杯が乾くまで

鈴木真弓(コピーライター/しずおか地酒研究会)の取材日記

田から生まれるもの~尊徳思想に学ぶ

2015-02-08 19:33:19 | ニュービジネス協議会

 2月7日(土)は(一社)静岡県ニュービジネス協議会西部部会のトップセミナーで、二宮金次郎(尊徳)の人づくりについて、中桐万里子先生(臨床教育博士・関西学院大学講師)の講演を取材しました。NB西部部会での尊徳セミナー開催は2回目(前回の内容はこちらを)。今回講師にお招きした中桐先生は二宮金次郎の7代目子孫にあたる方です。

 

 

 前回記事でも書いたとおり、金次郎といえば薪を担いで本を読むあの少年像。全国の小学校に設置されたことから勤勉の奨励に祀り上げられたわけですが、中桐先生は「大事なのは読書ではなく、背負っている薪と、一歩前に出した足」と指摘されました。〈働くこと〉〈一歩踏み出すこと〉の尊さを表しているという。この見方は新鮮です。実際、本人は「本に真実は書かれていない。本は捨てろ」と言っており、成人した金次郎像は本を持っていません。「(先人が書いた)書物に頼るのではなく、自分で観察し、自分で記録することが大事。自分の眼、感覚、経験で目の前にあるものを認知し理解する」というのが彼のモットーで、日頃手にしていたのは自身の観察日誌でした。

 書物というのは、もちろん、大切な知識の宝庫に相違ありませんが、金次郎が生涯を賭した農業は、人智の及ばない世界です。とりわけ彼が生きた江戸後期は気候変動が激しく、浅間山噴火に端を発した天明の大飢饉(1782~87)、天保の大飢饉(1830年代)は冷夏による日照不足と水温低下、長雨や洪水によって稲作が壊滅状態となり、数万~数十万単位の餓死者を出しました。

 

 天保の大飢饉のとき、小田原藩配下の桜町領の復興にあたっていた金次郎は、ある年、田植えが終わった直後、村人に「植えた苗をすぐに抜け」と命じます。当然、村人は抵抗しますが、彼は「さっき食べたナスが、秋ナスの味だった。これから冬のような寒さがやってくるだろう」と冷夏を予測し、寒さに強い雑穀(蕎麦や稗)に植え替えさせたのです。もちろんナスの味だけで判断したわけではなく、ナスの種の付き方が夏と秋では違うことや周辺に野菊が咲いていたり夏草の葉先が枯れかけていたなど、田畑の様子を日頃からきめ細かく観察し、変化を敏感に察していたからです。結果、桜町領下では一人の餓死者も出さずに飢饉を乗り切ったのでした。

 この有名な秋ナスの奇跡談、企業が経営危機に陥ったときの心構えに例えられますが、中桐先生は「冷夏や冷害は、金次郎にとって危機でもなければ敵視するものでもない」と説きます。米づくりにこだわり続ける限り、冷夏は忌むべき災害。しかし蕎麦や稗が育つと思えば、ピンチをチャンスに変えることができる。稗は文字通り、冷えを取る=冷え性改善の効能があるといわれます。「自然が、冷夏のために稗を与えてくれたと考えればよい」と先生。夏は暑くなくてはいけない、田では米を育てなくてはいけない、という固定観念や既存のモノサシにこだわることなく、その土地に見合った作物を育てようという農業実践者らしい発想が金次郎にはあったわけです。

 

 尊徳思想の言葉として有名な〈積小為大〉。前回記事では「小さなことをコツコツと続けていけば、やがて大きな実りになる」と解説しましたが、中桐先生の解釈は「大きな幸せへと導く宝のタネは、小さな場所に眠っている」。大きな目標を達成するため、というよりも、日々の小さな気づきを大切にすることに重きを置いた解釈です。田植えの直後に食べたナスが秋ナスの味だった・・・それは小さな変化の気づき。日常のいとなみに目を配り、ときには「なんでそうなるんだ?」と関心を持つ。金次郎が西洋の科学者や生物学者だったら、ノーベル賞級の業績を遺したかもしれませんが、彼は19世紀の日本の農業の中で、宝のタネを探し続けました。

 

 講演後に購入した中桐先生の著書【現代に生きる二宮翁夜話】に、こういうエピソードが紹介されていました。

 

 翁曰 聖人も聖人にならむとて、聖人になりたるにはあらず 日々夜々天理に隋ひ人道を尽して行ふを他より称して聖人といひしなり

 (二宮翁は言われた。聖人も聖人になろうとして聖人になったわけではない。日々夜々、天理に従い、人道を尽して行なうのを、他から聖人と呼んだのだ)

 

 

 大飢饉に見舞われたこの時代、耕作放棄地を金次郎は懸命に耕し、荒地を田畑へ、美田へと甦らせます。美田を1枚甦らせたらそれをあっさり売り払い、得た収入で2枚の荒地を購入し、それを美田にして売って、さらに3枚の荒地を買う。こうして無一文の孤児から村のリーダーへとのし上がっていくのですが、中桐先生は「金持ちになるためのすごい仕組み!ではありません。ある意味で彼は、このお話で宣言しているからです。ただただ目の前の荒地と向き合い続けた結果、そうなったにすぎない・・・と。徹底的に日常に向き合い、丁寧に、誠実に、そこに自身の最大限の力を注いで暮らすこと。それこそが尊ばれる歩み方だと・・・。」と締めくくります。

 

 宝物という言葉には、「田から生まれるもの」という意味があるそうです。田から生まれるもの=作物は人間の命をつなぐもの。農業とはまさに、宝物のタネを見つけ、育て、実らせるものといえます。この〈積小為大〉の教えを見事に実践したのが、実はトヨタ創業者の豊田佐吉氏。どんな小さな変化も見逃さない社風を創り上げようと、あえて現場(人や機械の配置)を毎日変化させる=慣れを防ぐというしくみを取り入れ、それがトヨタのカイゼンへと結実したそうです。

 

 農業が製造業に学ぶ時代となった現代、「宝物」の定義も大きく変化しています。それでも普遍的だと思えるのは、〈積小為大〉の敵とは〈慣れ〉であるということ。物事を傍観しているだけ、変化に鈍感な人には「宝物」のタネは見つからないだろうといえる。トヨタのカイゼン方式を日常の暮らしに取り入れるのは無理だとしても、身の周りの人、モノ、出来事に関心を持ち続けることぐらいは出来そうです。

 身の周りのあらゆることに関心を持つ。関心とはプラスの感情です。自分を取り巻くものに興味をもち、時には感謝し、大切に思う感情が育てるものです。今、自分が生かされているのは周りのおかげ。知らず知らずに多くのものに助けられ、今の自分がある。周りから受けた徳に、今度は自分が報いる番・・・「それが、報徳という言葉のほんとうの意味です」と中桐先生。報徳とは、give & take (=見返りを求める) ではなく、take & give (=恩返し)なんだそうです。

 

 禅の講演でもそうですが、ふだんづかいの言葉や思想の本来の意味をあまりにも知らず、曲解していたと気づかされ、大いに反省させられます。先人の書いたものを鵜呑みにするな、自分で観察しろ、というのが金次郎の教えですが、ライターという職業上、先人の思想を正しく学び、伝え継ぐことから始めないと仕事になりません(苦笑)。・・・でもこういうお話を聴くと、自分で何か実践したくなりますね、ホント。

 

 なお二宮金次郎については報徳博物館のサイト(こちら)を参照しました。ぜひ参考にご覧ください。