアル&しのだ日本酒の会お知らせ

2012-07-09 14:02:48 | 地酒

 吟醸王国しずおか映像製作委員会会員で、私が地酒取材を始めた頃からの長~い“同志”、清水の酒販店・篠田酒店さん。エスパルスドリームプラザ店の改装がようやく終了し、7月12日(木)プレオープン、18日(水)本格オープンします(ドリプラのHPを参照)。

 新しい店は有料テイスティングバーを設け、ナットクしてお酒が買えるスタイルになったそうです。営業時間も夜21時まで延長になるとのこと。12日(木)は正雪、18日(水)には志太泉の蔵元社長がバーのホストを務めるそうです。

 

 篠田さんは地酒研や吟醸王国しずおか関連事業でいつもボランティアで助っ人をしてくださっているので、ささやかな恩返しのつもりで、私も、14日(土)・15日(日)にボランティアホステスをさせてもらう予定です。時間が決まったらお知らせしますので、エスパルスドリームプラザ1階ショッピングモール「清水いりふね通り」内の篠田酒店ドリプラ店にぜひいらしてくださいね!。

 

 その篠田酒店が毎年9月に開催する『蔵元を囲むしのだ日本酒の会』。今年は9月16日(日)16時から、清水マリンビル(清水港湾会館日の出センター)7階で開かれます。静岡県内の主要蔵元さん&篠田さんお取引の県外の実力蔵元さんが数多く集結する一大イベントで、今回で38回目。酒販店が単独主催の酒の会としては、県内屈指の存在です(前回の様子はこちらを)。

 

 

第38回蔵元を囲むしのだ日本酒の会

 

■日時 2012年9月16日(日) 15時30分開場・16時~18時10分

 

■会場 清水マリンビル(港湾会館清水日の出センター)7階 場所はこちらを参照。*清水駅または新清水駅よりドリプラバス(無料シャトルバス)が便利です。

 

内容 篠田酒店取引先の銘酒100余点の試飲、日本料理「新」の酒肴料理&割烹「河良」の桜えびおにぎり。今回はセミ立食形式です。

 

■チケット 8000円

 

■定員 120名

 

■申込 7月11日(水)より篠田酒店本店およびドリプラ店、ほか協力店にて販売。売り切れ次第終了。

 

■問合 篠田酒店本店 TEL 054-352-5047