杯が乾くまで

鈴木真弓(コピーライター/しずおか地酒研究会)の取材日記

大井川水系の酒蔵

2016-02-08 10:24:51 | 地酒

 しずおか地酒研究会20周年の今年は、3月の20周年記念講演会を皮切りに毎月さまざまな活動をしようと、目下、企画調整中。3月15日の記念講演会は、当初60名定員で募集したところ、嬉しいことに早々に満席となり、広い会場に移して倍の120席をご用意しました。お時間のある方はぜひお越しくださいませ!

 

しずおか地酒研究会20年アニバーサリー記念講演会 「造り手・売り手・飲み手が切り拓いた静岡地酒・新時代」

 20年アニバーサリー第1弾は、1996年から20年欠かさず、講師として来て下さった松崎晴雄さんに講演をお願いしました。松崎さんはご存知、日本を代表する酒類ジャーナリストであり、全国各地域の清酒鑑評会審査員を務め、日本酒の海外振興のトップランナーとしてもご活躍中です。

 今年は昭和61年(1986)に静岡酵母による全国新酒鑑評会大量入賞から30年という節目にもあたります。松崎さんには日本酒業界の30年を振り返り、飲み手目線で始めた地酒振興活動について、大所高所から解説していただきます。会場は20年前と同じ「あざれあ」です!

 当日は静岡県清酒鑑評会審査会が県沼津工業技術研究所で開催され、即日結果発表されます。鑑評会主催の静岡県酒造組合会長・望月正隆さん(「正雪」蔵元)にもお越しいただき、松崎さんと大いに語っていただこうと思っています。一般の飲み手から、プロのきき酒師まであらゆる地酒ファンが今、傾聴すべき最新かつ最良の静岡地酒論。ぜひふるってご参加ください。お待ちしています。

 

■日時 2016年3月15日(火) 18時45分~20時45分  *終了後、「湧登」(静岡駅南銀座)ほか【杯が満ちるまで】掲載店にて二次会を予定しています。会費実費。

■会場 静岡県男女共同参画センターあざれあ 2階大会議室  http://www.azarea-navi.jp/shisetsu/access/

■講師 松崎晴雄氏(日本酒研究家・日本酒輸出協会理事長・静岡県清酒鑑評会審査員)

      望月正隆氏(静岡県酒造組合会長・「正雪」神沢川酒造場代表取締役)

■会費 1000円

■定員 120名 *定員になり次第締め切ります。

■申込 しずおか地酒研究会事務局(鈴木) mayusuzu1011@gmail.com

 

 

 さて、昨年の今頃は、地酒本【杯が満ちるまで】の取材で県内全蔵を駆けずり回っていました。寒さのピークとなる1月下旬から2月上旬は、大吟醸クラスの仕込み真っ只中で、観ているこちらも緊張感の連続でした。吟醸~大吟醸クラスの仕込みがほかと違うことが最も分かりやすい工程といえば、洗米作業。原料の米も精米歩合もレギュラークラスの酒とはもちろん違いますが、静岡県の吟醸造りの場合は洗いに使う水量がハンパない。静岡の酒の飲み口がきれいなのは、やっぱり水質が安定し、水量が豊富だから。洗米にこれだけおしげもなく水を使えるって幸せなんだ・・・と思い知らされます。

 そのことを【杯が満ちるまで】の草稿で詳しく書いたものの、やはりページ数の都合で大幅カットせざるを得ず。ところが捨てる神あれば拾う神あり、というのか、奇遇なことに、愛知県の尾張地域地下水保全対策協議会という団体から「酒と水について書いてほしい」と依頼があり、改めて書き直して寄稿しました。

 ちょうどここひと月ぐらいの間に、志太地域・大井川水系の酒蔵をいくつか訪問したばかりで、あの原稿、愛知県内で地下水を利用する一般製造メーカーさんしか読んでいただけないというのは何だか残念だな・・・と思い、一部だけ紹介させていただこうと思います。

 

 

大井川水系の酒蔵

 国道1号線の藤枝バイパス谷稲葉インターから瀬戸川沿いに北上すると、志太泉酒造の大きな屋根が見えてきます。今は病院や紅茶メーカー工場に周囲を囲まれていますが、私が酒の取材を始めた頃は田畑の中に蔵が立ち、その向こうの川べりに続く桜並木の風景が、絵画のように美しかった。冬の仕込み時期は、洗米や麹作業で使用した麻布の干し場となり、開花を待つ桜の樹木の根っこ付近に水仙の花が風に揺れます。時々、こういう景色を見るためだけに酒蔵訪問することもあります。

 昭和62年(1987)頃、取材先の店で初めて飲んだ静岡の地酒が『志太泉』でした。素人ながら「きれいな水ときれいな手で仕込まれた酒!」と感動したことを今でも覚えています。その後、この蔵が山間の川のほとりにあり、仕込みの時、洗米に常識を超えた量の流水を使っている等の話を聞きました。地元の人から「瀬戸ノ谷にゴルフ場が出来るらしい、川が農薬で汚染されたら志太泉が飲めなくなる」と聞いたときは、瀬戸川周辺の生態系を学ぶ学習会に参加し、建設反対に署名。ゴルフ場計画はバブル崩壊とともにお流れになり、あらためて地酒とは、ふるさとの水や土を慈しむ心をかたちにするもの・・・と実感しました。

 

 瀬戸川は流路延長約30km、流域面積は179平方キロメートルの二級河川。藤枝市北部の高根山を水源とし、大井川山地を北から南へ貫き、途中でいくつかの支川と合流しながら、大井川の左岸扇状地で東へ大きく曲がります。その後、藤枝市の中心部を流下した後に朝比奈川と合流し、焼津漁港の北側で駿河湾に抜けるのです。

 瀬戸川水系の支川には葉梨川、市場川、岡部川、吐呂川、谷川川、野田沢川、青羽根川、ユキ沢、梅田川、内瀬戸谷川、谷稲葉川、滝沢川、滝之谷川、石脇川があります。『志太泉』『杉錦』『初亀』『磯自慢』の酒蔵がこれらの流域に位置しています。ふだん意識することのない町の小川も、銘酒を育む一助になっていると思うと、水位の低下や水質汚染に敏感になります。地酒は大人のための環境教育の恰好の教材になりそうですね。

 

 大井川に近い『若竹』『喜久醉』は、大井川の水量や水質の影響が直接及びます。言うまでもなく大井川は赤石岳、間ノ岳等の南アルプスを水源とし、島田市神座付近から氾濫源を広げ、巨大な扇状地を形成しています。

 

 平成23年(2011)7月、私は大井川地域地下水利用対策協議会の定期総会に招かれ、静岡県の酒造りについてお話しする機会に恵まれました。このとき、大井川の地下水をさまざまな用途で利用する事業者から、大井川の現況について貴重な情報をいただきました。

 それによると、大井川の地質は5層に大別され、便宜上、浅い順からA層(玉石混じりの砂礫で自由面地下水の帯水層)、B層(黒色・青色の粘土層。深さ25メートル前後に位置し、A層とC層を分ける)、C層(A層に近い砂礫層。主に海岸部で自噴)、D層(赤褐色の粘土層)、E層(第三紀層の砂岩、頁岩、礫岩。天然ガスの溶存もあり地下水としてはあまり利用されない)と分けています。

 このうち透明性の高いA層とC層の地下水が利用されており、浅い面から採れるA層の水は「表流水」、それよりも深いC層の水は「伏流水」と呼ばれます。『若竹』には深さ30メートル、『喜久醉』には深さ55メートルの井戸があり、C層の伏流水が自噴しています。

 

 地下に滲み込んだ水は砂礫を通るときに濾過されます。酸素を含んだ水が土壌中の有機物を分解して炭酸ガスをつくり、生成された炭酸が土壌中のミネラル分を溶かし出す。このミネラルの量や配分が水の特徴となるようです。

 A層の表面水は流れが速く、ミネラル豊富で鮮度の良い美味しい水といわれますが、大気の影響を受けやすく、雨量によって水位がめまぐるしく変化するというリスクがあります。C層の伏流水はA層よりも大気の影響は少なく、年間平均水位の変化もあまりなく、ミネラル成分も安定しています。酒造りにとっては、この安定性が最も優先されるのでしょう。

 

 全国地下水利用対策団体連合会が平成6年(1994)に制定した『地下水憲章』の、この2節が心に残りました。

●地下水は私たちの生活空間の中で、一番低いところにあります。そのうえ、移動速度も小さいので、いったん汚染すると、それを取り除くことは容易ではなく、また、回復するまでに多くの時間がかかります。日頃から注意し、汚染させないよう未然防止に心がけることが大切です。

 ●地下水は森林や水田が返照したりすると、水量が減り、ひいては、湧水や川の水が枯れるなど、動植物の生態系にまで影響を及ぼす恐れがあります。また、市街化が進んだところでは、雨や雪などの地下への浸透が少なくなり、川や水路があふれ、洪水や出水などによる災害が生じやすくなります。地下への浸透量が増えるように心がけることが大切です。

 <平成27年度 尾張地域地下水保全対策協議会機関紙 2015年11月発行より>

 

 

 振り返ってみると、自分が酒の取材を長く続けられるのも、酒を通して地域のことを多面的に考える機会をもらえるから、なんですね。ついつい酒米の品種や酵母の種類や、アル添だ純米だ生もとだ何だと酒造知識をひけらかす酒オタクになりがちですが、地元の川の水源がどこで、どこを流れているのか、基本的な地理を知らないほうが恥ずかしい・・・と自戒させられます。酒蔵の美味しい水のことをちゃんと理解し、大切にいただく地元の飲み手でありたい、と願います。


立春朝搾り、神の国の酒

2016-02-04 19:01:49 | 地酒

 立春の朝、島田の大村屋酒造場では日本名門酒会加盟蔵を取り扱う酒販店67店約140名が集まって、恒例の「立春朝搾り」のラベル貼り&出荷作業を行ないました。出荷準備を終えた酒は蔵のお隣にある大井神社へ奉納され、お祓いを受けました。

 神社の神殿横では白梅が愛らしくほころんでいました。鳥居に添えられた神聖な場所を示す紙垂(シデ)。稲の豊作には、雷・雲・雨が欠かせないことから、雷の形を模したと伝えられていますが、紙垂を揺らす早朝の風は神の息吹のようにも思えました。

 

 

 

 「立春朝搾り」は、2月4日零時過ぎから搾り始めた若竹純米吟醸生原酒(今年のスペック=米/吟ぎんが&あいちのかおり精米歩合55%、酵母/静岡酵母New-5、日本酒度0、酸度1.3、アミノ酸度1.1、アルコール度数17度)に、「立春朝搾り」の肩ラベルを貼り、大井神社へ奉納&お祓いを受けた後、各酒販店が車に積んで持ち帰り、その日のうちに販売するという日本酒らしい催事です。私も過去何度か取材させてもらっていますが、今年は、昨年発行の【杯が満ちるまで】でお世話になった杜氏の日比野哲さんや蔵人さん、また県内各地の酒販店さんに一度にお礼が出来ると思って馳せ参じました。

 

 

 

 蔵元の母屋で朝ごはんをご馳走になったとき、偶然、お隣同士になったのが、日本名門酒会の母体・日本有数の酒類卸会社である㈱岡永の山崎万里子さん。ご存知の方も多いと思いますが、日本名門酒会は日本酒の海外輸出のトップランナーでもあり、山崎さんはニューヨーク在住で、北米市場の流通開拓に尽力されています。「立春朝搾り」に立ち会うのは今回が初めてということで、杜氏の日比野さんが丁寧に案内されていました。ちなみに日本名門酒会には全国約120社の蔵元が加盟、全国の酒販店1,700店余とネットワークを結んでおり、「立春朝搾り」は今年、全国で38蔵(こちらを参照)が行なったそうです。

 

 

 大村屋酒造場の立春朝搾りが素晴らしいのは、お隣にある大井神社で参加者全員がお参りできること。立春の朝、清清しい気持ちで搾りたての酒を奉納し、お祓いを受け、神の霊力をいただいた正真正銘の縁起物としてその日のうちにお客様へお届けできる・・・全国38蔵の中でほかにこういうアドバンテージがある蔵がいくつあるのかわかりませんが、あらためて、日本酒と神道の深い結びつきを実感します。こういう結びつきは他のアルコール飲料では得られないでしょう。

 

 

 

 以下は【杯が満ちるまで】の「カミとホトケのサケ精進」の章で書いた草稿の一部で、ページの都合でまるまる削除せざるを得なかったのですが、私自身はこのテーマをこれからも深く研究していきたい。立春朝搾りと大井神社奉納神事は、そのことを改めて強く実感させてくれました。大村屋酒造場の皆さま、日本名門酒会関係者の皆さま、参加酒販店の皆さま、おつかれさまでした&ありがとうございました。

 

 

酒の起源は初穂信仰

  大陸から稲作が入ってきて農耕社会が構築された弥生時代、もっとも大切にされたのはその年に最初に実る初穂。初穂には大いなる霊力があると信じられていた。その初穂と、初穂で醸された酒を神々に供え、そのお下がりを収穫祭でいただく・・・穀霊が宿った酒に対する人々の畏敬の念は計り知れなかっただろう。

 農民は翌年、お供えの初穂を種籾として借り受けて、収穫後、借りた稲に神への謝礼を上乗せしてお返しした。借りた稲が「元本」で、上乗せ分が「利稲(りとう)」。日本列島における利息(金融)の起源である。これらをシステム化したのが、律令国家における「出挙(すいこ)」。地方のお役所が農民に稲を貸し、収穫後、元本と利稲を返却するというもので、のちに利稲だけが税金として徴収されるようになった。

  律令時代は朝廷神祇官が国家の祈年祭において霊力で満たした初穂を地方の神社に分け与え、その返礼として租税を取り立てていた。これが6世紀に入ってきた仏教によって大きく転換する。「カミも修行し、ホトケになる」という神仏習合の思想が浸透し、8世紀以降、各地に神宮寺が建立されると、国の神=皇祖神の威光は徐々に薄れ、出挙の運営も難しくなった。地方神社を支える地方豪族の力を軽視できない朝廷は、神宮寺の存在を容認し、神社と寺が同じ敷地で管理されるという摩訶不思議な神仏習合が定着していった。 

 

 和歌森太郎氏の著書『酒が語る日本史』に、こんな一節がある。

 

 「日本人にとって、神には荒ぶる神と、平和な幸福を保証するニギミタマの神との二通りがあったとされる。しかし、人間が最初に意識したものは、災厄をもたらすおそろしいものとしての神であった。(中略)酒をこれに供するのは、荒神をいわば調伏する手段であったのではなかろうか」

 

 「今だって、五分五分に対等で話し合うには厄介な相手に、酒を飲ませ、酔わせてかれの人間的レベルを下げることにより、気軽に語り合えるようにしようとする。それがまた、人間相互に親近感を濃くさせることでもあるから、平素とくにおそろしい相手だとは思わぬ友とも、酒を媒介にして、いっそうの親密化を期待する。遠い古代の場合、神を相手に、神を供するさいの意識がそういうものだったといってよい」

 

 「お神酒が荒神にたいしても和神にたいしても、ともかくその強い威力を鎮め和らげつつ、人間にぐんとひきつけるものであったところから、祭りは、神と人とが酒をくみかわし仲良くする形で行われた。それはじつは、祭りに参加した人びと相互の相睦び相親しむ機会であった。祭りは酒を介することで、祭る仲間たちの協同結束をはかる機会であったわけである」

 

 

 また、上田正昭氏(京都大学名誉教授)の『日本人のこころ』には、こうある。

 

 「日本の神には自然の力を畏敬した霊威神もありましたし、職業にともなう職能神としての祖神(おやがみ)もありました。怨霊神もありますし、他界・他郷から来訪する客神(まろうどがみ)もありましたし、海外からの渡来神もありました。(中略)このような日本のカミの多様性は、鳥獣や木草、海や山などすべてのものにカミをみいだし、「カシコキ」人間もまた神になりうるとする万有生命信仰を背景にしていました。とかく排他的になりやすい一神教よりも、そしてまた一人一宗の信仰よりも、一人多宗の万有生命信仰のほうが、はるかに21世紀の人類の課題にふさわしい信仰といえましょう」

 

 「きびしい自然の中ではぐくまれた一神教では、カミとの契約に基づく対決型の信仰になります。しかし、山と森林と河川と盆地・平野、そして周りを海に囲まれている日本の信仰では、自然との対決よりも、自然に順応し調和する信仰をそだててきました。日本でも権力者による宗教の弾圧はありましたが、宗論はあっても宗教間の宗教戦争はありませんでした」

 

 静岡県、とりわけ志太地域は、上田教授の指摘どおり万有生命信仰を育てるにふさわしい地形を持ち、災厄や紛争があったとしても、柔軟に折り合いをつける見識が住民にはあった。そこでは、神様とさえうまく折り合いをつける手段として〈酒〉が機能したのだと思う。

 

 民俗学者の神崎宣武氏によると、行事を終えての打ち上げ会を今でも直会(なおらい)と言うが、本来は神々が召しあがったものを人間がご相伴に預かる「神人共食」という重要な礼講で、御飯三膳と御酒三口を正座・無言でいただく。しかるべき酒礼を済ませたら、神々に元の神座(かんどころ)へお帰りいただき、人間だけの酒宴=無礼講になる。この、礼講から無礼講への切り替わり時、礼講の〆として、酒杯を眼上に掲げる。これが本来の「乾杯」だそうだ。

 乾杯時の常套句「○○さまのご発展とご健勝を祈念して~」の祈念する相手とは、宴席の主賓や参加者ではなく、あくまでも神仏やご先祖様である。神仏や先祖に向けたものであるから、乾杯のとき、隣同士で酒杯をカチンと合わせることはしない。酒杯を触れ合わせる風習は西洋由来のもので、右手と右手で握手するのと同じ意味。凶器を隠し持っていないという安全保障の作法から来ている。

 

 神崎氏は「米は貴重な食料で、米の生産者たる農民も主食にしていたわけではなく、米飯はあくまでもハレの主食であった。ゆえに“御飯”といった。日本人にとって、米は霊力の宿る神聖な食料であり、最上位の神饌ともなり、米の加工品の中で酒が最も尊ばれた。それはもっとも調理に手間がかかったからである」と力説する。

 

 


波瀬正吉に捧ぐ。満杯2杯目

2015-12-19 17:10:03 | 地酒

 10月23日に出版した「杯が満ちるまで」が、みなさまのおかげで第2刷となりました。

 無名のローカルライターが、静岡県内の日本酒に限って書いた(1600円と決してお安くない)本が重版になるとは、いまだにピンと来ないのですが、これもそれも、静岡新聞社出版部の“英断”と、書店営業してくださったスタッフのみなさま、1冊1冊店頭で手売りしてくれた掲載店や、一人で何冊も買って他人に薦めてくれた酒友のおかげです。そのベースにあるのは、間違いなく、静岡酒の確かな人気と実力。私はその恩恵にあずかっているだけと恐縮しつつ、本の製作にかかわった方々になんとかご迷惑をかけずに済みそうだ・・・とホッとしております。本当にありがとうございました。

 

 重版の知らせを聞いた今月早々、本で紹介した能登杜氏四天王のお一人、故・波瀬正吉さんの奥様から、能登のカニがドーンと届き、びっくり感激。さっそくお世話になった静岡新聞社の石垣詩野さんにカニ鍋やろう!と声かけし、取材や販促にご協力いただいた酒友のみなさんに緊急メール。12月の日曜招集ということで、声かけした全員に来てもらうことはできませんでしたが、それでも濃ゅ~いメンバー8人が集まりました。

 酒は松下明弘さんが喜久醉純米大吟醸松下米40&50を持参してくださったほか、引退した富山初雄さん(喜久醉前杜氏)がかけもちで醸していた曽我鶴純米大吟醸(昭和63年醸造)、故・滝上秀三さん(初亀元杜氏)が醸した初亀純米吟醸・瓢月(平成15年醸造)、静岡県の酒米誉富士の初年試験醸造酒である富士錦(平成19年醸造)、そして篠田酒店さん持参の開運純米大吟醸 作・波瀬正吉(平成13年醸造)と、貴重なレジェンドの酒を楽しませてもらいました。

 会場の「湧登」は休業日だったため、厨房を借りて参加者がおのおの調理。松下さんがカニをさばいてくれたり、「ダイドコバル」の平井武さんが「湧登」の厨房に立つという珍風景も楽しませてもらいました。結局イチバン働いたのが湧登のご主人山口登志郎さんだったんですけどね(笑)。私の地酒取材に長い間寄り添い、本の出版を後押ししてくれた酒友たちと、本では十分に伝え切れなかった波瀬さんへの思いに対し深い真心をお返しくださった奥様に感謝感激の忘れ得ぬ酒宴になりました。

 

 「杯が満ちるまで」の能登杜氏の章では、ページ数の都合でカットせざるをえなかった波瀬さんのエピソード。元ネタはこの「杯が乾くまで」のブログ記事です。もう7年も経ってしまった当時の情景が、カニ&開運波瀬正吉を味わううちに鮮やかに甦ってきました。「杯が満ちるまで」をきっかけに、「杯が乾くまで」を知った方もいらっしゃると思いますので再掲させていただきます。

 

 

波瀬正吉と呑む贅沢  「杯が乾くまで」2008年2月10日より

 

 (2008年2月)9日午後から10日朝にかけ、『開運』の醸造元・土井酒造場(掛川市大東町)で開催された「花の香楽会~蔵見学&日本酒講座」に飛び入り参加してきました。

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 『花の香』という酒は、明治初期まで旧大東町土方で造られていた地酒で、醸造元の子孫である鷲山恭彦さん(東京学芸大学学長)が、土井酒造場に依頼して昨年、復活させたもの。静岡県の新しい酒米・誉富士と地元産コシヒカリを原料に、地域の有志を中心とした楽会員が、田植えや稲刈りや酒の仕込みや酒器の製作などを体験し、地域の酒文化を再認識する活動をしています。Dsc_0058

 

 会員は、東京学芸大の学生やOBをはじめ、遠州全域から集まる地域おこしや地場産品づ くりの担い手たち。私は事務局杉村政廣さん(酒のすぎむら)から誘われてのオブザーバー参加でしたが、県中遠農林事務所所長の松本芳廣さん、地酒コーディネーター寺田好文さん、掛川駅これっしか処店長の中田繁之さん、旭屋酒店(浜松市)の小林秀俊さんなど顔なじみの面々もいて、すっかりくつろいで楽しく過ごせました。

 古民家のモデルルームのような立派な鷲山家の囲炉裏部屋で、手打ちそばや自然薯、かまど炊きの麦飯に採れたて野菜などを肴に、鷲山さん、土井酒造場の土井清幌社長、杜氏の波瀬正吉さんらを囲み、車座になって夜通し呑んで語り合いました。

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  とりわけ、鷲山さんの教え子でソプラノ歌手として活躍する小田麻子さんが即興で歌ってくれた「ふるさと」に、鷲山さん(真ん中)、土井社長(左)も立ち上がって一緒に歌いだし、波瀬さんが目を閉じてじっと聞き入る姿は、滅多に見られないお宝光景でした。

 この時期に蔵の外で、社長と一緒にこんなふうに呑んで過ごせるなんて、「そう滅多にはないよ」と波瀬さんも嬉しそう。土井さんとは40年来の名コンビで「社長とは裸のつきあいができる」と明言します。「真弓ちゃんがうちの蔵に初めて来たのは何年になるね?」と聞かれ、「平成元年の春です」と応えると、「わしは昭和43年だよ」としみじみ。土井社長はこの年に結婚し、当主として蔵を継ぎました。現在の『開運』の名声は、社長と杜氏の二人三脚の努力の賜物に他ありません。

 

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 現在、波瀬さんは75歳。静岡県の杜氏では、『初亀』の滝上秀三さんと並んで最高齢。「能登杜氏には自分より年上の現役がいるし、まだまだ新しい道具や機械も試してみたいし、もっといい方法はないかいつも考えているからなぁ」とツヤツヤした顔で応える姿に、過酷な酒造りの労働がすっかり板につき、身体の一部と化したような職人の背筋の通った生き方を感じました。

 

 波瀬さんのような造り手と向き合うと、日本酒が、いや日本のモノづくりが、労働を尊び、何歳になっても向上しようとする職人の精神に支えられていることをぜひ伝え、残さねばと痛切に思います。

 「花の香楽会」の雰囲気は申し分ありませんでしたが、私にとって、この夜は、波瀬さんと『開運』を酌み交わせたことが何よりの贅沢であり、波瀬さんのふるさと能登での暮らしをぜひ取材させていただきたいとお願いして快諾をいただけたことが、何よりの収穫でした。

 

 

 

 

能登杜氏を支える手 「杯が乾くまで」2008年8月22日より

 

 (2008年8月)20日(水)~21日(木)は石川県珠洲市で行われた能登杜氏組合夏期講習会の撮影に行ってきました。見どころは、「開運」の杜氏・波瀬正吉さん、石川県の地酒「ほまれ」の杜氏・横道俊昭さん、種麹メーカー秋田今野商店の今野宏さんが講師を務める吟醸造り体験発表・討論会。能登杜氏が勤める酒蔵の従業員や杜氏見習いが対象の講習会だけに、ハッキリ言って基礎知識がなければ、いや基礎だけ知っていても現場の体験がなければ付いていけない高度で専門的な内容です。本で読んだ基礎知識プラス、現場で多少見聞きした話ぐらいしか理解していない私にとっては、改めて酒造の世界の深さ・厳しさを実感させられるものでした。

 

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 強カプロン酸系の明利M-310で立てた酒母を、9号酵母の酒母とブレンドするという「ほまれ」の吟醸造りは、たぶん、静岡吟醸とはまったく違う酒なんだろうなぁと聞きながら、論理的に説明する横道さんや講演慣れしてるかのように饒舌に語る今野さんに、若い聴衆者がさかんに質問するのを見て、複雑な思いを抱きました。

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 波瀬さんが「なんといっても麹造りが大事。酵母や麹につねに話しかけている。それが私の酒造り」と、杜氏として一番大切な姿勢を、言葉をかみしめるように語る声は、マイクの位置が悪かったせいか、聞き取りにくく、会場内では「爺さんが何しゃべってるんだかわからないから寝ちゃったよ」なんて雑言を吐く者も。この若造たちは、波瀬正吉の偉大さを知らないのかと思わずムカついてしまいました。確かに波瀬さんの声はカメラのマイクでも拾いづらいほど小さく、壇上の司会者や横に座っていた横道さんが一言マイクの位置を直してあげればいいものを・・・と気にはなっていましたが。

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 積極的に質問するのが若い女性の杜氏・蔵人だったことも印象的でした。横に座っていた「開運」の若き蔵人3人衆―榛葉農さん、山下邦教さん、野口剛さんに、「撮影しているんだから、手をあげて質問してよ」って声をかけたんですが、残念ながら不発。代わりに、3列後ろに 座っていた「初亀」の西原光志さんが果敢に挙手してくれました。

 西原さんは、この春引退した滝上秀三さんの後継者として初亀の次期杜氏に抜擢された人。若い彼の、偉大な杜氏の後を継ぐプレッシャーやチャレンジ精神は一つのドラマになりそうで、杜氏1年目の姿をじっくり追いかけてみるつもりです。 (*現在、西原さんは志太泉の杜氏です)

 

 夜は、波瀬さんのご自宅にお邪魔して、波瀬さんと蔵人3人衆で行う開運全タンクの呑み切り(夏場に熟成具合をチェックする作業)の様子をカメラに収めました。

 呑み切りは8月初旬に、河村先生や名古屋局鑑定官や工業技術センター指導員ら専門家によって行われましたが、その講評を参考にしながらのテイスティング。「先生によって評価が違うな」「この先生の表現は細かいなぁ」「こっちは大雑把だなぁ」と蔵人たちも楽しそうにきき酒します。「これはいDsc_0023 いなぁ」と波瀬さんが唸った酒を、私も思わず呑ませてくれぇと心の中で叫んでしまいましたが、自分がフレーム内に映り込んでしまったら元も子もありません。数が数だけに、あれこれ角度を変えて撮っているうちに、波瀬さんイチオシの酒がどれかわからなくなってしまい、撮影がひと段落した後は、オールチャンポン状態で呑み呆けてしまいました…(反省)。

 

 

 黙々と撮影をするカメラマンと私に、さかんに気を遣って、「うちの畑で獲れたから」とスイカを切ってくれたり、この時期に食べられるなんて夢のような本ズワイガニのボイルを1匹ドンとふるまってくれた奥様の波瀬豊子さん。50年を超える波瀬さんの酒造り人生を陰で支え、50年間、一度も正月を一緒に過ごしたことがないという家庭生活に愚痴一つこぼさず、3人の子を立派に育て上げ、今も1年のうち8か月を静岡で過ごす波瀬さんの留守をひとりで守って、畑仕事に従事するその姿に、ニッポン女性の母性の強さと逞しさを、まぶしいほどに感じました。

 

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 翌朝は、波瀬さんをさしおいて、豊子さんの畑仕事の撮影を敢行。農業後継者が減り、放置された畑が多い中、豊子さんが手をかけた畑には、イモやネギやスイカがみずみずしく育っています。

 「スイカは近所の老人ホームに届けて喜ばれてるんだよ」「売り物にならないネギは父ちゃんのところ(土井酒造場)へ送ってやるんだ。刻んで醤油かけてご飯に乗せて食べると美味いんだよ」・・・。75歳の波瀬さんを支える72歳の豊子さんの泥だらけの手が、化粧品のテレビコマーシャルで「杜氏の手が白いのは・・・」なんて女優が宣伝するよりも美しく気高く見えました。

(*このとき波瀬さん宅で呑みきりをした蔵人の榛葉農さんが、現在、開運の杜氏を務めています)

 


「お酒を味わう器展」ご案内

2015-11-09 13:09:55 | 地酒

 今日は今週末から始まるイベントのご案内です。

 藤枝の駅南にあるエマ・ギャラリーで、11月13日(金)~25日(水)、「お酒を味わう器展」が開催されます。国内外で活躍中の陶芸家・二階堂明弘さんと、静岡の作家・石垣幸秀さんと村上祐仁さんの酒器を販売展示。ここで、便乗企画として14日と23日に「杯が満ちるまで」出版記念のトークイベントをやらせていただくことになりました。

 もともとは今年の春頃、「8~9月に酒器展を予定しており、お客様に作家の器で試飲を楽しんでいただきたい。そのとき地酒の話をしてもらえませんか」と打診され、秋ごろ、地酒の本を出版する予定なので、宣伝させてもらえるなら、とお受けした話。「それなら本の出版祝いを兼ねてやりましょう」と、わざわざ開催時期をずらしていただいたのです。

 調子に乗った私が「カメラマンがいい酒蔵写真を撮っているので、展示器の背景にでも飾ってもらえたら」とずうずうしいお願いをしたところ、写真のプリントや額縁代を静岡新聞社が手配してくれました。私は結局、当日、会場で取材裏話をしゃべって作家さんの器で試飲を楽しんで、本も売らせてもらうという、便乗も便乗、大便乗!の企画となってしまいました!

 

 先日の出版報告会でもそうですが、周りのみなさんにこんなに応援してもらえて、この本は幸せモノだなあとしみじみ感動です。

 17年前の「地酒をもう一杯」の発行時は、掲載店の顔ぶれや掲載紙面の扱いにクレームやブーイングがあったりして、正直、辛かった思い出のほうが残っています。今回も「なんであの店が載ってないの?」「なんであの店が載ってるの?誰が選んだの?」など等の声はしっかり(苦笑)来ましたが、年齢を重ねて性格も図太くなったせいか、「すみませ~ん、(載ってない店は)この本とご縁がなかっただけですよ~」と切り返せるようになりました。それ以上に、応援してくださる方の声のほうが熱くビンビン届いてきて、本を作るという仕事の責任とやりがいを噛み締めているところです。

 

 ま、そんなこんなで、内緒の取材裏話もこっそりご披露しますので、ご都合のつく方はぜひ藤枝まで呑みにいらしてくださいねー! 詳細はこちらを。

 

 

お酒を味わう器展

■日時 2015年11月13日(金)~25日(水)

■場所 エマギャラリー 藤枝市前島2-29-10-1 TEL 054-631-4851

■試飲 14日(土)・15日(日)・21日(土)・22日(日)・23日(月・祝) 500円で3~4種の地酒&ワインの試飲ができます。

■トーク 14日(土)14時~  23日(月・祝)14時~  鈴木真弓が地酒についておしゃべりします。試飲&おつまみ付きで2500円。

*11月14日(土)10時20分頃からSBSラジオ「岡ちゃん乃里子のこれ知り!?」に出演し、本と器展の話をしますので、ぜひお聴きくださいませ!

 

 

 

 


「杯が満ちるまで~しずおか地酒手習帳」編集後記(その1)

2015-10-30 07:19:08 | 地酒

 【杯が満ちるまで~しずおか地酒手習帳】が発行され、1週間が経ちました。この間、ご縁のあった方々よりたくさんのお祝いメッセージをいただきました。あらためて心より感謝申し上げます。

 

 自分の名前で書いたものが値の付いた単行本として売られる。請負業務ではなく、自分がライフワークとして取り組んできたテーマが本になって、一般の人の眼にさらされる。・・・今まで経験したことのない緊張感と高揚感でいっぱいいっぱいの1週間でした。メールやフェイスブック等で少しずつ感想コメントもいただき、嬉しくもあり反省もあり、の毎日です。

 多かったのが「読みやすかった」というご意見で、酒の業界ではない知人からも「あっという間に読めた」と言われ、ちょっとびっくりでした。私の文章は硬質でとっつきにくいと言われることが多いのですが、すんなり読んでいただけたとしたら、編集者の石垣詩野さんのスパルタ指示のおかげです。

 

 最初に書き上げた原稿(とくに参之杯の章)は、7万字をゆうに超える文字量で、石垣さんから「行政の仕事をしてきたライターさんは慎重に説明しすぎる」「酵母の解説は難しすぎて一般読者はついていけない」と一刀両断。3分の1に削るよう指令が下りました。大切に温めて書き上げたものを否定されたようでグサッときましたが(笑)、自分の原稿をこれほど真摯に読み込んでくれる人は他にいないし、なにより、最初に「マユミさんの酒の本を作りたい」と言ってくれた大切な同志。この人をナットクさせるものを書き上げねば!と逆に闘志が湧き、彼女が周囲からいい仕事をした、と評価されるようなものを書こう、と奮い立ちました。

 

 文章を削る作業には慣れていたものの、平成元年から取材を続けてきた酒蔵の物語(参之杯)に関してはかなり苦しみました。まさに身を削る作業といっていいくらい。書くときは「杜氏が身を粉にして醸す・・・」なんてさらっと書いちゃうけど、本当に削る作業がこれほどしんどいとは・・・。どうしても指定の文字数まで削りきれず、「文字の大きさを小さくして2段組みで入れることはできませんか?」と泣きついたときは、石垣さんがボスに交渉してページ数を増やしてくれました。

 表現をやわらかくするのも、今まで他人のインタビューや取材調査をベースにした記事を書くことが多かった自分には慣れない作業でしたが、映像作品『朝鮮通信使~駿府発二十一世紀の使行録』で朗読脚本を書いた経験と、現在担当するラジオの構成台本の仕事を通し、「声に出して読みやすい文章」「耳で聞いて心地よい文章」を書く訓練が活かされました。書いた文章はすべて音読してみて、リズミカルに読めるか、耳障りがしないかを確認。結果的に「マユミさんが語っているような文章だね」って言ってくれた人もいました。多くの方が読みやすいと感じていただけたのなら、そういうトーンで書いてくださいと指示してくれた石垣さんのおかげです。

 今回の仕事を通してあらためて、本というのは、書き手と編集者と版元によるプロダクト製品なのだとしみじみ実感しました。ひとりよがりでも指摘してくれる人がいないブログ記事や自費出版物とはやはり違う。ページ数が増えたことでコスト増の“仕様変更”を上司に直談判してくれた石垣さん、最後にハンコを押してくれた上司の庄田さん、ポップやポスターまで作って県内書店に直接宣伝に出向いてくれた営業スタッフのみなさん。・・・本づくりのプロたちとがっつり仕事ができたことが、何よりの幸せです。

 

 さて、あんまり内輪の裏話をしても興ざめだと思いますので(苦笑)、ここからは【杯が満ちるまで】【杯が乾くまで】のコラボ企画。本に掲載しきれなかった写真を紹介していきます(・・といっても、ここで投稿済みのものも結構あるんですが)。

 

 冒頭の「はじめに」の背景に使われた写真、何人かから「何のお米?」と聞かれました。

 これは、今年1月のこのブログ記事(こちら)で紹介した出麹で、「小夜衣」の森本酒造(菊川)で撮らせてもらいました。森本さん父子の半裸の麹造り写真(P8グラビア右下)は、石垣さんが最初、「ナマナマしい・・・」と躊躇(笑)したのですが、他に撮らせてもらった蒸し米作業や酒母立て等の写真と並べてみて、父と息子が向き合ってタイミングを合わせながら真剣な眼で作業しているこのショットが自分でもベスト。写真の選定はすべて石垣さんとデザイン担当者に一任したのですが、任せて正解!でした。

 

 これからもグラビアページ等で泣く泣く落とした写真を紹介していきますね。