今年も新酒鑑評会の季節がやってきました。3月22日には静岡県清酒鑑評会一般公開&表彰式がグランディエールブケトーカイ(JR静岡駅前)で開催され、平日にもかかわらず多くの地酒ファンが出品酒の試飲を楽しみました。
今年の県知事賞(最高位)はすでに新聞等でも報道されたとおり、吟醸の部・純米吟醸の部ともに、杉錦(藤枝)でした。しずおか地酒研究会20周年記念酒を醸造していただき、昨年夏には奈良京都の酒造聖地巡礼ツアーにも参加していただいた蔵元杜氏・杉井均乃介さんの快挙には、身内が受賞したような晴れがましい気持ちになり、一般公開会場でお会いした杉井さんに「酒の神様にたんまりお参りしたご利益がありましたね!」と冷やかしちゃいました(笑)。
杉井さんご本人は、まさかトップをとるとは思っていなかったということを、前夜に更新されたブログ(こちら)につづっておられました。私も、杉錦のW受賞は本当にうれしいサプライズでしたが、実際に今年の出品酒をじっくり試飲して「“静岡らしさ”の定義が変わってきたんだろうか」と複雑な気持ちになりました。そんな私の胸の内を読み透かしたように「どう思う?」と声を掛けてこられた蔵元さんに、「昔の鑑評会では、静岡吟醸らしい上品な上立ち香があり、口中では香りと味のバランスが丸く調和していた。今日の出品酒で吟醸香を感じる酒はほとんどない。味と酸味のバランスがとれている酒が上位に来ているけど、香りに関してはナーバスになっている感じがします」と率直にお伝えしたところ、「静岡酵母自体が変化しているのかもしれない」と意外な言葉が返ってきました。そうか・・・酵母も考えてみれば生きものなんだから、経年変化することがあるんだとハッとさせられました。
静岡酵母も培養されてから30年はゆうに経過しています。専門の研究機関で厳格に冷凍保存されているとはいえ、厳密にみれば、培地のどの部分から取り分け、各蔵でどのように管理し使用されるかで、河村先生が開発された当初の設計通りの機能を発揮するとは限らない。そのようなリスクに対処するため、協会酵母のベストセラーを生んだある銘醸では、『酵母の更新』をしているそうです。どのような技術を指すのか、素人には見当もつきませんが、河村先生が生きておられたら、当然見過ごさないリスクヘッジだろうと想像し、機会があれば協会酵母を管理する日本醸造協会の専門家に聴いてみたいとも思います。
いずれにしても、今は各蔵とも、使用する米の種類、精米歩合、酒母造り、水の配合、上槽のタイミング等々、酒造工程一つ一つで差別化を図り、多様な酒質で勝負する時代になりました。酵母によって酒質が決まってしまうような単純なモノサシでは評価できなくなったようにも思います。「静岡酵母」によって吟醸王国の道を切り拓き、酒質向上を果たした静岡の酒も、そろそろ次の段階に来ているのかもしれません。
静岡酵母が変容しているとしたら、これからの静岡の酒は何をもって静岡らしさをアピールすべきか、造り手も懸命に試行錯誤している・・・そんな印象を受けた今年の一般公開でした。
さて、一般公開会場では、初めて参加したと思われる人が係の人をつかまえて、「なぜこういう酒ばかりなんだ?」と詰問している場面を見ました。そこに並んでいた出品酒が、ふだん飲んでいる酒とは明らかに違うことに違和感を持たれたんだと思います。今までは業界関係者や一部の酒通が対象だった一般公開も、多くの消費者が気軽に参加できるようになり、鑑評会出品酒がどういうものかを知らずに「タダでいろんな蔵の酒が飲める」と来た人も少なくないでしょう。
以下、2014年4月に「日刊いーしず」へ投稿した鑑評会に関するコラムを再掲します。造り手が技と誇りをかけて醸した出品酒の価値を、ただしく理解していただけたら、と願っています。
数年前のこと。酒造関係者の間で衝撃的な数字が話題になりました。国内で消費されるアルコール飲料のうち、日本酒のシェアは、わずか8%。静岡市の繁華街、両替町や常磐町あたりで飲み歩く人がひと晩で何人いるのか数えたことはありませんが、100人いたとしたら、8人しか日本酒を飲んでいないなんて・・・。 さらに、全国に流通されている日本酒のうち、静岡県の酒はたったの0.68%。地元なら高いだろうと思ったら県内で流通されている日本酒の中で静岡の酒は20%以下。地酒ファンが憤慨したくなる数字です・・・。
確かに気候温暖な静岡県は、酒どころというイメージがないし、すっかり全国区のグルメスポットになった青葉おでん横丁でも、静岡割り(焼酎のお茶割り)は人気だけど、地酒をガンガン飲む客、売る店はありません。 それでも、静岡県内で生産される日本酒は、全国の酒通の間で「吟醸王国」とまで称されるほど人気があるって、信じられますか? 今回は静岡県が吟醸王国になったきっかけともいえる、新酒鑑評会=酒の品質コンテストのディープな世界にご案内しましょう。
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県内の酒蔵は30社ほど。多くは江戸時代に創業した老舗企業です。東海道の宿場町整備によって消費地が形成され、どの町にも必ず造り酒屋があったんですね。中には商才に長けた近江商人が隠密活動の拠点代わりに開業した、なんて蔵もあります。
明治以降は酒税を重要な国税にしようと、国が積極的に酒造業を奨励します。このころ設立されたのが国立の醸造試験所。酒税は国の税収の3割を占めるまでになっていましたが、当時は醸造技術が未熟だったため、品質劣化がしばしば問題になりました。宿場町の酒屋の軒先で量り売りする程度ならまだしも、大量に造って各地へ出荷するとなると品質を安定させなければなりません。税金をあてこんでいる国としても、ちゃんと造ってどんどん売ってもらわないと困るということで、国策で醸造試験所を造り、品質コンテスト=全国新酒鑑評会をスタートさせたのです。
この、全国新酒鑑評会。今年(2014年)でなんと101回目です。休止したのは戦争中と、「独立行政法人酒類総合研究所」に移行する際に東京から東広島へ施設移転したときだけ。全国規模のコンペティションでこれだけ長く継続し、しかも内容的にも非常にレベルの高い技術コンテストというのは世界でも稀有な存在です。
市販酒の生産拡大のために酒造技術を向上させるという目的でスタートした鑑評会は、やがて蔵元や杜氏にとって、国から優良とのお墨付きをもらい、「金賞」を授与されることはこの上ない誉れとなり、しだいに技術競争の様相を呈してきます。鑑評会の出品用に原料の米を(米の外側は栄養があるが酒にすると雑味になるため)半分以下まで精米し、特別に吟味して醸す、という意味合いの「吟醸酒」は、ここから生まれました。 さまざまな清酒酵母が生まれ、実用化されるようになったのも、鑑評会の功績です。
7号酵母、9号酵母といった名称で知られる酵母菌の多くは、鑑評会で好成績だった酒蔵を醸造試験所の技術者が調査し、酵母を収集し、保存・育種して普及させました。優良な酵母を選抜して安全な環境で培養し、全国の酒蔵へ頒布することは、日本酒全体の品質安定につながったのです。 現在、酵母は、日本醸造協会という業界団体が専門に培養しており、実用化した順に番号を付けています。現役の協会酵母で最も古いのは6号酵母で、大正時代に秋田の「新政」という蔵から採取されました。7号酵母は昭和21年に長野の「真澄」から。9号酵母は熊本の「香露」から出た香りの高い酵母で、吟醸酒向けに一世風靡しました。みなさんがイメージする吟醸酒のフルーティーな香りは、9号酵母が定着させたとも言われ、今でも鑑評会出品酒の多くは9号系統の酵母を使用しているようです。
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さて、静岡県。東海道の城下町を中心に、個人経営の小規模な蔵が多かったものの、交通の要所=安定した消費地という地理的条件に支えられ、そこそこ繁盛していました。しかしながら、太平洋戦争中は原料米不足の折から統廃合を余儀なくされ、生き残った蔵も、東海道線、国道1号線、東名高速道路という新たな交通の動脈が物流を加速させ、高度成長期には全国の銘醸地からさまざまな酒が流入し、地酒は存在感を失っていきます。日本酒の生産量のピークは昭和48年頃と言われていますが、静岡県の蔵元は昭和50年代前半頃まで灘や伏見の大手酒造会社の下請けで生計を立てるなど“日陰の時代”が続きました。
昭和50年代後半から下請けの量が減り始め、さらに経営が苦しくなった県内の蔵元は、それまで経営の柱には考えなかった「吟醸酒」で生き残りを図る英断をします。
この時に追い風となったのが静岡酵母。蔵元に技術指導をしていた静岡県工業技術センターの河村傅兵衛氏が、蔵元が自立するには他地域の亜流にならず、独自スタイルで勝負すべきと考え、吟醸酒造りの実績を持つ県内の蔵で発見した酵母菌をもとに、バイオテクノロジーを駆使して独自開発したものです。 昭和61年の全国新酒鑑評会には、県内から21銘柄が出品し、金賞10、銀賞7を獲得しました。入賞率は実に87%。2位石川県、3位福井県をおさえて全国一位という、県酒造史始まって以来の快挙を成し遂げました。
この年、全国新酒鑑評会に出品された酒は800銘柄ほどで、うち約100銘柄が金賞に選ばれたのですが、この中の10銘柄を静岡県が占めたのです。しかも9号酵母ではなく、地方研究機関が独自に開発した酵母による吟醸酒造り。酒どころとしては無名だった静岡県は、この年の鑑評会を機に、一躍、銘醸地に名乗りを上げたのでした。
他県の研究機関や蔵元は驚愕し、静岡酵母に着目します。「静岡で成功するなら当県だって・・・」と各県の酵母開発に勢いが付き、優良酵母の輩出県だった秋田や長野も新たに独自酵母を生み出します。長野県の「アルプス酵母」は、繊細でまるみのあるおだやかな香りの静岡酵母の酒とは異なる、香り華やかで濃厚な酒を醸し出し、その後の鑑評会で大量入賞しました。静岡酵母の酒が、薄化粧の素肌美人だとしたら、アルプス酵母は完璧な女優メイクを施した美女って感じでしょうか。
いずれにしても、静岡県が先鞭を付けた酵母開発と吟醸酒造りの技術革新は、それまで、国の指導による“鑑評会出品酒”の規格に、新たな地方化・個性化の波をもたらしたのでした。“美女の条件”は画一じゃなくなったってことですね!
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全国新酒鑑評会は毎年5月に行われます。その前に、地域国税局単位の新酒鑑評会が4月(静岡県は東海4県を管轄する名古屋国税局に所属・現在は秋に開催)、県単位の鑑評会が3月に開かれます。静岡県清酒鑑評会は、吟醸酒の部・純米吟醸酒の部と2つ部門があり、点数を付けて順位を決め、最上位の銘柄に県知事賞を授与します。順位を発表している県はあまり多くありません。
各県でどういう酒に県知事賞を与えるかはさまざまです。私が以前、取材に行った宮城県清酒鑑評会は、県知事賞は宮城県の米を使った酒の最上位に与えていました。さすが米どころですね。
静岡県の鑑評会も、「県の鑑評会はあくまで名古屋国税局、全国の鑑評会の予選だ」「いや、県は県独自の基準で選ぶべきだ」等など、これまでいろいろな判断基準で審査されてきました。あくまで内々(静岡県酒造組合)の主催ですから、各組合員(各蔵元)が鑑評会をどう意義付けるかで決まる。順位付けも組合員の総意で決めている。それだけシビアに競い合おうと高い意識で臨んでいるわけです。
飲料・食品・農産物の品質コンペの場合、食味計のような測定器を併用するケースもあるようですが、静岡県清酒鑑評会では機械類を一切使わず、人間のきき酒だけで決めます。10~11人程度の審査員(名古屋国税局鑑定官、大学の醸造学研究者、蔵元代表、杜氏代表など)が官能審査を行い、各出品酒に1点から3点までどれかを付けます。1が優秀、2が普通、3が欠点あり、というシンプルな付け方で、合計で○点以下のものを二次審査、さらに最終審査へと残していきます。
ちなみに1000品近い出品酒を審査する全国新酒鑑評会では、どんなに優秀な審査員でも、香りが強く出る酵母の酒と、おだやかな香りの酒を続けて審査すれば、香りの強い酒を引きずってしまうということで、現在、香りの成分を事前に計測し、審査カテゴリーを分ける、という処置をとっているようです。
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酒の鑑評会は、よく、ミスコンテストやF1レースに喩えられることがあります。ミスコンをきっかけに時代時代の女性の美しさが定義され、F1レースを通して自動車メーカーの技術力が見えてくる・・・最上級を競う場にはそれ相応の役割があると思います。
市販酒の品質安定という当初目的から高度な技術競争へと化した酒の鑑評会。「造り手の自己満足にすぎない世界」「米を精米しすぎる吟醸酒は原料を無駄使いするバブリーな酒」と揶揄する声もあるようですが、昔、静岡県の蔵元から聞いた「うちは小さな蔵だが、吟醸酒に挑戦し、技を磨くことで、普通酒も本醸造も純米酒もレベルアップした」という言葉は忘れられません。
また県外の酒の流通業者から「静岡市の繁華街で飲んだとき、高級な料亭や鮨屋ばかりでなく、ごくフツウの居酒屋でも地元の吟醸酒をズラッと並べていた。地方都市ではあまりお目にかかれない。さすが吟醸王国ですね」と言われたことも忘れられません。
日本酒の全国シェアわずか0.7%弱の静岡県が、静岡酵母に続き、日本酒の世界をいかに変革していくか、ほんとうに楽しみです。この春社会人になったみなさんは、とくに、飲まず嫌いせず、静岡の吟醸酒をぜひオーダーし、「素肌美人の酒ですよね」なんてウンチクたれてみてください。先輩や上司から一目置かれるはずですよ!
なお、4月から朝日テレビカルチャー静岡スクールで、日本酒初心者を対象にした新しい地酒講座がスタートします。4~9月まで半年間、毎月第一土曜日の13時30分からの開催です。
5月には、県の審査員を務めた松崎晴雄さん(酒類ジャーナリスト・日本酒輸出協会理事長)をお招きし、日本酒業界における静岡の酒の特徴や位置づけについて、丁寧に解説していただき、6月には今年の県知事賞受賞の杉井酒造を訪問する予定。日本酒初心者には王道の情報を的確にお伝えし、鑑評会に関心のある方には他では聞けない貴重な情報をご提供できると思います。興味のある方はぜひカルチャーHP(こちら)からお申し込みを。