【杯が満ちるまで~しずおか地酒手習帳】が発行され、1週間が経ちました。この間、ご縁のあった方々よりたくさんのお祝いメッセージをいただきました。あらためて心より感謝申し上げます。
自分の名前で書いたものが値の付いた単行本として売られる。請負業務ではなく、自分がライフワークとして取り組んできたテーマが本になって、一般の人の眼にさらされる。・・・今まで経験したことのない緊張感と高揚感でいっぱいいっぱいの1週間でした。メールやフェイスブック等で少しずつ感想コメントもいただき、嬉しくもあり反省もあり、の毎日です。
多かったのが「読みやすかった」というご意見で、酒の業界ではない知人からも「あっという間に読めた」と言われ、ちょっとびっくりでした。私の文章は硬質でとっつきにくいと言われることが多いのですが、すんなり読んでいただけたとしたら、編集者の石垣詩野さんのスパルタ指示のおかげです。
最初に書き上げた原稿(とくに参之杯の章)は、7万字をゆうに超える文字量で、石垣さんから「行政の仕事をしてきたライターさんは慎重に説明しすぎる」「酵母の解説は難しすぎて一般読者はついていけない」と一刀両断。3分の1に削るよう指令が下りました。大切に温めて書き上げたものを否定されたようでグサッときましたが(笑)、自分の原稿をこれほど真摯に読み込んでくれる人は他にいないし、なにより、最初に「マユミさんの酒の本を作りたい」と言ってくれた大切な同志。この人をナットクさせるものを書き上げねば!と逆に闘志が湧き、彼女が周囲からいい仕事をした、と評価されるようなものを書こう、と奮い立ちました。
文章を削る作業には慣れていたものの、平成元年から取材を続けてきた酒蔵の物語(参之杯)に関してはかなり苦しみました。まさに身を削る作業といっていいくらい。書くときは「杜氏が身を粉にして醸す・・・」なんてさらっと書いちゃうけど、本当に削る作業がこれほどしんどいとは・・・。どうしても指定の文字数まで削りきれず、「文字の大きさを小さくして2段組みで入れることはできませんか?」と泣きついたときは、石垣さんがボスに交渉してページ数を増やしてくれました。
表現をやわらかくするのも、今まで他人のインタビューや取材調査をベースにした記事を書くことが多かった自分には慣れない作業でしたが、映像作品『朝鮮通信使~駿府発二十一世紀の使行録』で朗読脚本を書いた経験と、現在担当するラジオの構成台本の仕事を通し、「声に出して読みやすい文章」「耳で聞いて心地よい文章」を書く訓練が活かされました。書いた文章はすべて音読してみて、リズミカルに読めるか、耳障りがしないかを確認。結果的に「マユミさんが語っているような文章だね」って言ってくれた人もいました。多くの方が読みやすいと感じていただけたのなら、そういうトーンで書いてくださいと指示してくれた石垣さんのおかげです。
今回の仕事を通してあらためて、本というのは、書き手と編集者と版元によるプロダクト製品なのだとしみじみ実感しました。ひとりよがりでも指摘してくれる人がいないブログ記事や自費出版物とはやはり違う。ページ数が増えたことでコスト増の“仕様変更”を上司に直談判してくれた石垣さん、最後にハンコを押してくれた上司の庄田さん、ポップやポスターまで作って県内書店に直接宣伝に出向いてくれた営業スタッフのみなさん。・・・本づくりのプロたちとがっつり仕事ができたことが、何よりの幸せです。
さて、あんまり内輪の裏話をしても興ざめだと思いますので(苦笑)、ここからは【杯が満ちるまで】【杯が乾くまで】のコラボ企画。本に掲載しきれなかった写真を紹介していきます(・・といっても、ここで投稿済みのものも結構あるんですが)。
冒頭の「はじめに」の背景に使われた写真、何人かから「何のお米?」と聞かれました。
これは、今年1月のこのブログ記事(こちら)で紹介した出麹で、「小夜衣」の森本酒造(菊川)で撮らせてもらいました。森本さん父子の半裸の麹造り写真(P8グラビア右下)は、石垣さんが最初、「ナマナマしい・・・」と躊躇(笑)したのですが、他に撮らせてもらった蒸し米作業や酒母立て等の写真と並べてみて、父と息子が向き合ってタイミングを合わせながら真剣な眼で作業しているこのショットが自分でもベスト。写真の選定はすべて石垣さんとデザイン担当者に一任したのですが、任せて正解!でした。
これからもグラビアページ等で泣く泣く落とした写真を紹介していきますね。