杯が乾くまで

鈴木真弓(コピーライター/しずおか地酒研究会)の取材日記

しずおか地酒研究会20周年記念講演会「造り手・売り手・飲み手が切り拓いた静岡地酒・新時代」(その1)

2016-03-19 10:48:17 | しずおか地酒研究会

 3月15日、静岡県男女共同参画センターあざれあの大会議室にて、しずおか地酒研究会の20周年アニバーサリー記念講演会を開催しました。試飲のない講演だけの会にもかかわらず、蔵元、酒米生産者、酒販店、飲食店、一般消費者など多種多様な方々102人が集まってくださいました。開催にご尽力いただいた方々に心よりお礼申し上げると同時に、年度末の平日夜に、呑めなくてもいいから酒の話を聴きたいと、これだけの方々が集まるとは驚きの一語。会場の不思議な熱気を、来ていただけなかった酒類関係者にお伝えしたかったと思いました。本当にありがとうございました。

 

 講師の松崎晴雄さんは、毎年、静岡県清酒鑑評会の審査員としてこの時期、静岡へいらっしゃるということで、会でも審査の様子をうかがいながら、今年の静岡の酒の傾向、全国の新酒の傾向などをうかがうサロンを毎年定例開催してきました。いつもは参加者20~30人ぐらいの、和気あいあいとしたサロン形式でやっていますが、今年は20周年ということで、20年前の発会式をやった思い出の「あざれあ」で、少し多めに50~60人ぐらいお呼びできたらいいなあとちょっと背伸びしちゃいました。昨年からフェイスブックで募集をするようにしたところ、SNSの威力というか、酒でつながる人のネットワークってスゴイですね、60人はあっという間に集まり、キャンセル待ちの問合せが連日届くようになり、もう少し広い部屋(20年間の写真映像を上映するためスクリーン&プロジェクター完備の部屋)を探したところ、あの広い会議室になってしまい、しからば思い切って、入室可能な人数を募集してみようと、大風呂敷を広げてしまったのでした(苦笑)。

 

 松崎さんは当日、静岡県沼津工業技術研究所で開催される静岡県清酒鑑評会の審査を終え、その足で静岡まで来てくださることになっていたので、あまりご負担をおかけしたくないという思いもあり、「初参加の人も増えるかもしれませんが、常連さんが楽しみにしてますのでいつもと同じ調子でやってください」とお願いしていました。しかし、想定を超えた規模になってしまって、オペレーションに行き届かない点もあり、ご参加の皆さまのご期待に応えられなかったのでは、と後悔しております。

 

 しずおか地酒研究会は、一応、【研究会】と名乗っている以上、何らかのテーマを設けて情報や知識を共有しようという活動です。これは、私自身が学びたい気持ちでやっていること。試飲だけではなく、一歩踏み込んで学んでみたいという気持ちのある同志が増えれば嬉しいな・・・という思いで続けてきました。気楽に試飲を楽しむ、酒肴を味わう一般の酒の会とは少し毛色が違うということで、遠慮する人、反感を持つ人も少なくないでしょう。実際、今回の参加者にも内容に不満足で「居酒屋の酒の会を見習ったほうがいい」という感想の方もいらっしゃいました。20年前、河村傳兵衛先生や永谷正治先生といった専門技術者の高度な講話を、一般素人が必死に食らいついて学んだ頃とは時代が違うんだな・・・と少々落ち込みました。

 それでも、広い会議室の席が前から順に埋まり、多くの方々がほんとうに真剣に聴講してくださり、日本酒が再認識されている、地酒の情報や知識を得たいという人が確実に増えている・・・そんな手応えを実感しました。開会の挨拶に続いて、20年間の活動写真をつなげた映像を観ていただいたのですが、初めてお会いする一般の方が、休憩中、「あの映像を観ていたら涙が出てきた」と仰ってくださったのです。今回いただいたそのような酒縁を、必ず次につなげていかなくては・・・そんな思いにかられました。

 

 前置きが長くなりましたが、いつものように講演会の内容を数回に分けてご紹介します。前にもどこかで書きましたが、ライターが主宰する酒の会のよさは、すぐに講演録を書記化できること! 昔のように短時間で書き起こしが出来なくなってしまって、少々お時間をいただきますが、よろしくおつきあいくださいませ。なお、写真は参加者の平尾正志さんから提供していただきました。本当にありがとうございました。

 

 

記念講演 造り手・売り手・飲み手が切り拓いた静岡地酒・新時代 (文責/鈴木真弓)

講師/松崎晴雄氏(日本酒研究家・日本酒輸出協会理事長・静岡県清酒鑑評会審査員)

(講師プロフィール)

1960年横浜市生まれ。上智大学外国語学部イスパニア語科卒業後、(株)西武百貨店にて食品・和洋酒売り場、バイヤーを担当。1997年酒類ジャーナリスト、コンサルタントとして独立。現在、有限会社デリカネットワークサービス(DNS)代表取締役、日本酒輸出協会(SEA)会長、吟醸酒研究機構世話人。自ら主宰する「日本酒市民講座」、うらかすみ「日本酒塾」など数多くの日本酒セミナー講師を歴任。純粋日本酒協会・きき酒コンテストで30回にわたり名人の表彰を受け、永久名人に認定される。「新版・日本酒ガイドブック Tastes of 1635」(柴田書店)「日本酒のテキスト」(同友館)、「新銘酒紀行」(あすなろ社)など著書多数。

 

 

 

 本日はしずおか地酒研究会20周年おめでとうございます。ちょうど20年前といいますと、私が西武百貨店を退社する前年でした(1997年退社)。静岡で地酒の普及活動をしている女性がいると聞きまして、96年10月に浜松で開催されたしずおか地酒研究会のシンポジウム(女性と地酒の素敵なカンケイ)に初めて参加させていただき、年末にこの会場(あざれあ)で開催された交流会(年忘れお酒菜Party)にもうかがいました。一般の人に日本酒の深い魅力を伝えようとされている姿に感銘を受けまして、私自身、独立後に『日本酒市民講座』という会を立ち上げました。まさに、そのきっかけとなったのが、しずおか地酒研究会です。その意味でも、鈴木さんはじめ、この会に集まってこられる皆さんには本当に感謝しており、20周年の節目にお招きいただき、非常に光栄に思っております。

  

(左)松崎さんが初参加された1996年10月開催の「女性と地酒の素敵なカンケイ」、(右)96年12月、あざれあで開催の「年忘れお酒菜Party~山田錦玄米試食会)

 

 今年は静岡県の酒にとっても節目の年であります。今から30年前の1986年(昭和61年)に、全国新酒鑑評会で静岡県の吟醸酒が10蔵金賞を受賞し、一躍脚光を浴びました。その頃からの静岡の酒を振り返りながら、今、そしてこれからの静岡の酒、日本酒についてお話しようと思います。

 

 実は私は学生の頃から日本酒に興味を持ち、大学を卒業してからも何か日本酒に関わる仕事がしたいと思っておりました。1983年頃でしたか、当時、酒オタクな学生だった私は、大学サークルで伊東に合宿に行き、学生でも買える地元の酒(二級酒)を探したんです。当時、伊豆の酒販店で扱っていたのは灘や伏見など大手銘柄ばかりでしたが、その中にひとつだけ、御殿場の三島屋本店という蔵が造っていた「富士自慢」と言う酒が、非常に軽やかで、すいすいペロッと呑めてしまったのです。翌日は二日酔いで苦労しましたが(苦笑)、20歳そこそこの学生にとってはさわやかですっきり、呑みやすい酒でした。

 次に静岡の酒に出合ったのは、社会に出て2年目の1984年の夏でした。東京町田の酒屋さんで毎月、いろいろな県の地酒を呑む会をやっていまして、酒屋さんのほうで各蔵から20~30蔵から計2本ずつ、50~60本を飲み比べる、という会でした。そのとき、出合ったのが國香一級酒。中身は大吟醸並みのフルーティーでさわやかな酒で、一級のラベルなのに、なぜこんなに香りがするんだろうと驚きました。磯自慢の吟醸と本醸造も呑んだのですが、軽くてすっきり、透明感のある、今まで呑んだ酒とはぜんぜん違うという印象でした。その2年後に静岡県が全国新酒鑑評会で大量入賞した、というわけです。

 

 全国新酒鑑評会は今年で105回を迎える国内最大の酒の品評会で、全国から1000社弱が出品し、うち220品ほどが金賞をとります。昭和の終わり頃は、出品点数700、金賞は100~120品ぐらいでしょうか。そのうちの10品を静岡が占めたということで、今まで無名の産地だっただけに非常に大きく注目されました。そのころから吟醸酒ブームが始まっており、地方の地酒―新潟、秋田、山形、広島、高知といった酒どころの銘柄が東京でも知名度の高い存在でしたが、その一角に静岡が入ってきて、日本酒業界がざわめき始めたのです。

 

 國香、磯自慢を知っていた私は、10品という受賞数には驚きましたが、静岡県の躍進は意外というよりも「来るべきときが来た」という印象でした。当時はバブルに入る少し前。その10年ぐらい前から灘や伏見の大手メーカーの三倍増醸酒(戦後の米不足の時代に作っていた添加酒)や桶買い(地方蔵から酒を買い取る)に対するアンチテーゼということで、地方の酒が少しずつ見直されてきました。酒造りに対し、コスト的な優位性よりも、原材料や製法へのこだわりに着目する時代になっていった。結果、できるだけ醸造アルコール添加量を抑えた本醸造や、まったく添加しない純米酒への注目が集まった。ちょうどそのような時代に吟醸酒ブームというのが起こったわけです。

 吟醸酒というのは、今では当たり前に市販されていますが、当時はコンテストに出す特別仕様酒という位置づけで、蔵元で市販化されているケースはレアでした。しかし吟醸酒というのは香りが華やかで口当たりもよく、今まで飲んだ酒との違いが一目瞭然です。こだわりぬいた原材料と高度な製法で造ればこういう酒が出来るのか、と。静岡県はその中でも、普通酒、本醸造(当時で一級酒・二級酒クラス)の酒でも吟醸酒並みの酒質で、吟醸造りのノウハウがすべての酒に行き届いているのかと想像しました。私自身、社会に出て吟醸酒が買えるような年齢になったとき、静岡県の吟醸酒に出合い、今でも印象深く思っています。

 

 当時は、今のようにインターネットが発達した時代ではありませんでしたので、業界紙や日本酒のムック本を買って情報を入手していました。吟醸酒を扱う飲食店もまだまだ少なかったですね。静岡県の酒では「開運」が代表格とされ、「磯自慢」「満寿一」「初亀」あたりが吟醸酒を牽引する蔵として知られていました。

 

 今は廃業してしまいましたが料理人御用達の雑誌「四季の味」を発行していた鎌倉書房から、「四季の味特選―名酒と肴」という雑誌が出版されていました。その中で、読売新聞の記者だったジャーナリストの小桧山俊さんが「静岡吟醸」という記事を寄稿されていました。昭和61年の全国新酒鑑評会で金賞を受賞した10蔵の紹介と、静岡酵母を開発された河村傳兵衛先生の紹介でした。それを読んで私も血湧き肉踊る思いといいますか、無名の産地が全国のコンテストを席巻したことに、実に爽快な気分でした。しかもただ単に偶然、いい酵母が出来て賞が獲れた、というわけではなく、産地振興のための大きな戦略があったという。長い間、河村先生や各蔵元が研究を重ね、静岡らしい酒質とは何かを追求したのです。

 

 静岡県は交通も物流も便利な土地です。県外の大手メーカーが参入しやすく、大手の問屋が大手メーカー酒を安く大量に仕入れて売るため、なかなか地元のメーカーが育ちにくいという土地柄でもありました。そういう地域で、静岡酵母による独自の吟醸スタイルを確立し、一過性ではなく、地酒の特性としてしっかり定着できるようにと考えた。実際に市販酒である普通酒や本醸造クラスにも、そのノウハウを活かした。そのように指導された河村先生と蔵元さん方が、地域に合った自分たちの酒のスタイルというものを表現しようと努力された。静岡のそのような取組みが、後々、全国各県に浸透するようになりました。

 

 吟醸酒用の酵母では、熊本の「香露」から発見されたという協会9号酵母がメジャーな存在でした。「香露」は熊本県内のメーカーが出資して造った熊本県酒造研究所という会社の銘柄です。一方、静岡酵母は、県の工業技術センターが開発した酵母です。純粋に県の研究機関が開発し、県の名前が付いた酵母というのはそれまで例がありませんでした。その後、山形県や長野県でも同様の取組みが始まりましたが、県独自に酵母を開発し、香りの良い吟醸酒を造って産地特性を発信していくというスタイルを確立したのは静岡県でしょう。日本酒の歴史に一つの流れを作った大きな存在であるといえます。(つづく)

 

*全国新酒鑑評会や酵母については、過去の松崎サロンを参照してください。

http://blog.goo.ne.jp/mayumiakane1962/e/88217761e2ac5a8d2c80a49a313dc662

http://blog.goo.ne.jp/mayumiakane1962/e/45ad7d11919c517e6d4dcc748ea518ff

 

 

*日本酒の製法、酵母については、こちらの独立行政法人酒類総合研究所の会報誌「お酒のはなし」で分かりやすく解説しています。http://www.nrib.go.jp/sake/pdf/SeishuNo01.pdf

http://www.nrib.go.jp/sake/pdf/SeishuNo02.pdf