杯が乾くまで

鈴木真弓(コピーライター/しずおか地酒研究会)の取材日記

静岡らしさの定義~2017年静岡県清酒鑑評会をふりかえって

2017-03-24 09:25:17 | 地酒

 今年も新酒鑑評会の季節がやってきました。3月22日には静岡県清酒鑑評会一般公開&表彰式がグランディエールブケトーカイ(JR静岡駅前)で開催され、平日にもかかわらず多くの地酒ファンが出品酒の試飲を楽しみました。

 今年の県知事賞(最高位)はすでに新聞等でも報道されたとおり、吟醸の部・純米吟醸の部ともに、杉錦(藤枝)でした。しずおか地酒研究会20周年記念酒を醸造していただき、昨年夏には奈良京都の酒造聖地巡礼ツアーにも参加していただいた蔵元杜氏・杉井均乃介さんの快挙には、身内が受賞したような晴れがましい気持ちになり、一般公開会場でお会いした杉井さんに「酒の神様にたんまりお参りしたご利益がありましたね!」と冷やかしちゃいました(笑)。

 杉井さんご本人は、まさかトップをとるとは思っていなかったということを、前夜に更新されたブログ(こちら)につづっておられました。私も、杉錦のW受賞は本当にうれしいサプライズでしたが、実際に今年の出品酒をじっくり試飲して「“静岡らしさ”の定義が変わってきたんだろうか」と複雑な気持ちになりました。そんな私の胸の内を読み透かしたように「どう思う?」と声を掛けてこられた蔵元さんに、「昔の鑑評会では、静岡吟醸らしい上品な上立ち香があり、口中では香りと味のバランスが丸く調和していた。今日の出品酒で吟醸香を感じる酒はほとんどない。味と酸味のバランスがとれている酒が上位に来ているけど、香りに関してはナーバスになっている感じがします」と率直にお伝えしたところ、「静岡酵母自体が変化しているのかもしれない」と意外な言葉が返ってきました。そうか・・・酵母も考えてみれば生きものなんだから、経年変化することがあるんだとハッとさせられました。

 静岡酵母も培養されてから30年はゆうに経過しています。専門の研究機関で厳格に冷凍保存されているとはいえ、厳密にみれば、培地のどの部分から取り分け、各蔵でどのように管理し使用されるかで、河村先生が開発された当初の設計通りの機能を発揮するとは限らない。そのようなリスクに対処するため、協会酵母のベストセラーを生んだある銘醸では、『酵母の更新』をしているそうです。どのような技術を指すのか、素人には見当もつきませんが、河村先生が生きておられたら、当然見過ごさないリスクヘッジだろうと想像し、機会があれば協会酵母を管理する日本醸造協会の専門家に聴いてみたいとも思います。

 いずれにしても、今は各蔵とも、使用する米の種類、精米歩合、酒母造り、水の配合、上槽のタイミング等々、酒造工程一つ一つで差別化を図り、多様な酒質で勝負する時代になりました。酵母によって酒質が決まってしまうような単純なモノサシでは評価できなくなったようにも思います。「静岡酵母」によって吟醸王国の道を切り拓き、酒質向上を果たした静岡の酒も、そろそろ次の段階に来ているのかもしれません。

 静岡酵母が変容しているとしたら、これからの静岡の酒は何をもって静岡らしさをアピールすべきか、造り手も懸命に試行錯誤している・・・そんな印象を受けた今年の一般公開でした。

 

 さて、一般公開会場では、初めて参加したと思われる人が係の人をつかまえて、「なぜこういう酒ばかりなんだ?」と詰問している場面を見ました。そこに並んでいた出品酒が、ふだん飲んでいる酒とは明らかに違うことに違和感を持たれたんだと思います。今までは業界関係者や一部の酒通が対象だった一般公開も、多くの消費者が気軽に参加できるようになり、鑑評会出品酒がどういうものかを知らずに「タダでいろんな蔵の酒が飲める」と来た人も少なくないでしょう。

 以下、2014年4月に「日刊いーしず」へ投稿した鑑評会に関するコラムを再掲します。造り手が技と誇りをかけて醸した出品酒の価値を、ただしく理解していただけたら、と願っています。

 

 

 数年前のこと。酒造関係者の間で衝撃的な数字が話題になりました。国内で消費されるアルコール飲料のうち、日本酒のシェアは、わずか8%。静岡市の繁華街、両替町や常磐町あたりで飲み歩く人がひと晩で何人いるのか数えたことはありませんが、100人いたとしたら、8人しか日本酒を飲んでいないなんて・・・。  さらに、全国に流通されている日本酒のうち、静岡県の酒はたったの0.68%。地元なら高いだろうと思ったら県内で流通されている日本酒の中で静岡の酒は20%以下。地酒ファンが憤慨したくなる数字です・・・。

 確かに気候温暖な静岡県は、酒どころというイメージがないし、すっかり全国区のグルメスポットになった青葉おでん横丁でも、静岡割り(焼酎のお茶割り)は人気だけど、地酒をガンガン飲む客、売る店はありません。  それでも、静岡県内で生産される日本酒は、全国の酒通の間で「吟醸王国」とまで称されるほど人気があるって、信じられますか?   今回は静岡県が吟醸王国になったきっかけともいえる、新酒鑑評会=酒の品質コンテストのディープな世界にご案内しましょう。

 ◇ 

 県内の酒蔵は30社ほど。多くは江戸時代に創業した老舗企業です。東海道の宿場町整備によって消費地が形成され、どの町にも必ず造り酒屋があったんですね。中には商才に長けた近江商人が隠密活動の拠点代わりに開業した、なんて蔵もあります。

 明治以降は酒税を重要な国税にしようと、国が積極的に酒造業を奨励します。このころ設立されたのが国立の醸造試験所。酒税は国の税収の3割を占めるまでになっていましたが、当時は醸造技術が未熟だったため、品質劣化がしばしば問題になりました。宿場町の酒屋の軒先で量り売りする程度ならまだしも、大量に造って各地へ出荷するとなると品質を安定させなければなりません。税金をあてこんでいる国としても、ちゃんと造ってどんどん売ってもらわないと困るということで、国策で醸造試験所を造り、品質コンテスト=全国新酒鑑評会をスタートさせたのです。

 この、全国新酒鑑評会。今年(2014年)でなんと101回目です。休止したのは戦争中と、「独立行政法人酒類総合研究所」に移行する際に東京から東広島へ施設移転したときだけ。全国規模のコンペティションでこれだけ長く継続し、しかも内容的にも非常にレベルの高い技術コンテストというのは世界でも稀有な存在です。

 市販酒の生産拡大のために酒造技術を向上させるという目的でスタートした鑑評会は、やがて蔵元や杜氏にとって、国から優良とのお墨付きをもらい、「金賞」を授与されることはこの上ない誉れとなり、しだいに技術競争の様相を呈してきます。鑑評会の出品用に原料の米を(米の外側は栄養があるが酒にすると雑味になるため)半分以下まで精米し、特別に吟味して醸す、という意味合いの「吟醸酒」は、ここから生まれました。  さまざまな清酒酵母が生まれ、実用化されるようになったのも、鑑評会の功績です。

 7号酵母、9号酵母といった名称で知られる酵母菌の多くは、鑑評会で好成績だった酒蔵を醸造試験所の技術者が調査し、酵母を収集し、保存・育種して普及させました。優良な酵母を選抜して安全な環境で培養し、全国の酒蔵へ頒布することは、日本酒全体の品質安定につながったのです。  現在、酵母は、日本醸造協会という業界団体が専門に培養しており、実用化した順に番号を付けています。現役の協会酵母で最も古いのは6号酵母で、大正時代に秋田の「新政」という蔵から採取されました。7号酵母は昭和21年に長野の「真澄」から。9号酵母は熊本の「香露」から出た香りの高い酵母で、吟醸酒向けに一世風靡しました。みなさんがイメージする吟醸酒のフルーティーな香りは、9号酵母が定着させたとも言われ、今でも鑑評会出品酒の多くは9号系統の酵母を使用しているようです。

 ◇

 さて、静岡県。東海道の城下町を中心に、個人経営の小規模な蔵が多かったものの、交通の要所=安定した消費地という地理的条件に支えられ、そこそこ繁盛していました。しかしながら、太平洋戦争中は原料米不足の折から統廃合を余儀なくされ、生き残った蔵も、東海道線、国道1号線、東名高速道路という新たな交通の動脈が物流を加速させ、高度成長期には全国の銘醸地からさまざまな酒が流入し、地酒は存在感を失っていきます。日本酒の生産量のピークは昭和48年頃と言われていますが、静岡県の蔵元は昭和50年代前半頃まで灘や伏見の大手酒造会社の下請けで生計を立てるなど“日陰の時代”が続きました。

 昭和50年代後半から下請けの量が減り始め、さらに経営が苦しくなった県内の蔵元は、それまで経営の柱には考えなかった「吟醸酒」で生き残りを図る英断をします。

 この時に追い風となったのが静岡酵母。蔵元に技術指導をしていた静岡県工業技術センターの河村傅兵衛氏が、蔵元が自立するには他地域の亜流にならず、独自スタイルで勝負すべきと考え、吟醸酒造りの実績を持つ県内の蔵で発見した酵母菌をもとに、バイオテクノロジーを駆使して独自開発したものです。  昭和61年の全国新酒鑑評会には、県内から21銘柄が出品し、金賞10、銀賞7を獲得しました。入賞率は実に87%。2位石川県、3位福井県をおさえて全国一位という、県酒造史始まって以来の快挙を成し遂げました。

 この年、全国新酒鑑評会に出品された酒は800銘柄ほどで、うち約100銘柄が金賞に選ばれたのですが、この中の10銘柄を静岡県が占めたのです。しかも9号酵母ではなく、地方研究機関が独自に開発した酵母による吟醸酒造り。酒どころとしては無名だった静岡県は、この年の鑑評会を機に、一躍、銘醸地に名乗りを上げたのでした。

 他県の研究機関や蔵元は驚愕し、静岡酵母に着目します。「静岡で成功するなら当県だって・・・」と各県の酵母開発に勢いが付き、優良酵母の輩出県だった秋田や長野も新たに独自酵母を生み出します。長野県の「アルプス酵母」は、繊細でまるみのあるおだやかな香りの静岡酵母の酒とは異なる、香り華やかで濃厚な酒を醸し出し、その後の鑑評会で大量入賞しました。静岡酵母の酒が、薄化粧の素肌美人だとしたら、アルプス酵母は完璧な女優メイクを施した美女って感じでしょうか。

 いずれにしても、静岡県が先鞭を付けた酵母開発と吟醸酒造りの技術革新は、それまで、国の指導による“鑑評会出品酒”の規格に、新たな地方化・個性化の波をもたらしたのでした。“美女の条件”は画一じゃなくなったってことですね!

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 全国新酒鑑評会は毎年5月に行われます。その前に、地域国税局単位の新酒鑑評会が4月(静岡県は東海4県を管轄する名古屋国税局に所属・現在は秋に開催)、県単位の鑑評会が3月に開かれます。静岡県清酒鑑評会は、吟醸酒の部・純米吟醸酒の部と2つ部門があり、点数を付けて順位を決め、最上位の銘柄に県知事賞を授与します。順位を発表している県はあまり多くありません。

全国新酒鑑評会(東広島市アリーナ) 静岡県清酒鑑評会一般公開(グランディエールブケトーカイ)

 各県でどういう酒に県知事賞を与えるかはさまざまです。私が以前、取材に行った宮城県清酒鑑評会は、県知事賞は宮城県の米を使った酒の最上位に与えていました。さすが米どころですね。

 静岡県の鑑評会も、「県の鑑評会はあくまで名古屋国税局、全国の鑑評会の予選だ」「いや、県は県独自の基準で選ぶべきだ」等など、これまでいろいろな判断基準で審査されてきました。あくまで内々(静岡県酒造組合)の主催ですから、各組合員(各蔵元)が鑑評会をどう意義付けるかで決まる。順位付けも組合員の総意で決めている。それだけシビアに競い合おうと高い意識で臨んでいるわけです。

 飲料・食品・農産物の品質コンペの場合、食味計のような測定器を併用するケースもあるようですが、静岡県清酒鑑評会では機械類を一切使わず、人間のきき酒だけで決めます。10~11人程度の審査員(名古屋国税局鑑定官、大学の醸造学研究者、蔵元代表、杜氏代表など)が官能審査を行い、各出品酒に1点から3点までどれかを付けます。1が優秀、2が普通、3が欠点あり、というシンプルな付け方で、合計で○点以下のものを二次審査、さらに最終審査へと残していきます。

 ちなみに1000品近い出品酒を審査する全国新酒鑑評会では、どんなに優秀な審査員でも、香りが強く出る酵母の酒と、おだやかな香りの酒を続けて審査すれば、香りの強い酒を引きずってしまうということで、現在、香りの成分を事前に計測し、審査カテゴリーを分ける、という処置をとっているようです。

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 酒の鑑評会は、よく、ミスコンテストやF1レースに喩えられることがあります。ミスコンをきっかけに時代時代の女性の美しさが定義され、F1レースを通して自動車メーカーの技術力が見えてくる・・・最上級を競う場にはそれ相応の役割があると思います。

 市販酒の品質安定という当初目的から高度な技術競争へと化した酒の鑑評会。「造り手の自己満足にすぎない世界」「米を精米しすぎる吟醸酒は原料を無駄使いするバブリーな酒」と揶揄する声もあるようですが、昔、静岡県の蔵元から聞いた「うちは小さな蔵だが、吟醸酒に挑戦し、技を磨くことで、普通酒も本醸造も純米酒もレベルアップした」という言葉は忘れられません。

 また県外の酒の流通業者から「静岡市の繁華街で飲んだとき、高級な料亭や鮨屋ばかりでなく、ごくフツウの居酒屋でも地元の吟醸酒をズラッと並べていた。地方都市ではあまりお目にかかれない。さすが吟醸王国ですね」と言われたことも忘れられません。

 日本酒の全国シェアわずか0.7%弱の静岡県が、静岡酵母に続き、日本酒の世界をいかに変革していくか、ほんとうに楽しみです。この春社会人になったみなさんは、とくに、飲まず嫌いせず、静岡の吟醸酒をぜひオーダーし、「素肌美人の酒ですよね」なんてウンチクたれてみてください。先輩や上司から一目置かれるはずですよ!

 

 

 なお、4月から朝日テレビカルチャー静岡スクールで、日本酒初心者を対象にした新しい地酒講座がスタートします。4~9月まで半年間、毎月第一土曜日の13時30分からの開催です。

 5月には、県の審査員を務めた松崎晴雄さん(酒類ジャーナリスト・日本酒輸出協会理事長)をお招きし、日本酒業界における静岡の酒の特徴や位置づけについて、丁寧に解説していただき、6月には今年の県知事賞受賞の杉井酒造を訪問する予定。日本酒初心者には王道の情報を的確にお伝えし、鑑評会に関心のある方には他では聞けない貴重な情報をご提供できると思います。興味のある方はぜひカルチャーHP(こちら)からお申し込みを。

静岡県清酒鑑評会審査員を務める松崎晴雄さん

私流かしこい酒粕&活用法

2017-02-06 08:46:56 | 地酒

  新酒が続々と出回るこの時期、酒が搾られるということは、酒粕もたんまり出る!わけで、当ブログにも「酒粕」検索してこられる方も増えています。そこで改めて酒粕についての考察をまとめてみました。

 

 静岡県の酒蔵では、原料の米を徹底的に洗ってきれいな蒸し米を造り、その蒸し米からいい麹、いいもろみを醸し出す。当然、酒を搾った残りの酒粕も雑味が少なく、風味が素晴らしい。蔵元によっては、もろみ100のうち、5割以上を酒粕にしてしまい、酒は搾りに搾った真の滴だけ・・・というこだわった造り方をしています。昔は酒粕が多い=酒が少ない=下手な造り方というレッテルを貼られたそうですが、今は180度評価が変わりました。経営者が杜氏になるケースが増え、こういうぜいたくな酒造りも可能になったんですね。当然、原料にもこだわりの酒造好適米を使っていますので、酒粕がいいのも当たり前、というわけです。

 

 写真左は吟醸バラ粕。吟醸酒はもろみを酒袋に入れて積み上げ、上からゆっくり圧力をかけて、自然に搾り出てくるのを溜める、という方法をとることが多いので、酒袋に残った粕もふんわりしっとりしています。期間限定ですが蔵元や地酒専門店で入手できます。吟醸酒の風味が残っているので、私はドリンクや鍋など“汁物”に使うようにしています。冷凍すれば1年は保ちます。

 写真中央は板粕。吟醸酒よりも精米率の低い酒は、ヤブタというアコーディオンのような搾り機で強制圧縮させて搾ります。圧力が強い分、酒粕も板状になります。

 写真右は板粕を3年冷蔵保存したもの。ナッツやチョコレートボンボンのような風味になります。これが意外に調味料として重宝するんですね。味噌やチーズなど他の発酵食品との相性もGOOD! 酒とみりんを加えてペースト状にすれば、粕漬の床になります。粕漬床は冷蔵保存し、1ヶ月ぐらいで使い切ってください。

 

 

 しずおか地酒研究会では、2004年の浜名湖花博「庭文化創造館」で、真夏の『雪見の庭』を眺めながら、静岡の蔵元が持参した酒粕を使って冷やし甘酒を提供し、多くの方に喜ばれました。このとき、酒粕の効能についていろいろ資料を集め、調べてみたところ、目からウロコのネタばかり! それまでは何といっても酒が大事で、粕は眼中になかったため(笑)、猛省させられました。

 そもそも酒粕とは、酒のもろみを搾った後、役目を終えた酵母や、清酒にならなかったデンプン、たんぱく質、ビタミン類のかたまり。脳の活性化に効果のあるグルタミン酸、疲労回復に効果のあるアスパラギン酸、メラニン生成を抑制するシステイン、体内で合成できない必須アミノ酸のロイシン(肝機能強化)、リジン(脂肪燃焼や鎮静作用)、アルギリン(免疫力向上)等、20種類以上のアミノ酸がバランスよく含まれます。米に比べ、アミノ酸の総量はなんと583倍。ビタミンB2は26倍、B6は47倍というグレードです。 

 アミノ酸が豊富ということは、肌の保湿力や美白効果を促進してくれます。もちろん頭髪にもいい。さらに、アレルギー症状をやわらげ、高血圧抑制やボケ防止にも効果があるといわれる優秀な酵素ペプチド、ヨーロッパでは抗うつ剤に使われるS-アデノシルメチオニン等の有効成分も。

 

 今、酒粕の有効成分として注目されているのが、2010年秋にNHKためしてガッテン酒粕特集で紹介された「レジスタントプロテイン」。食物繊維のように消化されにくい性質を持つたんぱく質で、体内に入ると、消化されずにそのまま小腸に行き、食物の脂質と結びついて、そのまま体外へ排出させるというのです。排出=大便はいつもより脂質が多くなるので、お通じがスルッとなって、便秘改善 → ダイエットの味方!に。

 脂っこいものを食べるとき気になる“悪玉コレステロール”も、レジスタントプロテインが抱え込んで排出してくれるので、コレステロール数値が下がり、血液がサラサラ → 動脈硬化予防につながります。自分は手遅れだけど(涙)、20~30代の早いうちから常食しておけば、成人病のリスク軽減になると思います。ぜひ酒粕を常備食材にして、賢く利活用してください。

 

 

 2004年の浜名湖花博ではキッチンディレクターの田米嘉宏さん(浜名湖ロイヤルホテル調理部)が甘酒作りや酒粕デザートレシピを担当してくれました。日ごろお世話になっている蔵元の奥様たちからも、アイディアレシピを教えてもらっていますので、いくつかご紹介すると―

 

甘酒の作り方/酒粕350gに対して、水1ℓ、上白糖140g、塩小さじ2分の1を用意。酒粕を鍋に一度に入れると焦げやすいので、ボールなどで少量ずつ溶かして鍋に移し、最後に上白糖と塩で味付けすると、上手に仕上がります。最近は甘酒ブームで甘酒用麹がたくさん出回っていますので、砂糖を使わず、酒粕と麹を半々ずつにして、麹の自然の甘みで仕上げてもよいと思います。

 

☆豆乳甘酒/甘酒を作る時、水を豆乳にします。レジスタントプロテインに大豆プロテインが加わり、強力な健康ドリンクに! 私は、新鮮な吟醸粕が入手できたときは、ミキサーに豆乳200CC、酒粕20グラム、ハチミツ少々を入れて攪拌させ、スムージー感覚で飲んじゃいます。加温すると死滅しちゃう酵母が活かされるし、風味もバツグン。朝の快便間違いなし! ただし微量ですがアルコール分がそのまま残りますので注意してください。

 


酒粕ピザ/板状の酒粕にとろけるチーズを乗せてオーブントースターで6~7分。トースト代わりになります。バラ粕ならギョウザの皮に乗せて、ハーブソルトとオリーブオイルをふりかけ、トースターで3分。簡単なおつまみになります。

 


☆酒粕と味噌のカナッペ

材料/フランスパン、酒粕30g、田舎味噌20g、上白糖10g、万能ネギの小口切り大さじ1、日本酒大さじ1)

①フランスパンを5ミリ厚に切ってオーブンで軽く空焼きします。

②酒粕、味噌、上白糖、日本酒、ネギを混ぜ合わせます。一緒に呑む酒の味に合わせて甘さを加減するとよいです。個人的には、ちょっと砂糖多めにするほうが酒の味がひきたつかなあ…。

③パンに②を塗り、オーブンで焼き色が付くまで(7~10分程度)焼きます。和風に徹したかったら、パンを油揚げに代えてもOK。

 

 

酒粕サブレ(60~70個分)の作り方/酒宴向けのひと手間かけたデザート。バター60gを常温に戻し、酒粕150gとなじませ、グラニュー糖200gを加える。振るった薄力粉250gを加えて、こねずにざっくり合わせます。棒状に伸ばして適当な数に切り、160度のオーブンで10~15分焼きます。 

 

☆かんたん酒粕鍋/冬の寒さはコレでしのいでいます。土鍋に湯を沸かし、こぶ茶(だし代わり)、酒粕、味噌少々を融かし、適当に具材を煮込むだけ。とくにお気に入りの芽キャベツは甘さがグンと増します。こぶ茶をコンソメに代え、酒粕+味噌+バター+牛乳でホワイトシチューにしてもよし。

 

 

 ちなみに、酒が残っているときは、思い切って『美酒鍋』にしています。土鍋に油をひいてにんにくを炒め、香りが出たところで肉を炒め、火が通ったら野菜を加え、塩コショウする。ざっくり火が回ったところで日本酒を鍋半分ぐらい入れてだし醬油(めんどくさいので顆粒状だしの素をふりかけ+しょうゆ)で味付けし、煮込む。むちゃくちゃ体が温まりますよ。

 

 NHK『ためしてガッテン』が酒粕の有効成分について取り上げて以来、酒粕イコール健康食品のイメージが定着したことから、東広島にある独立行政法人酒類総合研究所でも酒粕の機能性成分について本腰を入れて研究し、新しい有効成分を発見しました。4年前、研究発表会を聴講したときのメモをまとめてみます。

 

 注目される高機能性成分とは、S-アデノシルメチオニン(SAM)と葉酸。SAMは清酒酵母が高含有する成分で、肝障害、ウツ、関節炎を防ぐ効果があり、欧米ではサプリメントとして広く知られています。国内産のサプリメントは2社から発売されており、いずれも清酒酵母から成分採取されているそうです。

 葉酸は欧米では子ども向けのシリアルにも使われる高機能性成分で、妊婦の滋養に効果あり。先進国では日本だけ摂取量が低いといわれるものです。

 

 酒粕に含まれるSAMは、豚レバーの約27倍(最大で116倍)、葉酸はホウレンソウの約0.8倍(最大で2.5倍)。最大値との数値に開きがあるのは、サンプルに使われた酒粕の違いによるものです。たとえば酒の主要成分であるタンパク質は、普通酒では14.4%、大吟醸では5.5%、液化仕込は25.3%というように仕込み方法の違いによって酒粕にまで成分の差がハッキリ出るんですね。とくに酒粕をあまり出さない液化仕込と、酒粕をもろみの5割以上出す大吟醸では、極端な差があります。

 そんなこんなで酒粕の成分検査は、複雑かつ判断が難しいようですが、酒粕の有効成分が話題になる中、あらたにSAMと葉酸の高含有が科学的に解明され、ますます頼もしく感じました。

 

 SAMや葉酸は、酒粕を冷凍保存(マイナス30℃)することで長期保存でも含量が損なわないようです。とくに酒粕を凍結乾燥させると安定性が劇的に向上する。凍結乾燥の酒粕が機能性食品として開発される日も必ず来るでしょう。

 後日、東京のある酒宴で、偶然、NHKためしてガッテンの酒粕特集を担当した番組ディレクターとお会いし、さっそくこの話をして酒粕特集第2弾を、とアピールしたんですが、そのディレクター氏、ほどなく異動になってしまったとか。・・・せっかくの研究成果ですから、酒類総研はうまくメディアを活用し、発信してほしいと思います。

 

 さて昨年末に発売された『杉錦生酛特別純米・しずおか地酒研究会20周年記念酒』の生原酒バージョンに続き、2月1日には加水火入れした通常バージョンが発売になりました。ラベルは、明治~大正頃、生酛を造っていたであろう蔵元杉井均乃介さんのご先祖をイメージし、鉛筆画で描かせてもらいました。冷酒でも常温でも燗でもダラダラ呑める懐の深い日常酒です。

 価格は4合瓶で1512円、一升瓶で2916円。取扱店は前回の生原酒バージョンより少し増えるようで、蔵元の方で今週中に取扱店リストをまとめてくださる予定です。追ってご連絡しますので、どうぞよろしくお願いします。


磯自慢入手顛末記

2017-01-31 00:03:48 | 地酒

 昨年末、1年間続けた『しずおか地酒研究会20周年記念イベント』が一段落した後、緊張感が抜けたせいか風邪でダウンし、完治しないうちに忘新年会に出歩いたり、カルチャーや公民館の地酒講座をこなしたため、珍しく胃腸を壊し、ほぼ1か月ずーっと体調不良でした。

 この間、ブログ更新も滞ってしまいましたが、通常と変わらない数のアクセスで、多くの方に過去記事を閲覧していただきました。本当に心より感謝申し上げます。

 心機一転、テンプレートデザインを変えてみました。遅まきながら、今年もどうぞよろしくお願いいたします。

 

 先日、仕事でお世話になっている方から得意先に地酒を贈りたいと相談を受け、ヴィノスやまざき本店にご案内しました。そこで久しぶりに入手したのが、ヴィノスやまざきオリジナルの磯自慢撰抜本醸造。この酒にはちょっとした思い出があるんです。

 


 以下は、4年前の2013年2月1日に静岡オンラインさんのポータルサイト・日刊いーしずのコラム枠に寄稿したものです。磯自慢がなぜ入手困難になったのか、この30年の静岡の酒の歩みを踏まえ、私なりに考察したもの。一部修正し、再掲してみます。



 

磯自慢入手顛末記

 2012年末のことです。沼津の観光記事を書くため、昔からお世話になっていた沼津市内の某社長のもとへリサーチに行ったとき、その社長さんから「磯自慢が手に入らなくて困っている」と言われました。暮れのギフトでどうしても必要だが、沼津市内の酒販店では必要本数が入手できないと。磯自慢の取扱い販売店では全国どこでも「お一人様1本限り」の断り書きが貼ってあるんですね。

 今や、静岡が誇るトップブランドとなった『磯自慢』。平成元年2月に初めて取材した思い出深い酒蔵で、蔵元の寺岡洋司さんとも30年近いおつきあいになります。でも、いくらつきあいが長いからといっても、ただの酒呑みライターが「1本限り」の原則を曲げることなんて出来ません。

 沼津の社長さんからは「困っている」と言われただけで、「手に入れて」と頼まれたわけではありませんが、地酒のことで困っていると聞けば何とかしたいし、恩ある社長さんに報いるにはそれしかないだろうと、県内で磯自慢を取り扱う酒販店1軒1軒を回ってかき集められるだけ集めて社長さんに届けました。必要本数には届かなかったものの、とりあえず社長さんのホッとした表情が見られて、こちらも肩をなでおろしました。と同時に、改めて、『磯自慢』という酒のブランドパワーに息を呑む思いがしました。

 30年前は地元焼津を除けば、よほどの酒通でなければ海苔の佃煮かふりかけの名前だと思われていたかもしれません。なぜ、これほどまでに入手困難になったのか、これまでも、いろいろな人から訊かれました。某百貨店の社長さんからは直々に「なぜ百貨店で磯自慢を取り扱えないのか」と詰問され、自分が軽々に応えるのはまずいと思い、寺岡さんに「どうお返事しましょうか」と相談しに行ったこともありました。


 テレビコマーシャルで大々的に宣伝する大手ブランドとは違い、地方の、ましてや酒どころのイメージのない静岡の地酒の場合、蔵元自身の広報力だけでブランドパワーを獲得するのは至難の業です。加えて日本列島のほぼ真ん中の、東海道ベルト地帯にある静岡は物流が発達しているので、全国津々浦々から有名地酒が入ってきます。静岡県内で呑まれる日本酒のうち、県産酒のシェアは実は2割以下なんですね。

 戦後の高度経済成長時代は黙っていても日本酒が売れていた時代でした。卸問屋や小売店にしてみれば、注文した量をすぐに納入してくれる、ついでにおまけしてくれる、サービスで看板を付けてくれたりする県外の大手酒蔵を重宝します。

 一方、そんな“余力”のない県内中小酒蔵は、造った酒のうち、地元で細々売る以外は、灘や伏見の大手酒蔵に桶売り(OEM供給)するなどして、必死に生き残りを図っていました。やがて大手が輸送コストのかかる桶買いをやめて自主生産体制を整えると、桶売りに頼っていた酒蔵は自立、事業縮小、あるいは転業・廃業の選択を迫られます。

 このとき自立の道を選んだ酒蔵は、量より質にギアチェンジし、それまでコンテスト用に少量試作していた吟醸酒の市販化に取り組みました。これを強力に後押ししたのが、静岡県工業技術センター開発の『静岡酵母』。昭和50年代後半~60年代にかけ、県内酒造業がドラスティックに構造転換した時代でした。

 

 磯自慢酒造は、桶売りに頼らず、一貫して『磯自慢』として造り続け、売り続けてきた蔵でした。地元焼津は新鮮な海の幸の宝庫。口の肥えた客や料理人が集まる日本有数の港町、という土地柄も手伝い、蔵元の酒質に対する意識は大いに磨かれていたのでしょう。

 しかし焼津から一歩外へ出れば、酒の市場は荒波の渦。家業に入る前、酒の流通会社で修業をし、市場の渦の激しさを目の当たりにしていた寺岡さんは、「うちも一層、質を磨いていくしかないが、品質を上げれば黙っても売れるほど世の中は甘くない。市場に認知され、信頼される努力をしなければ」と実感します。蔵に戻るや次々と蔵の改造・改築に着手し、暖地静岡のイメージリスクを払拭するような、完璧な低温管理醸造所を創り上げました。

 同じ頃、同様に、テレビコマーシャルで名の知れた銘柄を並べておけば黙っていても売れる時代ではない、卸問屋に依存し、他店と同じ商品を並べるだけでは価格競争に巻き込まれる、と危機意識を持った小売酒販店がいました。それが、東京の「はせがわ酒店」、静岡の「ヴィノスやまざき」等、磯自慢の名パートナーとなった酒販店です。彼らは卸問屋に頼らず、小さいながらもキラリと光るダイヤの原石のような地方の蔵を自らの足で発掘し、リスクを分かち合いながら必死に営業努力を重ねました。

 自分の酒を無名の頃から買い支えると言い切ってくれた、そんなパートナーへの恩を、寺岡さんは今でも大切にし、生産量や新規取引先を無計画に増やすようなことはしません。

 

 2008年のG8北海道洞爺湖サミットの晩餐会乾杯酒に選ばれたことで、磯自慢の人気にさらに拍車がかかりました。サミット酒=日本を代表する国酒、という最上級のブランドパワーがついた以上、品質は絶対に落とせませんし、品質を落とせないという理由で量を減らすことも出来ないでしょう。

 ブランドとは、高い品質を安定供給できる信頼の証。現場の杜氏さんや蔵人衆の肩にかかるプレッシャーは相当なものだと想像しますが、現場の皆さんは蔵を訪ねるたびに意気揚々と迎えてくれます。緊張の中にも、期待されることへの充足感があるんですね。「働き甲斐のある仕事場なんだな」と、こちらもワクワクしてきます。そんな現場を作り上げた寺岡さんは、私が知る限り、国酒にふさわしい日本屈指の酒造家だと明言できます。

 

 

 2012年末、私が磯自慢を求めて県内酒販店を駆けずり回っていた頃、寺岡さんの名パートナーだったヴィノスやまざき(静岡市葵区常磐町)の山崎巽会長が亡くなりました。

 山崎さんは、私が初めて手がけた新聞全面広告のスポンサーであり、「マユミさんの思い通りに作ってみなさい」とチャンスをくれた、私にとっても得難い恩人です。毎日新聞で199798年に連載していたコラムでは静岡酒の功労店として似顔絵付きで紹介。一線を退かれた後も、時折、「最近の酒の事情を聞きたい」と連絡をもらい、お茶を飲みにうかがったりしていました。

 2013年1月8日に執り行われたお別れの会には風邪で体調を崩して参列できませんでしたが、2日後、東京の広尾へ取材に行ったとき、ヴィノスやまざき広尾店で磯自慢のやまざき限定新酒を見つけ、思わず購入してしまいました。

 取材先というのはドイツ大使館。静岡県広報誌の看板企画・川勝知事と各国大使の対談コーナー取材です。訪問時には手土産として、編集スタッフが静岡県産マスクメロンを用意するのが常でしたが、対談で食の話題になると、知事は「わが県には、洞爺湖サミットで乾杯酒に選ばれた名酒がある」と自慢げに話されることがあるので、迷惑にはならないだろう、と、買ったばかりの磯自慢を手土産に加えてもらいました。

 案の定、知事は満面得意顔で「サミットの酒です!」と大使に差し出したものの、実は、私が買った限定新酒というのは、サミットで使われた最高級の中取り純米大吟醸35ではなく、ハウスワイン価格の本醸造。ヴィノスやまざき広尾店はドイツ大使館の目と鼻の先ですから、行けば、バレバレです(苦笑)。

 それでも、磯自慢という酒は本醸造だろうと大吟醸だろうと、日本を代表する国酒に違いない、その称号にふさわしい経営努力を寺岡さんはされてきたのだという私なりの確信があってのこと。その素晴らしい酒をテーブルヌーヴォーとして手軽に味わえるようヴィノスやまざきが企画した、ある意味、お宝な逸品です。こうして取材前に偶然手にしたのは、山崎さんが天空から呼びかけてくださったのでは、と思いました。

 知事のニコニコ顔を見ていたら、磯自慢のような造り手やヴィノスやまざきのような売り手が地元に存在することが、静岡の酒全体のブランドパワーをどれだけ押し上げたのか計り知れない、と実感しました。今、磯自慢の取扱いのない酒販店の中にも、自分が惚れた酒を全力で買い支えようと努力する若い酒販店主や、彼らが開拓した飲食店主が数多く育っています。飲み手の私たちがいいお酒にめぐり合うチャンスとは、いい売り手との出会いに他なりません。山崎さんは生涯をかけ、そのことを実証してくれた先達でした。

 

 対談取材が終わって大使館の門を出たとき、夕闇に染まる空を見上げて、「今日、広尾店にはたまたま本醸造しか置いてなかったんですが、大丈夫ですよね」と、手を合わせました。山崎さんは「うちが全力で売る酒に文句は言わせない」と応えてくれるはず・・・そう、確信しています。

* 『磯自慢』の取扱い店はこちらの公式サイトをご参照ください。

 

 

 私をこの世界に導いてくれた栗田覚一郎さん(元静岡県酒造組合専務理事)、竹島義高さん(静岡県の大吟醸を初めて客に飲ませた入船鮨常務)、ヴィノスやまざきの山崎巽会長、静岡酵母の河村傳兵衛先生・・・戦前戦中生まれの骨太頑固オヤジたちは、今ごろ天国で、「次はだれがやってくるのか」と手ぐすね引きながら、杯が乾くまで酒盛りしているかもしれません。「あと30年は待たせますよ」と宣言しておきたいところです。

 

 


河村先生の遺産(その2)伊豆のみかんワイン

2016-12-28 20:55:21 | 地酒

 今年2016年も暮れようとしていますが、私にとっての2016年は、ライターの仕事を始めてちょうど30年という節目の年でもあります。静岡新聞社発行のタウン誌のスタッフライターとしてデビューし、フリーランスになって最初に定期的に請け負った取材業務のひとつに、静岡県下の農協の直販宅配ガイド『四季ORIORI』がありました。

 平成元年(1989)8月発行の『四季ORIORI第7号』では県下10農協の特産品を紹介しており、伊豆東農協のページでは特産のニューサマーオレンジ、夏みかんサワー、そしてこの年に新発売となった『伊豆みかんワイン・ゆめ紀行』を取り上げました。

 「伊豆のみかんがおしゃれにドレスアップ」というダサいキャッチコピー(苦笑)は、当時の農協スタッフさんからなぜか気に入られ、カメラマンがイメージに合わせた写真も撮ってくれましたっけ。ちなみに真ん中のイラストマップは私の手描きです。これも今見ると、子どもの絵日記レベル(苦笑)。

 

 平成元年8月発行ですから、取材はその3~4か月前。ちょうどこの頃から静岡の酒の取材も始めていました。もっとも酒の取材は好きで始めたアテのない仕事でしたが、河村傳兵衛先生や栗田覚一郎さん(当時の県酒造組合専務理事)という面白いオジサマたちに勝手にくっ付いて行って、クセのある酒蔵や酒販店のおやじさんたちにからかわれながらも、静岡吟醸のビックリするような味わいにドキドキしたものでした。

 河村先生に「伊豆でみかんワインというのを作ったそうで、農協の雑誌の取材で行ってきました」とお話したら、「あれは私が開発したんだ」と言われてビックリ。先生から、素人が読んでもちんぷんかんぷんの技術論文を見せていただき、「まあワインも日本酒も似たようなもんか…」とスルーし、論文のことは記憶からすっかり消えていました。

 

 先月から取り掛かっているJAの情報誌で伊豆みかんワインを取り上げることになり、懐かしいなあと思っていた矢先に先生の訃報。それに呼応するように先生のみかんワインの論文のことが思い出されました。今なら多少理解できるかもと思い、頭に叩き込む意味で一部ここに書き込んでみます(具体的な数字や酵母の名称は伏せますね)。

 

ミカンワイン

 昭和47~48年、温州ミカンの農作により暴落した。このため生食以外の利用にミカンワインの試験醸造を行った。

 ミカン果汁の中には微量の酵母と細菌が存在し、殺菌剤を用いると菌を完全に殺菌することはできないが、菌の増殖を抑制した。試供した酵母はブドウ酒酵母2株、清酒酵母3株を用いた。清酒酵母は湧付が遅れたがワイン酵母は早く、ミカンワイン製造にはワイン酵母が適していた。

 温州ミカンの糖分は7~10%であるので、ワインを醸造するためには補糖し、糖濃度を26%まで高める必要がある。果皮を手で剥皮し、搾汁したパルパー果汁を用いたが、製成酒の香りはクセが少なく、味も淡麗で良好な品質であった。工場生産されているパルパー果汁、インライン果汁、逆浸透圧法果汁、真空濃縮果汁も用いてワインを醸造した。それぞれきき酒した結果、パルパー果汁のワインが最もよく、淡麗であった。インライン果汁と逆浸透圧果汁は精油分が多いため苦味を感じた。真空濃縮果汁のワインは香りが悪く酒質が最も劣った。いずれの製成酒とも酸味が強く、除酸する必要があった。

 静岡県のみかん果汁の酸度は1.0~1.2であり、他県と比較して高いため、100%果汁として飲みにくい。ミカンワインの酸度も、ブドウを原料としたワインに比較して5~6割多く、酸味を強く感じた。ミカンワインの有機酸はクエン酸が90%で、残り10%はリンゴ酸である。酸味を減ずる方法は、一般的にはアルカリ性試薬によって中和する方法である。中和剤として炭酸カルシウム、炭酸カリウム、炭酸ソーダ、アンモニアを用いてミカンワインの酸度を調製した。中でも炭酸カルシウムを添加して0.5%の酸濃度に調製したワインが最も良好であった。

 中和剤で酸味を減少させる方法では有機酸塩がワイン中に残存し、風味に悪影響を与える。ブドウ糖からのワインはマロラクチック発酵によってワイン中のリンゴ酸を乳酸やエタノールに変換し、味を丸くすることができる。ミカン果汁中のクエン酸を微生物によって分解し、減少させる方法を考え、クエン酸資化性の酵母をスクリーニングし、分離した菌株を定めた。

 ミカンワインのもろみ中にこの酵母とワイン酵母を添加してもほとんど酸度は減少しなかった。そこで先に果汁をこの酵母で発酵させ、クエン酸を消失させた後にもろみに添加し、発酵させると任意の酸度に調製することができた。製成したワインは無処理や中和法によるワインに比較して、丸みのある良質のワインとなった。

 賀茂郡東伊豆町の伊豆東ワイン㈱で昭和63年11月から製造し、現在は果汁42キロリットルで原酒80キロリットルを生産している。原酒に糖分、クエン酸、香料を添加して、アルコール8%の甘味果実酒を製造している。 

バイオテクノロジー研究調査報告書/平成2年3月 静岡県工業技術センター発行より

 

 

 

 ミカン農家に損をさせないために、なんとか売れる加工品にしよう、しかも「淡麗で丸くて良好」と、まるで静岡吟醸に匹敵するような美味しいワインを作ろうと、トライ&エラーを繰り返した河村先生の生真面目な姿が甦って来るようです。昭和40年代から始めた研究であれば、本当に地道にコツコツ研鑽を積み重ねてこられたんですね。

 

 思えば、河村先生の研究は、酒蔵やみかん農家が苦しい時に必要とされてきたものでした。農作物が原料だからすぐには成果が出ないし、研究室で成功したものを現場に落とし込んで定着させるには、現場が意識を共有してくれないと難しいでしょう。

 公務員ですから、民間企業のように結果が出なくて業績評価に響く、なんてことはないだろうし、異動になれば後腐れなし・・・で済ませることも出来たはずですが、私が知っている河村先生は、私が知っている公務員というカテゴリーには当てはまらない、妥協を許さない勝負師でした。その、他人にも自分にも厳しい生真面目さが時には軋轢を生んだこともありましたが、しっかりレガシーを残している。「公僕」という肩書が、これほどふさわしい人が官庁の研究機関にいるでしょうか。

 

 現在、温州ミカンは当時の「豊作で価格暴落した余剰ミカンを加工に回す」という状況とは打って変わり、生産農家の高齢化や産地集約等により、生産量が減少しています。というか、作るからにはしっかり品質管理&ブランド化して、ちゃんと売れるミカンを作る、という体制になっているんですね。三ケ日ミカンが生鮮品として日本で初めて「機能性食品表示」を取得したことも話題になっています。

 

 平成元年の開業時以来、28年ぶりに訪ねた伊豆東ワイン㈱では、アルコール度5~6%の甘口ワイン、10~11%の辛口ワインの2タイプ製造していました。加工用に回せるミカンの入荷量が少ないため、仕込み日も限定的。ミカン以外にアロエやニューサマーオレンジのリキュールも作るようになったそうです。直売店や工場見学コースは昔のまま。考えてみると6次産業の先駆けだったんですね、ここ。

 

 ・・・にしても、河村先生が開発に関わった伊豆みかんワインを、先生が亡くなった直後に再び取材するなんて、先生に天上から「しっかり論文を読んで取材しろ」と叱咤されたようなもの。日本酒を飲みつけている身にしてみれば、みかんワインなんてミカンジュースに毛が生えたようなもん・・・なんて見下していた自分が恥ずかしくなってきます。

 見た目はいかにも観光土産って感じですが、河村傳兵衛研究員の若かりし時代のレガシーとして飲み支えしなければなりません。このワインも「静岡の地酒」に相違ないのですから。

 伊豆みかんワインはこちらのサイトから購入可能です。


河村先生への感謝

2016-12-09 23:24:21 | 地酒

 静岡県を吟醸王国に育てた最大の功労者・河村傳兵衛先生がお亡くなりになりました。

 先生の訃報に接し、直弟子のお一人青島傳三郎さんから「平常心で酒を造り続けることこそ先生への供養。私が酒を造り続ける限り、先生の魂は不滅です」と力強いメールをいただきました。青島さんが酒を造り続けるならば、私はライターとして書き続けるしかないだろうと、平成元年から始めた酒の取材資料を紐解き、古い手書きの原稿を見つけました。

 日付は平成元年(1989)2月12日。東京の酒仙の会が焼津の寺岡酒造場(現・磯自慢酒造)を見学し、たち吉で交流会を開催した際、講師に呼ばれた先生のお話を飛び入りで拝聴し、自分なりに書き留めておいたものです。この日が私にとっての酒蔵デビュー。磯自慢の蔵を観て河村先生の講演を聴くなんて、今思えばとんでもなく贅沢で恵まれたデビューでしたが、当時の私はその価値がよくわからず、講演中の先生のどことなく厳しい教育口調に恐れおののき、磯自慢の味はほとんど覚えていませんでした(苦笑)。

 資料ストックを調べ直すと、ほかにも先生の講演を自分で講演録としてまとめていたものがいくつか出てきました。当時使っていたワープロの感光紙に印字したもので、感光紙が経年劣化し、文字が消えかかった原稿もいくつかありましたが、後年、自分の言葉でつづった静岡の酒にかかわる記事は、先生の講演録を再三書き起こして頭に叩き込んでいたものがベースにあったんだ・・・と今更ながら気づき、胸が一杯になりました。

 

 この写真は、平成元年春ごろ、牧ケ谷の静岡県工業技術センターの研究室へ初めて取材にうかがったときに撮らせていただいたものです。先生は40代で現役バリバリの頃ですね。

 

 

以下に酒仙の会の講話を再録します。先生のドスの効いた?声で脳内再生してみてください。

 

 

品質勝負/河村傳兵衛氏講話より   

 

 「品質勝負」-。県内の酒造メーカーが生き残るにはこれしかない。それも個々のメーカーが良くても、静岡県全体のレベルが上がらなければ意味がない。銘醸酒の産地として、広島、熊本、秋田などと名を連ねるようにならなければ、ということである。

 そのためにはまず数をそろえる必要があり、数を作るには酵母のみならず、酒造り全体の総合力をつける必要がある。

 そもそも酵母は実験室の中で出来るからやり易い。その酵母をメーカーに振り分け、麹別に変える。しかしこれで必ずしもいい酒ができるわけではない。酒造りの最大のカギが麹にあるからだ。

 麹造りは、あるレベルへたどり着くまでが非常に難しい。さらに、他県の酒との差別化を図っていくには感性に頼るしかない。手で触り、眼で観て鼻で匂いを確かめて、五感のすべてを働かせる。それは官能の域である。具体的な数値などは後から付いてくるものだ。

 麹いかんによって、酒は自由自在に造れると言ってよいだろう。良い麹は酵母を選ばなくなるからだ。ここで言う理想的な麹とは、しまりのある凹む麹である。

 吟醸酒の代表県広島では、オデキのようにぶつぶつ浮き上がる麹が良しとされているが、仕上がった酒は酸度が1.5平均の重い酒である。広島に比べて丸く香りが高いとされる石川の吟醸酒で酸度1.3前後。一方、静岡のそれは1.0~1.1と低い。この酸度の低さこそが吟醸酒の本流である。事実、広島でも石川でも酸度をそれぞれ0.2~0.3ほど下げる動きを見せている。

 わが静岡県型の酒とは、淡麗でフルーティー、そして丸い。その特性は水にある。酒造りの際、水は米の10倍から100倍もの量を使う。静岡の場合、鉄分や有機物がほとんど含まれていない優れた水が豊富にある。これは大きな強みである。きれいな水と凹み麹から生まれる丸い酒ーこれこそが「品質勝負」を掲げる静岡の酒の理想の姿である。

 さて、毎年鑑評会で幾つ入賞するかが話題になるが、消費者の立場で見れば鑑評会用に造られた酒と市販に出回る酒とでは、品質の上でかなりの差があると言わねばならない。したがって、小売店が金賞受賞酒といって売り込んでも消費者を失望させるおそれがある。

 メーカーにとっては、消費者が認める酒こそが理想の酒なのだ。極端な話、金賞をとった酒はことわりなさい、ということだ。その年その年、賞に漏れた酒に思わぬ逸品がある。酒は生き物なのだから、メーカーも小売店もそれ相応の気持ちで取り組むべきである。

1989年2月12日 酒仙の会(会場/焼津たち吉)にて

 

 

 

 酒蔵デビューから8年後の平成8年(1996)、しずおか地酒研究会を作りました。そのとき先生から色紙を何枚か頂いたのですが、その中の「酒質は杜氏の心の軌跡である」という言葉が心に刺さりました。ライターとして、また地酒研という交流の場を通じて、自分の役割は杜氏さんの酒造りの心を聴くことであると。昨年上梓した『杯が満ちるまで』の第3章ー蔵元紹介を、会社のプロフィールや銘柄紹介ではなく、杜氏の人となりを軸に書いたのは、そんな思いの延長でした・・・。

 

 

 先生の訃報は、前回記事で、20年前の地酒研発足時にお世話になったことに触れた直後でしたので、一両日喩えようのない寂寥感に襲われました。でもこうして先生の言葉を読み返し、静岡吟醸を飲み直せば、本当に感謝の思いしか湧いてきません。静岡の酒飲みは先生にどれだけ幸せにしてもらったか・・・言葉に出来ない感謝の気持ちを、きっと、みなさんも共有されているでしょう。

 23日の20周年歳末感謝祭では、先生への献杯コーナーを設けようと思いますので、お時間のある方はぜひお立ち寄りください。